始まりの吸血鬼4
【大切な関係】
無限に広がる星空と、地平線も見えない暗闇。足元はよく見れば草原のようで、私は今、見知らぬ草原に一人で立っている。いや、一人ではなかった。
「こんばんは?」
「やあ、こんばんは。イディアの書はどうだい?」
なんとなく誰かいる気がしたから声をかけたら、背後から答えが返ってきた。振り返ってみると、イディアの書をくれたあのお姉さんが大きなひまわりの上に座って見下ろしていた。変わらず白衣を着ている。
「イディアの書は、ちょっとポンコツでした。それよりもその大きなひまわりは?」
「ポンコツとはずいぶんな言い様だね。少し運命が狂ってしまって、記載が頻繁に更新されただけさ。人の意思は簡単に運命を変えてくれるから見ていて楽しいよ」
茎のない、種が並んでいる真ん中部分と花びらだけのひまわりが、クルクルと宙に浮かんでいる。そのゆったりとした回転にあわせて、乗っているお姉さんももちろん一緒に回っていた。
「弥生も協力してくれたから、万全に準備していました。どんなに頑張っても結局死んじゃったけど。ところでその花どうやって浮いてるんですか?」
「君の物語は死んでからが始まりだったから、仕方ないさ。これからも頑張ってくれたまえ」
これからも頑張れか、できれば私は楽をしたいし、近道があればそちらに迷わず進むタイプなのだ。面倒くさいのは嫌なんだけど、これからも大変なことが待ってそうで、ため息が出る。
「そういえば、あなたの名前を聞いてませんでした。それになぜ私にイディアの書をくれたのかも知りたいです。ついでに、なぜひまわりなのかも聞きたいですが」
ピタッとひまわりは回転が止まり、ちょうどお姉さんが私の目の前に来た。
「私はね、イディアに唯一住む存在。イディアの管理人なんだ。だから、私のことは管理人と呼んでくれればいいよ」
「イディアの管理人さん、ですか」
ひまわりから飛び降りて、管理人さんは私の横にペタンと座り込んだ。それに習って私もその場に座る。草原は柔らかく、座り心地が良い。
「イディアでは、現実世界に存在するすべての人の物語を閲覧することができるんだ。だが、現実の人々は無意識でしかイディアにアクセスできないから、自分の歩むべき運命を知らないまま生きるしかない。影響力のある主人公が物語のシナリオを無視して生きてしまえば、物語の集合体である世界は狂ってしまうんだよ」
一息、管理人さんはどこから取り出したのか缶コーヒーを一口飲んで、「うっ苦い…」と言って残りを私にくれた。
「私は世界が狂わないように、意識的にイディアへ干渉する術を作って、それを現実世界の主人公や登場人物たちに渡しているんだ。それがイディアの書だよ」
「よくわからないけど、管理人さんは世界のために頑張ってるということですね」
「それだけじゃないけどね」と言いながら、今度は砂糖とミルクが入っていそうな缶コーヒーを取り出していた。
「さて、主人公ではないモブでしかなかった君は、今後も大変な目に合うと思う。そういうわけで、先取りでアドバイスをしよう」
管理人さんは缶コーヒーを飲み干して、空き缶を真上に投げた。不法投棄、なんて思ったが、缶は空で弾けて流れ星になった。
「イディアの書はイディアへアクセスする媒体だ。君に渡したイディアの書は特別性だから、君が必要だと本気で思えば、イディアの書は君のためにイディアから情報を引き出してくれるだろう。最大限イディアの書を活用してくれたまえ!」
流星群に飲まれるように、視界が星の輝きで埋め尽くされる。管理人さんのアドバイスが頭のなかで反響しながら、私は目を覚ました。
「夢、だよね。結局、なんでひまわりだったの?」
わからないことを考えても意味がないので、私は二度寝することにした。
「ん、ふわぁ」
「カヅキ、起きたかの」
二度寝から覚めると、私の部屋に銀髪の美少女がいた。
「どうかしたの?」
「1日経って体に違和感はないか確認しに来ただけじゃ」
レイカが自分の部屋に訪ねてきた理由を知り、自分の体を探る。腕を動かしたり、足を動かしたり、軽く体操してみたが特に問題がなさそうだ。試しにカーテンを開けて日を浴びてみた。不快感があるし、なんだか少し体がダルくはなるが、灰になったりしなかった。
「堂々と日に当たりすぎじゃ。もう少し怖がらんか」
レイカもいるので、素直にカーテンを閉める。先日葉月が選んでくれたカーテンは淡い緑色で見た印象も良いが、遮光性にも優れていた。カーテンを閉めると驚くほど部屋が暗くなるが、私とレイカは十分に見えるので、電気はつけなかった。
「特に問題ないよ」
私がなんでもないように答えると、レイカは呆れたようにため息をついて、私の両肩に手を起きベッドの端に座らせた。
「妹には言わんから」
座った私の目を紅い目でまっすぐ見てレイカはそう言う。こうなると私は逆らえない。
「えーっと、やっぱり少し、背中に違和感があるかな」
「そうじゃろうな。その傷は吸血鬼になる前についた傷じゃからの」
レイカに「見せてみよ」と言われ、素直にうなずく。足をベッドに上げ、レイカに背中を向けて寝巻きの上を脱ぎ、下着も外した。
「やはり傷痕が残っておるな。塞がっても完治はしなかったかの」
細い指が優しく背中を撫でる。くすぐったくでゾワゾワするが、我慢して傷痕の様子を見てもらった。
アリスに殺されたときの傷だ。弥生には吸血鬼になって完治したように伝えたが、実際は傷が残っていた。昨日お風呂で体を洗っているときに自分でも気づいていたが、さらに心配をかけるのも嫌だったので黙っていた。レイカにはバレバレだったようだが。
「どんな感じ?昨日は触ってわかるくらい、傷に沿って凹凸してたんだけど」
「凹凸はない。じゃが、5本の爪痕がくっきり入っている。周りの皮膚と少し色が変わってしまってるの」
やっぱり残ってしまいそうだ。あんなに血が出ていたのだから、深い広い傷だったのだろう。
「レイカのせいじゃないからね?」
「儂はまだ何も言っていないが」
私は服を着替えベッドの端に座り直し、レイカに隣へどうぞ、とジェスチャーをして座ってもらった。
「レイカに関わったから私が死んだなんて、だからレイカが悪いなんてのは理不尽だよ。私はレイカと話ができて嬉しいし、これからもできれば仲良くしていきたいと思ってるからね」
私がレイカの物語の登場人物だったとしても、管理人さんのように相手の気持ちや考えていることがなんでもわかるわけない。ちゃんと言葉にして、私が思っていること伝えなければいけない。
「気恥ずかしいことを言うの。気持ちは伝わったぞ」
仲良くしたい気持ちをまっすぐ伝えると、私から顔を反らして明後日の方向を向いてしまった。つい熱が入って顔を近付けてしまったから、嫌がられたかもしれない。もしくは、照れ隠しだと嬉しいな。
「む、お主と弥生の写真か」
レイカの向いた先には、先日買った猫をモチーフにした写真立てが机に飾ってある。その写真立ては3枚の写真が飾れるようになっていて、両親の写真と、こちらに引っ越す前に家族4人で撮った写真、そしてつい最近弥生と遊びに行ったときの写真が飾ってあった。
「日本に来てからすぐに街外れの水族館に行ったときに撮ったんだ。あまり大きいところではないけど、綺麗で楽しかったよ」
「ふむ、本当に仲が良いの」
レイカが関心するように言う。姉妹仲が良いことを言われると、とても嬉しくなる。
「この世でたった一人の妹だしね」
レイカは「そうか」とそっけなく答えた。写真のことを聞かれたからその話題に乗ったのに、そっけなくされて少しむうっとしてしまう。私はシスコンなので、かわいい妹の話をしたときは盛り上がってほしいのだ。
レイカの顔色をうかがうと、写真を見たまま、ボーッと、何かを思い出している感じだ。寂しそうな、羨ましそうな目をしているような気がする。
「いいなぁ」
ギリギリ聞き取れるくらいのそんな呟きに「え?」とつい聞き返してしまう。
「あ、いや。ところでお主の両親は留守にしておるんじゃな」
「うん、今は仕事の都合でイングランドにいるよ。私は日本が好きだからこっちに来たんだ。弥生も一緒に行きたいと言ってくれて、今年から2人でこの家に住んでるの」
「二人だけで来たのか。本当に仲が良いの。では昨年まではお主も海外におったんじゃな」
「そうだよ。レイカも日本人じゃないよね、出身は?」
紅い目は吸血鬼の特徴だとしても、この銀髪は染めたものではない。銀髪といえばロシアの方とかだろうか?でも、昔スコットランドにいたころ銀髪の人を見かけたことがある。遺伝子とか詳しくないが、天然の銀髪はとても希少だと思う。実は日本でも銀髪の人はいるのだろうか?
「はて、どこじゃろうな。忘れたの」
ニヤリと笑い、教えてくれる気はなさそうだ。むーっと表情だけでブーイングしておき、そのまま話に花を咲かせることにした。レイカと仲良くなりたいのだから、よく話して相手を知らなければいけない。
「それなら、いつから日本にきたの?」
「15年ほど前かの。最初にいた村で世話してくれたばあさんに習って言葉を覚えてたんじゃが、変な話し方じゃろう?」
レイカは「癖はなかなか抜けんがの」と懐かしそうに笑っている。中途半端に古い話し方だとは思っていたが、おばあちゃんから教わっていたかららしい。
「15年前なんてまだ外国人は珍しかっただろうに、偏見なく接してくれての。銀髪を見て「儂と同じだ」と白髪頭を見せてきおっての」
レイカは、すごく楽しそうにおばあさんのことを話していた。世話をしてくれたと言っていたから、日本でなにもわからないレイカにそれはそれは親切にしてくれた大切な人なのだろう。
「良い人なんだね。レイカがその人のことを好きなことが伝わってくるよ」
レイカは私の感想に、また懐かしそうに「ああ」と頷くと、そのまま何も言わずに俯いてしまい、表情がうかがえなくなる。
何か言ってはいけないことを言ったのだろうかと考え、レイカに関わった大家さんや隣人の人のことを思い出した。ちょっとした関わりであっても、アリスの標的になるのなら、レイカに言葉まで教えてくれたおばあさんがどうなったのか、少し考えればわかった。
「ごめん」
「なにを謝っておるのじゃ?」
レイカはなんてことないと言う風に見せてくれた。無理をしている感じではないので、レイカのなかで整理がついたことだったのだろう。
一瞬重くなった空気はまた先程と同じような緩いものに戻る。しかし会話が途切れてしまったので、なにか話題はないかと思考していると、私のお腹がくるるっと空腹を訴えた。そういえば、昨日の夜は食べなかったし、今はもうお昼の時間だった。起きてからはなにも食べていないので、1日なにも食べていないことになる。
「そういえば、吸血は食事じゃないんだよね。最悪飲まなくても生きていけるとも言ってたけど、やっぱり飲みたくなるの?」
昨日も、今も、軽い喉の渇きは感じている。しかし血が飲みたくて仕方ない!という感じではない。別のことに集中していれば忘れてしまえる程度の感覚だ。
「うむ、どんなに腹を満たして喉を潤そうとも、やはり飲みたくなるの」
生命活動というよりは、娯楽に近いのだろうか。タバコとかお酒とか、お父さんはやめられないと言っていた。まあ、そんなにヘビースモーカーではなかったが。私も血を飲んでしまったら、また飲みたくなってしまうのだろうか。
「飲む?」
私はからかうように、腕をレイカの前に突き出す。冗談のつもりだったし、私も吸血鬼だから、吸血鬼同士で血が飲めるのかわからないから、それを聞くきっかけとしてもやったことだった。
「む、良いのか? では、いただきます」
カプッと、なんの躊躇いもなく噛まれた。普通に吸血鬼同士でも吸血できるみたいだ。
「プハッ……うむ! お主の血はなかなかうまいの」
まるでお風呂上がりの牛乳や、運動後のスポーツドリンクのように、良い飲みっぷりだ。前にも公園で飲んでいるはずだが、改めて血が美味しいと感想を言われても困る。
前に公園で血を上げた時は痛みとか驚きしかなかったが、今はなぜか軽い脱力感というか、力が抜けるような感じがした。痛みが薄くなったような気がするのは、吸血鬼になったからだろうか。
「どれ、儂の血も飲むか?」
レイカはからかうように、服の襟を引っ張り綺麗な首筋を私に魅せる。そこから血を飲んでいい、ということだろう。なんだか妖艶な瞳が私を誘うように薄くこちらを見ている。そんな目で見られると、なんだかそわそわしてしまう。
「もしかして、それが魅了の能力? 私も吸血鬼なのに効くんだ」
「同じ吸血鬼だと魅了に対して抵抗力があるから、普段は大丈夫じゃろうな。魔力が減っている今のお主にはよく効くの。吸血鬼同士の吸血は魔力を分け与えることになるから、気を付けるのじゃぞ」
なるほど、無闇にレイカに血をあげないほうが良さそうだ。こんな魅力的な動き何度もされると、感情がぐちゃぐちゃになって身が持たなそうだ。
でも、少し血を飲むことには興味がある、と思ってしまった。これは吸血鬼になった私の、本能のようなものなのだろうか。
「お言葉に甘えて、いただきます」
「んむっ! 本当に吸うのか」
どうしても飲みたい!となっているわけではないが、試しに飲んでみることにした。この先長い時間この体と付き合っていくわけだし、先送りにしたくなかったのもある。
レイカの首筋に口を近付ける。とても甘い香りが鼻腔をくすぐる。その香りがどうしようもなく喉を熱くして、やけに喉が渇く。私は躊躇いもなく歯を立て、皮膚を裂いた。なんとなくだが、どこに歯を立てればうまく血が出るかわかったような気がした。
傷口から溢れる血をこぼさないように、首筋に口をつける。吸い出さなくとも血はトクトクと口の中を満たし、自然に喉の奥へと流れていく。唇を、舌を、喉を通る暖かい液体が、私の脳を焼いた。
これは、美味しいとか、そういう次元ではない。本能的にというか、生きていく上で必要というか。空気がうまい!みたいな必要不可欠なものに改めて感謝する感じのような、とにかく、気を抜くと虜になってしまいそうだ。
レイカが私の肩を軽く叩いて、私は一瞬自我を失いそうになっていたことに気付く。慌てて口を首筋から離して息を整えた。
「これはヤバイ」
「ふふ。まあ、儂らにとっては魔力の源じゃからの。体が勝手に求めてしまうのじゃな」
レイカさんの首筋の傷は口を離した途端に血が固まり、すぐに傷が塞がり始める。
「傷もすぐに塞がるんだ。これも魔力のおかげ?」
「うむ。大抵の、人からすればあり得ない事象は魔力が関わってると思って良い。ところで、いつまで抱きついておるのじゃ?」
私とレイカは向かい合って抱き合うような形になっていた。いや、正確には私が抱きついている状態だ。血を飲むため、正面から首筋を噛んだが、飲むのに夢中でレイカの背に手を回してしまっていたようだった。
レイカの背中に回した手から暖かく柔らかな感触が伝わってくる。私は女子にしては身長が大きい方だが、それを差し引いてもレイカは小さいためすっぽりと私が覆ってしまっている。そのせいか愛らしくてこのまま抱き締めていたくなる。
「ご、ごめん!! ……レイカが魅了するからいけないんだよ!!」
「儂のせいなのか!?」
自分の欲望を押し殺してレイカから離れた。恥ずかしさを誤魔化すためにそんな冗談を言う。もちろん、レイカも冗談だとわかっているので、2人で笑いあった。
「ふふ、こういうのも良いな」
「うん。レイカがよければ、いつまでもいて良いからね?」
レイカはなにかを考えるように目を瞑り、間をだいぶ取ってから「…………ああ」と深く頷いた。
そのあとは、なんだか抱き着いた気恥ずかしさから、私はレイカとの会話を区切った。レイカは本棚にあった数少ない小説を流し読みし始めている。私の部屋は本当にものが少ない。ベッドを占用されているけど、昼寝くらいしかやることがなさそうだった。
新しいカーペットの上で横になることにする。枕がほしいけど、枕はレイカの顎の下で読書の手伝いをしている。代わりになりそうなものを探し、自分のイディアの書が目に入る。そういえば最初に公園でレイカと会ったときに、イディアの書を枕にしていたことを思い出す。試しに頭を乗せてみるとちょうど良い高さだ。
「イディアの書を枕にするではない。まったく、お主は雑じゃな」
私の行いに気付いたレイカにそう注意される。確かに雑であることは認めるが、納得いかない。レイカだって枕にしていたじゃないか。
しかし注意されては枕代わりに使うことは躊躇われるので、さすがにやめておいた。
さて、私は枕がないと眠れないタイプで、腕を枕にするとすぐに痺れて大変なことになるので、イディアの枕を封じられた今、私は寝る選択肢を奪われてしまった。仕方なくスマホを取り出し、適当にニュースを眺める。
『白昼堂々の事件、未だ犯人捕まらず。』
これはレイカに昨日見せたニュース記事だ。記事に添付されている写真には2日前に弥生と葉月と行ったショッピングモールの外観が写っている。
『市内のショッピングモールで貸家業の女性が数回背中を切られ、死亡しているところを発見されました。また、同市内の国道路上で会社員の男性が同様の手口で死亡していこともあり、警察は同一犯による犯行の可能性が高いとして調査を進めています。』
これはSNSでも拡散され、そのコメントには銀髪で髪の長い女性の目撃があったとか、被害者の2人は同じアパートに住んでいたなど書かれている。
私はその記事のコメントを上から流し見した。銀髪の目撃談が多々見られる。中には挙動不審な外国人がいた。背の高い不審者がいたなどの書き込みまである。
「ん? なにかおかしいような……?」
「どうかしたのかの?」
言葉にならない違和感を感じつつ、レイカには「なんでもない。」と答える。
「ふむ、なかなか面白かった」
「読むの早いね、どうだった?」
パタンと本を閉じて気持ちを噛み締めているようだ。私も小説を読んだあととかは感涙だったり悲哀だったり、なにかしら感情が昂ってしまう。貸していた本は特に兄弟愛に感動することだろう。
ネタバレしてしまうと、主人公の兄は病気で一人では生きれなくなり、主人公は兄の療養のために恋人と別れて海外に引っ越してしまう。主人公のおかげでお医者さんの想定よりも長生きしたお兄さんと主人公の最後の対話シーンは本当に感動した。
かなり弱って病院から出られないのに、主人公とお兄さんはまるで自分達の目の前に、水族館の大きな水槽があるかのように話すのだ。2人はきっと同じ光景を見ていて、絆の深さが伝わってくる。
「なぜこの主人公は、恋仲の女性じゃなく兄を選んだんじゃろうか。こやつは幸せになって良かったじゃろうに」
小説の内容を思い出して思い出し感動している私のことなんて露知らず、面白いと言いつつも小説の内容を批判……というより純粋な疑問を言っている。
「お兄さんのために生きるのは主人公にとって幸せなことだと思ったけど?」
「いや、兄弟愛を描いたのはよくわかるぞよ? しかし、納得できんじゃろ」
「たった一人の肉親のために海外へついていくのは当たり前のことだよね?」
作中では主人公の恋人もその意志を尊重し納得していた。大切な兄のために
「うーむ、なんか納得がいかぬのだ。この小説に登場するものたちは、なぜだか兄弟は助け合うのは当たり前のような節があるのじゃな?」
「兄弟、というより家族が助け合うのは当たり前だと思うけど」
レイカの言いたいことがわからない。レイカの意見に反論するように私は思ったことをそのまま伝える。家族なのだから、助け合うだろう。
「そうじゃな、お主は妹が困ったら100%助けるじゃろうな」
私が「もちろん」と答えると、レイカは私に指差して問う。
「逆に、あの妹が「お主のために大切なものを捨てる」と言ったとき、お主は納得ができるか?」
「ああ、なるほど。確かに私だったら、絶対に反対するね」
私のために自分を犠牲にしてほしくはないと思う。その気持ちには感謝をしても、受け入れられないだろう。
「じゃろう? しかしこの作中には、主人公が自分のために彼女を捨てることについて、この兄は何も苦悩する場面がないのじゃ。わしならば絶対に妹のためにも自分に着いてくるようには言わぬ。そんな迷惑は本当ならかけたくないはずなんじゃ!」
レイカは「じゃから納得いかん」と小説にかなり感情移入している。確かにそう言われれば、お兄さんは自分に主人公がついてくるのは当たり前、つまり主人公が助けてくれるのは当たり前と認識してるような気がする。
「他の者たちも、この兄に対して助けるのが当たり前のような考え方をしておる。兄弟の絆を美しく描きすぎなんじゃ。もっと喧嘩せんか!」
「喧嘩はよくないけど、お兄さんの苦悩が描写されていないのは確かに妙かな。これは主人公の視点だけではなく、彼女からの視点も書いているシーンがあるからね」
レイカが納得いかない点については理解できたが、やはり私は納得できると思っている。
「きっと私が拒絶しても、弥生なら絶対についてくると思うな。それなら最初こそは反対しても、結局来てくれることになる。それを感謝して、喧嘩なんてせずに1秒でも長く一緒に居たいかな」
弥生とそんなことで喧嘩するのは嫌だ。自分勝手な話になってしまうが、もしも同じ状況になれば私は弥生についてきてもらう結論を容認すると思う。
「妹に甘えると言うことか。お主らの関係を否定するわけではないが、儂ならきっと妹と喧嘩して喧嘩して、最後まで反対するの。自分のために妹を不幸にはできぬ」
「だから、なぜ妹が不幸だと決めつけるの?」
例えば私と弥生の立ち位置が逆でも、2人とも病気のない健康体でも、貧しくて2人ともひもじい思いをしていても、つまりは、どんな状況であっても、愛する家族がいることはそれ以上ない幸せだと私は思ってる。
レイカは「それでも、妹は不幸じゃよ」と何か諭すように呟く。
「……レイカは、妹がいるの?」
小説の登場人物の話をしていたはずのなのに、話題が具体性のある別のものになってしまっている気がする。レイカの言い方や想いの強さが、なんとなく自分の姉妹を思っているような印象だったので、ついついそう聞いてしまった。
「あ、いや……うむ。どうじゃったかの」
明らかにはぐらかされる。これはきっと聞いてはいけないことだったのだろうな。
反応から、おそらくレイカに妹はいる。吸血鬼であるレイカの妹が吸血鬼なのかはわからないが、アリスのことを考えるとどうだろう。関われば隣人でさえ殺されてしまうのだからもしかしたら。いや、そもそもレイカとアリスは同じ銀髪だったっけ。
もしかしたら、と考えたが、これはあまり詮索してはいけないので話を終わらせることにした。
「ごめん、考えなしだった」
「いや、別に謝ることじゃないからな!」
レイカはベッドの端に座り直し、先程私がしたようなジェスチャーで隣に座るように促したので、素直に座らせてもらった。
「昨日から思っていたが、お主は理不尽な目にあったのじゃからもっと怒るべきじゃ」
「まあ、確かにそうかも」
「他人事のようじゃの」
レイカはまた呆れ顔だ。私だって、死んだことはショックだし他人事ではなくこの身に起こったことだとよくわかっている。わかってはいるが、怒りなんて湧いてこない。もともと怒ることは苦手だった。怒っても疲れるだけだし、めんどくさい結果にしかならない。怒る必要があったときに怒ったふりをしたことはあるが、私は怒ることができないようだ。
「そもそも、怒るべき相手にはまだ会えてないしね」
「アリスのことか? ……儂にも怒るべきじゃと思うがの」
それこそ、何度も言うがレイカは悪くない。まあ、アリスに会ったところで私はきちんと怒れる自信はないけど。
「ああ、そういえば、結局アリスにはどうやったら会えるのかな」
「昨日も言ったが、相手の場所はわからないからな。物語でつながっているからいずれ会えるし、同じ街にいるはずだからそんなに時間はかからんと思う」
やはりひたすら待つしかないようだ。
「夜中に外に出れば来てくれるかな?」
「どうじゃろうな」
仕方ないので、大人しく待つことにする。
レイカがうちに来てから早くも1週間が経った。あれからアリスが来る気配はなく、気を抜かないようにはしているが、レイカは「そんなに気を張る必要はない」とのんびりスタイルだ。
弥生の美味しいシチューでお腹を満たした私は、自分の部屋の窓からベランダに出てかれこれ数時間は月を眺めている。ちなみにこのベランダは弥生の部屋の窓からも出ることができ、横を見ると弥生の部屋のカーテンから光が漏れている。今の時間は夜中の1時だから、弥生にしては珍しく夜更かししているようだ。
「月が綺麗ですね」
彼の有名な告白の台詞だが、独り言だし、なんならただの見たままの感想だ。なぜ月を眺めているのかというと、なんとなく、月の光を浴びたいと思ったから。これも吸血鬼であることが関係しているのかわからない。
吸血鬼といえば、この1週間は意外と快適に過ごせた。夏の日差しはかなり辛かったが、そもそも夏は苦手だ。それ以外は今までと対して変わらない生活が送れた。強いて言えば夜更かしがひどくなったけど、それは吸血鬼が夜間に活動するかららしい。あと、にんにくはやっぱりダメだった。
「いつ来るのかな」
これでは恋い焦がれ、憧れの人を待つ乙女のようだが、実際に待っているのは自分を殺した相手だ。この背中に傷を残した吸血鬼だ。
「私はあなたを恨んでないよー」
私がアリスのことを恨んでないからなんだという話だが、これは私なりに好意的に話し合えると伝えられればと思って選んだ言葉だ。当たり前だが独り言なのでアリスには届かない。
こういうときはどうすれば良いだろうか、何か、ヒントがあったような気がする。
「イディアの書」
思い出して、部屋の中に入って机の上のそれを取る。
誰かが言っていた。この本は私が必要だと思う情報を教えてくれる。それが本当なら、アリスの居場所を教えてくれるのではないだろうか。しかし、私のイディアの書は残念ながらポンコツだから、まともに教えてくれると思えない。
「イディアの書、アリスの場所を教えて」
本に語りかける姿を誰かに見られれば、私はただの変人だろう。だが、イディアの書に情報をもらうためなんだ。私の言葉に反応して文章が変わることは前に経験済みなので、変人に見られたとしても必要なことなのだ。
なんて、部屋に一人でいるので必要のない言い訳をしながら表紙を開き、ページを捲ってみる。前から記載がある私の死亡予告と復活宣言。そしてその下に一行追記されていてまさかと興奮したが、その内容に頭を抱えたくなった。
【ひまわりの花言葉はあなただけを見つめる。】
「なぜひまわり!」
「ひまわりがどうかしたのか?」
いつの間にか私の背後に立っていたレイカが、私の肩を軽く叩く。ここ数日、レイカは勝手に部屋に入っては好きに小説を読んでいる。私も一緒になって本を読むので、レパートリーを増やすためにネット通販でわざわざ何冊か買い足していた。
「なんでもないよ」
「ひまわりか、確かあそこの公園にもひまわりがあったの」
あそこの公園とは、私とレイカが出会い、私が血塗れで倒れていた公園のことだ。あまり記憶にないが、公園の花壇にひまわりがあるらしい。
「それよりも、新しいやつが届いたのじゃろ?早く読みたくてな」
昼間に買った本が届いたので、それを読みに来たらしい。1週間も経てばもう遠慮はなくなったようで、ベッドに転がって本を読み始める。時間も時間なのでこれから寝るつもりだったのだけども、枕だけでも使わせてほしい。
「そろそろ寝ようとしてたけど?」
「どうせ眠くないじゃろ? 読みながら話し相手になってやるから少しだけ借りるぞ」
そんな自分勝手な言い分のレイカに対して、私に嫌な気持ちはない。たった1週間だが、かなり仲良くなったのだから、このくらいは気にならなくなった。そもそも気にするタイプでもないが。
「本は持っていっても良いから自分の部屋で読んだら?」
「あー、カヅキの部屋が良い」
寝返りをうち、私を見上げながらそんなわがままを言う。そんなかわいいことを言われてしまうと許してしまいそうになる。というか許すことにした。
「わかったよ。でも枕は返して?」
枕を持って、まだ新しいカーペットを敷布団にして寝ることにした。
「いやいや! さすがに床で寝かせられぬわ!」
レイカはベッドの上で飛び起き、私の手を引いてベッドへ誘い込んだ。これは表現が良くない。ベッドへ連れていってくれた。
「自分で言うのもあれだが、わしの冗談にそんなに付き合わんでも良いぞ?」
「付き合うよ、そういうものでしょ?」
私がからかうようにクスクス笑うと、「どういうことだ?」とクエスチョンを浮かべている。伝わらなかったようだ。
「友達なんだから、そういう冗談にも付き合うよ」
「友達……か、儂とカヅキが」
「うん、友達。もしかして嫌?」
レイカは不思議そうに首を傾げて、数回友達を小声で連呼していた。次第に口角が上がり、嬉しそうに「そうか、そうか」と温かい声を出している。
「ふふっ、友達か。嫌じゃないぞ」
ニマニマと友達ができたことを喜んでいる。話に聞いた限りだと、そういう当たり前な関係さえも持てなかったんだろうなと想像に難くなかった。だからさらに喜ばせたくて三度繰り返して伝える。
「私とレイカは友達だよ」
嬉しそうにしていたレイカの顔が一瞬固まる。その表情を見逃せなかった。なにかショックを受けたような感じのものだ。もしかしたら……。
「儂と友達になりたいなら、ちゃんと「友達になってください」と言ってもらわんとの」
私の思考を遮るようにレイカはそんな冗談を言って、またベッドの上で転がり、背を向けて小説を読み始めた。友達とは自然となっていくもので、なることをお願いするものではないと私は思っているので、面と向かってそう伝えることはないだろうと思う。
レイカに背を向けてベッドの端に座り、もう一度、イディアの書を開いた。ポンコツだが、これにしか頼れないくらいには手がかりがない。
【シロツメクサの花言葉は私を見て。】
ひまわりからシロツメクサに変わっている。私のイディアの書は植物図鑑なのか?とポンコツ具合にため息しつつ、それが意味するところを考える。シロツメクサってどんな花だっただろうか。
「なあ、カヅキよ」
「なに?」
背後から声をかけられ振り替えると、レイカは小説に目を向けたまま真剣な声色で問うように続ける。
「度々聞くが、本当に恨んでいないのか?」
またこの問いだと思った。彼女にとって私の死と吸血鬼化はそんなに後悔に苛まれるものなのか。この一週間なんども聞かれている。そして毎回答えは変わらない。
「恨んでないよ。レイカのこと。それと……実はアリスのことも」
「……なに?」
「レイカにとっては納得いかないかもだけど、私はアリスのこと恨んでないし、怒ってもいないから。それよりも、アリスのこと少し心配かなって思う」
私の言いたいことがわからず眉をひそめ、読んでいた本を閉じる。ベッドの端に座る私の横に座り直し、ちゃんと話を聞こうと真剣な表情をしている。
「【レイカの物語の登場人物を殺すのがアリスの物語】って言ってたじゃない? それって、レイカにとってつらいのはもちろんなんだけど、アリスにとってもつらいことなんじゃないかなって改めて思ったんだ」
「……アリスは人を殺すことをなんとも思わないタイプかもしれないぞ?」
「アリスはそういうやつだ!」と言い切ることをしないから、きっとそういう人を殺すことに快感を覚えるような人ではないのだろう。しかし、彼女にそう教えてもらわなくとも、私はそう思ってしまったのだ。何かの小説に影響されたのか、殺されたあの日の夜に見た、あの銀髪の少女の表情が悲しそうに見えたからなのか、直感的な部分が大きいと思う。
「アリスは、きっと人を殺さなきゃいけない運命がすごく嫌だと思う」
「言い切りるのじゃな。じゃが、嫌だからなんじゃ? これまで大量殺人を行ってきたことに変わりない。それは許されることではないだろう?」
私が知るアリスの犠牲者は私と大家さんと隣人さんの3人だが、彼女曰くもっとたくさんの人が殺されているようだ。
「それは許されないことだし、日本ならきっと終身刑とか死刑とか、法律はわからないけど罰則を受けるべきだと思ってる」
「うむ、そうじゃな。アリスは誰からも許されないし、実際多くの者から恨まれておる。一般的には知られていないが、アリスを追って罰を与えようとする組織もいるしの」
組織化するレベルとは思わなかった。それだけ多くの人に認識されていたのか。
「そ、そうなんだね。でも、それこそ罰を与えるのはその人たちの役目だから、私はいいかなって思うよ」
その組織がアリスに罰を与えるというなら、私からアリスに対して何かしら復讐することはない。だからと言って、その人たちを止めるつもりもないけど。
「ふむ、お主が良いというなら構わんが、ではアリスと会って何を話したいというのだ?カヅキやヤヨイを襲わないようにしたいなら、それこそ組織に助力を図れば良い。奴らはアリスを追うだけではなく、被害者の保護や社会貢献なども行っているからの。ただの復讐のための組織というわけではない」
そんな良い組織があるならもっと早く教えてほしかったとも思うけど、それは今はいいや。それにレイカがその組織に属していないなら、教えてもらっていたとしても自分でコンタクトを取る手段を見つけなければいけなかったわけだ。
弥生のことを考えればその組織について調べる必要はあるだろう。もし、1週間前に聞いてたら迷わず、すぐに動いていた。でも、今となっては少し事情が変わってきてしまっているので、その組織については後回しにする。
「アリスが多くの人から罰を与えられることになるなら、逆に私は……アリスのことを許したいと思う」
「許すだと? 先程許されないことだと言っていたではないか」
「うん、許されないことをしてきたとも思う。でも、許されないまま終わるのって、すごいバッドエンドだと思うよ」
「私はハッピーエンドが良い」と最後に私が締め括ると、呆れたのか怒ったのか、何も言わずに部屋から出ていった。残された私は、自分の言い分について一人で言い訳をする。
「レイカにとっても、アリスにとっても、バッドエンドのまま終わってほしくないのは私の我が儘だよ」
家族なんだから、いや、家族に限らず、仲良しで、笑い合って、認め合って、愛し合って、許し合っている方が良い。
私の考え方は間違っているのだろうか?そんな疑問に答えてくれる人はいない。
「散歩に行かんかの?」
吸血鬼になってから早くも3週間、もうすぐ夏休みが終わってしまうと憂鬱になっていたところへ、すっかり我が家の居候のようになっていた銀髪の少女からそう訪ねられる。「今から?」と返答しつつも頷いて、深夜の外へと一緒に出た。
家から出て、明るい夜道を2人で歩く。街灯も月明かりもあるが、私の目は夜闇の中でも十分すぎるほど明るかった。隣を歩く少女は背筋をまっすぐ伸ばし、姿勢良く美しさに磨きをかけている。魅了の能力を使われずとも彼女の姿に見惚れてしまう。
特になにか話すということはなく、しかし私はなにも話さないこの沈黙でも心地よかったし、適当な会話でまったりと盛り上がるのと同じくらい楽しいと思っている。
少し私よりも斜め右前を歩く彼女を横目に見ると、鼻歌を歌いながら機嫌がよさそうに穏やかな表情をしている。どうやら同じような気持ちみたいで嬉しかった。
手で顔に風を送りながら静かに深い息を吐く。夜でも暑い。夏は苦手だ。もう少し歩き続ければいい汗をかくだろう。だが、おそらく目的地の公園はすぐ目の前だった。
階段を上がって公園を眺める。この公園の真ん中で血の池地獄を作っていたというのに、なにも変わらないといった感じだ。特にニュースや噂にもなっていなかったので、あの血はどこにいってしまったのか不明だ。
ベンチの横を通りすぎ、自分が横になっていたところを通りすぎ、奥の花壇にあるひまわりを眺める。その足元には白い小さな草花があった。しゃがんでよく観察してみた。
「ああ、シロツメクサか」
公園や道路の端でよく見るやつだ。こんなどこにでもあり、誰からも注目されないような草花の花言葉が『私を見て』だなんて、なんとも皮肉な言葉だろうか。
きっと、本当に見てほしいのは、表面ではないもっと奥底なのだろう。
「カヅキは花にも興味があったのじゃな」
「そうでもないよ」
立ち上がり向き合って答える。銀髪の長い髪。紅く鋭い目。猫のような瞳孔。唇から見え隠れする牙。月明りに輝くその容姿に改めて見惚れてしまう。
「美しいね」
「な、なんじゃ急に……」
見たままの、素直な感想を伝える。頬を染めて目を反らした少女は、すぐに表現を直して真剣に向き合う。
「ずいぶん長いこと、世話になってしまったの」
「別に良いよ。この3週間、すごく楽しかったし」
「儂もじゃ」と呟き、悲しそうに目を伏せて軽く唇を噛んでいる。その表情から、この生活ももう終わりなんだろうと理解して、私から答え合わせを始める。
「あなたなんだね」
「――――ッ!」
「あなたがアリスなんだね」
演出かのように、強い風が吹き青々しい葉を巻き上げる。その風でなびいた銀髪の輝きが、あの夜、ここで横になりながら見たものと重なった。
「気付いとったんじゃの」
アリスは否定はせずに私に問う。
「違和感というか、ヒントはたくさんあったかな。特に気になったのは事件の被害者。あなたは大家さんと隣人さんを被害者だと断言してたから」
ニュース記事を思い出しながら答える。記事の内容には名前も、性別も、年齢もわからない書き方だった。もちろん被害者の写真もない。誰かを特定できないのに、この人は断言したのだ。しかも、知り合いが亡くなったことを初めて知って驚いたというようなリアクションで。自分で殺したから、被害者が誰か知っていたということだ。
「いろいろと聞きたいことはあるけど、なんでレイカのふりをしていたの?」
実は最初からレイカは存在しない、なんて怖い話はさすがにないと思いたい。最初に公園で会って血を飲んだときと、庭で遭遇したときは本当にレイカだったと信じている。その場合、レイカとアリスの容姿が瓜二つということになる。双子とか、姉妹だと思っているけど、ドッペルゲンガーとかそういうのもあるのだろうか。
「カヅキのイディアの書を見たからじゃよ」
影の中からイディアの書が飛び出し、それを手に取ったアリスはパラパラとページをめくりながら私に見せる。
「普通はこのように、自身の物語が最初から最後まで書いてあるものじゃ」
内容までは読めないが、アリスのイディアの書は、アリスの言う通り端から端までページは文字で埋まっている。ところどころ文字に取り消し線が入っているところもあった。
私は自分のイディアの書を開く。3行しか文章が書いていない。やはり私のイディアの書はポンコツとしか言いようがない。
「私のイディアの書はやっぱり変なんだね? ということは、これがほしかったということ?」
「いいや、イディアの書そのものが目的ではない。白紙のイディアの書を持つ者。きっと何か影響をもたらしてくれると思ったんじゃよ。こんな、理不尽な物語に」
本を閉じて、憎々しく自身のイディアの書を睨みつけていた。
「あなたの物語は、レイカに関わる人を殺す物語だよね」
「正確には違うのだが、その通りじゃな。レイカが関わったからオオヤを殺した。レイカが挨拶をしたからリンジンを殺した」
憎々しくイディアの書を影の中に戻し、アリスは私の傍まで歩いてくる。
「レイカとカヅキがイディアを通してつながったから、儂はカヅキを殺したんじゃ」
私の頬に手を当て、悲しそうな顔でまっすぐと見つめている。
「イディアの書にそう書いてあっても、そんなものに従わなければ良いのに」
「お主のものにはほとんど書いていないからわからんだろうが、これの強制力はとんでもないんじゃ。従わなければ言い知れぬ苦痛で頭が壊れそうになる。それを乗り越えて終ぞ抗ったとしても、さらに酷い選択肢に書き換えられ、余計に死者と苦渋が増える」
自分で語りながら、嫌なことを思い出したのか顔が歪む。私の頬に添えられた手が震え、反対の手は限界まで逸らされて爪が鋭くなっている。きっとこの爪で私の背中も引き裂いたのだろうと思う。
「儂の物語はな、ハッピーエンドにはならないんじゃよ」
「それが運命だ」と、私の頬から手を離して呟いた。背を向けて、ゆっくりと離れていく。そのままどこかへ行ってしまいそうだったので、慌てて声をかけた。
「アリス、まだ話は終わってないよ。まだ、誰かを殺すの? レイカさんを傷つけるの?」
「そうじゃな、レイカはカヅキを吸血鬼にしたあとはどこかへ行ってしまったから、また見つけて、レイカが関わった者を殺すじゃろうな。」
なんでもないように言うが、声が掠れている。
「ここ数日一緒にいて、アリスがどんな人かわかったよ」
小説が好きで語らうと楽しそうに考察し、悟っているようでどこか子供ぽくて、ついつい羨むほど妹のことを好いている。人を殺すことが自分の運命だと諦めているようで、その感覚は麻痺せずに、悔やみ悲しみ怒りで震えている。そんな普通の少女である彼女を、私は。
「私は、あなたを許したい」
その言葉を聞いたと同時にアリスは振り返り、手を振りかざす。その手が何やら黒くなったと思ったとき、気づけば私の目の前には銀色の長い髪がなびいていた。
「なんだ、そこにいたのか。レイカ」
冷酷な笑顔を浮かべたアリスの手から伸びる黒い何かは、私の顔のすぐ目の前まで伸びている。あと数センチ伸びていたら、その鋭い矛先がきっと私の顔を貫通していたとわかり、数歩後退りした。
黒い何かが私の目の前で止まったのは、気づけば目の前にいたレイカがそれを掴み取っていたから。アリスから声をかけられ、レイカは無表情でアリスを見ている。
「まったく、儂のふりをするのはやめるのじゃ。演技が下手すぎて見ていられなかったぞ」
黒い何かを握ってへし折り、手を離した。黒い何かは崩れて砂のように宙に消えていく。
「見てたのか?」
古めかしい語尾をやめて、流暢に話し出すアリス。もともと普通のしゃべり方だったのを、レイカに成り済ますために真似していたのだろう。
「カヅキの影の中からのぅ。カヅキは儂の眷族じゃから、あまり魔力を消費せずに済んだ」
「しかし、3週間も悟られぬように影の中に隠れていたのから、だいぶ魔力を消費してみたいだな」
公園の街灯に照らされて伸びるアリスの影から、4本の細長い三角錐が立つ。黒いそれは先程手から伸びたものと同じように見える。あれは以前にも見せてくれた影を操る能力なのだろう。
対してレイカも、同じように影を操って2本の三角錐を伸ばす。
「レイカ、あの……」
「お主は離れておれ。巻き込まれるぞ」
こちらを振り向かずに、手でジェスチャーして私を遠ざける。自分がまた殺されそうになったことと、ついていけない吸血鬼同士の対面に、私はなにも言えずに2人からから距離を取った。
こうして対面しているところを見ても、本当に瓜二つだ。やはり双子なのだろうか。ならば、姉妹であるはずの2人がこうしてにらみ合い、今にもあの危なそうな影を互いに突き立てようとしているのは、どういうことだろうか。
「今のレイカなら、やっと殺せそうだ!!」
「もう、終わりにしようぞ」
「やめてっ!!」
三者三様の台詞が重なるのを合図に、突き出た影が互いに向かって伸びる。本数はアリスの方が多いが、レイカは伸びてくる影を手の甲で軽く叩くようにして跳ね退けている、と思う。アリスは鋭く延びた爪で荒々しく影を弾いていた、と思う。
正直に言えば何してるのかがわからなかった。動体視力が追い付かないのか、どちらも何かが動いている程度にしか認識できない。辛うじて黒い影が何度も槍のように突き戻しを繰り返していることがわかり、2人が手を動かしているように体が振れるので、勝手にそう予想している。
空を斬るような音はするが、影を弾く音は聞こえない。
風切り音がなくなり、伸びていた影ももとの地面のうえへと戻る。アリスは肩で息をして、鋭い爪をレイカに向けて構えた。
レイカは息が上がっていないが、体のあちこちがボロボロだ。手はアリスのように爪が鋭く伸びている。手の甲であしらっていたのは私の妄想だったようだ。
「まったく、レイカはしぶとい」
「アリスは相変わらず雑多な攻撃しかできないようじゃのぅ」
「ふん、いつも傷だらけじゃないか」
「避ける必要のない攻撃が多い証拠じゃな。ほれ、もう治っとるぞぉ」
「魔力を無駄遣いして良いのか?まだまだ、終わってないからな!」
攻防が再開される。アリスはさらに影を2つ増やし、6本の影でレイカを貫こうとしている。
苦虫をつぶしたようにレイカの表情が歪み、影をテントのようにして自身を覆う。6本のうち3本はそれに阻まれて弾かれ、1本はテントとは関係ない地面に突き刺さり砂埃を散らす。残り2本はテントを貫通し、1本は地面をえぐり、もう一本はレイカの太腿に刺さり、貫通していた。
「レイカっ大丈夫!?」
バランスを崩したレイカに駆け寄り、背中を支える。
「危ないから離れておれと、言ったじゃろう」
「それより足が……そうだ」
私は腕を差し出し、レイカの口元へ近づける。吸血鬼同士の吸血は魔力を分け与えることを意味する。レイカは一瞬ためらったが、アリスの影がまた1本テントを割いて私のすぐ横に突き刺さったのを見て、やむを得ないと牙を立てる。
「籠っていないで、反撃してこい!!」
テントに影がさらに突き刺さる。明らかに影の本数が増えているようだ。
「……ごくんっ。ふう、すまぬのぅ」
少量であったが、血を上げたことにより、私は力が抜ける感覚を覚える。きっとこれが魔力を分け与える感覚なんだと思う。
「ううん。それより、なんで2人は喧嘩してるの?」
「喧嘩か、これは殺し合いというんじゃないかのぅ」
足を貫通した影を握り、刺さっている根本部分をへし折る。そこから影の矛先まで砂のように崩れていき、傷もすぐに塞がった。今は私たちとアリスとの間には影のテントがあり、それにアリスの操る影が数本突き刺さっているという、弥生の見ていたアニメのような光景だ。そしてこれは殺し合いらしい。
「なんで……」
2人が殺し合っている理由を聞くこともできずに、レイカに押されてまた離れる。レイカは私が離れたのを確認してから、手を横に振った。同時に影のテントが、アリスのテントごと粉々な弾けたと思ったら、今度は地面から多数の三角錐が伸びる。先ほどとは違い、一瞬見た感じたと10本以上はあったと思う。
「やっと本気になったか」
アリスがレイカの背後にそびえる影を見て興奮して笑う。アリスは疲れたのか肩で息をしながら、操っている影も本数が少なくなっていた。
「ああ、この時を待ちわびたぞ。いつまでも逃げていたくせに、カヅキの影響か?」
私の影響という言葉で心が締め付けられるように痛む。この状況は私が招いた結果なのだろうか。
「まあ、良い。……終わらせようじゃないか!!」
アリスの背後から2本の影が、レイカではなく私に向かって伸びる。目が慣れてきたのかそれを追うことができたが、体を動かすことはできないほど伸びてくる速度がはやい。しかし私に届く前にレイカの影がそれに正面からぶつかり、崩れる。
レイカの影は、操る影を失ったアリスに向かって伸びる。アリスはいくつか爪で弾いたが、数を捌ききれずに影の矛先を身に受けて後方へ飛ばされる。
「――――ッ!!」
アリスの声にならない悲鳴と痛みに耐える表情を浮かべた。影が突き刺さった右肩や右片腹、左太股、左手の甲から血が溢れ出る。影は貫通してアリスの背後にある木々やベンチ、地面に突き刺さり、標本のように縫い止めて束縛した。
その凄惨な光景に手で目を覆いたくなったが、レイカが新たに1本影を伸ばし、矛先をアリスに向ける。
「ああ、やっぱりこうなる運命なんじゃのぅ」
「そうだ、こうなる運命だったんだ」
それが最後の会話だと言うように、アリスは抵抗の動きをせずに目を閉じた。影を操るレイカの手が、最後の命令を躊躇って一瞬痙攣する。
2人の様子から、私は考える前に体が動いた。
私はいつも考えなしだ。相手の気持ちを考えられず、安い言葉でどれだけアリスを傷つけただろうか。先程の血を分け与えた行為も、レイカがボロボロだから分けたが、今にして思えばアリスの命を危うくする行為だったわけだ。そして今も、どうにかできるわけがないのに、足を動かし、2人の間に飛び込んでいる。自分でも驚くような脚力で地面を蹴り、一瞬でアリスの目の前に移動できた。
「アリス――――ッ」
力が抜けて膝から落ち、その瞬間に軽い衝撃が背中にあり、声が途切れる。目の前のアリスの表情が驚いて、目が見開かれていた。
膝を地面について、そのまま座り込む。喉から熱い液体が出て吐き出した。やはりというか、なんとなく察していたが、私は血を吐いた。胸のあたりが熱く、下を見てみると影が私の背中から胸まで貫通しているようだった。
アリスを狙った矛先が私の胸を貫いたのだ。
「カヅキッ!!」
私の胸を貫いた影が崩れて消える。それだけではなくアリスを拘束していた影も消えて、アリスが私に駆け寄ってくれる。先ほどアリスに殺されそうになったが、こうして心配してきてくれている感じだと殺す気はなかったのかな、と安心してしまう。
「何をしてるんだ!」
アリスが私の胸元に手を当てている。その手が温かく、何かしら私を助けようとしてくれているのだと感じた。
考える前に勝手に体が動いたが、2人の間に入ったのにはいろいろと理由がある。でも、それをアリスに答えるつもりはない。私は出にくい声を無理やり吐き出しながらアリスに告げた。
「私と友達に、なって、くだ……さい――――」
何を言われたのかわからないのか、アリスは「え?は?」と声を漏らしている。
「なんでそんな……儂はお主を殺したんだ。許されるわけないだろ!」
やっぱり、アリスも自分の物語に苦しんでいたんだ。
「わた、しは……あなたを、【許す】、よ――――」
「やめてくれ……。儂は、お主を……」
私の言葉を拒絶して、大粒の涙を溢す。泣いても美しいな、なんて場違いなことを考える。
吸血鬼の力のおかげなのか、致命傷だと思う傷を受けても意外と持った意識が徐々に遠退いていく。
私を抱き上げるのをやめて、アリスが背を向けてどこかへ去っていく。その背に手を伸ばそうとして、私の意識は途切れた。