温泉宿
御湯ヶ島。
瀬戸内海に浮かぶ小島の一つ。
その小さな港。
フェリーが停泊しており、タラップから乗客たちが順番に降りてくる。
その中には、リュックを背負った文彦の姿もあった。
「やっと着いたか」
タラップを降りた目の前には、小さなフェリーターミナルがあり、
〝ようこそ御湯ヶ島へ〟
と書かれた縦長の看板が出ている。
「いちおう観光地なんだな」
いわれてみれば、島の景色は風光明媚といえなくもない。
「へ~、温泉がメインなのか」
観光案内看板には、宿泊施設とともに♨マークがいくつも描いてある。
「ん? なんだここは?」
中心地から少し外れたところに〈ふれあい動物牧場〉と書かれたエリアがあり、鹿やヤギやウサギのイラストが描かれている。
文彦はたちまち気分が高まり、
「ウサギが⁉ 大会が終わったら行ってみよう!」
御湯ヶ島湯本旅館。
趣のある純和風旅館である。
その〈梅の間〉では、座卓にならべられた料理を文彦がガツガツとたいらげていた。
地元近海で獲れた新鮮な伊勢エビやタイの豪華舟盛りに、サザエの壺焼き、ワタリガニの酒蒸し、濃厚ウニ丼、タコの唐揚げ等、贅沢な海の幸づくしだ。
「うまい! 最高!」
大満足し、おおいに舌鼓を打つ。
「次は風呂だな」
この島の目玉だという温泉も堪能してみる。
十数カ所ある中から選んだのは、海辺の野趣あふれる露天風呂。
文彦は気持ちよさそうに湯につかりながら、
「ふ~最高……!」
と思わず蕩けた声を漏らしてしまう。
たまたますいている時間だったらしく、贅沢にも今は独占状態だ。
「絶景かな、絶景かな」
目の前には美しい瀬戸内海が広がっており、眺めも最高である。
「これがぜんぶ運営持ちでタダとは。選手に選ばれてほんとうに良かった……!」
ホテルニュー御湯ヶ島のロビー。
テーブルで、文彦がインタビューを受けている。
「格闘技を始めたきっかけは何ですか?」
〈大会運営委員会〉の腕章をつけた記者がたずねる。
「小さい頃から、ケンシロウやブルース・リーのような強い人間に憧れてて、たまたま近所に破邪神拳の道場があったんで入門しました。9歳の頃ですね」
同じく〈大会運営委員会〉の腕章をつけたカメラマンが、文彦の写真をパシャパシャと撮っている。
「いや、たまたまじゃないな。自分と破邪神拳との出会いは運命でしょうね」
なぜか少し気取っている。
「月謝もタダでしたし」
「無償で教えられてたんですか?」
「ええ、師匠の目的は、破邪神拳を伝授するにふさわしい正統後継者を育てることですから」
「それでは修業は厳しかったでしょうね」
「もちろん楽ではありませんでした。昔は自分以外にも後継者候補の兄弟弟子が大勢いましたが、次々と脱落していきましたからね。……塾通いや受験とかで。最後まで残ったのは自分一人だけでした」
御湯ヶ島湯本旅館のゲームコーナー。
懐かしいアーケードゲームやメダルゲームがそろっている。
店内は浴衣姿の宿泊客でおおにぎわいだ。
「こんなに客が多いの初めてだな」
前の廊下を通りすぎながら、常連客の老夫婦は不思議そうに首をひねっている。
文彦は自動販売機でジュースを買い、飲みながらあたりを見回す。
20代半ばくらいの若い白人男性が、駄菓子屋によくあったルーレットのメダルゲームで大当たりを出す。
「イエス!」
大量のメダルを手に入れ、上機嫌で連れの白人美女の頬に祝福のキスをする。
「あれはシュートボクシングの絶対王者アンディ・ミラーか!」
文彦の顔に緊張が走る。
ミラーはファンの若い男性に声をかけられ、快くツーショット写真を撮っている。
卓球台があり、大柄ないかつい白人男性がすごいパワースマッシュを放つ。
「ウーハー!」
見事に決めてガッツポーズをとる。
「あっちはUFC王者のマーク・ゴールドマンだ……!」
また文彦の顔に緊張が走る。
「みんなおれと同じ大会出場選手か。やはり噂にたがわない世界最高レベルの大会だな。それはそれとして──」
文彦は数あるゲーム機たちを見わたし、
「何からやるかな?」
吟味した結果、まずは3D対戦格闘ゲームのバーチャ・ファイターの台に座る。
「そらそら!」
余裕のスティックさばきで、文彦の使用キャラであるアキラがあっというまにCPUのラウ・チェンをKOする。パーフェクト勝利だ。
「ふん、チョロイな」
そこへ乱入者があらわれる。対戦台だったのだ。
文彦はむかいの筺体を少しのぞきこむ。
いつのまにか誰かが座っている。
「ちょこざいな、おれに挑戦する気か」
文彦は不敵な笑みを浮かべる。なにせシリーズ一作目からやりこんでいるヘビープレイヤーだ。
対戦相手が使うのは、プロレスラーキャラのウルフである。
「お! なに⁉ やるな!」
試合開始と同時に余裕はなくなり、文彦はすぐに本気になる。
「くそっ! くそっ! うそだろーっ!」
かろうじて一本は取ったものの、ついにアキラは三本目を取られて敗北してしまう。フィニッシュは大技のジャイアントスイングだ。
「バカな。このおれが……!」
ショックで立ち上がれない。
パピララ♪ チャーチャチャ♡ タタタタ──♪
むかい側から、キュートなポップソングのメロディーが響いてくる。
「もうこんな時間?」
立ち上がって姿を現したのは、ショートカットでボーイッシュなハイティーンくらいの少女。それもまばゆいばかりの美少女である。
「………」
文彦は呆然とした顔。
少女はスマホを操作してアラームのメロディを止める。
文彦のほうに近づいてきて、
「いい勝負だったね☆」
輝く笑顔で右手を差しのべる。
「あ、ああ……」
萌えて赤面しながら握手する。
「もう行かなきゃ」
早足で去っていく。
文彦は、その後ろ姿を惚けた顔で見送る。