破邪神拳VS伊賀忍者
青龍の入場口前。
破邪神拳の道着に着替えて、文彦が控えている。
とくにすることもないので、スマホでパズルゲームなどをして時間をつぶしている。
「これより一回戦第2試合をはじめます!」
観客の歓声がここまで響いてくる。
そばにいるセコンド代わりの係員は、緊張感のない文彦にやきもきしている。
「もうすぐ出番ですよ!」
「わかってる」
「青龍から、破邪神拳、青馬文彦選手の入場です!」
「やってやるか」
文彦はスマホを係員に預けると、さっそうと歩き出す。
花道に出ると、いっそう歓声が大きくなる。
「白虎から、伊賀流忍術、半蔵選手の入場です!」
また歓声がわきあがる。
文彦は馬鹿にするように、
「この世界、〝自称〟忍者は多いからな。こいつも胡散臭いもんだ」
闘技場の中央で、文彦は半蔵とむかいあう。
半蔵は忍者装束で全身をガッチリと固めている。露出しているのは両目と掌くらいだ。
「両選手の体格はほぼ互角。ただし、ともに特殊な流派のため展開はまるで予想できません!」
「見てろ、破邪神拳の神技でみなの度肝を抜いてやる!」
文彦はカッカと闘志をみなぎらせている。
「予告しよう」
半蔵が静かに語りかけてくる。
「ん?」
「おれは分身の術を使う」
「はあ?」
ドーン!
係員によって、試合開始を告げる和太鼓が打ち鳴らされる。
まずはお互い打撃で牽制しあう。
半蔵の立ち技のベースは一般的な空手のようだ。
「静かな立ち上がり。両選手とも慎重に様子見でしょうか」
両者がいったん距離を取ったタイミングで、半蔵は衿元から装束の中に右手を突っ込み、すぐにまた出す。
「?」
文彦は意味がわからない。
ふたたび打撃の攻防がはじまるや、半蔵の右手の指先が文彦の鼻の下をかすめる。
「ぐっ!」
強い刺激臭に襲われ、文彦は思わず声をあげる。
クラクラとめまいが生じ、足元もフラついてくる。
「なんだこの異常な臭さは 手になにか塗ってあるな! 反則だぞ!」
半蔵は勝ち誇って、
「こいつはおれのワキガの臭いだ! 反則じゃない。本来のおれの体臭だからな。事前に運営側にも確認してある!」
「なにいぃ!」
半蔵は、また右手を装束の中に突っ込んですぐに出す。
そして動きが鈍っている文彦に、こんどは右の掌全体を掌底打ちのようにして顔面に押しつけてくる。
「うぐっ!」
臭さが目に染みて、文彦は涙が止まらなくなる。
そのせいで、半蔵の姿がボヤけて二重に見えてしまう。
「どうだ。おれが二人に見えるだろう」
「くっ、これが分身の術か……!」
文彦は必死で打撃を繰り出すも空振りするだけ。
逆に、半蔵の突きや蹴りを一方的に食らってしまう。
おまけに頭はさらにグラグラしてきて気持ちが悪くなり、
「オゲーーッ!」
とうとう嘔吐して、口のまわりをゲロだらけにしてしまう。
「きたね!」
顔面攻撃したくないので、半蔵はボディを集中的に狙ってくる。
「おぐっ!」
腹に拳を叩きこまれ、文彦はまた吐きそうになる。
だがそこをグッと我慢する。
そしてタイミングを見計らい、
ブベッ!
と半蔵の顔にゲロを吐きかける。
「ぐわっ、臭い!」
「お返しだ!」
リングアナは不快そうに顔を歪ませて、
「最低の闘いになってきました」
涙が引いてきて、二重に見えていた半蔵の姿が一人にもどる。
「術が解けて……。吐いてスッキリしたせいか」
「ならば」
こんどは袖口にサッと手を入れてから、手裏剣を放つ動作を見せる。
「!」
とっさに文彦は頭を下げる。
だが半蔵はフリだけでなにも放ってはいない。
「エア手裏剣のフェイントか!」
すぐに文彦は顔をあげるが、
「……!」
半蔵の姿が忽然と消えている。
「ばかな⁉」
周囲を見回しても、闘技場のどこにも姿がない。
「まさか〈土遁の術〉か⁉」
足元に目をやるが、とうぜん土の地面ではなく人工的なマットである。
「この程度の相手に、なにを手こずってるんだ!」
観客席で苛立っているのは、木下幸男である。
大会出場には縁がないものの、試合観戦チケットはしっかり入手していたのだ。
「いったいどこに隠れた⁉」
文彦はなおもキョロキョロと辺りをさぐっている。
闘技場と観客席とのあいだには、高さ1・5メートル程のフェンスがある。
一般観客らしき男性が音もなくフェンスの上に立ったかと思うと、背をむけている文彦めがけて大ジャンプし、ヒザ蹴りを落とそうとする。
「!」
文彦はすんでのところで気配に気づく。
自分もジャンプして男性を空中で抱きかかえ、
ダーーンッ‼
とバックドロップのように後頭部をマットに叩きつける。
観客に見えた男性の正体は、忍者装束を脱いだ半蔵だったのだ。
「観客にまぎれ込む半蔵選手の〈客遁の術〉を、青馬選手はそのお株を奪う必殺の〝飯綱落とし〟で返したあ!」
半蔵はダメージが大きく、立ち上がることができない。
カン!カン!カン!カン! カーン!
試合終了を告げる拍子木の音が鳴り響く。
「青馬選手のダイナミックなKO勝ちです!」
「勝った……!」
文彦は高揚感に満ちた顔で天を仰ぐ。
試合終了から一時間後。
Tシャツに着替えた文彦は、会場の廊下を歩いていた。
「われながら見事な勝利だ。だがあいつは本物の忍者だった」
しみじみと称賛する。
「やはりこの大会は最高峰のレベルだな」
〈医務室〉と書かれたドアを見つけると、開けて中に入る。
「失礼します」
さほど広くはない。
患者用のベッドが二台ある。
間仕切りカーテンで閉められているが、隙間からベッドの様子が垣間見える。
手前のベッドには片方のすねに包帯を巻いたカトーがいて、退屈そうにスマホを眺めている。
奥のベッドでは半蔵が横になっている。こうして見ると素顔は平凡な顔立ちの青年だ。
「またあんたはこんなケガして! だから馬鹿なことやめなさいっていったでしょ!」
その枕元には半蔵の母親が立っていて、頭ごなしに息子を叱りつけている。
「目薬ありますか?」
文彦は診察デスクにいる医者に尋ねつつ、ベッドのほうをチラチラ覗き見る。
「もう30になるのに。いつになったらちゃんと就職するの!」
「どうも」
文彦は医者から目薬を受けとり、目に差す。
半蔵は無言でしょんぼりしているようだ。
「子供みたいなことばっかりやって。母さん恥ずかしいわ!」
文彦は潤んだ瞳で憐れむような同情の色を浮かべる。