第二百二十一話 何も残せないわけじゃない
「レクス、レクス、本当に大好きだよ。これからもずっとレクスを愛してる、だから今度はゆっくりでいいんだ、いつかまたきっと私に会いにきて」
俺は幸せそうに笑っているフェリシアを見ていたのに、言いようがない不安な気持ちがわいてきた。ここには敵になりそうなものは何もいない、それなのに俺のどこかで本能が激しく警鐘を鳴らしている。何も危険など迫っていないはずなのに、俺の心臓は止まってしまいそうなほど痛んだ。さっきから胸が苦しくて仕方がない、俺は知らず知らずのうちに涙が溢れて止まらなくなった。
そんな俺の頬に手をあててフェリシアが子どもに言い聞かせるように囁いた、その俺に触れるフェリシアの手はとても温かいのに、そのぬくもりですら今はもう俺をなぐさめてはくれなかった。
「レクス、私たちは幸せだったよね。私はレクスに出会えて本当に良かった」
「…………フェリシア、それは俺がずっと言いたかったことだ。でも、でもな」
「毎日が楽しくて仕方なかったよ、こんな新しい喜びは全部、レクスが私にくれたんだ」
「――――でも、まだ早過ぎる!!フェリシア!!」
俺は気がつけば強くフェリシアを抱きしめていた、そんな俺たちを不思議そうにディーレが見ていた。ファンもミゼとじゃれるのを止めて、何かに気づいて驚いたようにこっちを見た。俺は他の仲間たちが見ていることなんか気にもならなかった、とめどなく流れる涙をそのままにフェリシアを、俺の大事な者を強く離さないように抱きしめた。まだ早い、まだ早過ぎる。フェリシアをヴァンパイアたちから解放して、まだたった三年しか経っていない。
でも同時に俺には最期の時がきたのだとよく分かっていた、同じ太古の生き物であるファンもそれを感じとったに違いない。そしてフェリシアは笑ってこう言った、今までで一番に幸せそうな笑顔のままでこう言ったんだ。
「もうレクスはたった一人じゃないから、私はそれが凄く嬉しくて同時にとても誇らしいんだ」
美しい花畑を一陣の風が吹き抜けた、風に花びらが沢山舞い散っていった。そしてそれと同時にフェリシアの姿は風に攫われるように消えてしまった、俺の腕の中にちゃんといたはずなのに、髪の一筋も残さずにフェリシアは逝ってしまった。俺はその場にうずくまって静かに泣き崩れた、フェリシアがいつか俺を置いていくことは知っていた。
でも本当にいなくなってしまうなんて、あんなに元気に今まで共に生きてきた。それなのにこんなに突然いなくなってしまうだなんて、俺は全て分かっていたはずなのに涙が溢れて止まらなかった。ああ、俺が愛した女が死んだのだから当然だ、俺はしばらく声を殺してその場で泣き続けた。俺自身でも抑えようもない涙が勝手に出てくるのだ、もう俺は泣き止むことができないんじゃないかと思った。
「…………レクスさん、…………フェリシアさんが、……光溢れる……、……新たな国で……どうか安らぎ……を、……得ることができますように…………うぅ……」
「うぅ、ひっく、うわああああぁぁぁぁぁん!!何で、何でなの。まだ、まだ早過ぎるよ。ひっく、ひっく、うわああああぁぁぁぁぁん!!」
「………………何故なのでしょうね、ファンさん。………………本当に何故なのでしょうか」
ディーレもいつの間にか俺のように泣いていた、泣きながらフェリシアの為に祈ってくれた。ファンもミゼのことを抱きしめながら泣いていた、フェリシアのことを思って泣いてくれていた。ミゼはどこか遠くを見ていた、そして静かにファンの肩に顔をうずめていた。
「………………?」
俺はしばらくその場で泣いていたが、ふと自分の手の中に残っているものに気がついた。それは新しい命だった、とても小さな赤ん坊だった。黒髪に一筋だけ金色の髪が混ざっていた、ゆっくりと開かれた両目は碧色の瞳をしていた、そうそれはフェリシアの瞳の色にそっくり同じだった。幼い顔にもフェリシアの面影があった、そしてどこか俺自身にも似ていた。
ああ、フェリシアはこの子を俺に残してくれたのだ。俺が世界でたった一人にならないように、フェリシア自身がいなくなっても生きていけるように、愛おしい我が子を残してこの世を去ったのだ。俺はそうっとその子どもを優しく抱きしめた、子どもはとても大人しくてまた瞳を閉じてそのまま眠ってしまった。俺はようやく泣き止むことができた、でもフェリシアを失った悲しみは変わらずにずっと残り続けた。
その日、俺たちはフェリシアという大切な仲間を失った。でも、新しい仲間が幼い子どもが残されていた。俺は頬に残っていた涙をぬぐって立ち上がる、まだ俺にはこの世でやることがきっと沢山あるのだろう。
それから時間は誰にでもいつも平等に、そう止まること知らずに過ぎ去っていった。月日が経つのは早過ぎることもある、とある国のとある場所で俺はまだ元気に生きていた。
「レクス、レクス!!肩車して、ねぇ肩車して!!」
「ああ、分かった。フィリア、ほらっこっちにこい」
俺はフェリシアが残してくれた俺との子ども、フィリアと名付けたその子を抱き上げて肩車した。フェリシアがいなくなってもう二年が経っていた、あれから俺がちゃんと生きてこれたのはこの子がいたおかげだった。そうでなければ寂しさのあまり狂ってしまっていたかもしれない、フェリシアを失ってしまった辛さから生きることを放棄してしまったかもしれなかった。そうそれくらい俺はフェリシアを愛している、今も変わらずに彼女を愛し続けているんだ。
「フィリアさんはまだまだ甘えん坊ですね、それにしても子どもの成長は早くて驚きます」
「うーん、僕たち太古の生き物は幼少期が短いからね。僕だってそうでしょ、もうすぐディーレの肩くらいの身長になるよ」
「ファンさんも幼女から女性になりましたね、フィリアさんのしっかりしたお姉さんのようです。幼女ってやっぱり尊い、フィリアさんが幼女のうちに沢山遊んでもらいたいです」
フィリアは成長が早い子どもだった、フェリシアから生まれて二年が経ったが、もう人間でいえば十歳ほどに成長している。この二年間はあっという間に過ぎていった、最初はフィリアの育て方が全く分からずに仲間たち全員で頭を抱えたものだった。なにせ何を食べるのかすら分からなかったのだ、牛の乳などを飲むことはできた、だからそれでいいのかと思っていたらフィリアはだんだんと痩せ始めた。
何か食べられるものないのかと正解が分からずに全員でいろんなものを与えた、するとそのうちに気がついたがフィリアは俺と同じで固形物を一切食べなかったのだ。それでまさかと思って森に連れていった、そうしたら俺と同じように森の木々から食事を始めたのだ。フェリシアは俺に草食系ヴァンパイアという娘を残してくれたのだ、確かにこれで俺は世界でたった一人の種族ではなくなった。
俺は二十四歳になっていた、ディーレは俺より一つ下だから二十三歳だ。ファンは八歳になっていたが体は成長して十五歳くらいになっていた、そんなふうに年齢と見た目が一致しないから俺たちはディーレ以外は時々身分証を作り直すのに苦労していた。フィリアが幼いうちは身分証はなくてもよかったが、そろそろフィリアにも身分証をつくる必要ができてきた。
「フィリアも大きくなったよな、最初はどうなることかと俺は思った」
「はい、そうですね。神よ、フィリアさんがいつもほがらかに、健やかに過ごせますように」
「レクスばっかりフィリアを肩車してずるい!!僕にもちょっと抱かせてよ!!」
「ああ、幼女という尊い存在がいるばっかりに争いが起きてしまう。まぁ、仕方ありませんね。だって可愛いは正義ですから」
フィリアは大人しい子どもだった、大抵のことは教えると早く覚えたし、文句を言うことも少なかった。最初はおねだりをするのが下手で、今のように肩車して欲しいのにそれが言えず、静かにしくしくと泣き出してしまうこともあった。俺たちは全員でそんなフィリアを育ててきた、ファンなんかまだ子どもなのに子育てに参加していた、そのおかげか最近では驚くほど大人に見えるようになった。
そんなふうに俺たちは一緒に旅を続けていたが、そうして生きていくには金が要る、だから俺たちもまた働く必要があった。幸いにもここには大迷宮があるそうだ、久しぶりに暴れるのも悪くない。
「この国には大迷宮の入り口があるそうだ、またそこで少し働いて稼いでいくか」
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