第二百十三話 本当に愛する者には敵わない
「たとえ貴女の寿命が迫っているとしても、一年しか生きられないような選択なんて間違いです」
「――――――!!何だって!?」
俺はキリルが言ったことを信じたくなくて思わず問いただした、確かに祝福されし者にも寿命があるのだろう、それは生きている者なら誰にでも自然に訪れる死というものだった。それにフェリシアは太古の昔から生きている、大賢者ラウトの影は約三千年前に作られた、少なくともそれくらいは彼女は生きてきたのだ。寿命が尽きるという話も無理のない話だった、ファンの母であるドラゴンだって祝福されし者を知っていたが、つい数年前に寿命が尽きてファンを俺に預け亡くなったのだ。俺の問いかけにキリルは頑なに答えなかった、俺が聞き返したことがなかったことのようにそのまま話し続けた。
「あの幼き日にフェリシア様、貴女に助けられてから御恩は忘れたことはありません。けれど私ではあのウィルという汚らわしい裏切者に勝てません、きっとすぐに殺されてしまうことでしょう。私では無理なのです、貴女のお心を変えようと言葉を尽くしてもそれは虚しく叶いませんでした」
「………………」
「腹立たしいことですが私はこうするしかないのです、愚かな人間からヴァンパイアになった者に賭けるしかありません。なんて分の悪い賭けでしょうか、純血のヴァンパイアと後からヴァンパイアになった者では普通なら勝負になりません。でも、フェリシア様、愛おしいフェリシア様」
「………………」
そこまで話してキリルは足を止めていた、そこには大きな扉があって複雑な文様が刻まれていた。キリルはその文様である石を一定の法則で動かしていった、おそらくはそうしないと開かない仕掛け扉になっているのだろう。彼女は黙り込んでその作業に没頭していた、そして何度も文様が変わった後やがて大きく重そうな扉が開き始めた。キリルがゆっくりと俺を振り返ってこっちを見た、あがいてもがいて悩んで苦しんだすえに、ようやく答えを出したような静かな顔だった。
「フェリシア様も賭けをしている、自分が選んだ男が迎えにきてくれるかという趣味の悪い賭けだ。私は元は人間だった貴様が嫌いだ、好きになる日はきっと来ないだろう。だが、ここから先にフェリシア様はいらっしゃる。女を待たせるなんて男の恥だ、途中に何があっても迎えに行ってみろ」
「………………はははっ、最後まで素直じゃないよな、お前らしくてそれも良いと思う」
俺はキリルの傍を通って大きな開いた扉の向こうに走り出した、キリルがついてこられないということはそれなりの理由があるはずだ。そして、それはすぐに分かった。道がねじれ曲がっていたのだ、俺はちゃんと石でできた床を走っていた、それなのに逆さまに立っているように見えだしたのだ。俺は感覚がおかしくなって倒れそうになった、ぐにゃりと世界すら歪んでしまった気がした。
「レクス様、辺りがぐにゃぐにゃでわけが分かりません」
「………………しっかりと俺に捕まっていろ、ミゼ」
咄嗟に俺の心臓のあたりで喋ったミゼに手をやった、ドクンドクンとミゼの心臓も脈打っている。走っていられずに立ち止まってみてそのまま目を瞑ってみた、そうするとちゃんと足が石でできた床に立っている感触がする。俺は目は開かずに世界の根源の力だけを頼りに走り出した、暗い道が光で照らしだされるように細い道筋が瞼の裏で見えた。ディーレが唱える祈りのような光だった、ファンが笑った時のような温かな気持ちになるような光だった。
しばらくそうやって走り続けていたら、急におかしな感覚が正常にもどってきた。立ち止まって目を開けてみても石の床があるだけで何も罠はなかった、あれは誰かが使った高度な精神魔法の攻撃だったのだ。誰がそんなことをしたのかも分かった、フェリシアの気配がするのだ。さっきから花のような匂いがしていた、これはフェリシアと会った時にしていた匂いだった。確かにキリルではこの罠は突破できないだろう、祝福されし者の力である世界の根源に流れる力を感じ取れなくてはならない。
「フェリシア、そこにいるんだろう」
俺は石の床を再び走り始めた、そうしながら独り言のようにフェリシアに話しかけた。近くに彼女がいるような気がするのだ、まだ精神魔法の攻撃が続いているのかもしれなかった。何故なら俺が結構な速さで走っているのにちっとも進んだような感覚がない、今度は五感を狂わされているのかもしれなかった。祝福されし者の力を使っているのにそれができるのはフェリシアだけだ、だが俺もその力を使えるから少しずつだが彼女に近づいているのは間違いなかった。
「ようやくフェリシアに会いに来れたんだ、それとも俺の助けはもう遅すぎたのか」
世界が精神魔法を使っている者の心情を表すように揺れる、まるで生き物の内臓の中を走っているかのような感覚に陥る。それでも俺は走るのを止めなかった、べしゃべしゃと足音すらおかしくなっていたが気にせずに彼女に近づき続ける。生き物の内臓のような床は次の瞬間には氷の床に変わっていた、脚が滑りそうな気がするが踏みしめればしっかりとした感触がある。氷から次は水にそれから今度は雪に、最後には思わず立ち止まりそうな美しい花畑にと道はさまざまな姿へと変わっていった。
それは俺のことを待ち続けたフェリシアの心そのものを表しているのかもしれなかった、俺だっていろいろと悩んで疑って分からなくなってまた信じなおしてここに今いるんだ。俺は今までフェリシア自身に向き合えずに遠回りをした、いつも俺に会いにきてくれるのはフェリシアの方だった。たとえ力が足りなかったとはいえ俺からも彼女に歩み寄るべきだった、好意に甘えているだけでなく俺も彼女を好きなのだと行動に移すべきだったのだ。
「フェリシア、たった一年で死んでしまうなんて止めてくれ」
俺がそう言った瞬間だった、世界が炎に変わってしまった。俺たちは何もすることができずに炎に包まれた、これは心への攻撃でありおそらくはフェリシアの怒りそのものだった、俺の精神はこのくらいの攻撃でも大丈夫だったが、ただの従魔であるミゼには致命的な精神への攻撃だった。
「ミゼ、目を閉じて俺の心音だけを聞いていろ!!」
「はいいぃいぃ!!わ、分かりました!!」
胸のあたりにいるミゼをしっかりと守るように抱きしめる、俺はフェリシアのことを想って精神への攻撃を受け続けていたが、ここで逆に『広範囲精神支配』の魔法を唱えた。目的はミゼの精神を守ることと、俺からフェリシアへの接触だった。世界はまたころころと姿を変えた、俺とフェリシアの力がせめぎあっているのだ。俺は鞄からディーレが作ってくれた大切な物、ファンの血が入ったポーションを一つ取り出して飲み干した。
俺は祝福されし者の力を行使し続けた、世界の根源の力をフェリシアと二人で取り合ったのだ。当然だが力を使った反動がきた、俺の草食系ヴァンパイアの体は悲鳴をあげる。急に頭の中が激しい痛みに襲われて自分を見失いそうな気になり喉から血が溢れて焼けそうなほど胸が痛んだ、俺はもう一つ鞄からポーションを取り出して飲みながら、フェリシアに負けないように精神魔法を使い続けた。変化があったのは三つ目のポーションを使った後だった、世界は何事もなかったかのように豪華な部屋へと変わった。
とても贅を尽くしているのにどこか冷たい雰囲気の部屋だった、そこには天蓋つきの大きなベッドがあって、薄くて黒い高そうな布の向こうには誰かが横たわっていた。そうして、俺はようやく久しぶりにフェリシアの声を聞いた。今度は精神体だけではない、本物のフェリシアの声を初めて聞けたのだ。
「…………クス、レクス。…………たった一年が、それが本当はたった五年でも、…………一生私だけ愛して…………ずっとその後も生き続けてくれる?……」
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