第百九十四話 何故だか静かで喋らない
「レクス、貴方はね。貴方以外の何者にもなれないわ、でもその孤独に負けたりしないでね」
ミュスは未来をみるという、だからなのか俺たちの隠していることも既に知っていた。10歳くらいの女の子なのに、とてもそうは見えない時があった。こんな時がそうだ、俺はミュスの言葉にぎゅっと胸を押さえられたような気になった。俺は俺以外の何者にもなれない、それは祝福されし者にもなれないということだろうか、俺自身としては実はどうでもいいがフェリシアはきっとそれを悲しむだろう。彼女に嫌われるかもしれない、それだけが俺には辛かった。孤独というのもフェリシアと俺の関係が上手くいかないことを言っているのだろうか。俺がミュスの言葉に考え込んで口ごもると、ミュスは笑って俺の肩を叩いた。
「半分は当たりで、半分ははずれよ。いっぱい悩みなさい、それも若い者の特権なのだから」
「……お前は未来を知るせいか、言ってることが時々分かりにくい。一体何歳なんだ?」
「ふふふっ、内緒。女の子に年を聞くものじゃないのよ、これは種族を超えた名言ね」
「……覚えておこう」
俺にとって女といえばフェリシアだけだが、何百年か何千年か生きているのか分からない。それもどうでもいいことだった、だから彼女に年を聞くつもりもない。それからミュスは楽しそうに笑いながらしばらく旅を続けた。あの都から彼女を助け出して十日も経たなかった、彼女はあるとき高台から下にある森を見下ろしてこう言いだした。
「みんな止まって、…………少しだけここでお祈りさせて」
俺たちは森の中を進んでいて、それは何ということもない特徴のない場所だった、高台になっていて崖の少し下にも同じように森が広がっていた。ミュスは幼い顔を少ししかめて、哀しそうな顔をしながら下に広がる森を見ていた。時間としても僅かなものだった、ミュスはまた笑って俺たちに指示を出した。
「さぁ、ここまで来ればもう少しよ。次は大きな森に入るわ、閉ざされた樹海という大森林だから、しばらく人間に会うのは諦めてね」
「ふーん、そこがお前の故郷か」
「閉ざされた樹海ですか、本で少し読んだことがあります」
「ディーレ、それってどんなとこ?」
「なんだか少しホラーな雰囲気、深くてどこまでも森って結構怖いですね」
ミュスの言葉にディーレが反応した、俺たちは意味深に微笑んでそれ以上は何も言わないミュス、そんな彼女から視線をディーレに移した。
「ええと、レクスさんも読んだことがあるんじゃないでしょうか。僕が読んだ本があった同じ図書館で読書されていましたから」
「俺はディーレほど速読は得意じゃないからな、一度読んだ本の内容を丸暗記もしていないし」
「だからディーレ、それってどういうとこなの?」
「焦らさないで教えて欲しいです、ディーレさんたら天然なんだから」
「確かエルフの王国があるという場所です、招きが無ければけしてそこを訪れることはできず、また不要な者が立ち入れば大森林の中で迷い、そこで朽ち果ててそのまま亡霊になるとか」
「やっぱりホラーだったでございます!!こんなに暗くて緑いっぱいの森でリアルホラーは勘弁してもらいたいです!!」
「ミゼ、うるさいぞ。森の中で草食系ヴァンパイアの俺が死ぬわけがない、お前が休憩時にうろちょろして迷子にならなければ心配ない」
「なるほど、僕たちは誰にも招かれてないけど大丈夫なのかな」
そこでファンがミュスを見るが、やっぱりミュスはにっこりと笑ったままだった。この少女はどこか底知れない力があるだけあって、なんだかとてもちぐはぐな印象を俺に抱かせる。幼くて何も知らない少女のようでいて、逆に何もかもを知っている老婆のようだった。それから俺たちは森の奥深くに入っていったが、俺にとっては森は一番力が発揮できる場所だ、たとえ何が出ても死ぬことはないだだろう。
「駄目よ、レクス。自分をもっと知りなさい、貴方は貴方自身のことをまだ分かっていないのだから」
俺が森の中に入っていくので小さいミュスを背負う時、彼女からそう小さく鋭い声で警告された。確かに森は豊かな恵みをくれる反面、中には野生の獣などが出る恐ろしい場所でもある。俺は少し警戒を強め気を引き締める、いままで森はいつでも俺に優しかったが、ミュスの言うとおりに危険な場所でもあるのだ。そしてとても小さなミュスを背負い、深い森に入っていった。
「…………確かにここはおかしな場所だ」
俺たちはそれから大森林の中をしばらく旅することになった、俺はそこでこの森の奇妙なところにすぐに気づいた。森の木々の声が聞こえないのだ、いつもならお喋りなはずの森の木々が不気味な沈黙を保っていた。草食系ヴァンパイアの俺に生気を分け与えてくれたりはするのだが、その時の俺の呼びかけにも何も森の大樹は答えることがなかった、草食系ヴァンパイアになってからこんなに静かで冷えきった森に出会うのは初めてだった。
「次はそこを右の方に、小さな川があったらそこで休憩しましょう」
「レクス、いつもと感覚が違うぶん、注意深く歩くのよ」
「ファンそこは道が悪いわ、足元によく気をつけて」
「駄目よミゼ、ここはいつもの森と違うの。そんなに離れたら道に迷うわ」
「ディーレ、もっと静かに歩くの。もしここの亡霊たちに会っても、光に導く魔法は必要ないわ。……光のある場所は行けないのは、彷徨う彼ら自身の問題なのだから」
俺たちを静かで冷たい大森林の中で導くのはミュスだった、細かな注意をしてくれながら俺たちを確実にどこかに案内していった。ミュスの故郷の森とはこんなに気難しい森だったのか、この大森林に入ってから人間の痕跡が一切なくなった、スフィーダ国の都からここは距離的には近いがまるで別世界だった。
ぞくりとするような気配ともかすめるような遭遇をすることがあった、それは多分この森で彷徨っている亡霊だったり、または普段は凶暴な魔物だったりした。ミュスは亡霊の気配を感じても、ディーレに浄化の魔法を使わせなかった、ミュスの言葉から感じ取れるのはここの沈黙を守れという響きだった。エルフはいろんな意味で人間から狙われている種族だ、ここにエルフの王国があるのならそこに辿り着けずに森で亡霊になっている、それは王国を目指した汚らわしい欲深い人間のなれの果てなのかもしれなかった。この亡霊に関してはミュスとディーレの間でちょっと問題になった。
「静かな森だ、こんなに静かな森には初めてきた」
「……ミュスさん、浄化の魔法を使わせてください。たとえ生前は欲深い人間であっても、死後はやすらかな眠りしか望まないはずです」
「ディーレらしいけど、僕は今回はミュスに賛成。何故かな、なんとなく勘で」
「私としては可愛いファンさんに賛成したいけど、リアル幽霊は怖いしどうしましょう!?本当にがくぶるなんですけど!!」
「………………ディーレ、私も本当は貴方と同じ考えだけど、ここは閉ざされた樹海。……光を与える魔法もここでは意味をなさないの……」
ディーレを諭すミュスの顔はひどく疲れていた、力を尽くしてもどうしてもできないこともあるのだという表情だった。俺たちはぞくりとする冷たい気配を時々感じてはいたが、実際は亡霊に遭遇することは無かった。ミュスの案内がそうさせた、彼女の案内から外れた道を行くことはきっと死を意味した。そんな感じがあった、ただの俺の勘と言ってもいい。ファンも俺と同じような感覚を味わっているようだった。救える魂を無視するようなことにディーレはかなり落ち込んでいたが、それ以上は何も言わなかった、きっと彼もミュスの言うことを冒険者の勘で分かっていたのだろう。
それから何日経ったのか、常にうす暗い大森林の中で時間も曖昧になった頃。光がだんだんと強くなっていった、森から木々のざわめきが聞こえ始め、俺の背中でミュスが楽しそうなそれでいてどこか寂し気な声をあげた。
「さぁ、エルフの王国。ラウト国よ、ここで私とはお別れね」
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