第百八十話 新たな自分に馴染めない
「戻りたくない、戻ったら、私はきっと殺されるわ」
「……記憶が戻ったのか」
「戻ってない、戻ってないけど、そんな気がするの」
「それはややこしい話だな、街に入るのは止めておこう」
俺たちは一旦カルボーヌという街に入るのは止めておいた、でもいつまでもこうしてもいられない。だから二手に分かれることにした、俺だけがカルボーヌの街に入って情報を集めることにした。残った仲間たちは不安定なアムを見ていてもらうことにする、アムの特徴である短く切った白い髪、それに珍しい金色の瞳を覚えておいて探してみることにした。そしてまず最近、何かあったかと街で聞いてまわった。
「そうね、小麦の値段が少し上がったわ」
「冒険者レクスがフリートの街に出たんだって」
「伯爵のお嬢様が行方不明のままよ」
「ドラゴンがフリートの街に出るそうだ」
「賞金がかけられているのよ」
「街の輸送路が盗賊に荒らされている」
「物の値段が上がる一方だわ」
「盗賊のせいで行方不明者がたくさん出たのよ」
いろんな噂があったが気になったのは『行方不明』と『伯爵』という言葉だった、高位ヴァンパイアは貴族や王族に接触しているはずだ。だからまずは冒険者ギルドに行って、新人にもまだなっていない冒険者のふりをしながら掲示板を見た。行方不明者の顔が描かれた依頼表がそこには幾つかあった。ほとんどアムの特徴と一致している、髪は短くなっているが行方不明になっている伯爵令嬢の絵姿とアムはそっくりだった。アムは本当はミリアム・カルボーヌという少女だった。冒険者ギルドでそのことを確認して、傭兵ギルドにもいってみた、同じような行方不明者の捜索依頼が出されていた。
それから伯爵家についても街で聞き込みをしてみた、たった一人の後継者の伯爵令嬢が行方不明になっている。ある日、突然に消えたという話だった。そして、その伯爵令嬢は剣が得意で騎士たちともよく戦っていたという、アムも俺には敵わなかったが剣筋は悪くなかった。夜に伯爵家にも忍びこんでみた、すると確かにアムの肖像画があった。彼女は行方不明の伯爵令嬢で間違いなさそうだ、命が狙われているとはたった一人の後継者だからだろう。そこまで調べて俺はディーレたちと合流した、そしてアムに選択肢を与えることにした。
「アム、お前は本当はミリアムというらしい。伯爵令嬢でたった一人の後継者だから、命を狙われることもあるだろう。それにお前は一度記憶をいじられている、また同じことが起きないとは言えない。だから選択肢は二つだ、一つは伯爵令嬢として戻って生活する、二つ目は全て忘れて別人として生きるだ」
「そ、そんなに難しいこと。すぐには決められないわ!!」
「分かっている、しばらくは別の街で暮らしてみたらどうだ。それでそこの暮らしが合わないようなら、伯爵令嬢に戻ってみるのもいいだろう」
「あはははっ、……私に普通の暮らしができるかしら、私は自分が誰なのかも分からないのよ」
アムの境遇には同情するが、俺たちと一緒にいるほうが危険は高い。高位ヴァンパイアは本当に狡猾だ、ずる賢くて嫌らしいことをする。とりあえずはカルボーヌの街は避けて、少し遠い街ノンナの街に移動することにした、その間に冒険者なら知っているようなこと、生きていくための知恵をアムに教えておいた。具体的には獲物の狩り方や、さばき方や料理の仕方だ。アムはそういう知識を何も持たなかった、手のひらは剣を握る為に少し硬くなっていたが、その剣の腕だけで冒険者として生きていくのは難しそうだった。
「アム、冒険者になるのならまずは魔法を覚えろ。初級魔法からでいい、女の身で剣だけで生きていくのは難しい」
「…………分かった、覚えるから教えて」
「それから動物の狩り方も教えておこう、こういう依頼が新人の冒険者には多い」
「…………そうなのね、とても難しそう」
アムが一人で生きていくのなら、冒険者くらいしか道がない。冒険者以外で街で仕事を探すのはなかなか難しい、紋章入りの剣は目立つので別の剣も一緒にアムに渡した。その剣を売り飛ばすだけでも二年は何もしないで暮らせるだろう、高位ヴァンパイアに記憶を消されたアムへのささやかな援助だった。彼女は最初は気が乗らないようだったが、徐々に生きていくための術を学んでいった。だが、彼女と一緒にいられる期間は短すぎる、一月以上は一緒にいないほうがいいだろう。一月でも長すぎるくらいだった、高位ヴァンパイアのことを考えると今すぐにでも離れた方が良かった。
俺たちはいつまでも一緒にいられないのだ、その方が危険が多いということも伝えてあった。アムは不安そうにしていたが、一緒にいられる僅かな期間でどうにか生きる術を学ぼうとあがいていた。だがアムが望むような冒険者の道は難しかった、彼女は魔法があまり上手くなく剣だけが頼りだった。だが剣では男の冒険者と比べて力負けする、だから彼女が生きていくのなら街の手伝いのような依頼を受けた方が良かった。だが頑なに彼女は剣にこだわった、あの紋章入りの剣だけが彼女の支えだった。
「アムは冒険者として生きていくには弱すぎる、かといって他の依頼も受けたがらない。どうしたものか、これは困ったな」
「どうにかできないのかな、あの子かわいそうだよ」
「ファンさん、僕たちは馬を水辺に連れていけても、無理矢理に水を飲ませることはできません」
「アムさん自身が変わらないといけないのですね、でもそれを拒まれていると……、これは本人にしかどうしようもありません」
一月が過ぎる頃だった、アムは俺たちの前から姿を消した。紋章入りの剣だけを持って、どこかに行ってしまったのだ。いろんなことが自分の身に起こり過ぎて受け入れられなかったのかもしれない、俺たちはアムのことを必死に探したが見つからなかった。俺たち自身が隠れて暮らしている身だから、冒険者ギルドなどに依頼ができないのが辛いところだった。それからまさかと思ってカルボーヌの街へ戻ってみた、するとミリアム伯爵令嬢が戻ってきたという噂を聞いた。
夜に特別区へ俺だけが忍びこんでもみた、確かにアムは伯爵家は戻ってきていた。彼女は新しい生き方を受け入れられず、元の自分に戻ることを選んだのだ。俺はアムいや今はミリアム伯爵令嬢に接触しなかった、何も言わずに街に戻ってまた仲間たちと旅に出た。アムのことを攫って記憶をいじった高位ヴァンパイアが近くにいるはずだった、ならアムに接触することは危険なことだった。どこまでも狡猾で嫌になるのが高位ヴァンパイアだった、俺たちにはミリアムが無事に生きていけるのを祈るしかなかった。
「神よ、彼女を誘惑に陥らせず、どうか悪からお救いください。謝った道に踏み込まず、正しき道へと光でお導き下さい」
ミリアム伯爵令嬢になった彼女がどう行動するかも気になった、どうか俺たちのことは忘れて少しずつ自分自身を取り戻して欲しかった。ディーレの祈りのとおりだ、下手に高位ヴァンパイアに協力しようなどとしたら、彼女は碌な道を辿らないだろう。だが、俺たちの祈りは彼女には届かなかった、彼女は危険な道を辿ろうとしていた。俺たちはそれを街の噂話で知った、彼女は高位ヴァンパイアに多分なんらかの形で接触してしまったのだ。
「白金の冒険者レクスがミリアム伯爵令嬢を誘拐したんだってさ」
「へぇ、なんで白金の冒険者が誘拐を」
「金に目が眩んだんだろう、ブレットの砦に逃げ込んだって」
「それじゃ、もう終わりだな」
「白金の冒険者さまも誘拐なんてとんでもない話だ」
俺はその話を聞いた時にブレットの砦に行こうと思った、だが仲間たちに止められた。まずは冷静になってほしい、そうディーレたちに言われた。
「俺が行けばもしかしたら、まだアムは助かるかもしれない」
「レクスさん、冷静に考えてください。分かってますよね、彼女が人間のままでいる可能性は低いです」
「うん、凄く危険だよ。ヴァンパイアが人間を利用するなら、まず一番にすることは決まってる」
「ヴァンパイアにする、もしくはグールかゾンビにすることですね」
「全く無関係な彼女を放置できない、何か他に方法はないか」
「僕も彼女が無事なら助けたいですが、助けられる可能性は低いと考えています」
「待って、レクスはアムのことを知っているよね。なら、できることがある!!」
「えっ!?何なんですか、ファンさん?」
とにかく助けに行かないと考えて思考が固まっている俺ではなく、まだ若いファンが別の方法を提案してきた。それは俺にしかできないことで、いやできるかどうかも分からないことだった。
「レクスは祝福されし者の力の練習をしてきたでしょ、あの力を使ってアムを助けてあげて」
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