第百六十七話 できることをするしかない
「このコクーン国では奴隷は許可されていない、だからお前たちを国には入れられない。どうしても国に入りたければ、そのヴァンパイアの女をこちらに引き渡せ」
「そうか、分かった。それなら、道を変えることにする」
ティリアにはまだ人間を襲わないという自信がない、ヴァンパイアが人間を襲うことに疑問を抱き始めているが、二度と人間を襲わないという覚悟ができていない。今、彼女の傍を離れるわけにはいかないだろう、俺は国境を守る役人から離れて仲間たちと相談した。
「ディーレ、地図をくれ。コクーン国を迂回していこう、一番近いのはカシード国だな」
「カシード国には奴隷制があったでしょうか」
「うーん、行ってみないと分からないね」
「奴隷制がある国の方が良いとは、旅とは面白いものですね」
俺たちは手早く相談してカシード国に行くことにした、そこにも奴隷制が無かったらまたその時に考えればいい。ティリアはそんな俺たちにまた戸惑っていた、きっと奴隷になってから碌な扱いを受けていなかったのだろう。俺たちは道を変えて歩き出した、ティリアも慌てて後をついてきた。
「わ、私は何の役にも立っていない。な、なんで道を変えてくれるの」
「そうか、お前はヴァンパイアが生き残っていく希望の一つだ」
「わ、私そんな立派なものにはなれないわ!!」
「そんなことは分からない、俺たちだって初めてやってみることだ」
「し、知らないんだから。こ、後悔しても無駄よ!!」
「ああ、分かっている。後悔とは後になってするものだ、今はできることをするしかない」
俺たちはカシード国に向かって歩いていった、そんな俺たちをさっきの国境からつけてくるものがいた。コクーン国の国境を守る役人たちだ、どうして国境を越えてまで追いかけてくるのか分からない。
「ディーレ、俺の背に乗れ。ファンはミゼを頼む、ティリアは走って俺たちについてこい」
「はい、分かりました。神よ、貴方を必要とする者に助けをお与えください」
「分かった、ミゼ。行くよ、大人しくしててね」
「了解でございます、役人に関わりあいになると碌なことはございません」
俺とファンが走れば人間は追ってこられない、ティリアだって下位とはいえヴァンパイアだ、普通の人間を振り切ることくらいはできるはずだ。ティリアははっきり怯えていた、一生懸命走りながらまた誰にでもなく言い訳をしていた。
「わ、私は本当に何もできないのに……」
俺たちは走る速度を一定にして走り続けた、人間が最高の調子で走るくらいの速度で走り続けた、追いかけてきた役人たちは馬を持っていなかった。だからその程度で十分だった、一刻もすれば追ってをかなり引き離せた。そこで追ってきた理由を知りたかったので、仲間たちを先に行かせて俺だけがこっそりと引き返した、ティリアは震えながらディーレたちと一緒にカシード国に向かった。
「くそっ、見失った」
「あんな良い女、滅多に味わえないのに」
「もっと上手く言えば良かったんだ」
「強制的に徴収するんだった」
「ああ、もう帰ろうぜ。くそ仕事が待ってる」
こっそりと一人で道を戻った俺は街道の周囲の森と同調してみた、そうしたら俺たちを追ってきた役人たちの会話は丸聞こえだった。
そうか俺たちを追ってきたのはティリアが狙いか、確かにティリアは滅多に見ないほどの美少女だ。あのコクーン国の役人の奴ら、職務を利用して随分と楽しんでいるようだな。俺はちょっと怒りを感じたが、奴らは結局は失敗したので見逃してやった。人間にはあんな奴らがいくらでもいる、いちいち始末するわけにもいかない。俺は正義を執行する神様ではない、ただの草食系ヴァンパイアだ。
とりあえず、追いかけてきた役人たちの目的は分かった。だから俺は役人たちは放っておいて、ディーレたちを追いかけて無事に合流した。
「ディーレ、ファン、ミゼ。それにティリア、奴らが追いかけてきた理由は分かった。……ティリアにはもっと地味に、目立たなくなってもらった方がいいな」
「そうですか、よく分かりませんが、レクスさんが言うならそうなんでしょう」
「僕も分からないけど、ティリアを地味にするの、どうしたらいいかな」
「この絶世の美少女をどうやって地味にするというのですか、レクス様。あまり無茶を言わないでください!!」
女を地味にする一番の方法は化粧だな、それから綺麗な金髪も染めた方がいいだろう。ティリアには可哀そうかもしれないが、その方が生きていきやすくなるはずだ。人間は目立つ者には敏感だ、それがヴァンパイアという他種族なら、何をしてもいいと考える者が少なくない。奴隷商人のところにいたティリアには意味が分かったようだ、彼女は俺の言葉に納得したのか頷いてこう言っていた。
「私を地味にする、そうね。その方がいいわよね、目立っても良いことなんて何もないもの」
とりあえず近くにあった街、アルメーという街に入った。街の入り口でティリアの奴隷契約証を見せても何も反応がなかった、隷属の首輪をつけているティリアが街を歩いていても何も言われなかった。その後に傭兵ギルドでこの街はカシード国で奴隷制があるのを知った、普段なら嫌になる制度だが今のティリアにはまだ必要だ。
「…………とりあえずはこんなものか」
「はぁ、女性は化粧と髪の色で、随分と印象が変わるのですね」
「凄いよ、レクス。まるで別人だよ」
「ああ、勿体ない。せっかくの美少女が!?……でも、なんだか可愛くなりましたね」
アルメーの街で髪結いをする店を探した、そこでいろいろと教えてもらい化粧道具と染粉を買って、宿屋の風呂を貸し切りにしてティリアに使ってみる。豪華な金髪は地味な茶色に染めて、真っ白な肌はやや浅黒くしてそばかすを書いた。それでティリアは随分と目立たなくなった、本人も鏡を見て驚いていたくらいだ。
「これが私、今から私こうやって生きていくの?」
化粧の仕方は髪結いをする女が教えてくれた、化粧をして染粉で髪の色を変えると本当に地味な少女になった、ただどちらも水をかけると流れ落ちてしまう。ティリアには『隠蔽』の魔法を早く覚えて貰った方がいい、『隠蔽』は魔力の高さや使い方によって、髪や瞳の色を変えたりもできる。
ティリアは変わってしまった自分が不思議なのか、しばらく鏡を見てこてんっと首を傾げていた。それから上手くは言えないが、ティリアの中で何かが変わっていった。反抗的な態度が落ち着いて、俺たちに自分のことを話すようになった。宿屋に泊まった時、野宿をしながら焚火に当たる時、休憩をして少し休んだ時、ティリアは自分のことを話し続けた。
「私はまだ13年しか生きていないの、それでヴァンパイアだけど狩りをしたこと無かったの。いつもお父様たちが血を持って帰ってきてくれた、それが人間ならおかしなことだと一度も疑問に思わなかったわ。一月にたった一度だけ人間の血を飲む、そのことを当たり前だと思っていたの」
「そうか、普通のヴァンパイアはそうなのか」
「私が住んでいたのはヴァンパイアしかいない小さい村だった。仲間もたった28人しかいなかった、皆が私のような下位ヴァンパイアだった。毎晩のように皆で畑を耕して男の人は狩りをすることもあった、私の父も母も穏やかな性格で普段はとても優しかったわ」
「まるで人間の村のようだ、ヴァンパイアでもそんな生活をする者がいるのか」
「だから人間たちが村に押し寄せて来た時、私は何もできずに隠れて震えてた。父も母も戦いにいったのに、私は役立たずだったの。やがて沢山の人間に見つかって捕まった、処女の方が高く売れるって乱暴はされなかったけど、友達はなぜか売り物にならないって殺されちゃった」
「奴隷商人たちに見つかったのか、人間は弱い者には容赦がないからな」
「奴隷になってからいろんな人間が私を見にきたわ、歯を全部抜かれた時には食事に薬が入っていたの。だからそれから何も食べないようにした、それでもう死んでも良いと思っていたの。だって父も母もきっともう生きていないから、私も皆と同じところへ行きたかった」
「今でも、そこへ行きたいのか」
俺の問いかけた言葉にティリアは返事をしなかった、ただ少し哀しそうに笑っただけだった。ティリアはそれからとても素直になった、一人で夜中にしっかり狩りをして、動物の血を飲むときにも文句を言わなくなった。やたらと俺や仲間たちの話を聞きたがった、そして俺たちに自分のことを話し続けた。
「レクスは好きな人はいるの」
「ああ、いるな。今は会えないが、いい女だ」
「そっか、いつかまた会えると良いね」
「必ずまた会ってみせる、俺はその為にも旅をしているんだ」
「レクスがいつも朗らかに、健やかに過ごせて、愛しい人との再会に恵まれますように」
「ははははっ、まるでディーレの祈りみたいだな」
ティリアは静かに幸せそうに笑っていた、俺も笑って心の中でティリアの祈りの言葉に感謝した。そうだ俺は必ずフェリシアと再会してみせる、そして今のティリアのような生き方を話してみよう。ヴァンパイアでも人の血を飲まずに生きていける、それを証明できたなら何人なのか分からないが、新しい生き方ができるヴァンパイアもいるだろう。
ティリアはディーレにも頼み事をしていた、ディーレが信じている神の信徒になりたいと言いだしたのだ、もちろんディーレは断らなかった。普通の聖職者なら笑い飛ばしただろう、だがディーレはティリアに正式な信徒になる儀式をした。簡単な祈りの言葉と聖水を飲むだけだったがティリアはとても満足そうだった。
ティリアはファンととても仲良くなった、女の子同士で化粧をしあったり、内緒話をよくするようになった。そんな時はティリアはごく普通の女の子に見えた、ファンも同じでたとえ種族は違ってもそこに垣根は何もないように思えた。普段は地味に見える化粧ばかりティリアはしていたが、仲間たちしかいない時には、俺が思わず息をのむほどの美少女になってみせて驚かされた。
ミゼとティリアはなかなか仲良くなれなかった、ミゼが不思議なことを言うのでティリアが理解しきれないことが多かった。でもミゼが完全に眠っている時などに、ティリアがこっそりその体を撫でていることがあった。実は猫が昔から好きなのだと、ティリアはこっそりと俺にだけ教えてくれた。だからミゼは知らなかったが、実はティリアに最初から好かれていた。
そんな日々をまた一月過ごした頃だった、ティリアは唐突に倒れて眠りについた。その細い体には傷一つなかった、ディーレの回復魔法も効かなかった。ただこんこんとティリアは眠り続けた、皆で心配したが原因が分からなかった。そのまま三日ほど過ぎて、何も言わないままティリアは永遠の眠りについた。
そうなってから俺はようやくティリアのやったことに気づいた、彼女は一月の間ずっと狩りをしていたが、獲物の血を捨てて飲んでいなかったのだ。ティリアが死んだ理由は餓死だった、いや消極的な自殺と言ってもいい。俺や仲間はそのことに気づいて涙が零れた、どうしてそこまで思いつめてしまった、そしてそんなティリアに俺は何故気がつかなかったのだろう。
「……ヴァンパイアはやっぱり人の血が無いと生きていけないのか」
「いいえ、レクスさん。多分それは違います、おそらく彼女はこれから一人で生きていく目的、それをどうしても見つけられなかったんです」
「あのね、僕ね、内緒だって言われてたけどもういいよね。ティリアはレクスのことが好きだって、初めて好きな人ができたって笑ってた、それで凄く幸せそうだったのに。……なんで、なんで死んじゃうのかな」
「レクス様、私は一度もティリアさんとまともに話せませんでした。ふざけないで真面目に話しておけばよかったです」
俺はファンの言葉に驚いた、ディーレの言ったことには心あたりがあった。ミゼが後悔している様子にティリアの元気な頃の言葉を思い出した。
『し、知らないんだから。こ、後悔しても無駄よ!!』
ああ、ティリア俺は今まさに後悔している、お前に出会ったことにではない。お前の心をこの世界に留めておけなかったことを後悔している、仲間たちを全て殺されてたった一人で生きていく。常に人間に怯えて暮らしながら、動物の血を啜ってこっそりと生きていく。そんな生き方は幼いお前には辛過ぎたんだな、それがお前が選んだことなら仕方がないのか。
「神よ、御許に召された一人の少女に永遠の安らぎをお与えください」
俺たちはティリアの遺体を火葬にした、ゴーストなどが入り込んでゾンビやグールにならないように、ディーレがいつものように祈りの言葉を捧げてくれた。彼女の遺体が燃えてすっかり灰になった、その時。俺はティリアの元気な声を聞いたような気がした、いや俺は無意識に『残留思念』を使ってしまったのかもしれない。
『お願い、私を忘れないで。私は精一杯生きたのよ、私はちゃんと生きていたの』
俺はティリアのことをきっと忘れない、そうたった一人の孤独な少女も救えない。そんな俺たちにできることは些細なことだ、だがそれでも何かを変えることもあると信じたい。俺はそう信じて進み続ける、それぞれが涙をぬぐって俺たちはまた旅へと戻った。
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