第百六十三話 奪った心は手放さない
『それはね、貴方が私を見たからよ。ねぇ、私とっても寂しいの。ずぅっと一緒にここにいて』
そこは闇の世界だった、どこを見ても暗闇があるだけで凍えるような場所だった。俺は鼓動が速くなるのを感じた、口の中がからからに乾いてしかたなかった。だが、しばらくすればなんとか落ち着いて周囲を見渡すことができた。どこを見ても闇しかなかったが、ここにはきっとあのダフネという女がいるはずだ。夢か現か分からないまま、俺はとりあえず声がしたと思う方向へ歩き出した。
「ダフネと言ったか、俺はお前の想い人じゃない」
『それでもいいの、ここは暗くて寂しいの』
無駄かと思った呼びかけには返事があった、一応は話が通じているように思える。俺は声が聞こえると思う方へ暗闇を歩きながら、またダフネという女に話しかけた。
「ずっとここにはいられない、俺を待ってる仲間がいる」
『もう私には誰もいない、だから貴方にいて欲しい』
「そんなことはできはしない、俺にも大事な人たちがいると言っている」
『他の女がいるのね、決して貴方を渡さない』
「俺はお前の想い人じゃない、俺に好きな女がいて何が悪い」
『あんなに優しくしてくれたのに、どうして私を捨ててしまうの』
「お前に会ったのは今日が初めてだ、高位ヴァンパイアを倒す魔法を探していた」
『アランはもう私の物よ、もう貴方にも他の誰にも渡さない』
ダフネという女はやはり狂っている、会話が成立しているようで支離滅裂だ。ダフネという女が好きだったのだろう、俺をアランとかいう男と勘違いしていると思えば、俺のことは全然関係ないように話を無視して無茶を言う。それでも俺はこの女に話しかけ続けた、何かしていなければこの暗闇で正気を失いそうだった。
「お前はどうやってアランを自分の物にした?」
『ふふふっ、あの魔法を使ったの』
「あの魔法とは『聖なる炎』のことか?」
『ああ、止めて。あれは禁じられた魔法、悪魔族を滅ぼす魔法よ』
自分で魔法を使ったと言いながら、それは禁じられているから止めろと言う。矛盾したことを言うダフネという女、その声はだんだんと近づいているように感じられた。その代わりに周りが寒くなっていた、凍てつくような寒さが増していった。俺は凍えてしまわないように自分の体をさすりながら、この空間を支配しているダフネという女にまた話しかけた。
「どうやったら、その禁じられた魔法が使える?」
『私はただ強く願っただけ、アランの心が欲しかった』
心を奪う魔法なら俺も一つ持っている、『失いし生きた記憶』がそうだが、あれは実は相手の精神が抵抗すれば失敗する。草食系ヴァンパイアの俺が人間に使うのなら、俺の魔力が相手の精神の抵抗を封じて成功する。だが、おそらく高位ヴァンパイアはあの魔法では倒せない。ではこのダフネという女はどうやって、その精神魔法の弱いところを補ったんだ。
「それだけじゃ、俺には分からない」
そう俺が言った瞬間だった、暗闇が更に深くなった気がした。もう周りが凍てつくように寒くて、俺は凍えて動けなくなりそうだった。だが、これはきっと現実じゃない。俺の精神を支配しようとしている、その為の浅はかな見えすいた脅しだ。
『じゃあ、貴方にも教えてあげる』
今まで俺が歩いてきた方から、そう俺の真後ろからその声はした。同時に黒い何かが体に巻き付いてくる、細い蜘蛛の糸いやこれは女の黒い髪の毛だった。これも精神に対する攻撃だ、俺は巻き付こうとする髪を引き千切っていった。だが、ここはダフネという女の支配領域だ。俺は抵抗を封じられて、ついに地面に引き倒された。
ダフネという女がそこにいた、いや女の頭をつけた蜘蛛のような化け物だった。黒髪でできた大きな蜘蛛の巣がそこにはあった、そしてその傍らには見たことのない男がいた、そうか心を奪ったとはそういうことか。俺は唐突に女が使った魔法を理解した、ダフネという女は想い人の心を魔法で奪ったのだ。
同時に女が『魔法の言葉』を唱え始めた、俺も対抗して魔法を発動させるようにイメージを固める、俺の考えが間違っていなければいい。そうでなければ俺もあの男のようになるだろう、このダフネという女の暗闇に永遠に閉じ込められてしまう。
『強奪せし聖なる炎』
「『強奪せし聖なる炎!!』」
俺と女が魔法を唱えたのは同時だった、聖なる炎とは相手の心のことを言っていたのだ。それを奪い取るのがこの魔法だった、同じ魔法が同時に発動した。となればあとは術者の力量次第だ。俺は何かに引っ張られるような気がした、俺を拘束している黒髪の力が強くなる。こういう最期なんて嫌だ、全く冗談じゃない。こんな狂っている女に捕まってなるものか、俺は再び力を取り戻して強引に絡んでいる黒髪を引き千切った。
その瞬間代わりに俺の手に何かが触れた、それは暗闇の中でもがいている光だった。その光は悲しそうに苦しそうに瞬いていた、俺はそれを消す気にはなれなくて、暗闇の中にゆっくりと放してやった。そうするとだんだんと周りが明るくなっていった、どこからだろうか誰かが俺を呼んでいる声もしてきた。
「……クスさん、レクスさん!!しっかりしてください!!」
「………………ディーレ」
俺は朽ち果てそうな屋敷の傍にあった、その大樹の根本に寝かされていた。俺を上から心配そうに見ているディーレの顔が見えた、よく見たら傍には泣きそうなファンがいる、ミゼもぷるぷる震えながらファンにくっついていた。俺は起きようとしたが、体に力が入らなかった。仕方なくそのままで傍にいる大樹から生気を分けてもらう、ディーレが体の力を抜いてほっとしたような顔をした。
「レクスさん、貴方。心臓が止まりかけたんですよ、回復の上級魔法も効かなくて、僕はどうしようかと思いました」
「レクス~、無茶しちゃ駄目だよ。僕、もうレクスが死ぬかと思った」
「…………もう安心ですか、ファンさん。レクス様、私の心臓も止まるかと思いました!!」
俺はどうやらあのダフネという女に勝ったらしい、同じ魔法が使えなければ俺は多分死んでいただろう、相手の抵抗をなくして強引に精神を奪い取るという恐ろしい魔法だった。これは確かに高位ヴァンパイアでも防げない、同じ魔法を知っていなければ心を奪われて、それを焼き尽くされても抵抗すらできない。そうだ、あの女はどうなった。
「ディーレ、あのダフネという女はどうなった」
「ダフネさんと言われるのですか、彼女もレクスさんと同時に倒れたんですが、まだ眠ったままです。長い間何も食べていないようです、その為に体が酷く衰弱しています、これは回復魔法でもどうしようもありません」
「どうしようか、あの女の人。家族とかいるのかなぁ」
「元はお綺麗な方です、是非とも助けて元気になってもらいましょう」
俺はディーレに見守られながらしばらく大樹に身を預けていた、その間にファンとミゼが近所の人に知らせにいった。集まってきた悪魔族は眠ったままの彼女を病院に連れていった、だがその時に家の中で恐ろしいものをみつけてしまった。俺はそれを予想していた、見つかったのは干からびた男の遺体だった。きっとダフネという女がアランと呼んでいた、恋人だった高位ヴァンパイアだろう。
「その遺体は燃やしたほうがいい、ダフネは彼が高位ヴァンパイアだと言っていた」
俺はなんとか体を起こして集まってきた人々にそう伝えた、高位ヴァンパイアだがその心はダフネに奪われて亡くなっている。でも心を失ってもまだ体は動くかもしれない、ゾンビやグールのように生きている者を襲う心配があった。悪魔族はとりあえずその遺体を詳しく調べることにしたようだ、街の役人らしい者が遺体を運んで持ち去った。その間に俺は自分に起こったことを再度考えて整理してみた。
『聖なる炎』は相手の心を奪う魔法だった、だがその時に相手の心にどうしても触れてしまう欠点があった。『強奪せし聖なる炎』にはそれがない、強引に相手の心を丸ごと奪ってしまうからだ。
さてこれで俺は高位ヴァンパイアを倒す魔法を手に入れたはずだ、この魔法は恐ろしくて気軽に使えそうにない。まずは狩りの時に獲物に使ってみるとしよう、犠牲になる動物か魔物には気の毒だが、ダフネのように心を奪ったままにはしない。ただ強引に心を抜き取って天に返すだけだ、それで正しい死を迎えられるだろう。
アランという高位ヴァンパイアの心がどうなったかは分からない、遺体が動き出さないから体に戻っていないことは確かだ。ダフネの心の中の牢獄に今も閉じ込められているのかもしれない、愛する者を失うのは身を引き裂くように辛いことだ、きっとダフネはアランの心を手放さないだろう。
「ディーレ、そんなに心配するな。これで高位ヴァンパイアを倒す魔法が手に入った」
「心配せずにはいられません!!レクスさんは時々、本当に無茶をし過ぎです」
「ディーレの言う通りだよ、レクスはもっと自分を大切にしなきゃ」
「レクス様の体はレクス様だけのものではありません、レクス様が亡くなったら私はどうなるのか分からないんですよ!!」
俺は仲間に心配され怒られながらも、生き延びられて良かったと思った。もし、あの女に負けていたら、俺も今頃は彼女の心の牢獄の中だ。こうして心配してくれる仲間を泣かせることになる、従魔であるミゼに至っては本当にどういう影響が出るか分からない。
これで俺たちの目標は一応は達成されたわけだが、これからどうしていいのかが迷うところだ。この恐ろしい魔法は広めない方がいい、上級魔法を使えて特に精神魔法と相性が良い者しか使えない。そんな人間は限られているし、気軽に教えていい魔法じゃない。
「さて、これからどうしようか。高位ヴァンパイアを倒す魔法を手に入れたが、彼らを俺一人で全滅させるのは無理だし、……それにそんなことをしたらフェリシアが酷く悲しむ」
俺たちは欲しかった魔法を手に入れたが、それで目標を失ってしまった。俺たちは次は一体どうしたらいいのだろう。
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