第百五十六話 やりなおして生きていきたい
翌日、クロッシュは決めておいた時間通りに朝から迷宮にやってきた。だが、迷宮行きは中止して俺たちが泊っている宿屋で話がしたいと伝えた。意外なことにクロッシュは素直についてきた、俺たちに何も言わずに宿屋までやってきた。昨日もよく眠れていないようだ、目の下のくまは濃くなっていた。
「話というのはな、あー……」
「俺は追放か、なら心配ない。大丈夫だ、俺は冒険者としてやっていく」
宿屋の部屋でそれぞれが適当にベットに座って、俺が話しだそうとする前にクロッシュから怖いこと言いだした、だがそう言いだした彼女は真剣そのものだった。予定外だが仲間たちに目配せして、俺でなくディーレがクロッシュに話すことにした。ディーレはベットに座っているクロッシュの前にいき、床に座って彼女と視線を合わせて話し出した。
「クロッシュさん、村の皆さんはお元気です。後遺症が残った方もいません、誰も貴女を責めてません」
「本当か、もう駄目かと思った奴もいた。助け手のことは手紙で読んだが、本当に皆が助かったのか」
「はい、皆さんとてもお元気そうでした。誰ももう苦しんでいませんよ」
「……そうか、それなら良い」
クロッシュはそれから黙り込んだ、ディーレも無理に話させそうとしなかった。やがてクロッシュは無表情のままで涙を流した、それが不思議でたまらないのか、彼女は自分の手で何度もそれをぬぐいだした。
「…………最初に流行り病を持って帰ったエルフ、それは貴女だったんですね」
「そうだ、それなのに俺はすぐに治った!!……皆はだんだん悪くなっていって、怖くって、怖くなって逃げ出した。俺は追放されたほうがいい、勝手に街に行って病を持って帰った、なのに逃げ出した卑怯者だ」
「誰も貴女のことは言いませんでした、誰が悪いとも一言も聞きませんでした」
「……俺がもういらないエルフだったからか」
「違います、誰も気にしていなかったからですよ」
「………………」
「泣いていますが、辛いのですか」
「違う!!涙が勝手に出るんだ、俺はすぐに治った。辛いところなんてどこにもない」
「エルフの皆さんも同じです、もう誰も辛いところはありません。……貴女はゆっくり休んでいいんですよ」
「分からない、なんで涙が出るのか分からない。辛くはない、辛いところなんて少しもないんだ」
クロッシュは無表情でずっと涙を流し続けた、感情と表情がバラバラで一致していない。この子に必要なのは新しい仲間じゃない、今はただゆっくりと何も考えずに休むことだ。
今思えばクロッシュはずっと無表情だった、セラについて悪態をついた時でさえ表情はなかった。彼女は大きな失敗をしてしまった時、それがあまりに辛くて感情を封印してしまったのだ。
「あっ、あんたが来てくれて良かった!!皆が、皆が死ななくて良かった!!」
「ええ、もう大丈夫です」
「ああ、ああああ、っく、ひっく、あああああ!!」
「………………」
クロッシュは表情は僅かだがやっと泣くことができ始めた、とても辛くて苦しかったのだと全身が訴えていた。ディーレはもう何も言わずにクロッシュのことを見守った、ただもう言葉にならない言葉を聞いていた。
泣き始めたクロッシュは泣きやみ方すら分からないようだった、しばらくディーレに話にならない言葉を聞いてもらって、俺はそんな様子を見て魔法をこっそりと使った。
『眠り』
クロッシュはゆっくりと言葉が少なくなってゆき、ディーレに倒れ掛かるようにして眠りについた。魔法の眠りだからしばらくは起きない、魔法への抵抗はほとんど感じなかった、俺たちはクロッシュをベッドに寝かせて様子を見ることにした。
「……セラが村に戻したがるわけだ」
「親御さんとしては、きっと心配でたまらなかったでしょう」
「僕たちにそんな話をしなかったね」
「私たちも魔法習得で必死でしたから、この事はお心の中に秘めていらっしゃったのでしょう」
「俺たちにベラーターの街に行け、そう言ったのは彼女の為でもあったんだろう」
「ええ、この街はいろんな国の情報が得られます。でも、それだけではなく冒険者ギルドに出入りしていたクロッシュさん、彼女が僕を見つけることを願っていたんでしょう」
「ディーレのこと、ずっと見てたのは助け手だったからだね」
「悪いことをしてしまって更に逃げ出して、彼女はどうしていいのか分からなくなったのですね」
クロッシュはしばらく眠り続けた、やっと得られた深い眠りだった。彼女のしたことは間違ったことだったのだろう、だがまだ幼い子どもだ。今からだってきっとやり直せる、ミュートスの集落のエルフたちも誰も彼女を責めていなかった。
半日くらいクロッシュは眠りつづけた、俺たちは宿屋に頼んで一人分多く料金を払った。夜になってからぼんやりと起き出したが、まだ表情は上手く作れなかった。
「今日はもう泊まっていけ、風呂を借りて飯を食ったらまた眠るんだ。今のお前に必要なのは眠って休むことだ」
「……うん、迷惑をかけてすまない」
「大丈夫です、誰も苦しんではいませんよ」
「……良かった、本当に良かった」
「えへへへっ、僕のベットを使いなよ。僕はレクスと一緒に寝るから」
「……ありがとう、上手く答えられなくてごめんなさい」
「謝ることはないんですよ。さぁさぁ、まずはお風呂とご飯です」
「……そうかな、うん。皆に謝れるように、そうできたらいいな」
ファンがクロッシュをお風呂に誘っていった、その後は飯屋に行って食事だ。思っていた通りクロッシュは食べる量も少なかった、だが今は食べられるだけでいい。宿屋に戻って灯を消したが、彼女はなかなか眠れないようだった。朝から眠ってしまったからだけではない、体が休むことを欲していながら心がそれをまだ拒絶しているのだ。
「……クロッシュ、眠れないのなら魔法をかけようか」
「……うん、ありがとう。さっきかけてくれた魔法だね」
「気づいていたのか、セラの知り合いだからといって、あんまり人間を信じ過ぎないほうがいい」
「……母さんは俺と違って凄いエルフだから、人を見る目は確かだよ」
俺は彼女のその言葉に微笑んだ、悪態をついていたが実は母親を一番信頼しているのだ。俺はそれ以上は何も言わずに魔法をかけた、『眠り』の魔法でクロッシュはすぐに眠ってしまった。俺もいつもならそんなにとらない眠りを、しっかりととっておくことにした。
それから三日間俺たちはベラーターの街でクロッシュの傍にいた、彼女はそのほとんどを魔法で眠ったまま過ごした。彼女に今必要なのは強制的でも眠ること、休むことを覚えることだった。三日が過ぎた頃、クロッシュの方からこう言いだした。
「私、村に帰るよ」
ミュートスの集落はヴァンパイアと人間の襲撃で移動している、村に帰るのは良いが一人ではどうにも心配だ。だがそれも彼女自身が解決した、ベラーターの街にいる他のエルフに助けを求めたのだ。
「クロッシュ、本当に大丈夫か?」
「……クロシュ」
「ん?」
「私は本当はクロシュって言うの、あれからずっと別人になりたかった」
「そうか、それはもういいのか」
「うん、皆に私は謝らないといけないから」
クロシュは男のふりをもうしなかった、声も意識して低くしていたようだ。表情は取り戻せていなかったが、自分のことを素直に言うようになっていた。
「あたしがちゃんと引き受けるよ、セラとは友達でクロシュのことは赤ん坊の時から知ってる」
「ジュリ、迷惑をかけてごめんなさい。私、母さんに凄く会いたい。皆にもちゃんと謝らないと……」
「あっはっははは、随分と頑張ったんだね。……そんなに頑張らなくていいんだよ、元気になってからゆっくり謝ればいいさ」
「……うん、ジュリ。ありがとう」
クロシュのことを引き受けてくれたのは、ベラーターの街に住んでいたエルフでジュリという女だった。茶色い髪と緑の瞳をしたエルフで、新しいミュートスの集落のことも知っていた。クロシュとも赤ん坊の時からの知り合いで、クロシュを連れていった俺たちに随分と感謝していた。
「クロシュ、お前はまだ普通の状態じゃない。ゆっくりと休め、頑張ることはまだするな」
「うん、分かった。ありがとう」
「クロシュさん、貴女に神の導きがありますように。大丈夫です、すぐに元気な皆さんに会えますよ」
「ディーレさん、貴方が来てくれて本当に良かった」
「えへへへっ、今度会ったら遊ぼうね。僕はドラゴンだから、ずっと後でも大丈夫だよ」
「うん、また会おうね」
「私は可愛いエルフの女の子が好きです、今の貴女はとっても可愛い素直な女の子だと思います」
「そうかな、そうだといいな。素直に皆に謝りたいの」
俺たちはそれぞれ最後の言葉をクロシュにかけた、彼女はそれに頷いたり言葉を返してくれた。さぁ、俺たちも出発だ。フォルティス国に向かわなくてはならない、クロシュとジュリともお別れだ。
「……皆さん、元気で。ミュートスの集落を助けてくれて、本当にありがとう」
まだ表情は取り戻せなかったが、クロシュは心から俺たちにお礼を言ってくれた。ディーレのように祈りたい、人でもエルフでも間違いをしてしまってもまだやり直せると信じたい。俺たちだって何か間違ってるのかもしれない、もし間違っていると気づけたらクロシュように素直にやり直して生きていきたい。
そうして、クロシュはミュートスの新しい集落に、俺たちはフォルティス国への旅に出た。
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