05.熊神・常呂常長
「ぶっ飛べ!〝神威〟」
超高速の張り手から放たれる衝撃波が、間一髪で身を逸らせた翔鬼の脇をかすめ、轟音と共に木をなぎ倒す。
「わばばばっ!」
『ちょっとお、危ないじゃないの!もうちょっとでアンタ左半身持ってかれてたわよ!』
「いやいやいや、あんな怪物とどう戦えってんだよ!お前がバリアー張るなり何とかしろ!神様だろ!」
『バリアーて!バリアーてアンタ!今日び小学生でも言わないわよそんなこと!』
「うっせえ!俺は人間なんだ!お前が早く何か凄い術とか出してあいつ倒せよ!」
『あーギャンギャンギャンギャンうっさいわねー。アンタ第一、一号神のアタシに対する口のきき方がなってないわ。そこ直したら考えてあげてもいいわよ』
先ほどから翔鬼の頭の中に響いているのは、降神術の結果、何故か彼の中に降りてきた、偉い神様(本人談)だった。
因みに女言葉を話しているが、声はどうも男のそれである。それはいわゆるひとつのオネエだったワケで。
「グダグダ五月蠅ぇ!急にとんでもねえ神格出しやがって!キモイんだよ人間風情がぁ!」
神速の〝神威〟が再び翔鬼をかすめる。彼は命からがら森の中へ逃げ込んだ。
さてここで、〝翔鬼は昔、亀甲流の修行のため山籠りをし、熊と戦ったことがあった〟など便利な設定があればよかったのだが、残念なことに彼の過去のどこにもそんなページは存在しない。
というか今の彼でも、熊と戦ったら絶対負けるだろう。
しかしながら、森の中に逃げたことに目的はあった。ごくごく単純な目的。
「…じょじょ?!どこに隠れやがった?」
真夏の太陽の元、最大限に生い茂った密林の中は、身を隠すのにうってつけなのである。
ただし、時間稼ぎ。常長を倒すためには、翔鬼は自らに宿るその神と、折り合いを付けなければならない。
今度は心の中で、彼は神に語りかける。
〈なあ、頼むよ。俺が負けたら、美咲先輩の夢が、ここで断たれちまうんだ。アンタ、強大な神様なんだろ?何でもいい。力を貸してくれ〉
『この状況で、自分の保身よりも女の為、ね…。中々見上げた心意気ね。嫌いじゃないわ。分かった。力を貸しましょう。ただし、アンタに授ける能力は一つだけよ』
〈ホントか?ありがとう!〉
『それに、私が手伝って二号神ごときに負けてちゃ、高天原の奴らに示しが付かないし』
〈お前ホントはいい奴だったんだな!〉
『…じゃあまず、〝美しや美しやニーギ姉さま、下賤なる私めを憐れんで、どうぞ願いをお聞き入れ下さいまし〟って三回言って』
〈やっぱこいつ面倒臭え!〉
そんなこんなで無事、翔鬼はとある能力をこの神―――瓊瓊杵尊より授かったのである。
いや、ここでもったいぶるほどの能力ではない。期待されるとマジ困るので晒してしまうと、それはエンドレスに好きなだけ、なめした縄を出し続けられる、という馬鹿げた力だった。
翔鬼にとっては正に鬼に金棒のこの能力だが、授けた瓊瓊杵さえも、『え?それでいいの?本当にいいの?当たったら破裂する派手な光弾とか出す能力とかじゃなくていいの?』と何度も確認したものだった。
☆
「ちょこまかと逃げ回りやがって!おい、人間!いい加減降伏しな!出てくりゃ命だけは助けてやるゼッ!」
熊神・常長はしびれを切らし、どこかに隠れているはずの翔鬼に呼びかける。
彼は焦っていた。
何せこの気温である。神とはいえ人の姿をしている以上、これ以上の発汗は命取りであった。
熊マスクと毛皮を脱げばいいって?簡単には脱がないだろう。それは彼のアイデンティティに関わる重大な問題なのである。
「いいこと教えてやるゼッ。お前に取り憑いてるあの女、満月美咲の正体だ」
その心を折るため、彼はどこかに潜む翔鬼に真実を教えてやることにした。
「あの女、自分の正体をお前にどう話してんのか知らねえが、実際は、悪霊上がりのとんでもない悪神なんだゼッ」
生暖かい風が吹きわたり、木々を揺らす。
「ミサキ神てのはなあ、七人の怨霊の集合体さ。満月美咲はその器に過ぎない。奴が人間に戻るためには、新たに七人の死者が必要なのさ」
ここからの内容を聞けば、あの人間は降伏するだろう。常長はそう確信を持っている。何せ降伏しなければ、あの女の思惑通りに奴は―――。
「あいつはなあ、すでに過去の選挙運動で二人の人間を犠牲にしてんだゼッ。生徒会執行部は五人。その戦いにかこつけて、その都度騙して連れてきた人間を殺せば、奴は早ければこの夏のうちに、晴れて人間に戻れる。めでたしめでたし、本願成就ってワケさ。お前はなあ、生贄なんだよ!」
そう叫んだ瞬間。常長の前方で、草むらがガサリと揺れた。
しめた。動揺を誘う作戦、成功。
「喰らえ!熊神最終奥義だゼッ!―――〝異世萬手〟」
異世萬手。超高速の張り手である〝神威〟を連打で繰り出す、神速の「張り手」である。
次々と打ち出される多数の衝撃派は、常長の全面180度にある広範囲の木々を凄まじい地響きと共になぎ倒した。
「ふはーっ、はっは。残念だったな人間。怨むなら満月を怨むんだゼッ」
「投げた小石に反応するなんて、ホント熊だな、お前」
常長のすぐに背後から、翔鬼の呟きが聞こえた。
「じょじょ?!何、だとっ…。」
「お返しにこっちもいいこと教えてやるよ。手錠も無い時代、屈強凶悪な罪人達を、何故縄だけで動きを封じることが可能だったのか」
身体が、動かない。
いつの間にか、体中に縄が巻きついている。気付いた時にはもう遅かった。
最終奥義を放った直後の常長の肉体は、元からの脱水状態と相まって、通常の半分以下のエネルギーしか残っていない。
まさかこいつ、それを見越して?
「答えは簡単だ。捕縄術ってのはな、人間の関節や筋の流れを全て逆手にとることで成り立ってるんだ。可動域に対して、最も力の入らない形に縛り上げる。それを身体全体に施すとどうなるか」
正座をした恰好で、首の後ろで両手を縛られた上体が礼をするようにギリギリと折りたたまれる。
強調された常長の背中には、亀の甲羅のような縄目が作られていく。
「亀甲流壱の型〝完全亀甲・赤海亀〟。これでお前は戦闘不能だ!」
「くっ…!くっそおおおおぉぉぉ!」
生徒会執行部書記、超速と怪力の〝熊神〟常呂常長、墜つ。熊にも勝てない亀甲流はしかし、人間の姿を模した熊神には、負けないのである。