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03.絶対呪詛

 ―――亀甲流捕縄術は、最強の武術だ。


 父、九鬼くきの言葉を、幼い翔鬼が疑うことは無かった。

 

 自宅の庭にある小さなオンボロ道場。学校が終わると、彼は毎日ここで稽古に励んだ。彼以外の門下生は、たったの四人。それも皆、親戚の子ども達であった。


 ―――いいか、お前は天才だ。お前とわしが組めば、亀甲流は再び天下を取れる。


 子ども心にも、「天才」などと言われれば、その気になってしまう。

 父のこの言葉に乗せられ、翔鬼はますます亀甲流にのめり込んでいった。


 そんなある日。忘れもしない。翔鬼、中学二年の秋のことであった。


「おい、お前、あの変態道場の倅なんだってな。よく恥ずかしげもなくあんな道場に出入りしてられるな」


 教室で、普段ロクに話もしない柔道部主将、太田が、そんな事を言ってきた。


「はあ?お前、知らないのか?亀甲流捕縄術は、最強の武術なんだぜ?何なら一度手合わせするか?」


 何も知らないこの時の翔鬼は、自身満々そう言い返した。

 思えば、武道に捧げた少年時代、彼は非常に無垢であった。

 無垢故に、この歳まで知らなかったのだ。その事実を。


「手合わせ?しねえよそんなこと。変態がうつるだろうが」

「変態変態って、お前ホント何なんだよ!意味分かんねえよ!」


 苛立った口調でそう返すと、太田はニヤニヤ嫌な笑いを顔に貼り付けながら、一冊の写真集を差し出してきた。

 読んでみな。そう目で合図してくる。

 

 渋々受け取り、表紙に目を落とすと、それはいわゆる、エロ本というやつらしかった。

 

 全く。同じもののふの道に身を置く者として、こんな物に現を抜かすとは、おとこの風上にも置けん奴だ。

 

 そう思いつつも、ページを捲った翔鬼は、雷に打たれたような衝撃を受けることになった。

 

 いや、あるいは、雷に打たれた方がましだったのかもしれない。


 その日、翔鬼は残りの授業をすっぽかし、街の図書館で調べ物に没頭した。

 そこで判明したのは、亀甲縛りが、ただのイヤらしいプレイの、しかも最もポピュラーな一形態であるということだった。


 韋駄天の如く家へ飛び帰った翔鬼は、九鬼を問い詰めた。

 何故なのか。何故、黙っていたのかを。


 息子の話を黙って聞いていた父は、暫くの沈黙の後、静かに語り始めた。

 亀甲流の由来、世間一般に広まっている「プレイ」としての亀甲縛りとの違い、などを。


 しかしあくまで概念的なその話は、その時の翔鬼にとっては父の言い訳にしか聞こえなかった。

 何せ、肝心の縛り方の方に大きな違いはなく、どう考えても「同じもの」にしか思えなかったからだ。


 結局その日以来、翔鬼が道場に行くことは無かった。

 さらに、東京の下町に住んでいた翔鬼だったが、高校はわざと地方を選んだ。寮のある片田舎の高校へと、ほぼ家出同然で進学を決めたのである。


 父は反対しなかった。

 そのことは余計に翔鬼の腹の虫を刺激した。

 あんな変態武術を教えていたことに引け目があるから、反対しないんだろう。彼はそう捉えていた。


 もう一生、そんな父のことなど許してやるものか。翔鬼はそう固く誓っていた。

 

 いたのだが―――。


「いやあ、ありがとう親父。ホントありがと。それはもう、感謝してるさ」


 夏の暑さに頭がやられたワケではない。

 翔鬼の口からそんな言葉が漏れたのは、目の前のその人が原因であった。


 アルバイトが休みのその日。翔鬼と美咲の姿は、市内で唯一の大型ショッピングモールのフードコートにあった。

 目の前でクレープを頬張る美咲は、翔鬼の視線に気付くと、ニコリと微笑む。


 私を、縛って欲しい。


 あの日の帰り道、そんな事を言った美咲は、問い直す翔鬼に背を向け、無言で去っていった。

 聞き間違いか、はたまた幻聴かと思っていた翔鬼であったが、次の日の仕事中、美咲からこんな耳打ちがあった。


「昨日の話じゃが、次の火曜は翔鬼殿も休みであったな?昼の三時に、ユニオンモールのフードコートで、待っておる。…その、な、縄を、忘れるでないぞ」


 かくして現在、夏休みの学生や子ども連れ家族で賑わうこの場所で、二人はテーブルについているのである。


「いやあ、やっぱりクレープはカスタードに限る。のう、翔鬼殿」

「はあ…」

「ほう、その表情。やはり、と言うべきか。よい。其方の言いたいことは解る」


 勝手によく分からない話が進んでいるらしい。


「他の皆もそうじゃ。〝カスタードなんてババ臭い〟〝普通生クリームでしょ〟〝甘すぎて気持ち悪くないの?〟。必ずじゃ。皆必ずそう言ってカスタードに舌鼓を打つ私を奇異な目で見おる」


 今食べているカスタードクレープの話だとようやく分かった。


「クレープだけの話ではない。私はカスタードクリームの偉大さを述べようとしておるのじゃ」


 美咲はそう言って少しムッとする。


「私はいつも言ってやるのじゃ。ではプリンは好きなのか?とな。するとどうじゃ。ほとんどの女子は、好き、と即答する。笑止千万じゃ。おかしいじゃろ。クックックック…アーッハッハ」


 いいんだ。先輩が楽しいのなら、俺が全く話についていけないなんて、取るに足らない問題だ。

 翔鬼は自分にそう言い聞かせた。


「…アッハッハッハ。プリンはカスタードがうっかり固まっただけじゃのにな!」


 いや、先輩それ違う。と思ったが言わないでおいた。


「で、先輩。今日俺を誘ったのって…」

「うむ?今、その説明をしていたのじゃが」

「まさかカスタードから繋がるんですか?!」

「ふむふむ…。と、思ったが、そこから全部話すと一日あっても語りつくせん。もっとざっくり伝えることにしよう。―――私を助けると思って、縛って欲しいのじゃ」


 いきなりストレートな言葉が出て、翔鬼は周りの目を気にせずにはいられなかった。

 彼は、自らの中にある迷いを、先輩に向け放った。


「そ、その事なんですが先輩。やっぱり止めた方がいいと思います。興味があるのは責められることではないです。まあ、思春期、ってやつは誰にでも平等に訪れるワケですし。それでも、順番ってモノがあると思うんです。まずは、ノーマルな所から初めてもいいんじゃないかと」


 迷い、と記述したのには理由がある。言葉とは裏腹に、彼の足元に置かれたリュックには、しっかりと縄が詰め込まれていたからだ。前日に丁寧になめした、最高級品。


 ただし、彼の葛藤の根源は、決してイヤらしい思いが発端ではない。

 一つの技術を極めたものとしての、純粋な好奇心。自らの完成させた技術を、この完成された人間に試した時の、化学反応を見てみたいという気持ちからだった。


「むむ。私は至ってノーマルじゃぞ。どうも話が通じにくいな。まあ、無理もない。肝心なことを教えておらんからな。あー、ふむ。よし、分かった。あれから話そう」


 紙のナフキンで口の周りを拭いて、美咲はコホンと一つ咳払いした。


「私はな、実は、人間ではない。神なのじゃ」

「あ、うん?え?えーっと。うん?」


「質問は後じゃ。制服でバイトに行くこともあったから知っておろうが、私が通っているのは、天原あまはら北高校じゃ。翔鬼殿の通っておる天原東高校とは、距離は近いものの、ほとんど交流がないであろう。それには理由がある。我が校に通っておるのは、私同様、全て神様じゃ。日本全国から来た八百万の神々が通う高校。それが天原北高校」


「あの、ちょ、ま」


「質問は後だと言っておろう。で、その天原北高校で毎年、夏休み期間中に行われることがある。生徒会役員選出のための、選挙運動じゃ。これが全校上げての一大イベントでな。というのも、天原北高校というのは、そもそも神々だけで運営されておる自治組織のようなものじゃ。生徒も神、先生も神。基本的には同列じゃ。生徒会は学校そのものの運営にも関わる重要機関で、生徒会長の権限は、絶対的なのじゃ。学校の運営を左右するような決定も、生徒会長ならできる。いや、ちょっと違うな。生徒会長にしか出来ん、と言った方が正しいな。で、その選挙運動じゃが、具体的に何をするのかと言うと、簡単な言葉で言うと、決闘じゃ。現任の生徒会執行部と戦う。で、どちらかが戦闘不能になれば、秋の人事で勝った人間がそのポストに就く、という訳じゃ。私はミサキ神と言って神格の高い神の使い・・じゃから、翔鬼殿に縛ってもらうことで降神の儀式をなし、代わりに闘ってもらうことが出来る。さあ、全て話したぞ。質問オーケーじゃ。何でもバンバン聞くといい」


「質問っていうか…。信じられないッスよ、そんなこと。いくら先輩の話だからって」

「どこじゃ。どの部分が信じられんのじゃ。やはり選挙運動と言いつつただの決闘になっている部分か?」

「じゃなくて、最初からッス。ほら、先輩が神様って所からすでに」

「ふむ。では、論より証拠じゃ」


 美咲はそう言うと自分の膝辺りに視線を落とした。

 何やらぶつぶつと呟き始める。

 

 ありえないことだとは思ったが、この時、美咲の眼が赤く光り、呟きに合わせて口から「言葉」が文字となって流れ出る様子が、翔鬼の眼には映っていた。

 

 幻覚だ。

 そう思おうとした次の瞬間、翔鬼は、気付いてしまった。


 自分の身体が、全く動かないことに。


 美咲の口から流れ出る言葉の羅列が、自身の身体に―――それこそ縄のように―――まとわりつき、縛り上げられている。


 そして、呼吸までもが―――!


「どうじゃ?これで信じる気になったであろう。我が能力、その名も〝絶対呪詛〟じゃ。これを喰らえばどんな神でも絶対に動けん」

「・・・・。」

「何か感想でも言ったらどうじゃ?これは私が400年かけてようやく手に入れた能力であるぞ」

「・・・・。」


「?あ、そうか。驚嘆のあまり言葉も出んか。どうじゃどうじゃ。クック。このくらいで勘弁してやるか。……解っ」


「プハッ!ハー、ハー、ハー…。ウェ!ウェ!ゲホッ!ゼー、ゼー、ゼー」


 死にかけた。いや、一瞬天国のじいちゃんが見えた気がした…。


「おう?む、しまったしまった。呼吸まで止めてしまっていたか。これは申し訳ない。友達の神にふざけて使うことしか無い物でな。何せ奴ときたら、呼吸どころか心の臓を止めても〝あ、これしん感覚ぅ~〟と喜びよる変わった奴でな。あ、ちなみに今の『神感覚』とは〝神〟と〝新〟を掛け合わせた、今天原北高校で最もホットな言葉で…」


 翔鬼はこの時、美咲が普通の人間ではないことを、文字通り痛感した。


 と同時に、甘い物が大好きで、ちょっぴり(かどうかは判断に困るが)天然な普通の女の子であることも、やはり痛感していたのである。

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