02.そんなこんなでなし崩し的に・・・
羽曳野翔鬼は凹んでいた。それはもう、大変に凹んでいた。
それはそうである。
よりにもよって、憧れの先輩の前で、もう完全に縁を切ったはずであったその変態武術を晒してしまったのである。
「そうだ、自決しよう」
連絡を受けた警察と店長が店に駆け付け、その残状を目にした時、翔鬼の口からそんな独り言が漏れたのも、無理はない。
どうやって説明すればいい?いや、俺が説明しなければ、きっと先輩が説明するのだろう。
中年のオッサンを亀のように縛り上げ、恥ずかしめの言葉を放ちながら高笑いをしていたこの俺のことを。
「え~っと、一体これは…?」
恥ずかしさのあまり悶絶し、あげく気を失ってしまった強盗犯を前に、若い女性警官は明らかに困惑していた。
と、ここで、翔鬼にとって衝撃の展開となる。
店の奥にある事務所から出てきた美咲が、その警官に向け、こう言ったのだ。
「私の仕業じゃ。翔鬼殿は、その強盗に果敢に立ち向かい、気絶させた。後の事は、私のいたずらじゃ。私は最近、そのような緊縛に興味があってな」
この美貌の先輩は、自分が泥をかぶってまで俺をかばおうとしている!何てことだ!
何という優しさ!
何という慈悲深さ!
これぞ、まさに女神の極み!
美咲の行為に、翔鬼は彼女をより好きになってしまったのだが―――。
彼女の真意は、実は他にあった。そしてそれは、帰り途に明らかにされる。
その日は警官に根掘り葉掘り質問されたり、警官でも解けないビニール紐を解いたり、意識が戻った途端に翔鬼の顔を見て再び気絶しそうになった強盗犯を「怖くない、怖くない」となだめたりしている内に、シフトの終了時間をとうに過ぎてしまった。
時間も遅いので、店長の命により、翔鬼は美咲に付き添って帰ることとなったのだ。
お互いに自転車での通勤だったが、何だかその日は乗って帰る気になれず、二人並んで自転車を押して歩いた。
疲れているのか、美咲は俯いたまま無言で自転車を押し続けている。
あんな事があり、やはりショックが大きかったのだろう。
沈黙は、気持ちの整理の上で必要なこと。
翔鬼は美咲の心中を察し、あえてあまり話しかけなかった。
ハンバーガーショップの属する繁華街を十分ほど歩けば、閑静な住宅街へと変わる。
夜とはいえ今は七月の終わり。ムッとする暑さに、住宅地へ入るころには翔鬼の額からは大量の汗が滴り始めた。
とある路地で、美咲はふいに足を止めた。
「ここまででよい。家はすぐそこじゃ。ありがとう」
「いえ。…その、先輩」
翔鬼は、美咲に向き合った。彼には、言わなければならないことがあった。
「今日は、ありがとうございました。先輩が泥をかぶってくれなかったら、これから俺、どうやって生きていけばいいか分からなくなるところでした。そして、本当にすみません。先輩の優しさに甘えて、本当のことを最後まで言わなかった俺は、最低ッス。大嘘つき野郎ッス。どうぞ先輩、軽蔑して下さい」
この帰り途、俯いたままの美咲の姿を見ていたら、どんどん胸が苦しくなってきたのだ。
自分をかばったことで美咲は、店長からおかしな子として見られるかもしれない。
いや、きっとそう映ってしまっただろう。
それは他のバイトにも伝わるかもしれないし、そうすれば先輩は、ニコネコバーガーに居づらくなってしまうかもしれない。
憧れの先輩に対し、俺は、何てことを―――。
「いいのじゃ。私は全然気にしておらん」
いつもの明るい声で、美咲はそう返した。そしてここから、極めて意外なことを口にする。
「私は寧ろ、嬉しいのじゃ」
「嬉しい?」
この言葉に、さすがに翔鬼も目を白黒させた。どこに嬉しい要素があったのだろう。
「そうじゃ。なあ、ものは頼みなんじゃが…。今日、其方の緊縛を肩代わりしてやった代わりに…その…」
路地の街灯に照らされた美咲の白い顔が、僅かに赤らんだ気がした。
ふう、と一度息を吐いてから、意を決したように、翔鬼を見上げる潤んだ二つの瞳。
形のいい唇が、そっと動く。消え入りそうなボリュームで、その言葉は紡がれた。
「…私を、縛って欲しいのじゃ」