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プロローグ

「よいか満月みつき。絶対に、あの山に入ってはならぬ」


 それが祖父の口癖だった。

 言葉もろくに喋れない頃から、孫娘は繰り返しそれを聞かされた。


 祖父が示すその山は、他の山と特段の違いはなく、幼い彼女には何故その山を見分けられるかの方がよほど不思議であった。


 一人で山に入ったら危険なことくらい、祖父じいに言われなくたって分かる。


 それでも一度だけ、理由を聞いたことがあった。


「あの山にはな、〝七人ミサキ〟という、それはそれは恐ろしい神様がおられる。そこを通るものに取り憑き、七人の人間を殺めるまで離れてはくれぬ。殺された七人の御霊は混ざり合い、そこで新たなミサキとなり、次に取り憑く人間を探すのじゃ」


 殺される、という言葉を聞いても、さほど恐ろしさは湧いてこなかった。


 それには理由がある。


 時は戦国の世にあって、山間のこの集落はどこまでものどかだった。

 土地を治める豪族は争いを好まず、周囲の大名などとの交流の一切も断ったままだ。その豪族こそ、この孫娘と祖父の一族なのである。死の匂いから遠く離れ、守られて暮らす彼女には、殺すとか御霊だとか、今一つピンとこなかった。


 ―――だがそれも過去の話。つまり今までの話のすべては回想だ。―――


 今、彼女の眼前には、無残に切り捨てられたその祖父の死骸がある。


「ま…待って…。嫌…」


 喉の奥から必死に絞り出した声だったが、「彼」には届かない。


 殺して奪った父の長刀を携え、一族の血で羽織を朱に染めた山伏らしきその男は、白目を剥いたまま、座敷の奥で震える少女にふらふらと歩み寄る。


 火を放たれた屋敷の中にあって、その躯体から漏れ出すは闇、闇、闇、闇、闇、闇、

 ただただ、闇。


「逃げろ、満月!」


 叫び声と共に、刀で障子をなぎ倒して飛び込んできたのは、少女の兄だった。

 その勢いのまま山伏に斬りかかる。甲高い金属音が、湿気をはらんだ、重苦しい空気に満ちた室内に響き渡る。


 山伏に隙を作った兄は、満月の腕を掴んで駆け出した。

 なぎ倒された障子の向こう側、庭へと転がるように二人でなだれ込む。恐怖のあまり再びしゃがみ込んでしまった満月。

 兄はそんな満月に背を向け、なおもふらふらこちらに向かう山伏の前に立ちふさがった。


 何かを覚悟したその背中。


 ミサキ神が殺すのは、ピタリ七人だけ。殺されたのは…祖父、祖母、父、母、妹、弟。


「やめて」


 そのことに気付いた少女の目からは、こらえていた涙が溢れ出す。


「やめて、兄者。駄目、駄目じゃ。満月を…置いてゆくな」

「満月。其方は優しい子だ。其方ならばきっと、こんな呪いなど、軽く断ちきってくれよう。兄者はそう信じておるぞ。いいか満月。何も怨むな。誰も呪うな。兄者の最期の願いだ。其方はただ、こいつを―――」


 この状況にあって、兄の口調は至極穏やかであった。


 最期の言葉は、直接満月の耳には届かなかった。

 真っ赤に染まった視界が、満月の意識を闇の底に突き落としたためだ。

 だがその闇の中で、彼女はその言葉を、その意思を、聞いた気がした。


―――其方はただ、こいつを、赦してやってくれ。

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