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後ろ向き

作者: 嘉多野光

 十一月中旬、新谷は、会社の同期である荻原と関東近郊の山の麓にいた。登山好きである荻原からの誘いで、休日に登山をすることになったのだ。

 標高は九〇〇メートル超。決して高くはなく、よくテレビでも初心者向けの山として紹介される。しかし、急勾配の場所も少なくなく、途中で諦める人もいるらしい。とはいえ、今は紅葉シーズンの日曜日ということもあって、麓は登山客で賑わっていた。

 小さいころから、新谷は運動が嫌いだった。しかし、痩せ型でもあったので大丈夫だろうと高をくくっていたところ、今年社会人になってから急激に体重が増え出した。学生時代には軽い栄養失調と思われてもおかしくないほど抉れていた腹も、いつの間にかぽっこり出ていた。そういえば、学生のときより仕事でストレスが溜まり、酒を飲む頻度が増えたかもしれない。そんなときに荻原に登山に誘われたのだ。

 しかし、入社して間もない頃から、同期の荻原とは相容れないと思っていた。新谷は内向的で慎重な正確だが、荻原はあまり考えないで当たって砕けるタイプだった。荻原は、嫌なことがあっても、食べて寝れば忘れられるようである。そういう性格だから、荻原は営業部を所望したのだろうが。ちなみに新谷はシステム部である。

 しかしながら、他にも営業の同期はいるのに、なぜ荻原がわざわざ他部署の自分を誘ったのかは分からなかった。しかし、人に誘われでもしなければ、わざわざ登山などつらい思いをしようとはしない。それに、紅葉の景色を見るのは好きだった。一念発起して、新谷は荻原の誘いに乗ったのだ。

「空気が綺麗だねえ」鼻から目一杯空気を吸いながら荻原が言った。「都会とは全然違う」

「そうだな、俺もこの感じは久々だわ」

 新谷も同じように大きく息を吸いながら、珍しく荻原に同意した。上京して五年目になるが、故郷は山形県だ。やはり自然に囲まれている方が居心地が良いなと感じた。

 二人は早速山を登り始めた。元々、スニーカーなど普段着で臨む予定だったが、荻原に「そんなんじゃ絶対登れないよ」と言われ、登山グッズを一通り買い揃えたのだった。なるほど、周りの登山客の格好もいわゆる「ガチ勢」ばかりだ。この中で高尾山でも登るような普段着で来てしまっていたら、山を舐めていると浮いていたことだろう。

 登山とはいえ、二人の選んだコースは道がほとんど舗装されていた。土に比べるとクッション性が低く直接脚に衝撃が来る分、土と比べて滑りづらい。前日、一時的に雨が降ったこともあり「本当は舗装されてないルートにしたいけど、新谷のことを考えるとアスファルトの方が良いよね」という話になったのだ。

 登山から開始五分、すでに新谷の息は上がっていた。最初は新谷の歩幅に合わせていた荻原も「さすがに遅すぎて合わせられない」と、しばらく登ってはコーナーで新谷が追いつくのを待つようになっていた。後ろから上がってくる他の登山客が次々と二人を抜いていった。

「大丈夫? まだあと一時間以上あるよ。引き返す?」荻原の声色はあくまで新谷を気遣っているようだった。

「いや、登るけど、ちょっと待って」すでに新谷は上着を脱ぎ、水筒の水を半分ほど飲んでいた。これではとても頂上まで持ちそうにない。とはいえ滝のような汗が止まらない。

 後ろを向いて新谷のことを気遣いながら登っていた荻原が「あ」と呟いた。

「これ、いいかも」

「どうした?」息も絶え絶えな状態で新谷が訊いた。

「いや、後ろ向きながら登ると、しんどくない」

「ええ?」新谷はそんなことを訊いたこともなかった。

「いいからやってみてよ」

 言われるがままに新谷も後ろを向いて登り出した。すると、あれだけ重かった身体が半分以上軽くなったように感じた。疲れのあまり小さくなっていた歩幅も、大きく踏み出せる。先ほどまではいつまで経ってもゴール出来ないのではないかと不安を感じていたが、後ろを向いたまま登ると、どんどん景色が遠ざかって進んでいるように感じられた。

「おお、マジでいい感じ」

「でしょ? 俺登山部だったのに知らなかったな、誰もそんなこと言ってなかったけど」

「そうなのか」

 下から登ってくる人たちと目が合い、気まずくなっても、最早新谷は前を向いて登る気にはなれなかった。下山してすれ違う人も、すれ違いざまにこちらをチラリと見たが、そんなことは構わなかった。一人だったら恥ずかしくてこんなことをしていなかったと思うが、いつもあまり周りの様子を気にせずに行動する荻原が一緒に後ろ向きになって登ってくれたから、新谷も気にしないでいられた。新谷は、初めて荻原の性格に感謝した。

 それから二人で後ろを向いたまま頂上まで登った。なお、下山も後ろを向いた方が膝への負担が軽いと言って、後ろ向きで下山した。

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