3.別離①
薬を煽ると、冷たい液が喉を通って胃に染み込むのを感じる。クレアはそれから数分経たない内に身体全体が鉛の様に冷たく、重くなり、呼吸一つおろか、指の一本すらも自由に動かせない状態になっていた――。
これは彼女が飲んだ薬……魔法薬の効果だった。
『一時的に身体の中で流れる時間を限りなく遅くして、死体に限りなく近い状|態《・を作り出す』
要は仮死薬である。元々は喰花病に対して”病気自体が侵攻する時間を遅くする”という別角度からのアプローチとして開発を進めていたが、重大な欠陥を発見したために開発を中断した薬だった。クレアは本当に様々な方向から治療薬の開発を行っていたのだ。
そして今回、エストの経歴もクレア自身の家も傷つけることのない婚約解消計画を練る中で、この薬の存在を思い出した。クレア自身が死んでしまったと他人に思い込ませることが出来れば、仕方のなかったことだと誰からも責められることはない。
しかしこの薬は仮想実験時に証明されたことなのだが、普通の人間には効果が強すぎる。
身体の時間を止めるのまでは良いのだが、薬の効果時間中は身体自体が全く動かすことが出来なくなってしまうのだ。しかも意識は保ったままでだ。何があったとしても数日単位で意思伝達をすることも完全に意識を失うことも出来ない。並大抵の人間の精神であればそれはそれは大きな苦痛になるだろう。それに加えて使っている素材と薬品が強力すぎるせいだろう、所持している魔力が少ない人間にはかなり依存性が高い仕上がりとなってしまった。
クレアの場合は元々の魔力の高かったのだが、皮肉なことに喰花病が完治した時に量も質も更に跳ね上がっていた。具体的には国内外でもクレア程の魔力を持つ人間は殆どいない程である。これも『化け物』と呼ばれてしまった原因なのだが、今はこの変化に少し感謝していた。なにせ彼女の魔力と身体であれば、この薬を使用しても大した問題はないからだ。何度か治験してみて確信があった。だからこそ、この方法を取れた。
元々それなりに反対してくる人間もいた婚約だ。クレアが死んで喜ぶ人間は多かれど、悲しみ嘆く人間はかなり少数であろう。現にクレアはこの立場、そして経歴から何度か命を狙われたこともあった。強力な毒を盛られたり、暗殺者に襲われかけたり……。
エストには少しでも迷惑を掛けたくなくて――面倒だと思われることが嫌で両親や兄にも口止めしていた。エストは他人に優しすぎるのだ。口では散々切り捨てると言いつつも、世話を焼いてくれる。
だから結局どんな結果に転んでいたとしてもコレを使用することに躊躇いはなかった。
「クレア……やはり飲んでしまったんだね」
(クリス、兄様――)
「ああ。ごめんね。分かっていたことと言っても実際見てみるとなんていうか応えるものがあってね――って言葉を返してくれるわけないか……大丈夫。ちゃんと計画通りに進めるよ」
薬を飲んでどれだけ時間が経っただろう。カーテンの隙間からは既に陽光が漏れ出し、鍵の後に扉が開く音がしたかと思うと最初の計画通り寝室に協力者の内の一人である兄・クリストファーがやってきた。
本当に死んでいるわけではないのに悲しそうな声音で名前を呼ぶ兄に少し申し訳ない気持ちになりながらも、クレアは彼に身を委ねたのだった――。