あなたの愛は歪んでいます
とある国に一体のロボットがいました。ロボットはその国のお姫さまに仕えていました。ロボットは優しいお姫さまのことが大好きでした。
その日もお姫さまはロボットに言いました。
「そろそろ時間ね。技師さまのところに行ってらっしゃい」
ロボットは答えました。
「はい。行ってきます姫さま」
ロボットは定期的に自分を作った技師に体を診てもらっていたのです。ロボットは技師のことが大嫌いでした。
その日もロボットは技師に言いました。
「僕の体にも寿命を作ってくれ」
その日も技師は答えました。
「だめだ。君はこれから代々の姫に仕えるのだから。ほら、そこに横になって」
技師は作業台を指差します。人間に逆らえないロボットはおとなしくその通りにしました。ロボットは技師がメンテナンスをしている間も憎々しげに技師の顔を睨みつけて言います。
「どうして僕に感情をつけたんだ」
技師も片手間に答えます。
「姫さまが寂しくないように」
「どうして僕は死ねないんだ」
「コスト削減」
「どうして姫さまは死んじゃうんだ」
「人間だから」
「どうして‥‥‥どうして僕は人間じゃないんだ」
「ロボットだから。よし、終わった」
ロボットは体を起こして、再度技師を睨みつけると言いました。
「僕を作ったお前なんて大嫌いだ!」
そのまま返事も聞かずに作業室を飛び出します。
「姫さま!」
作業室を飛び出したロボットはそのまま廊下を走ってお姫さまの部屋に飛び込みました。お姫さまは今日も優しい笑顔でロボットを迎えます。
「おかえりなさい。今日もなんともなかった?」
「はい!姫さま」
それを聞いたお姫さまは嬉しそうに微笑みます。
「そう、よかったわ」
「姫さま‥‥‥僕は大丈夫です。今日も元気です」
そう言ってロボットは精一杯の笑顔を浮かべてみせます。姫さまとお別れしたくない、なんて言えるはずがありません。そんなことを言えばお姫さまを困らせてしまうでしょう 。ロボットはお姫さまの悲しそうな顔なんて見たくありませんでした。
お姫さまはロボットの言葉に笑顔で応えるとパンと手を打ち合わせました。
「さぁ、じゃあ今日もお仕事を頑張りましょう。まずはそこに置いてある書類を整理してくれる?私は先にこちらを片付けてしまうわ」
「はい。かしこまりました姫さま」
ロボットは丁寧に礼をすると、さっそく作業に取り掛かります。
ロボットとお姫さまが書類を処理している間にもお姫さまの部屋には様々な人が訪れます。
しかしその日はその中に珍しい人がいました。技師です。
「お久しぶりです。姫さま」
そう挨拶した技師をロボットは敵意剥き出しに睨みつけますが、お姫さまは嬉しそうに顔を輝かせました。
「まぁ、技師さま! お久しぶりです。さぁお掛けになって。お茶を入れてちょうだい」
ロボットはそんなお姫さまの態度が気に入りませんでしたが、大好きなお姫さまの指示です。おとなしく礼をしました。
「はい。かしこまりました。今すぐ」
ロボットがいれたお茶を持っていくと、お姫さまはロボットが大好きな笑顔を浮かべます。
「ありがとう」
「いえ!」
その瞬間だけはロボットも技師のことを忘れて嬉しくなります。しかし、技師が話し始めてロボットはすぐにその存在を思い出します。
「実は2体目のロボットを作ろうと思っているのです。本日はその相談に」
ロボットは思わず聴覚を疑いました。自分がこんなにも恨みをぶつけているというのに、この技師は自分と同じような存在を更に増やそうと言うのです。ロボットは大好きなお姫さまならこれを止めてくれると思いました。しかし、ロボットの期待に反してお姫さまは嬉しそうな声をあげます。
「まぁ! それはとてもいい考えだわ。今度はどんなロボットをお作りになるの?」
「姫さま!?」
思わず声をあげたロボットにお姫さまは不思議そうな顔をします。
「あら、どうかしたの? そんな悲しそうな顔をして。何かあったの?」
ロボットが思わず言葉を失っていると、技師がロボットに声をかけました。
「そうだ。君にいいことを教えてあげよう」
お姫さまは不思議そうな顔でロボットと技師を見守ります。ロボットは技師がお姫さまに何かしたのだと思い、敵意も剥き出しに睨みつけました。
「なんですか」
「君は僕のことを嫌うけどね、君を作るよう言ったのは他ならぬ姫さまだよ」
「はい? そんなわけ」
ロボットの否定を遮るように更に技師は言葉を重ねた。
「本当のことだよ。感情を付けようと仰ったのも姫さまだ。僕はただ姫さまに言われた通りに作っただけ」
「そんな‥‥‥ちが、だって、メンテナンスは」
「それも、僕の仕事だからね。本当はこんなに頻繁にやる必要はないんだ。これも姫さまのご意向だよ」
「嘘だ‥‥‥嘘、ですよね姫さま!」
ロボットが縋るように振り返ると大好きなお姫さまは不思議そうな顔で言いました。
「いいえ、私が頼んだのよ‥‥‥ねぇ、先程からどうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?」
お姫さまの心配そうな顔にロボットは胸が痛みました。
「いえ、いえ‥‥‥なんでも、ありません‥‥‥姫さま」
「そう?」
お姫さまはそれでもなお心配そうな顔をしていましたが、技師に向き直ると話を戻します。
「それで、ロボットの話だったわね。予算はおいくらほど必要なのかしら?」
「これは、話が早くて助かります」
その後も2人は新しく生み出すロボットについて楽しげに話しますが、ロボットにはそれに耳を傾ける余裕はありませんでした。
自分があれほどまでに憎んでいた、自分を生み出した存在が、大好きな姫さまだった、なんてロボットには信じがたいことだったのです。
あの優しい姫さまが、そんなロボットを生み出すような残酷なことを許すはずがない、と心が叫びます。しかし、目の前ではお姫さまが新たなロボットについて話を弾ませているのです。
「姫‥‥‥さま‥‥‥」
気づけばロボットはお姫さまに話しかけていました。客人が来ているときはおとなしく控えているのもロボットの役目です。口を挟むなんてロボットには初めてのことでした。お姫さまも話を止めて意外そうな顔をします。
「‥‥‥どうしたの? 今は技師さまとお話しているの。後ではいけないかしら」
「すみ、ません。姫さま、姫さまは、どうして‥‥‥」
そこで一度言葉を切ります。言葉が続かなかったのです。ロボットはその答えを聞くのが怖いのでした。
「なに?」
ロボットの様子を見てとったお姫さまは今度はとても優しそうな声で問いかけます。その言葉に滲む愛情にロボットはますますわからなくなりました。
「どうして。どうして僕を作ったのですか」
ロボットの問いに姫さまは明るく答えました。
「一緒にお仕事をしてくれる子がいたら楽しいと思ったの」
「それだけ‥‥‥ですか?」
お姫さまは不思議そうな顔をしましたが、ロボットの問いに答えて更に続けます。
「‥‥‥それに、一緒にお散歩してくれる相手も欲しかったわ」
「本当に、それだけ、なんですか?」
ロボットは縋るようにお姫さまを見つめますが、お姫さまは不思議そうな顔をするばかりです。
「ねぇ、どうして急にそんなことを聞くの?あなたは私といて楽しくない?」
悲しそうなお姫さまの顔にロボットの胸はズキズキと痛みます。
「楽しい、ですよ」
だからこそ苦しいのです。と心の中で付け加える。
「それならいいじゃない。いったいどうしたっていうの?」
無邪気なお姫さまの笑顔がロボットは急に恐ろしくなりました。このお姫さまはやがて来る別れの日、ロボットが一人残されることなど少しも考えていないのです。この先代々仕えていくお姫さまたちがロボットを傷つける可能性なんてまったく考えていないのです。
「ぼ、僕‥‥‥庭の花に水をやってきます!」
耐えきれなくなったロボットはそれだけ言うと呼び止められないうちに全速力で部屋を飛び出しました。今日庭師が休みなのは本当ですが、もう庭の花には朝水をあげています。ロボットがお姫さまに嘘をついたのは初めてのことでした。
お城にある広い庭園に辿り着いたロボットが怪しまれないように、空のジョウロを持ってゆっくりと花に水をやるフリをしていると、不意に後ろから声をかけられました。
「ロボットくん、こんな場所で空のジョウロを持って何をしているの?」
それは、庭師見習いの少女でした。ロボットにはできない細かい手入れをしていたのでしょう。ロボットは答えます。
「僕は‥‥‥逃げてきてしまいました」
「お姫さまと喧嘩でもしたの?」
「いえ‥‥‥僕は姫さまのことが大好きなのです」
「そう。それで?」
「だけど、僕は僕を作った人が大嫌いなのです」
「あら、どうして?作ってくれたのに」
その言い方にどうしてかロボットはムッとしていました。
「僕は存在することが辛いのです。感情があることが苦しいのです。始めから作られたくなんてなかったのです」
「まぁ。でもお姫さまのこと大好きなんでしょう?」
「はい」
「作られなければお姫さまとも会えなかったのよ?」
「でも‥‥‥会わなければ別れることもありませんでした」
「お姫さまと別れることが寂しいの?」
「はい」
少女はしばらく考えてからゆっくりと口を開きました。
「そうね。別れは辛いわ。だけど別れを恐れていたら、出会いまで辛いものになってしまうわ」
「僕は、辛いです。ロボットごときと罵られたこともあります。やり返せないので子供たちに叩かれたこともあります。使えないと言われました。水をかけられました。蹴られました。でも、僕が頑張ると姫さまが笑ってくれるのです。だから僕はずっと頑張ってきました」
「お姫さまはそのことを知っているの?」
「いいえ。言えば姫さまを心配させてしまいます。僕は痛覚もありません。人間じゃありません。言われたことをすればいいのです。感情なんて不要だったのです」
でも、とロボットは続けます。
「姫さまは、きっと知っていたのです。ロボットとしての僕を襲う苦難も、いつか来る別れも。それでも僕を作ったのです。知っていて作ったのです。僕は、そのことが、許せない‥‥‥」
「そんな‥‥‥!」
突然お姫さまの声が聞こえました。技師との話を切り上げてロボットを探しに来たのです。
「姫さま‥‥‥」
「私、そんなつもりでは‥‥‥ねぇ、この世界は美しいでしょう?辛いこともあるかもしれない。だけど私はあなたと会えて、話せて、嬉しいわ。あなたのことを愛しているわ。生きることは嬉しいことなの。なのにどうしてそんなことを言うの?」
「僕は‥‥‥」
美しいのは世界ではなくお姫さまのいる世界です。辛いことは嬉しいことよりもたくさんあります。生きるのは辛いことです。お姫さまを前にしてロボットは躊躇しました。これを言えばきっとお姫さまは今よりもっと悲しい顔になってしまうと思ったからです。しかし、お姫さまは言いました。
「正直に言ってちょうだい」
人間の指示は絶対です。ロボットの口はその意思に反して動き始めます。
「僕は、壊れたいです。これ以上辛くなる前に。いつか来る別れの前に。始めから作られたくなかった。水をかけられないのなら、傷つけられないのなら、姫さまと会えなくてもよかった。姫さまは、酷いです。僕を愛しているのなら、始めから作らないで欲しかった。感情なんて付けないで欲しかった。姫さまはの愛は、歪んでいます」
いつのまにか庭師見習いの少女はいなくなっていました。美しい花が咲く庭園の中でロボットとお姫さまは見つめ合います。
「あなた、壊れているのよ‥‥‥」
お姫さまはポツリと呟きました。
「違うわ。違うの。生きるのは素晴らしいことなのよ。生きたくないなんて、壊れたいなんて、そんなの間違っているわ。すぐに技師さまに直していただきましょう」
「‥‥‥はい‥‥‥姫さま」
壊れているロボットは従順に頷きました。これで楽になるのなら、壊れているロボットにはそれでよかったのです。
早速作業室に行ったお姫さまは技師に修理を依頼しました。技師は説明の間終始微妙な顔をしていましたが、話を聞き終わると頷きました。
「わかりました。共感能力のため、忠実に感情を再現しましたがそれが悪かったのでしょう。すぐに取り掛かります」
3日後、ロボットは作業室で目を覚ましました。そこへお姫さまが訪れます。
「久しぶりね。あなたは幸せ?」
正しくなったロボットは答えました。
「はい。姫さまに出会えてとても幸せです」
「もう壊れたいなんて思わない」
「思いません」
「存在するのは嬉しいことよね?」
「はい。その通りです」
「そう。それでいいのよ。世界は美しいでしょう?」
「はい。美しいです」
「いいわ。さぁお仕事の前にお散歩に行きましょう。きっと今日も花が美しいわ」
「はい。姫さま」