母へ
まぁ読んでください
”僕にはあまり悩むところとかはないし、戻るのがいいんじゃない?”
日本で祖母と住んでいる僕の妹からあまり連絡が来なくなったことを、笑いながら僕と父に嘆いている母にそう言った。
僕の四人家族は父の仕事の都合で二年前、海外に引っ越してきた。引っ越した時に僕は中三で、妹は小5だった。妹は引っ越しする前から受験をすることがきまっていが、。受験といっても帰国生受験だったので、海外に引っ越すことにそれほど抵抗はなかった。しかし受験が終わると、妹は最初から日本の中学に通いたいといい始め、一人家族から離れて日本にいる祖母と暮らすことになった。
僕はというと引っ越してきてからどうしても学校になじめず、どうしても周りの環境には溶け込めないままの日々を過ごしていた。
”どうせ日本に戻っても遊ぶだけだろう”
そう思って、本を読んだり勉強したりする、ある意味孤独で、かつゆったりとしたライフスタイルを貫いていた。忙しい日常は、日本に取り残したままでよかった。
妹はどうやら中一にして親離れし始めたらしく、あまり母の連絡に答えないようになった。答えたとしても、”オーケー”とか、”いま勉強してるんだけど”、とかいうそっけない返信ばかりで、僕は母を少しかわいそうに思っていた。勝母親とは子供のそうゆう時期にこそ一緒にいてあげたいと思うものなのだろう、と。
僕はしばらく前に生半可なな反抗期を乗り越え、母とは仲良くやっていた。ある意味、母親としての母を見ていると同時に、一人のまっとうな人間として母と接していたのだと思う。自分なりに一丁前の人間になっているつもりでいた。
ある日、その数週間で普通の光景と化していた母の妹への”嘆き”が始まった。
”あの子ほんとうに返事してくれないのよ。周りの女の子と一緒になって、だれかいじめたりしてないかしらね。全然返事くれないのよね。。。”と、笑いながら言う母。
それをいつも通り僕と、一日がかりのゴルフから帰ってきた父は聞き流していた。ふと、僕は母に提案をした。
”戻っちゃえば?”
母は、”なんで?”、と笑いながら聞いてきた。
”いろいろ大変な時期なんじゃない?中一って。やっぱり悪いこととかしてほしくないじゃん。”
ただ、なんとなく口を走らせていた。
”ほら、僕は悩むところとかはないし、戻るのがいいんじゃない?”
すると、父がテレビのゴルフ番組を見ながら、
”ないの?”
と聞いてきた。
母はずっと笑ったまま、何も言わない。
僕は”まぁ。。。”と口で音をたて、
”たしかにいろいろ世話になってるのに、こーゆーこと言うのも身勝手かもしれないけど、ほら、返信こないっていっつも嘆いてるじゃん。。。はは”
と、だらだらしゃべり続けた。母は何も言わず、ずっと真っ黒な携帯のスクリーンを見ながら笑っているままだった。
母と妹には太平洋という障害物が横たわっている。だから、戻るのが面倒なんだ。だからずっと真っ暗な携帯の画面を見ながら、笑っていたんだ。自分の部屋で、自分に何回もそう自分に言い聞かせた。
その後、僕は母とあまり話さなくなった。
僕は母をぼんやりと眺めるだけで、話しはしなかった。ただ、同じ屋根の下で住んでいるゴルフが好きなおじさんと結婚した人が目の前で僕に一方的に話しかけてくるだけ。どうしようもなく悲しそうな笑い方をしながら、話しかけてくるだけ。
母が日本に帰ると伝えてきた時も同じだった。僕は、
”そう”
と言っただけで、それ以上の言葉は出てこなかった。
母が日本に戻る日、僕と父は空港に母を見送りに行った。母は、いつも通り笑っていた。
”じゃあ、またね”
と言い、人混みの中へ消えていった。
母はその帰りの便で死んだ。もう、僕の近くでも遠くでも、笑うことはない。
妹は母の死を現実とは思えないようだった。父は、現実であることはわかっていたが、妹と同じくらい泣いた。
母は、まだまだ幼い妹と日本で暮らすはずだった。一人の人間として、確実に前へと進んでいた。僕のことなんか関係なく、前へ進み続けるはずだった。でも死んでしまった。
母は、ずっと笑っていた。一人の人間として、そして母として。悩むところも笑い飛ばしていた。少なくとも、笑い飛ばそうとしていた。
そんな母に今僕は伝えたい、
”戻らないで、一緒にいてよ”、と。
ありがとう