異形甲冑レギオ=エクウェス――の挿絵付きkindle化第2案――の前半_出版後は削除予定
***第一話 発現! 脅威の異形甲冑!3
***第二話 謎の秘密結社《荒夏》!?27
***第三話 戦慄の女統御者!!48
***第四話 黄昏の対談!!72
***第五話 突入! 《荒夏》東京支部!95
***第六話 誕生! 鮮烈の騎士甲冑!113
***第一話 発現! 脅威の異形甲冑!
アストリッドは異形の群れを屠っていた。
足刀で蜥蜴型異形【ラッテティリア】の体幹を両断する。
手刀で竜盤型異形【サウリシア】の頸骨を切断する。
今度は蝙蝠型異形【キロプテラ】が複数接近して来たので、背部の触手を展開する。
六束の触手で六匹の異形を確実に拘束、さらにそのまま一気に捩じ切った。
異形の肉片が散乱し、粘性の体液が散雨する。
――これこそが『甲冑式』……!
力を振るう事が気持ちよかった。こんな快感は初めてだった。
――あたしは無力ではない。
この生々しい蹂躙劇はすべて自身が引き起こしたのだという事実に興奮する。
充溢する思いのまま、アストリッドは複数の触手を一つに合わせる。
「あはは。こんなにおっきくなっちゃった。ヤッバーイ」
実際、異形細胞が剥き出しで、ビクビク脈動する触手は太腿ほどの巨槍となっていた。
「ねえ。どう思う?」
アストリッドは、白衣の女性技官(たしか、今年で二十七だっけ?)に問いかける。
既に余剰触手で拘束済みな彼女の名札には『影山ほむら(Kageyama_Homura)』とあった。
そんな『影山ほむら(Kageyama_Homura)』は涙目で脅えながら応える。
「お、お願い。た、助けて……」
「あはっ、こういう時はさ。『何でもするから』ぐらい言おうよ」
間髪入れずに、触手の巨槍を彼女の唇に割り入れる。
「あがっ、うぶうううっ、ぐ、ぐうううぅあおぼっ!!?」
小さな口を異形の触手で満たしてやると、彼女は意味不明な音を出した。
息苦しいのか無様に鼻で呼吸をしようとする。あるいは顎も外れたのかもしれない。
「あは、大き過ぎた?」
しくじった。これでは尋問にも支障が出そうだ。
「まあ、いいわ。なら、せいぜいそのカラダで愉しませて頂戴」
彼女の目に絶望の色が灯り、アストリッドの下腹は快感に疼いた。
そして――。
女の肉体をたっぷりと味わった後、アストリッドは周囲の気配を探る(今なら、それが十全にできる)。
――半径1キロに敵性因子なし……ね。
だから、甲冑式を解く。異形の細胞が【融解】していく。
甲冑式異形が消え、アストリッドはその時、自分が下着も帯びていない事に気付いた。
稽古のための大鏡――この国でいう姿見があったので、視線を移す。
そこには金髪碧眼美少女十五歳の一糸纏わぬ全裸があった。
――我ながら、いい身体ね。
女性にしてはやや長身で、均整もとれている痩躯。
細く長くしなやかな手足に、高い位置の引き締まった腰。
胸部の双丘は大きく、形と張りがよく、ツンと上を向いている。
小さく控えめな蕾は、雪を思わせる白い肌を彩るに相応しい。
そして、腰まで覆う波打つ金髪に、獣を思わせる切れ長の碧眼。
彫りの深い顔立ちがそれらと美麗な調和を成している。
とはいえ……。
「まずは着るものを探すか……」
***
***
***
それは日曜、東方晶光十四歳が私服で外出中の事だった――。
「ねえ、そこの君、ちょっと付き合ってくれない?」
晶光は振り返って驚いた。
そこに腰まで覆う波打つ金髪の美少女がいたからだ。
しかも、晶光へと声をかけていたからだ。
「あたし、アストリッド十五歳。君は?」
晶光はまず左右を見渡した。人違いを疑ったのだ。こんなラノベみたいな話があるはずないと考えた。
何しろ、金髪の美少女だ。
勿論、その時の晶光は何も知らなかった。
が、アストリッドが金髪美少女である事は、一目瞭然だったからだ。
しかし、ここは住宅街の一本道。人通りがそこそこあるものの、人違いをされる程ではない。つまり……。
「え、俺?」
「他に誰がいるのよ?」
アストリッドは唇を尖らせた。表情は柔和だが、眦は鋭い。勝気そうな顔立ちだ。
背丈も晶光より高い。青のスキニージーンズと白のタンクトップがすらりとしながらも、メリハリのある肢体を際立たせる。……何せ、スキニージーンズは文字通り肌に張り付く造形で、タンクトップも同じく薄地なピチピチ具合だった。つまり、腰から下の曲線は丸見えだし、胸の大きさや形も隠せていない。
告白する。晶光は明らかに気押されていた。東方晶光十四歳は平々凡々たる日本人男子中学生である。
こんな豊かで長い金髪を直に見た事自体が初めてだった。その山吹色だけでも晶光を圧倒するに十分だった。
「な、何で? 俺?」
「嫌なの? あたしと付き合うのが?」
そう言って、アストリッドは腰をかがめて、晶光の顔に瞳を近づける。
二つの膨らみがますます強調され、タンクトップの下の赤紫のブラジャーが嫌でも目に……。いや、アストリッドの双眸がこれまた初めて見る空色の碧眼である事に気付いた。
「ところで、君の体重は?」
「え、俺? 39キロだけど?」
「うんうん。素晴らしい。じゃあ、付き合おう」
「意味が分からない」
「細かい事を言うのね。君はあたしと付き合えるのが嬉しくないの?」
「いや、それは嬉しいけど」
「ありがと。じゃあ、付き合ってね」
そして、次の瞬間――
晶光は気を失った。
***
目覚めたら、晶光は自宅の庭で寝転んでいた。
***
翌日、月曜、学校、朝礼前に――
「……晶兄、それ、なんてラノベ?」
級友の三葉ツツジ十三歳は晶光の相談にそう返答していた。
「言うな。俺もそんな気はしているんだよ」
補足すると、この三葉ツツジは晶光の従妹であり、近所に住む幼馴染でもある。晶光が四月生まれで、ツツジが早生まれの三月生まれ――ということで同学年になっているが、誕生日は一年近い差があった。
だから、ツツジは晶光を『晶兄』と呼ぶ。幼い頃の一年差は大きい。昔は何をやっても晶光の方が上だったのだ。
今は?……お互いに中学二年だから、女子の方が成長も早いとだけ言っておこう。
いや、それでも、ツツジはこの歳で身長148センチという小柄さ、双眸を隠すような野暮ったい黒髪に、眼鏡の童顔である。うっすらそばかすまでありやがる。
こいつが晶光を『兄』と呼ぶのは当然の摂理だ。……晶光も身長は148センチだが、男子の方が成長期は遅いもんな!
……とはいえ、最近のツツジは生意気盛りでもあった。
具体的には『ドン引き』した表情を隠そうともしない。
「……さすがは晶兄、いえ、東方晶光――キラキラネーム男子にはラノベみたいな運命が待っているんだね」
「言うな。俺もそれは気にしているんだよ……」
「東方に昇る三つの日の光――その名も東方晶光」
「だから、真面目に答えてくれよ……」
大体、『三葉ツツジ』という名前だって、わりとラノベ臭いと思う。
「じゃ、真面目に話そうか?」ツツジは少し神妙な顔になった。「おじさんおばさんには相談したの?」
「俺もそれは考えたんだけどな……信じてもらえると思うか?」
「難しいね。私は晶兄が夢でも見たんだと思っている」
「だから、相談しなかったんだ。財布の中身は真っ先に確認したけど、別に何も盗まれてなかったし」
「じゃ、警察に行っても無駄かもね。その金髪碧眼美少女の実在証明すら難しいよ」
具体的な被害があるなら、警察も動くかもしれない。通行人の証言を集めるなり、監視装置の記録を調べるなりして、あのアストリッドの実在は証明できるかもしれない。
とはいえ、特に被害がないのに調べてくれと言って、動いてくれるほど、警察が暇とも思えない。
いや……
「仮に警察が真剣に動いてくれたとしても、だ。それで金髪碧眼美少女の実在証明すらもできなければ、俺は信用を失う。本当に危険な事に巻き込まれた時に連絡しても、警察に狂言を疑われるかもしれない。それは困る。凄く困る」
「つまり、自分でもそのアストリッドさんとやらの実在証明が困難だと思っているの?」
「……金髪碧眼美少女だぞ? それこそアニメみたいな話だからな……」
「まあ、私も晶兄が心配というより、話の矛盾点を突いて、からかいたいだけだしね」
ツツジの台詞は身も蓋もないものだった。こいつも昔は可愛げがあったんだがな。『晶兄、晶兄』と後ろをついてきた頃が懐かしいぜ。
「それで、昨日から何か変わった事は?」
「ああ、そういえば……」
「そういえば?」
「胸の奥がズキズキと痛むんだ」
「……恋?」
「ああ、甘いものが恋しくもあるんだ。昨日なんてコーラをがぶ飲みしてしまった。俺、炭酸は苦手なのに……」
「恋心……なの?」
「それに何だかやたら食欲が湧くんだ。今朝は白米を三杯もお代わりしてしまった。俺、朝は食欲ない方だったのに……」
「それはただの成長期じゃないの?」
東方晶光の身長は中学二年にしてまだ148センチメートル39キログラム――男子の成長は女子より遅い。
なるほど、今から成長期と考えてもおかしくはなかった。
「しかし、胸の奥ほどではないが、手足にも若干の傷みがあるぞ」
「それこそ、成長痛こと骨端軟骨障害というやつじゃない?」
「――つまり、これは初恋と成長期と成長痛が一度に来たと?」
晶光がそう言うと、ツツジは「かーもね」とわざとらしく肩を竦めた。
***
それから一週間は何事もなく過ぎて行った……。
……と、この時の晶光は思っていた。
実際には、この間に事態は取り返しのつかないところまで進んでいた。何せ、胸の奥の強い痛みと、手足の弱い痛みと、異様な食欲は漸減しつつも継続していたのだ。
ところが、肝心の晶光に自覚の類がまるでなかった。
身体の痛みは恋心でなくとも気の迷いかもしれないし、成長期と成長痛というツツジの意見も理に適っている。おまけにそれらの痛みは徐々に薄れていく。
だから、晶光は自分を納得させてしまった。
それはとんでもない誤りだったのだが……。
***
その日、晶光はツツジを誘って、校舎裏の山道を歩いていた。
日の光が届かない森の中、未舗装の獣道を進み続けると、ツツジが抗議の声を上げる。
「ねえ。軽く散歩じゃなかったの?」
「ああ」
「もう1キロほど歩いている気がするんだけど……」
「ああ。そして、あと1キロだ。目標は【一本杉】だからな。本日午後17:30までは余裕もあるし、少し足を緩めるか?」
晶光が答えると、ツツジは怪訝な顔になった。
「? 何故そんなに目標が具体的なの?」
「これが今朝、俺の下駄箱に入っていたからだ」
そう言って、晶光は折り畳んだA4用紙を一枚渡す。そこには簡潔な印字で次のように記されていた。
『本日17:30時に校舎裏の山林、一本杉にて待つ。――アストリッド』
「という訳だな」
ちなみに【一本杉】というのは文中にある通りで、校舎裏の山林にある巨大な杉の木として、地域限定で有名だった。成長ホルモンの異常分泌か何かで巨木化し、幹は太く背は喬く、日を遮り、周りの草木を枯らしながら、一本だけすくすく育っている杉の木だ。
「ちょ、アストリッドって」
「ああ、先週相談した金髪碧眼美少女の名だ。わかったろ?」
「全然、わかんない。何で私が付き合わされているの?」
「勿論、俺一人だと怖いからだ」
「……怖いなら、無視しなよ」
「それはそれで……お礼参りとか怖いだろう?」
「晶兄の臆病者」
「じゃ、聞く。ツツジ、俺が正直に事情を説明したら、お前は付いて来たか?」
「そんなわけないでしょ。なんか怖いもん」
「お前だって臆病じゃないか。やはり、説明せずに正解だったな」
「……ねえ、私、もう帰るよ」
ツツジはそう口にした。が、こうして話している間も足を止めていない。元々、大した距離でもない。このままだと、なし崩し的に到着するだろう。
「ま、そう言うな。金髪美少女だぞ。ここまで来た以上、見てみたくないか?」
「実在するなら興味はあるけど、こんな山道を制服スカートで歩かされる身になってよ」
「ふふん。これに懲りたら、そんなスカート姿で出歩くのをやめるんだな。せめて、下にジャージを穿け、ジャージを」
「……晶兄って、あれだね。正社員にはなれるけど、会社の指示文書に『動きやすい靴を履く事』とかあったら、張り切って派遣社員女子のヒールを規制する類だよね……」
「? 給料に似合った指示なら、従うのが当然だろう? 第一、靴とは荒野を走破すべく足を保護するのが本義。わざわざ転びやすい踵を選ぶなど、正気の沙汰とは思えん」
「晶兄はさ、女心というものを……て、何、あれ?」
「おいおい。そんな手にのる程、俺は……」
「違う。ほら、一本杉の隣のあれ……!」
ツツジが指差した先には『異形』がいた。
その『異形』は古い恐竜図鑑に出てくるティラノサウルスの様に二足歩行をしていた。その赤黒い全身は2メートル程。なるほど、本物のティラノサウルスには及ばない。が、驚異である事に変わりはない。
何より、その巨大な両腕と爪牙!
そして、剥き出しの筋肉と脈打つ血管! さらに、不気味に滴る粘液!
「いや、これ……」
まさに【異形】と呼ぶべき様相だった。
「熊……ではないよな?」
「き、着ぐるみ?」
すると、【異形】はその巨大な右腕を一振りした。
その結果、ミシミシという音が辺りに響き、目印だった【一本杉】が倒れる。
成長ホルモンの異常分泌か何かで巨木化して、幹は太く背は喬く、日を遮り、周りの草木を枯らしながら、一本だけすくすく育っている杉の木――があっさり倒された。
あれがヒトの身体だったら、ひとたまりもない。
それはツツジも同意見だったらしい。
「ね、ねえ、晶兄。私、すべてが晶兄の狂言だと期待しているんだけど……」
「き、奇遇だな。俺も狂言を期待しているよ……」
晶光はそう返すのが精一杯だった。いや、そう返すべきではなかったのかもしれない。
そんな【異形】が晶光達の声に気付いたのか、こちらへと『視線』を向けた。――とはいえ、その源たる『目』は頭部ではなく、胸部にあり、しかも単眼だった。
いや、実際問題として、ソレはその水準での【異形】であり、頭部はぶよぶよした謎の金色仮面っぽいものに覆われていたのだ(より正確には、腹部にもぶよぶよした謎の金色器官が複数あるという程度のものだった)。
「と、とりあえず」ツツジは先に冷静さを取り戻してくれた。「熊と同じ対処法でいこう」
「ああ、相手から目を逸らさずに、ジリジリゆっくりと後退するんだよな?」
熊は犬や猫と同じ食肉目だ。露骨に逃げるモノを獲物と認識する習性がある。だから、露骨な逃げ方をしてはいけない……はずだ。多分。
「そうそう。ついでに何か要らないものを投げて、気を引こう」
「よし。いや、ちょっと待て……」
背後の気配があった。
その理由に仮説を立てるのは後になるが、この時の晶光には何となくわかったのだ。
「右後ろにも何かいる……!」
「え……」とツツジは一瞬だけ戸惑ったが、しかし、すぐさま周囲に視線を巡らせ、嫌な現実を教えてくれた。「左後ろにもいるよ……!」
そちらの【異形】はまるで蜥蜴のように四足で爬行していた。ただ、蜥蜴と違い、尾はない。脚部は胴体より太く、鱗も毛も外骨格もなかった。全長はやはり2メートル程で、剥き出しの筋肉に脈打つ血管。そして、やはり鋭利で巨大な爪牙。
それが左右後方に二匹。いずれの頭部もやはりぶよぶよした謎の金色仮面っぽいものに覆われていた。よく見れば、胸部には『目』っぽい器官――赤い疑似眼球があった。
つまりはそれらの【異形】はある意味で似ていたのだ。
「ていうか、なんであの牙はあんなに剥き出しなの? ここは水辺から離れているのに、唇がないのはおかしいって……! 鰐じゃあるまいし……!」
そんなツツジの叫びに、晶光は「た、確かに……」と相槌を打たずにいられなかった。
実際それらもまた計三匹の【異形】の共通点だった。
大きな牙は殺戮蹂躙にこそ向いているが、捕食生存に向いているとは言い難い。
そんな牙が共通して剥き出し――つまりは『唇』に相当する器官が見当たらないのだ。
これまた異様で異常な異形だった。
それこそ、かつてのティラノサウルスにも現生トカゲと似た水分保持用の唇が存在した。――とされているのに、何故かこいつらには『唇』がない。それこそ(水中生活を基本とするが故に水分保持の必要性が薄い)鰐の様に、口牙が剥き出しだったのだ。
しかも、前歯や臼歯に相当する器官がまるで見当たらない。それどころか犬歯を大型化したかに見える鋭利な牙ばかりが目につく(これで各種栄養の捕食摂取は極めて非効率なはず)。
「と、とはいえ、見た目によらず、温厚な性格だったりはしないか?」
「だったら、わざわざ樹を薙ぎ倒したりはしないでしょ……!」
晶光の希望的観測をツツジはあっさり否定する。
実際、それら『異形』は晶光たちへとじりじり向かってきた。それは獲物を追う猟犬の動きに思えた。
その時だ。
――「落ち着きなさい」
「え?」
――「竜盤型が混じっているとはいえ、所詮は自律式」
「ど、どういう意味だよ。お、お前は誰だよ」
――「第二階梯(ステージⅡ)の【赤】(アル=アハマル)ばかりな単炉自律体に過ぎないって事よ。金色仮面を含む粘体塊瘤こそあれ、粘体光脈は見当たらないでしょう?」
「いや、そんな専門用語をいきなり連呼されても……!!」
――「甲冑式を使える……はずの君が負けるはずがない」
「はず? はずってなんだよ。はずって……!?」
――「仕方がない。ちょっと手助けしてあげる。これで駄目なら、ま、諦めるから」
「あ、諦めるって、どういう……!?」
しかし、晶光は二の句を継げなかった。胸部に鈍痛が走ったからだ。
それは身体の中で蛇が蠢くような苦痛だった。
「晶兄。さっきから何を独り言ばかり、そんな事をしている場合じゃ……!」
「っ……!」
ツツジが肩に手を置いた瞬間、晶光はその場に蹲った。
「ちょ、何、座り込んでいるの。逃げなきゃまずいって……!」
「ひ、独り言? さっきの声、聞こえてなかったのか?」
「な、何を……うわ、来るよ……!」
例の蜥蜴に似た『異形』が左側から飛び掛かってきた。
やはり猟犬の動きだ。晶光はこの窮地にどこか冷静に観察していた。
そして、晶光の胸元にさらなる激痛が走り――。
その『異形』は串刺しにされていた。
晶光の胸元から、赤黒い触手が何本も飛び出て、蜥蜴に似た『異形』を貫いたのだ。
「あ、晶兄……な、何なの、それ……」
「え……これ?」
晶光が聞きたいぐらいだった。
しかし、よく見れば、胸元から飛び出たその触手はあの『異形』とどこか似ている。
さらに言えば、そう判断する余裕が晶光にもあった。胸部を食い破るように触手が出て来た割に痛みが乏しい。痛い事は痛いが、耐えられない程でもない。出血もしているが、制服と肌着をわずかに赤くするぐらいで、これも控えめだった。
一方で、串刺しにされた『異形』はガクガクと震えた挙句、動かなくなった。生々しい外見に似合ってか、あれもあくまで生身の存在であり、一定以上の損傷には耐えられないらしい。
助かったのか?――と一瞬でも思った晶光は甘かった。
晶光から飛び出た触手は上下左右四方八方に広がったのだ。
その結果、串刺しだった『異形』の四肢は四散する。
辺りには異形の肉片と粘性の体液が飛び散った。
しかし、晶光はそれどころではない。
その触手が今度は晶光へと向かってきたからだ。
「う、うわあああああああ……!」
晶光は腰を抜かして泣き叫びそうになった。
あの『異形』がなんなのかはわからない。
しかし、ああもあっさり筋肉組織?を破壊できるこの触手が安全な代物とは思えない。
晶光は恥も外聞もなく、逃げだそうとした。が、この触手は晶光の胸部から出て来た。つまり、晶光の身体に生えているのだ。いくら逃げても距離が縮まるはずはない。滑稽な話だった。が、どうしようもなかった。この状況で冷静に対処できる奴がいたら、教えて欲しい。
そして、放射状に広がった触手が晶光へと殺到する。
晶光は覚悟を決めて、歯を食いしばる。
ツツジの声がした。
「晶兄ぃぃぃっっ……!」
直接的な痛みはなかった。
ただし、触手に包まれたため、やたらと息苦しかった。
晶光は放射状に広がった触手にそのまま包まれていた。あの蜥蜴の様な『異形』と違い、貫かれる事は免れていた。ただ、全身が触手で覆われれば、息苦しくなるものだ。
――お、俺を窒息させる気なのか?
そんな事も考えたが、事態はそれどころではなかった。
「中に……! 中に入ってくる……!」
耳、口、鼻――触手が晶光の全身の穴という穴から、体内へと侵入して来る感覚。
「あああああ……」
まるで蛹や繭の中にいる気分だった。実際、昆虫が変態する時、幼虫は蛹の中で一度ドロドロに溶かされ、生体組織のほとんどを造り変えられるらしい。晶光が経験している感覚と恐怖はそれと似た様なものだった。
――嫌だっ。こんなの嫌だっ。
もう、その言葉も声にはなっていないはずだ。
何しろ、晶光は晶光の中から出てきた異形の触手の中に囚われているのだから。
――「言っておくけど」
と、その時、再び声が聞こえた。
――「そういうのはあたしみたいな美少女がやるからこそ、魅力的なのよ。君みたいな男がやってもキモイだけだからね」
晶光はそこで気付いた。『あたしみたいな美少女』という言い方、あのラノベみたいな金髪碧眼美少女のアストリッドとよく似ている。
しかし、気付いたからと言って、どうにかなるわけでもない。
実際、もう一匹の蜥蜴に似た『異形』が飛びかかってきた。
晶光は右腕を突き出した。
深い考えあっての事ではない。ただその時、その異形の動きはやけにゆっくりと見えていた気がする。あるいは、これがいわゆる『記憶の編集』だったのかもしれない。
いずれにせよ――。
はっきりしている事がある。
突き出した晶光の右腕は、その『異形』をちょうど貫いていたのだ。
その末路は左から来た一匹目と同じだ。
ガクガクと震えた挙句、動かなくなったのだ。
しかも、その感触たるや生卵を指で貫くようなあっけないものだった。傍目にも強靭そうな『異形』の細胞組織を貫く感触ではなかった。
しかし、ツツジの驚きはそれだけではなかったようだ。
「晶兄、そ、その鎧は?」
「鎧?」
「何なのっ、その格好はっ?」
「恰好? どういうことだ?」
「だから……、ああ、もうっ!」
ツツジは口頭ではらちが明かないと考えたらしい。
手鏡を晶光の方へと向けた。
「な、何なんだ? これが……俺?」
そこに映っていた晶光自身の姿を一言で表すなら、
――『生々(なまなま)しい甲冑で鎧われた異形のヒト型』
と呼ぶべきモノだったのだ。
体格体型は晶光本来のモノと大差はない。二本の脚で立ち、二本の腕を具えて、脊椎の上に頭部がある。が、その悉くをあの『異形』と同じビクンビクン脈打つ細胞組織?で拘束構成され、皮膚や衣類は全く見えない。顔には大きな複眼と細長い触角が形成され、あたかも仮面をかぶっているようだ。さらに両肘両膝両踵には引き金を思わせる突起がある。
――「胸部リアクタースフィアはやはり第四階梯(ステージⅣ)の《黄》(アル=アスファル)。想定通りの単炉体で、粘体光脈すらも見当たらない」
――「とはいえ、あとは竜盤型異形が一体よ。楽勝よね?」
リュウバンガタイギョウ?
そいつが右腕を晶光に向かって振り下ろす。反射的に晶光は左手でそれを受け止める。受け止める事が出来た。あの巨大な杉をも薙ぎ倒す一撃を、晶光は軽々(かるがる)と受け止める事が出来たのだ。
「ど、どうなっちまったんだよ。俺の身体はっ!?」
気がつくと、発声ができていた。つまり、呼吸もできている事になる。
その原理を考える暇もなく、竜盤型異形は左腕を晶光へ向かって振り下ろす。今度も晶光はそれを右手で受け止める。
ちょうど、四つに組んでの力比べだった。
それが何秒か続くと、失望の声が届く。
――「……何をやっているの? そんなの捩じ切りなさいよ」
「捩じ切る!? そんな事できるか!?」
見れば、晶光の両腕も異形装甲?に覆われている。が、所詮は平凡な男子中学生の腕に異形の細胞が覆っているだけだ。
逆に竜盤型異形とやらは2メートルの巨体に相応しい腕の太さだ。力比べをして勝てるはずがない。
――「本当にできないと思う?」
「……っ」
晶光は言葉に詰まった。何故なら、既に蜥蜴に似た異形を二匹も殺しているからだ。
今もこうやって体格も体重も腕の太さも上の相手と対等に力比べをしている。
晶光の『異形』とあの『異形』は同系統かもしれない。
しかし、性能は晶光の方が上なのかもしれない。
――「怯えるのは構わないわよ。竜盤型とはいえ所詮自律式だから、甲冑式を着こんだ君をそう易々(やすやす)と傷つけれない。好きなだけ尻込みしなさい。それでも君は無事だから」
――俺は? どういう事だ?
――「隣の娘は巻き添えを食らうかもね」
その声が艶めかしい色を帯び、晶光の頭に血が上った。
竜盤型異形がその顎で晶光の頭を噛み砕こうとしてくる。
しかし、晶光は逆に頭突きをして、相手を怯ませる。
そして、あの声に従って、そのまま両腕を捩じ切った。
……そう、捩じ切れたのだ。
いずれにせよ、これで竜盤型異形は戦闘力のほとんどを失った。
しかし、晶光は容赦しなかった。そんな余裕はなかった。
相手の胴体へ全力で膝蹴りを放ち、打ち貫く。
当然、竜盤型異形はガクガクと震えた挙句、動かなくなる……だけではなかった。
その巨体がドロドロと溶け出し、ブクブクと泡を立て始めたのだ。
文字通りの【融解】で、液状化し、気体化し……。
いや、【融解】していったのは竜盤型異形だけではなかった。
「お、俺の身体も……」
溶けていた。あの竜盤型異形も溶けていて、戦闘能力を喪失しているのはありがたいが、いずれも【融解】が止まらない。
よく見れば、あの蜥蜴に似た異形の死体も、溶けていき、さらには【融解】していく。
「うわああああああああっ……!」
「晶兄いいいいいいいいっ……!」
結局――『異形』はすべて【融解】した。
森には、制服姿の晶光とツツジの二人だけが残ったのだった。
***
そして、晶光とツツジが現実を受け容れきれないまま、晶光の部屋へ戻ると――
「あら、おかえりなさい」
件の金髪美少女アストリッドが寝台の上で文庫本を読んでいた。
***
「……!」
「うわ、ほんとに金髪さんだ!」
晶光は絶句し、ツツジは感動していた。
「あのさ。東方晶光クン、これ君の本棚の奥に隠してあったんだけど」
アストリッドはあの日と同じスキニージーンズとタンクトップだ。
そんな彼女は立ち上がる。
その上で、優雅に文庫本――正確にはコバルト文庫を掲げて言う。
「『マリア様がみてる』って、どういう事?」
「き、貴様……っ!」
この金髪美少女、よりにもよって、ツツジの前でとんでもない事を言いやがった。
「しかも、布団の下には『百合姫コミックス』が敷き詰めてあったし……」
「だ、黙れ……!」
「男の子なら、『仮面ライダー』とか『強殖装甲ガイバー』にしておきなよ。そうすれば、あたしも説明し易いのに」
「あ、『マリア様がみてる』に『百合姫コミックス』ですか」ツツジが微妙な顔をした。
「そうなの。男子中学生なんだから、こういうところにはエロ本が隠してあると期待していたのにさ。もう、がっかりだわ」
挑発されている事はわかっていた。が、我慢できなかった。先程の異常事態に興奮していた上、部屋を荒らされたのだ。忍耐にも限度がある。
晶光はアストリッドへと腕を伸ばす。襟を掴んだ上の足払いで、床に引き落とし、その顔の隣に脅しの一発を入れてやる……つもりだった。
次の瞬間――
床に叩きつけられたのは晶光の方だった。
「はい。一本(Ippon)」
アストリッドの言う通りだった。晶光は綺麗に一本背負いをされたのだった。
――こいつ、柔道経験者か……?!
「でも、そこのお嬢さんみたいに可愛い娘を連れ込んで、二人きりになろうってところは、お猿さんね」
――畜生……!
晶光は屈辱に身を震わせた。いや、正直、恐ろしかった。
――音も痛みもほとんどなかった……!
晶光は派手に投げられた。そも受け身が上手いわけでもない。その上でなお、この有り様。つまり、アストリッドの力量が卓越しており、その上で手加減されたのだ。
一方で、ツツジは「え、可愛い? それ、私の事ですか?」と頬を染めていやがった。
――おい、俺が投げ飛ばされた事を気にしろよ。
「ええ。それじゃあ、改めて、はじめまして。あたしはアストリッドよ」そこで、彼女は何故か本棚をちらりと見た。「アストリッド・ラーゲルレーヴ、十五歳」
「わ、私、三葉ツツジ、十三歳です」
ツツジはあっさり本名を明かした。……こいつ、美人を前にして舞い上がっていやがるのか……?
「それで、君が東方晶光クン?」
アストリッドは晶光を見下しながら、確認する。
「にしても、東方晶光って、随分とキラキラした御芳名ね」
「やっぱりそう思います? 私も芳しいというよりは輝かしい名前だと思うんですよ」
女子同士で意気投合しやがって……!
晶光はその隙にアストリッドから距離をとる(アストリッドならば、完全に固める事もできたはずだ。これが油断によるものか、あえて余裕を見せたのかは、わからなかった)。
そして、携帯端末を取り出し、撮影機能を起ち上げ――。
すかさず、パシャパシャとアストリッドを写真に収める。
「……肖像権の侵害よ」
「黙れ、不法侵入者。警察に通報するぞ」
この時の晶光は冴えていた。
これで、かねてから問題だった『謎の金髪碧眼美少女アストリッドの実在』をちゃんと証明できるのだ。一介の男子中学生に高度な画像加工技術がないことは自明だ。ツツジの証言も合わせれば、なおの事。警察もただの悪戯とは考えないはずだ。
しかし、アストリッドは冷静だった。
「ふうん。逆に言えば、君たち、まだ通報していないんだ」
「……っ」
晶光は一瞬たじろぐが、踏み止まった。
「あの『異形』とやらも幻覚なんかではない。実際、俺には粘液が残っていた。……すぐ【融解】したが、この制服には成分が残っているはずだ」
「その粘液ベトベトで糸を引くってのも、あたしみたいな美少女がやってこその名場面。君みたいな野郎がやってもね」
「茶化すな」
「とりあえず、その制服を証拠に差し出しても無駄よ。《異形細胞》も代謝が激しいから、とっくに水と窒素と二酸化炭素に分解されているわ。仮に君の制服から残留物を探しても、せいぜい、『水をかぶった』痕跡しか見当たらないでしょうね」
「なん……だと……?」
「……君のためにも忠告しておく。警察に証拠を差し出すなら、あたしの写真だけにしておきなさい。あたしの写真だけなら、君は信用される。けど、《異形》の話を持ち出せば、君は信用されなくなる。警察に限らず、それがまともな大人の判断だから」
「脅迫するつもりか?」
「事実の指摘よ。脅迫というのはね、事実を指摘している者と事実を発生させている者が同一である時に使う単語よ。でも、今のあたしは事実を指摘している者であって、事実を発生させている者ではない」
「……回りくどい事を……!」
「あら? あの《異形》はあたしが作ったとでも? たしかに、あたしはとっても優秀な美少女だけど、所詮は一個人。その能力には限界があるの。それは義務教育を受けている中学生なら、理解できるしょう?」
それとも君は『この怪奇現象は【魔女】が引き起こしたに違いない!』とほざく中世人なのかしら?――とアストリッドはせせら笑った。
晶光が苛立っていると、ツツジが素直に訊ねる。
「あの、アストリッドさん。それは私たちが見たあの怪物――《異形》とやらは【融解】した後、直接的な痕跡をほとんど残さないという事でしょうか?」
「ええ、その通りよ。それが《荒夏》が秘密結社でいられる理由の一つ」
アストリッドは打って変わって、誠実に答えた。
「おい、何だよ、その秘密結社って……」
「順番を決めましょう」
アストリッドは晶光の台詞を断ち切る形で提案する。
「三人で言い合いになったら、混乱するわ。発言棒制度の様に一人一つずつ質問していくのはどう?」
「何故、俺が不法侵入者に従わねばならん……!」
「嫌なら、あたしは出て行く。いかが?」
「……」
晶光は黙考し、決断した。
「……いいだろう。三人で一つずつ質問をしていこう」
アストリッドは「ええ、お互いに情報共有しましょうね」と邪悪に微笑んだ。……この女にのせられているのはわかっている。が、それでも、情報が欲しかった。それに晶光とツツジは二人だが、アストリッドは一人だ。質問回数は晶光とツツジが有利になる筈だ。
「では、俺から、質問させてもらう」
「ええ、どうぞ」
「俺たちを襲った化け物と、俺の中から出てきた化け物は、何だ?」
「質問が抽象的な上に、一つではない気がするけど?」
「早く答えろよ」
「うん。君、悪くないわ。ええ、共に《異形》よ。君たちを襲った化け物も、君の中から出てきた化け物も《異形》――秘密結社《荒夏》の被造物たる疑似生体兵器の《異形》」
「やはり、同類なんだな?」
「その通り。まあ、見た目も似ているし、あたしも遠回しに伝えてきたから。気付くのも無理ないか」
「じゃあ、あれは……」
「じゃあ、次はあたしが質問するわね」
アストリッドは強引に発言権を自分のものにする。
「東方晶光クン、もしかして、空手とかやってなかった?」
「……それは……」
「あ、やってました。やってましたよ。実は晶兄ってば、昔は空手で結構いいところまで行っていたんですよ」
ツツジはあっさり晶光の個人情報を開陳しやがった。
「なるほど。それで何故今はやっていないの?」
「晶兄ってば、こんな小柄でしょう? グローブありの顔面ありだと、さすがに体格差で負けちゃって。まだ背は伸びるから、辞めない方がいいって、私は言ったんですけ……」
「女は黙っていろ……!」
晶光はツツジへ向かって怒鳴りつけた。
ツツジは「ぶー。晶兄ってば、都合が悪くなると、いつもそれだー」とこぼす。
そして、アストリッドへ向けて尋ねる。
「何でわかった?」
実のところ、晶光は経歴を調べられている事を覚悟した。それなら、晶光に空手経験がある事は明らかだ。
ところが、アストリッドの答えは違った。
「動き……かな? あたし、空手美少女とか、好きだから」
「俺は男だよ」
「だから、残念なの。女の子ならよかったなーーってね」
そう言って、アストリッドは肩を竦めた。ツツジと違ってこういう挙措も自然に映える。それこそ、アメリカの少年少女っぽい仕草だった。
しかし、こうして見ると、目の前の金髪碧眼美少女は雌豹を思わせる風格の主である。少なくとも、犬か猫かと聞かれれば、猫だ。野性を捨てられず、家畜に成りきれない獣の娘である。
「じゃあ、次は私ですね」
「ええ、ツツジさんの質問になら、あたしは何でもお答えするわ」
「ズバリ! アストリッドさんのスリーサイズは?!」
……こいつは何を質問してやがるんだ?
「上から、88、59、85よ」
……こいつも何を即答してやがるんだ?
晶光の『初対面でスリーサイズを説明する女なんていないだろ!』というツッコミすら間に合わなかった。
しかも、アストリッドはさらに凄まじい事を言い出した。
「あら、ツツジさん。あたしの胸、触りたいの?」
「ふえっ?!」
「貴様は何を言っているんだよ!」
「い、いいんですか?」
「お前も何を言っているんだよ!」
「だって、ツツジさんってば、さっきからチラチラとあたしの胸を見ているでしょう? もしかして気になるのかなと思ってね」
そう言って、アストリッドは綺麗な形の自身の双丘を指差す。
すると、ツツジは即座に駆け寄る。
「じゃあ、是非!」
「はい。どうぞ」
アストリッドは両腕で両胸を挟み、わざわざ乳房の巨きさを強調して、ツツジの眼前に差し出す。
そして、ツツジは欲望に忠実だった。
異性間なら即通報という勢いで掴み握り揉みほぐす。
「ふわあ……やっぱり凄いですねえ。これ」
「大きい胸って面倒臭いわよ。長い髪と同じでね」
「あ、やっぱり、長髪って面倒臭いんですか? 私、あんまり伸ばした事がなくて……」
「うーん、さすがに洗うのは手間かな? あとは夏暑いのと御不浄?」
「……日々の手入れは?」
「正直、あたし、その辺りは手を抜いている。前髪だけ整えて、後は伸ばすに任せているって感じ?」
「……むしろ、その胸の方が邪魔になると?」
「うん。小さい時は、無頓着に扱ってもよかったけど、大きくなると、ちゃんと管理しておかないと、形も崩れちゃうし」
「それだけの価値がありますよ。私なんてアンダー65のAだから、羨ましいです」
「あら、アンダーは同じなのね。ちなみにあたしはEよ」
――こいつら、俺がいる事を忘れていないか? それと、ツツジはAカップだったのか……。そうか、Aカップ……。
「ところで晶光クンはこちらをガン見しているみたいだけど、羨ましいのかしら?」
「ふ、ふん。め、目の保養してやる!」
「へえ、君、そう言う目で見ているんだ?」
「うわー、晶兄、最低―」
「なんで、俺が責められる流れなんだよ!」
晶光は思わず怒鳴った後、少し頭を冷やした。
そうだ。こんな下らない事に(いやまあ、ツツジがAカップというのは実に重要な情報だったが)時間を費やしている場合ではない。
「次は、俺の質問だ」
「ええ、どうぞ」
アストリッドはゆっくりと晶光の方に向き直り、ツツジは名残惜しそうにEカップから手を放した。
「……き……」
貴様は何者だ?――と聞こうとし、晶光は止まった。『アストリッド・ラーゲルレーヴ、十五歳。身長は○×で体重は○×で、スリーサイズはさっき言った通り上から……』とか返されたら、目も当てられない。
晶光は頭を振って、問い質す。
「貴様のせいで、俺達はこんな目に合っているのか?」
「ええ、そうよ。聞いたわよね?――『付き合って』ってね」
「……!」
「君は『嬉しい』と言ってくれたわ。あの時もこの胸をガン見して、鼻の下を伸ばしてさ」
アストリッドは両腕を交差させ、今度は己の乳房を自分の手で揉み始めた。
晶光も今度こそ本気で殴りかりそうになった。
その時――。
「晶光、夕飯よー。早く来なさーい」
母親の声が晶光の自室の二階まで届いた。
「「「……」」」
最初にアストリッドが口を開く。
「行ってきなよ。家族の食卓は代え難いものだから」
「……行っていいんだな?」
「勿論よ。君はそれなりに聡明そうだからね」
「……どういう意味だ?」
「軽率な行動は慎んでくれると期待できる。ま、そういう事よ」
「…………」
晶光が黙り込んでいると、アストリッドは立ち上がって晶光に近づく。
そして、晶光の耳もとへ、晶光にだけ聞こえる声で、囁いた。
「あたしは君の住所氏名年齢から家族構成まで把握しているって事、君が知らないような親戚や遠縁に至るまでね」
「貴様……!」
晶光は反射的にアストリッドの襟元を掴む。
――? 掴めた!
やっと巡ってきた反撃の機会に晶光が興奮していると……。
「あ、でも食事前に」
と、アストリッドが晶光は胸元をとんと叩いた。
視線を下げると、アストリッドが何かを晶光の胸元へ刺し込んでいた。
「うわああっ」
晶光は驚いて、後ずさる。これも痛みがなかったが、何かを刺されたのは間違いない。
「ちゅ、注射器……?」
今時の注射器は服の上からでもほぼ無痛で機能する。
実際、アストリッドの手にあったのは、最新の型式に見えた。
「な、なな何をした?!」
「ビビらない。ただの成分採取よ」
「せ、成分採取?」
晶光はそこで気付いた。アストリッドが刺し込んだ部位は、あの時、晶光か『異形』が飛び出た場所だった。
アストリッドは手早くそれを抜いて、採血管らしきものを外した。さらにいつの間にか持ち込んでいた背嚢から、汎用端末(PC)と小型の分析装置らしきものを取り出す。採血管を分析装置に取り付け、さらに汎用端末(PC)と有線接続する。
「な、何をしている?」
「成分採取をしたんだから、成分分析に決まっているでしょう?」
「晶光、夕飯よー。何度言えばわかるのー。騒いでないで早く来なさーい」
アストリッドの落ち着いた声の後に、母親の間延びした声が続いた。
晶光は無性に腹が立った。晶光は母の飯に文句を言ったことはない。物心ついて以来、飯を作って貰える事にいつも感謝しているし、常にそれを口外もしている。
だと言うのに、母は晶光が食事時刻に一分遅れる事すら我慢ならないらしい。母自身の夕飯完成時間なんかはころころ変わるのに!
言っておくが、母の夕飯完成時間がころころ変わる事を責めるつもりはない。母にも、事情があるのだろう。食べさせてもらえるのだから、ありがたい。いつも、そう思ってる。そう、いつもはそう思える。
しかし、今日ばかりは無理だった。
こっちは今、取り込み中なんだよ!!
晶光は汗びっしょりなのだ。
先程から、投げられたり、刺されたり、踏んだり蹴ったりなのだ。
しかし、アストリッドは淡々と言う。
「さ、あたしは君の健康診断をしているから、君はママの手料理でも食べてきなさいな」
***
晶光は家の階段を極力ゆっくり降りながら、ツツジに訊ねる。
「どう思う?」
「どう思うって……凄い美人さんだったね。スリーサイズも漫画みたいな数字だったし」
「阿呆。俺達は脅迫されているんだぞ」
「しかも、金髪。上から下まで綺麗なゴールデンブロンドだった。あれ、ひょっとしたら、地毛かもね」
「そんな事はどうでもいいだろう!」
晶光は苛々(いらいら)していたのだと思う。だから、声音も荒っぽかった。
実際、屈辱に身を震わせていたのだ。
あのアストリッドには勝てない。どう足掻いても勝てない。
体格とか、体重とか、そんな言い訳が通用しない程に……、
あのアストリッドの方が強い。
それをわかってしまっていたのだ。だから、
――畜生。あの時の、あの《異形》の力があれば……!
そんな倒錯した腹立たしさすら覚えていたのだ。
今すぐ110番通報して……駄目だ。あのアストリッドの言う通り、いたずら電話だと思われる。
一方で、ツツジは
「そんなに気になるなら、とりあえず。おじさんおばさんに相談してみようよ」
と、能天気に言ったのだった。
――お前、本気で言っているのか!?
いや、ひょっとしたら、ツツジはわかっていないのかもしれない。
――相談したら、俺の両親はあのアストリッドに殺されるかもしれないんだぞ!!
***
夕食は和気藹々と過ぎた。
そもそもが母がツツジに夕食への同伴まで薦めたぐらいだ。
ツツジも形式上の遠慮こそしたが、母が三葉家へ電話で根回し済みである事を伝えると、すぐ態度を切り替えて、椅子に座ったのだった。
――二階の俺の部屋であのアストリッドが何をやっているのか、気にならんのか!?
それとも、晶光が小物でツツジが大物ということか?
いずれにせよ、ツツジは母の手料理を心底美味しそうに平らげたのだった。
実際、母のシャリピアンステーキと――その出し汁とチリワインと醤油と味醂と柚子を炒めたソースは凄まじく白米に合っていた。
***
そして、食後にツツジと共に二階の自室へと戻ると、アストリッドの姿はなかった。
「くそ、逃げられたか……!」
「いやあ、これは見逃してもらったんじゃないの?」
晶光は憤慨したが、ツツジは冷静に言った。
「まあ……あいつ絶対、柔道とかをやってそうだしな」
「路上で柔道はマジヤバイ?」
「……お前の趣味って、やっぱりアレだな。さっきも思ったが、相も変わらず『ホーリーランド』とか好きなんだろう?」
「女の子ばっかり出てくる漫画は、晶兄の部屋で読めるからねー」
ツツジはけらけらと笑った。晶光は気恥ずかしくなって話を変える。
「これは受け売りだがな――実戦的な技ほど、実践的な技ではない。その点で、空手家は柔道家に勝てないと思う」
「……?」
「つまりだ。空手家がいざ実戦ともなれば、相手の顔を全力で殴らざるを得ない。しかし、現実に他人の顔を全力で殴ったらどうなる?」
「大怪我?」
「そうだ。しかし、柔道家の投げ技ならどうだ?」
「下がアスファルトとかだと洒落にならない気が……」
「ああ、勿論、怪我の危険は付いて回る。しかし、上手くやれば、無傷で無力化できる。……実際、あいつに投げられた俺はピンピンしている」
「そのココロは?」
「ちゃんとした練習ができる」
「おおー」
「いや、これ、マジだからな。練習の度に大怪我の危険が付きまとうのではちゃんとした練習ができない。柔道が凄いのは非殺傷で相手を無力化し易い点。故にこそ、ちゃんした練習ができる。空手を含めた他の武道や武術は実戦に近づくほど、事故の危険性が増して、練習が難しくなる。そして、練習していない奴が強くなれるはずがない」
「あれ? 柔道でも時々は死亡例がない?」
「まあな。しかし、熟練すれば熟練するほど、そういったリスクを減らせるのも事実だよ。一応、他の武道や武術にも似たような部分はあるだろうがな」
しかし、それでも柔道には及ばないと思う。
仮に、柔道有段者同士で試合をして、深刻な事故が起きたとする。加害者は起訴され、裁判官は詰問する。『素人同士でもないのに、何故、こんな事故が起きたのです?』――と。
これこそが柔道の凄さだ!
晶光は、空手家の端くれでありながら、柔道の技術体系には敬意を抱かざるを得ない。
門外漢の裁判官ですら、理解しているのだ。
卓越した柔道家なら、他者を傷付けずに済むはずだ――と。
極めるほどに、人を傷つけずに済む。まさしく『武』の理想である。
……しかし、晶光は、そんな憧憬を隠し、淡々と語る。
「剣術や剣道で考えろ。竹刀や防具や発明されてから、一気に進歩した。安全が確保され、本気で練習ができるというのは、それだけ長所なんだよ」
「そうなの? 漫画とかだと、竹刀とか防具を使わない実戦的な古流の方が強かったりもするけど……」
「それこそ、漫画の中の話だ。勿論、闘争の術だからな。多少の荒っぽさは必要になる。けどな、『実戦的だから、練習できません』なんて流派が強いはずがない」
実際、幕末の頃にそういう『実戦的な古流』と『竹刀剣術』が戦った事はあるらしい。が、結局は『実戦的な古流』とやらのボロ負けだったそうだ。
「……じゃあ、何で、晶兄は空手やっていたの?」
「そりゃ……」と、そこで晶光は口籠った。「言いたくない」
「ええー」
「ただ、空手の名誉のために言っておくぞ。俺がコテンパンにやられたのは空手と柔道の差ではない。あくまで、俺とあのアストリッドの差だ。俺が未熟なことを棚に上げても、あのアストリッドは……」
晶光は先程から、投げられたり、刺されたり、踏んだり蹴ったりだった。
しかし、一貫して痛みがほとんどなかった。まさに活殺自在・神武不殺である。
改めて汗が出る。それも冷や汗の類だ。
「……あのアストリッドは『有段者』な気がする。それも昔気質な」
「へえ、やっぱりそんなに強いんだ」
ツツジは素直に称賛していたが、晶光はむしろ嫌悪していた。
この柔道最強論も竹刀剣術優越論も、そのほとんどが刑部先輩の受け売りである。
しかし、そんな刑部先輩はこうも言っていた。
――『昔は、一人を斃して一段、二人を斃して二段と言ったらしい』
それが意味するところは一つだ。
――あの女は何人も殺している気がするんだよ!
***第二話 謎の秘密結社《荒夏》!?
翌日――。
晶光とツツジは何事もなく、共に登校し、共に授業を受けた。
先日の事を忘れたわけではない。むしろ、先日の事を忘れられなかったからこそ、共に通学したのだ。
中学校という目撃者多数の公共空間なら、相手が誰でも手が出し難いだろう――という判断だ。
そして、下校中――。
ギリギリまで行動を共にするため、晶光とツツジは一緒に帰宅しているのだが……。
「アストリッドさん、あれから来てくれないね」
「来なくていいんだよ、あんなヤツ。つーか、ツツジ、お前は本気で言っているのか?」
「本気って何が?」
「だから、あのアストリッドにまた会うような目に遭いたいのか?」
「晶兄は来て欲しくないの?」
「来て欲しいわけないだろう。あいつさえいなければ、俺たちは平穏無事な日常を送れるんだぞ」
「んー? それはちょっと論理が飛躍していない?」
「いや、しかしな……」
「そも晶兄だって、アストリッドさんみたいな美人さんと会いたいでしょう?」
「阿呆か……! いくら美人でもあいつは……その怪しいし、危なさそうだろうが……!」
「あー、美人というところは認めるんだー。ふーん。へー。なるほどねえ……」
そう言って、ツツジは目を細めて、こちらをじっーと見つめて来る。
晶光は頭を抱えたくなった。
いつもなら、ツツジのこの鷹揚さは頼もしいと思える。と言うか、今も少し頼もしい。こうやって、男子の晶光と女子のツツジが四六時中べったりしていれば……ま、さすがに色々とある。しかし、ツツジは泰然自若とした振る舞いを続けてくれる。
――ツツジの器量には助けられている。
と、思う事は多い。が、その一方で
――しかし、いくらなんでも、危機感が足りないだろう!!
という苛立ちもある。実際、晶光は歯を食いしばっていた。
考えて欲しい。晶光は昨日、異形の怪物に襲われたり、異形の甲冑に鎧われたりした。ツツジだって、そんな晶光の傍にいたのだから、危険と隣り合わせだった。そして――。
「あのアストリッドがあの異形の事態と関わっている事は、疑う余地もないだろう?」
「ん? だから?」
「なら、普通はあの金髪と……」
晶光がそう言いかけたところで、ツツジは足を止めた。
少し遅れて、晶光も気付く――道を遮るように黒服の男が二人で立っていた。
「東方晶光君に、三葉ツツジ君だね?」
男の一人はそう言って、黒革の手帳を懐から垣間見せた。
「警察だが、聞きたい事がある。同行を願えないかね?」
***
晶光とツツジはなし崩しに、二人に付いて行く事になった。
「そのまま、昨日の件でいくつか質問に答えて欲しい」
男二人は共に黒い背広姿で、体格も悪くない。たしかに『私服刑事』という感じ――まあ、晶光がこの場で殴りかかっても勝てそうにない。まして、女子中学生の中でも特に小柄なツツジが隣にいるのだ。
「昨日の件というと?」
「君達の通っている学校裏の山林に、大きな杉の木があるだろう? というか、昨日まであったろう?」
「ええ、まあ、知っています」
「ほう、では、私が過去形で補足した理由も知っているのかね?」
「え……」
晶光は言葉に詰まった。
その一方で男の――黒い背広姿は滑らかに言葉を続ける。
「私もこの辺りの生まれでね。あの杉の木の事も知っている。しかし、位置的に君たちの中学から、そう目立つものではない。現にこれまで何人かの同級生に聞いてみたが、あの杉の木が折られている事は、まだ誰も知らなかったよ?」
「お、折られているって、まるで何かがあの杉の木を折ったみたいな言い方ですね?」
晶光の声は震えていたと思う。今更だが、あの杉の木を薙ぎ倒した『異形』が恐ろしくなったのだ。
しかし、相手の興味は別のところにあったらしい。
「『何か』? 『誰か』ではなく? あの杉の木は『誰か』ではなく、『何か』に折られた事を知っているのかね?」
「そ、それは……」
「すみません。その前に警察手帳の中を見せてもらえませんか?」
と、そこでツツジが口を挟んだ。
「どういう意味かね?」
「質問の仕方が不自然です。まるで出来の悪い素人小説のように不合理です。現行の警官向け職務質問手順書などから大きく逸脱しています」
何故、そんなことがツツジにわかるのか?――どうせ、その手のマンガかラノベからの知識だろう。
すると、男はバツが悪そうに頭をかいて言う。
「いやはや、耳が痛い。しかしね、現実問題、我々、現場の人間に手順書を熟読する暇はないんだよ。それに手順書通りのやり方では……」
「でしたら、警察手帳の中身を見せて下さい」
「……何か勘違いをしていないかね? 我々は君たちの味方になりたいと思っているよ。君たちだって……」
「でしたら、警察手帳の中身を見せて下さい」
ツツジもまた震えていた。
しかし、それでもなおツツジは返答を求めた。
……それはたしかに不自然で不合理だった。
二つ折りの警察手帳の中には、警察官の氏名や証明写真があると聞く。ところが、この二人は警察を名乗りながら、それを見せようとしない。いや実際、その手続きを省略する事はあるのかもしれない。しかし、ここまで頑なに拒む理由はない。
……本当に晶光たちの味方になりたいのなら――。
「「……」」
二人組の男は沈黙し、晶光らとの間に不穏な気配が漂う。
――おいおい、冗談だと言ってくれよ。
繰り返すが、男二人は共に黒い背広姿で、体格も悪くない。たしかに『私服刑事』という感じ――まあ、晶光がこの場で殴りかかっても勝てそうにない。ましてや、女子中学生の中でも特に小柄なツツジが隣にいるのだ。
しかし、時間稼ぎぐらいはできる。
晶光は改めて周囲を視線で確認する。
「おい、お前らっ」
と男の一人が晶光たちに手を伸ばす。
「ツツジっ! 逃げるぞっ!」
晶光はそう言って、ツツジの手を引いて駆け出す。
こんな時だが、その手は柔らかかった。
「ガキどもがっ」「逃げられると思うなよっ」
二人の男は、警官とは思えない柄の悪さで、追いかけてくる。
勿論、逃げ切れるとは思っていない。
ただし、第三者の介入を期待してはいる。
――護身の基本は逃げる事! そして、助けを求める事!
(勿論、真の護身とはそもそも危険に近づかない事であり、のこのこ付いてきてしまった時点で大失敗なのだが……)
大人の男二人が中学生二人を追い掛け回しているのだ。しかも、そのうち一人は女子である。人通りの多いところまで出れば、見て見ぬふりをする者ばかりでもあるまい。直接助けてはくれないまでも、(本物の)警察への連絡はあり得る。それを恐れて連中が手を引く事はもっとあり得る。
が、人通りまで、あと一歩というところで、晶光は足を止めた。
「晶兄っ?」
ツツジが疑問と抗議の声を上げる。
実際、この時、晶光は自分が何故足を止めたのかわかっていなかった。
しかし、理由はわからずとも、正しい判断だった事は間違いない。
次の瞬間、巨大な爪が前方の虚空を割く。
晶光たちがあと一歩足を進めていたら、この爪の餌食だったろう。
そう、それは蜥蜴のように四足爬行する『異形』の化け物だった。尾はなく、鱗もなく、毛もなく外骨格もない。全長は2メートル程で、脚部は胴体より太く、剥き出しの筋肉に脈打つ血管。そして、鋭利で巨大な爪の持ち主。
――疑似生体兵器《異形》!
あのアストリッドの台詞が嫌でも甦る。
それもよく見れば、一匹ではない。物陰から、二匹、三匹とあらわれる。
「ふん。もう逃げられんぞ……!」
男の一人が高らかに言い放つ。
「……!」「……!」
晶光とツツジは黙り込まざるを得なかった。実際、こんな『異形』の化け物に勝てる気がしない。というか、人間は同じ体重の犬にすら勝てない生き物だ。
「言っておくが、そいつらは俺らに従う調整がされている。逆らうなら、容赦しない」
疑う理由はなかった。
その《異形》は計三匹いたが、三匹ともよく躾けられた狩猟犬のような動きで俺達を囲んでいたからだ。
「……蜥蜴型異形を初めて見たわりに冷静な反応だな?」
「あ、それは……」
晶光はまた失態を犯していた。見れば、ツツジも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「やはり、二人とも《異形》を以前にも見た事があるな?」
じりじりと《異形》が晶光達に近寄ってくる。
「どこで知ったのか、教えてもらおうか? さもなくば、『死』んもらおうか?」
男の一人が狂気と興奮がこもった言葉を口にした。
三匹の《異形》は指令単語を受け取った狩猟犬のようにその身を震わせる。
殺気。そう抽象表現するしかない雰囲気を《異形》計三匹が纏ったのだ。
――死ぬ。死んでしまう。
――あの《異形》の爪で、あの《異形》の牙で、切り裂かれ、噛み砕かれてしまう。
――俺は、いや、ツツジも、ここで殺されてしまう……!!
次の瞬間――。
胸の奥に違和感が生まれた。
しかし、その違和感には覚えがあった。
それは晶光の身体の中で蛇が蠢くような苦痛でもあった。
「! ツツジ、あの時と同じだ」
晶光の声を聞いて、ツツジは「ええっ?」と驚きながらも、一足飛びで晶光から離れた。
何だかんだで冷静な判断だ。やはり、ツツジの肝っ玉は頼もしい。
それを見て、晶光も肝が据わった。
だから、胸元からの激痛にも無言で耐える事が出来た。
後は前回と同じだ。
晶光の胸から飛び出た赤黒い触手が、蜥蜴に似た《異形》の一匹を串刺しにする。
胸部から伸び出た触手は上下左右四方八方に広がる。
串刺しだった《異形》の四肢は四散し、辺りには異形の肉片と粘性の体液が飛び散る。
その放射状に広がった触手が、今度は晶光の方へと殺到する。
そして、晶光の躰を鎧い包み込む異形の甲冑を成していく。
――せ、『セーラームーン』の変身バンクに似ているな。
晶光は唐突にそんな事を思った。
あのアストリッドは『仮面ライダー』とか『強殖装甲ガイバー』とか言っていた。――なるほど、異形の質感は『仮面ライダー』とか『強殖装甲ガイバー』のノリだ。しかし、この過程は『セーラームーン』だった。【胸元にある何か】から、触手が生え伸び出し、その触手が晶光を鎧い包み込む異形の甲冑を成していくのだ。
しかも、
――前回ほど、苦しくない。
それは、覚悟云々の問題でもなかった。触手が胸部を食い破って出てきたはずなのに、今度は出血もほとんどない。痛みも少ない。前回、あれほど辛かった息苦しさも乏しい。生体組織を作り変えられるような恐怖は皆無に近い。
――順応しているのか?! それも、急速に!?
しかし、晶光よりも驚いた奴らがいた。
それは、この『異形の展開』に巻き込まれないように距離を取ったツツジではない。
晶光達を追ってきたはずの男二人だった。
「かっ、甲冑式異形……だと……!?」
その言葉に、少し離れていたツツジが指摘する。
「……晶兄、晶兄を包んでいるそれ、カッチュウシキイギョウらしいよ。文脈から考えて、多分、普通名詞だと思う」
一方で、串刺しにされた《異形》はガクガクと震えた挙句、やはり動かなくなった。
それを視界に収め、晶光も少し冷静になる。正確には晶光を鎧う異形の超感覚の力もあったのだが、この時はそこまで頭が回らなかった。
「カッチュウシキイギョウ……これが『甲冑式異形』……。ああ、それでその蜥蜴みたいのが『蜥蜴型異形』というわけか……」
そして、晶光は残り二匹の敵性蜥蜴型異形に目を向ける。
奇しくも、襲い来る異形の怪物に、晶光は異形の甲冑を鎧って立ち向かう構図となった。
異形の細胞同士が共鳴しているのかと思ったぐらいだ(その誤解が解かれるのはやはり後になるが)
男が叫ぶ。
「こ、殺せ! ……い、いや、その小娘だ。そうだ。化け物ではなく、その小娘を狙え!」
化け物って、晶光の事だろうか?
とはいえ、残り二匹の異形にツツジを狙わせるらしい。
晶光はそれを耳にして、最短最速で異形のトカゲモドキの懐へ飛び込む。
……つもりだったが、トカゲモドキの懐を飛び越してしまった――異形を身に纏った晶光は脚力も大幅に増大していた――が、かえって、トカゲモドキの死角に位置取れた。
晶光は振り向き、半ば反射的に正拳中段逆突きを繰り出す。
それは伏せる蜥蜴型異形を狙い撃つのに最適な一撃でもあった。
ほとんど偶然だったが、晶光の突きは見事に直撃――やはりその感触は生卵を砕く程度でしかなかった。傍目にも強靭そうな《異形》の細胞組織を打つ感触ではなかった。
二匹目を撃破。
「う、うわああああ」
この時点で男二人は逃げ出していた。
何となくわかってきた。この二人の錬度は高くない。
多分、ツツジ好みの漫画でいう『脅かし役』なのだ。
それでも、残り一匹の《異形》は男二人の退路を陣取った。
躊躇なく殿をつとめる辺り、やはり、蜥蜴というよりも忠犬を連想させる。
晶光は威嚇の意味を込めて、わざと大袈裟に右足を大きく踏み込む。
野良犬ならこれで逃げ出すはずだが、そいつは逆に晶光へ飛びかかってきた。
「ちっ」
相手の爪牙が怖かったので、反射的に頭部(急所)を隠せるように、
「セイッ!」
晶光は後ろ回し蹴りを繰り出す。
凄まじい速度と威力の踵が、最後の《異形》を射抜く。
後は以前と同じだ。
ガクガクと震えた挙句、動かなくなる……だけではない。
三匹の『異形』がドロドロと溶け出し、ブクブクと泡を立て始める。
文字通りの【融解】で液状化し、気体化し、消えて行ったのだ。
一方、男の方はそのまま見逃す事になった。
――追えば、殺せる。……殺さざるを得ないかもしれない。
それがわかっていたから、追わなかったのかもしれない。
だから、晶光はその場で立ち竦んだ。
晶光を鎧っていた異形の甲冑が【融解】し始めたのは、それからしばらくしてからの事だった。
***
***
***
「ヘタレ。こういう時は殺しておかなきゃ。というかさ、セーラームーン? 何それ? 水兵・月(sailor・moon)なんて、意味不明じゃない?」
まず、アストリッドは呆れた。
「にしても、《荒夏》も堕ちたわね。あんたらみたいなチンピラを雇った上、警察手帳の偽装一つ満足にできていない」
次に、アストリッドは嘆いた。
「もしかして、あたしのせいで混乱しているの? ねえ、教えて欲しいんだけど」
そして、アストリッドは触手を展開し、後始末の準備を始めた。
「素直に吐けば、12時間以内に殺してあげるわ。男の悲鳴には需要も興味もないしね。……でも、シラを切るなら、あの女みたいに72時間は飼い殺してあげる。いかかが?」
背広姿の男二人はひきつった笑みを浮かべたが、少しは感謝して欲しいと思う。
アストリッド十五歳という類稀な美少女に弄ばれつつ、その下らない人生を終えられるのだから。
***
***
***
翌日、やはり、晶光は校内でツツジと話していた。
「……なあ、ツツジ。連中、あれで諦めると思うか?」
「――連中自身はともかく、連中の背後にいる勢力組織は諦めないと思う」
「……やっぱり、あれで終わりじゃないよなあ……」
晶光は暗澹たる気分になったが、ツツジは淡々と指摘する。
「《異形》だっけ? 間違いなく、アレらには共通する技術基盤があるわ。蜥蜴みたいに四足で歩いていたヤツにも、竜盤類みたいに二足で歩いていたヤツにも……晶兄を包み込んだアノ……」
「『甲冑』みたいなヤツにも?」
「うん。別々の基盤から、偶然、ほぼ同時に生まれたと考えるよりは、共通する基盤から別々に派生していったと考える方が自然だと思う」
「そんなもんか? ……いや、そんなもんかもなあ」
晶光は認めざるを得なかった。たしかに、晶光を襲ってきた怪物も、晶光を鎧っていた甲冑も、等しく『異形細胞』という感じのシロモノで構成されていた。
あの時、ツツジはその『異形細胞』の残骸を分析しようとした。具体的に言うなら、予め持っていたというミネラルウォーターのペットボトルを、その場で空にし、晶光を鎧っていた甲冑や、晶光を襲ってきた怪物の『残滓』を頑張って詰め込んだらしい。
で、家に帰って、その残滓の成分分析をしたらしい。結果は
――「水と窒素と二酸化炭素が主成分だね。……そういえば、アストリッドさんも似たような事を言ってたっけ?」
とのこと。実はペーパースキャナー感覚で使える簡易オートシーケンサーもどきは既に市販されており、他のデバイスと同じくPCへUSB接続し、ソフトをネットからダウンロードしてインストールすれば、その辺りまでは分析可能らしい。
――技術の進歩は凄いなあ。
とは晶光も思うものの、
――でもそれって、別に調べなきゃいけない事もでもないだろう……?
とも晶光は思う。
水と窒素と二酸化炭素なんて、地球上にはありふれている。そもそも、晶光たち、現行人類自体、九割以上は炭素と酸素と窒素と水素で構成されているのだ(これは理科の先生が授業中に余談として教えてくれた)。
そも分析過程でツツジがしくじった可能性も高いのでは?――と思って、俺がつい口にすると、
――「うん。でも、私のお小遣い(おこづかい)で出来るのはここまでだよ。もっと正確な情報を得るためには大学の機材とかじゃないと駄目だね」
と己の限界を素直に認めたのだった。
そんな我が従妹で幼馴染で級友のツツジは
「連中は『組織』だよ。そういった共通基盤を体系化した技術として運用できる水準のね」
と、噛み締めるように言った。
「アストリッドさんはたしか《荒夏》と言っていたよね?」
「ああ。じゃあ、あの異形とかを取り扱っている組織の名が《荒夏》で、昨日の男二人はその構成員という事か?」
「うーん。昨日の男二人も関係者だとは思うよ。でも、構成員かと言われれば……、多分、その末端ですらないと考えるべきだと思う」
「ちなみに昨日の男二人、生身で殴り合ったら、俺はまず勝てないからな」
俺は、カシャカシャと腕を動かしながら、答えた。
「……ところで、晶兄は何をしているの?」
「え? コーラの炭酸抜きだよ」
そう、俺は500ミリリットルのペットボトルを振って、コーラの炭酸を抜いてる最中だった。
「言ったろう? 最近、甘いものが欲しくてな。とはいえ、甘いものばかり食っていると、咽喉が渇くし、コーラばかり飲んでいると炭酸がきついしな」
「……そ、それで、晶兄はわざわざコーラの炭酸を抜いていると?」
「おう、その通り」
俺は簡潔に答えると、ツツジは何故か絶句した。
「晶兄……さ……」
「何故、そんな体調で病院や警察に行かないの?」
その台詞は見知らぬ短髪の少女のものだった。
彼女は少年のような極端な短髪だった。身長は推定160センチメートル前後、体重は……それこそ推定だが、50キログラム台だ。そして、女子用学生服を着ていた。
いや、仮に、学校指定の制服姿でなくとも、性別を誤る事はなかっただろう。
何故なら、彼女の体格全体は細く柔らかな曲線で構成されているのに、その胸部だけは大きく張り出し、制服を露骨に押し上げ、性別を疑う余地をなくしていたのだ。
――年上……だよな?
晶光が戸惑っていると、巨乳の少女は
「私は影山ほのか。よろしく」
と名乗った。そして、その影山ほのかは
「歩きながら、話しましょう」
と、一方的に宣言して歩き出した。
晶光はあわてて影山ほのかについていき、ツツジもそれに続く。
影山ほのかは速足だった。まるで苛立っているかのように床を踏みしめている。
が、そうすると、揺れる。何が揺れるのかと聞かれると、晶光の口からは言いづらい。が、とにかく揺れる。
しかし、ツツジは容赦なく尋ねる。
「その、その御胸はいかほどで……?」
「……I65よ。ぶっちゃけ乳房縮小手術を申請したわ」
「凄いっ! ていうか、乳房縮小なんて、何でまた?」
「私、いわゆる体育会系でね。正直、ここまででかい胸は邪魔なの」
「そんなっ! もったいないっ!」
……ツツジ、ツツジ、気持ちはわからないでもないが、発言が露骨すぎないか?
しかし、影山ほのかは、同性ゆえの気楽さか、平然と答えてくれた。
「上にも同じ事を言われて、乳房縮小は諦めたわ」
「上?」
「上司よ。私が所属する秘密結社《荒夏》って、この手のセクハラが多いの。下手すると髪まで長く伸ばさせられそうになるんだから」
「へ、へぇ~」
とんでもない発言に、さすがのツツジも平然とはしていられなかった。
そこで影山ほのか女史は振り返る。制服と巨乳に誤魔化されているが、短髪のその顔はどこか刺々(とげとげ)しい。
「ところで三葉ツツジさん。とりあえず、携帯の電源は切ってね。ここから先は録音とかされると面倒なの」
「……せめて、手書きの覚書は?」
「禁止」
「あのですね。私たちとしても、情報の整理はしたいわけで……」
「それが嫌なら、立ち去るまでよ」
平行線だった。
ただし、ツツジは所詮中一の女子だ。もっと言えば、その中でも小柄で華奢な類だ。
一方で、影山ほのか女史は(その極端な巨乳を含む女性らしい体付きを含めて)どこか威圧的な風貌だ。
だからだろうか?――先にツツジが折れた。
「晶兄。ここは従おう。いくらなんでも情報が足りない」
「お、おう」
実のところ、晶光は録音準備などまるでしていなかったが、さすがに見栄を張った。
「じゃあ、このまま歩きながら、話しましょうか」影山ほのか女史は再び背を向け、足を進める。「私に付いてきて」
「盗聴防止ですか?」
「ええ、広義のね」
……いつの間にか、女子二人で話が進んでいくのだった。
***
「まずは謝罪をするわ。秘密結社《荒夏》の一員としてね」
秘密結社《荒夏》――晶光がここ数日で何度か聞く羽目になった単語だ。
そして、影山ほのか女史はその《荒夏》の一員として謝罪するという。
ツツジは「えーと、何の話か……」としらばっくれようともしたが、影山ほのか女史はすかさず一枚のA4用紙を取出し、晶光達に見せる。
そこに印刷されていたのは――。
「甲冑式異形と蜥蜴型異形のツーショット。君たちはこれに巻き込まれたのでしょう?」
その通りだった。
甲冑式異形――二本の脚で立ち、二本の腕を具え、脊椎の上に頭部があり、その顔には大きな複眼と細長い触角付きの仮面が形成され、両肘両膝両踵等には引き金を思わせる突起が付属、そんな生々しい甲冑で鎧われた異形のヒト型。
蜥蜴型異形――あの蜥蜴のように四足で爬行しながら、尾はなく、脚部は胴体より太く、鱗も毛も外骨格もなく、おまけに全長は2メートル程で、剥き出しの筋肉に脈打つ血管と鋭利で巨大な爪を兼ね備えた化け物。
晶光が成ってしまった『異形』と、晶光に襲いかかってきた『異形』だ。
その双方がそのA4用紙には印刷されていたのである。
勿論、細部は微妙に違う。
まず、甲冑式異形の方は形状差異が大きい。
晶光が成ってしまった甲冑式異形はビクンビクン脈打つ細胞組織?で全身拘束構成され、皮膚や衣類は見えないが、その細胞組織がさらに硬化したような結晶組織?の装甲は局所的だった。しかし、用紙に印刷されている方はほぼ全身がその【装甲】で覆われている。
次に、蜥蜴型異形の方は雰囲気が違う。
晶光に襲いかかってきた蜥蜴型異形はそれこそ殺意に満ちた凶悪凶暴な猟犬?だった。ところが、A4用紙には印刷されている方は、厳かに傅く忠臣というか、まるで忠犬のように服従の姿勢を取っている。
それに、こんな画像はいくらでも生成できる。
……とはいえ、この影山ほのか女史に『異形』についての知識がある事は、証明された。そして、その知識は、晶光たちの持つ断片的な情報を上回るだろう。
「現在、これら『異形細胞体』の運用技術を確立しているのは我々《荒夏》のみだから。君たちがコレに巻き込まれたのなら、一定の責任も、謝罪の必要も、素直に認めるわ」
「そこまで言うにはあなたは『正社員』なんですね?」と、ツツジは釘をさす。「『一定の責任も、謝罪の必要も、認めはするけど、結局は別会社の派遣社員がやった事だからー』とか、やめてくださいよ」
晶光もそこで気づいた。
思い返せば、あの男二人には……何というか、底の浅さがあった。いや、これは後出しジャンケンのようなものかもしれないが……。
それに対し、この影山ほのか女史は全身に自信を漲らせていた。いわゆるエリート風。だからだろうか? こんな台詞も出て来る。
「ええ。私はこれでもゼノホルダーだから。あの連中と違って、《荒夏》正規構成員よ」
「ぜのほるだー?」と、ツツジは首を傾げる。
「xeno-holder。――別にわざわざ変な発音で確認しなくても、情報提供ぐらいするわ」
と、影山ほのか女史。
「用語を整理しようか? とはいえ、『異形』については大まかに理解しているかな?」
「いえ、その辺りはちゃんと教えて下さい。こちらは恐怖と不安で夜も眠れないんです」
ツツジはやや信用ならない事を言っては質問を重ねる。
「まず、あの『異形』って、なんですか?」
「xeno-crystalline_cell――異形化結晶細胞の通称というか略称ね」
「異形化結晶細胞……。では、そのcrystalline_cell=結晶細胞と言うのは?」
「言葉通り、細胞として機能する炭素系の結晶構造よ。主な成分はもう推測できているんじゃない?」
「――元素で言えば、炭素と酸素と窒素と水素、比率は大体3:3:3:1?」
「……凄いね。君、まるで結さんだよ。ねえ、本気で私のところで働かない?」
「茶化さないで下さい」ツツジは珍しく口を尖らす。しかし、さすがはツツジ。それでも、必要な質問をする。「話をまとめると、アレらはウイルスやプリオンと似ているようですが……」
「異形細胞には、ウイルスやプリオンと違って、核酸もアミノ酸もない」
「じゃ、我々のような遺伝子も蛋白質もなしってことですか? リンやイオウがほとんど見つからなかったのも、私の測定精度の問題ではないと?」
「まあ、そうね。異形は、基本的に我々とは別系統の、疑似生命だと考えて欲しい」
「いやでも、アレ、高等動物にかなり似ていたと思うのですが……」
晶光には正直よくわからない話になってきた。
しかし、影山ほのか女史はそれでも丁寧に説明をしてくれる。
「理由の一つは遺伝的アルゴリズムに基づく収斂進化。もう一つの理由は高等動物機能を意図的に結晶細胞でemulateさせているから」
模倣――と言う概念には晶光も覚えがあった。
ミッドチルダ式デバイスで、古代ベルカ式魔法の使うために、魔法の側にそこにベルカ式デバイスがあると誤認させる――もといマックOSでウインドウズ用プログラムを起動するため、あるいはウインドウズOSでマック用プログラムを起動するために、疑似的なOSを模倣させる事がある。
……というか、だから、『疑似生命』なのか?
「あの水と窒素と二酸化炭素に分解された炭素系結晶構造=結晶細胞に、我々の既知生命活動を『異なる形で』、模倣させたのが異形化結晶細胞――《異形細胞》であると?」
「ええ……。異形拘束者というのはね。要するに異形細胞体の拘束者よ。文字通り、異形細胞体の手綱を握る(ホールドする)者と考えてもらえばいい」
「異形化結晶細胞(xeno-crystalline_cell)の拘束者(holder)の略称が異形拘束者というわけですね?」
「ご明察」
「それでは、先日、私たちを襲った男二人は、あなたのような異形拘束者ではないと?」
「勿論」
「しかし、彼らはあの異形細胞体に命令を下していたように見えるのですか?」
「あの男二人もたしかに異形使役者よ。でも、私みたいな拘束者ではないし、権利者でもない。ましてや、統御者ではない」
また専門用語が増えてきたので、晶光の頭はいっぱいいっぱいだ。
しかし、ツツジの方は違うらしい。
「……あなた方が彼らへ一時的にあの異形細胞体への命令権を貸し与えていた――という事でしょうか? 大企業が下請け会社へ、自社のシステムの使用権限を暫定的・限定的に貸し与えるのと同じ構図だと?」
すると、影山ほのか女史は、晶光ではなく、ツツジの方をじろじろ見始める。
――? 話を総合すると、俺こそがその『異形なんとか』になってしまったのだろう? そのぐらいは俺にもわかる? なのにどうして、俺ではなくツツジの方に興味津々なの?
……という晶光の疑念を超えて、ツツジはさらに質問を重ねる。
「あの異形細胞体とやらの権利者は、あくまでもあなた方、秘密結社《荒夏》だと?」
「ツツジちゃんなら、わかるでしょう? 自律式とはいえ、あんなチンピラどもに異形の運用なんてできっこない事を」
「……」
「技術的にも権利者である我々《荒夏》がその気になれば、自律式異形の使用権限は即時凍結して、拘束する事はできたの。勿論、実務的には目の行き届かないところがあった。それは認めるし、素直に謝るわ」
「……」
ツツジは沈黙していた。
いや、晶光もその言い方が気になった。
影山ほのか女史は、あの男二人を『チンピラども』と明らかに下に見ているのだ。
あの男二人は最終的に逃げ出したが、あの三匹の化け物――『異形』に命令していた。
一応は撃退したが、晶光からすれば、あの男二人は十分な脅威だった。
ぶっちゃけ、あの『異形の甲冑』を鎧わなければ、とても太刀打ちできなかったのだ。
ところが、影山ほのか女史の『チンピラども』に対する上から目線は揺るがない。
「実際、あのチンピラ下請け使役者らは、『自律式』異形を使うだけで、『甲冑式』異形は使わないでしょう? あれは使わないんじゃなくて、使えないのよ」
え? それって……!?
だが、晶光が口を開く寸前に、ツツジは肘鉄を晶光の腹に食らわせた。
その上でツツジは何事もない様に尋ねる。
「『自律式』と『甲冑式』……ですか?」
「文字通りの意味よ」と影山ほのか女史は言う。「『自律式』は一度命令を受け取った後は自律的に任務を遂行する異形体、だから、自律式異形。逆に『甲冑式』は直接人間が鎧い纏う事で原則的に人間が運用する異形体、だから、甲冑式異形」
「あの『蜥蜴型』は『自律式』の『異形』であると?」
「ええ。蜥蜴型自律式異形【ラッテティリア】。私の知る限り、自律式異形の最高傑作。総生産数も最大規模。ただし、純戦闘力では竜盤型自律式異形【サウリシア】なんかには及ばない。ましてや、『甲冑式』の前では有象無象の雑兵でしかない」
そこで、ツツジは眉をひそめる。そして、
「話を聞いていると、自律式の方が技術的制約の少ない分、強力に思うのですが?」
と疑念を呈し、さらに補足もする。
「自律式異形ならば、『飛行動物型異形』なども可能ですよね? 例えば、蝙蝠みたいな飛行動物型自律式異形とか。でも、甲冑式異形だと、飛行動物型異形は困難ですよね? 中に人間というお荷物を入れなきゃいけませんから」
「……純技術的にはその通りよ」
何故か、影山ほのか女史の言葉は遅れた。
「でも、政治的に、それは机上の空論なの」
「と言いますと?」
「我々《荒夏》は人間の人間による人間のための組織だから」
その上で、影山ほのか女史は誇らしげに断言した。
「だから、最終的な決定権を『異形』に委ねるなんて、ありえない。引き金はあくまでも人間の手で引くべき。そう考えているの」
「……」
ツツジは少し考え込んでから問い返す。
「自律飛行機に偵察は任せても、爆撃は任せないのと同じ理屈ですか? 想定外の動作をしうる自律式に強大な、それも対人殺傷能力を与えるのは危険過ぎると?」
「そういう事ね」影山ほのか女史は肯んずる。「実際、自律式異形体の行動原理の多くは狩猟犬の思考ルーチンとかを遺伝的アルゴリズムで再現しているだけらしいわ。専門家も『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』状態という事ね」
「……それを言うなら『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』技術の方が世の中には多いでしょう?」
「耳が痛いね。ただそれでも、私たち《荒夏》は『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』技術に、引き金を引かせたくない秘密結社なの」
「《荒夏》が人間の人間による人間のための組織だから?」
「ええ」
「私にすれば、【人間】こそが『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』最たるモノな気がしますけど」
「価値観の相違ね」
影山ほのか女史が平然と答えたせいか、ツツジは切り口を変える。
「しかし、『自律式』と『甲冑式』を比べた時、政治的事情から、『甲冑式』の方が強力になりえる事はわかりました。しかし、それはあくまで『自律式異形』と『甲冑式異形』の差です。『自律式異形使役者』と『甲冑式異形使役者』にそう差があるとは思えません。包丁で武装した人間と拳銃で武装した人間なら、拳銃で武装した人間の方が強力ですが、それは武装の差であって、人間の差ではないでしょう?」
「じゃあ、ツツジちゃんは全身異形細胞に包まれた時、ちゃんと動ける自信がある?」
「あ……」と、ツツジは何かに気づいたらしい。「たしかに、身動き一つできないかも」
「え、何で?」
晶光が率直な疑問を口にすると、ツツジは大きくため息をついた。
「晶兄晶兄、ちょっとは考えて。そもそも下手をすれば、中の人は窒息で死んじゃうよ」
「……」
「あっ、そうか」
ツツジの台詞に、影山ほのか女史は顔をしかめ、晶光もようやく気付いた。
「全身が異形細胞とやらに包まれるのは、全身が異形細胞とやらで覆われるのだから、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされるのと変わらんよな」晶光は実体験をもとに述べる。「蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされた獲物が、身動きが取れなくなるように、異形細胞?とやらでぐるぐる巻きにされれば、普通は身動きが取れなくなるはずなんだ……!」
「うん。晶兄にしては上出来だね」とツツジ。
「いや、予備知識なしと考えれば、上出来だよ」と影山ほのか女史。
「じゃ、アレは全身を拘束しているように見えても、実は普通の甲冑みたいに関節可動部みたいのがあったのか?」
「……うん。晶兄、それ、多分ちょっと違うからね」とツツジ。
「いやいや、予備知識なしと考えれば、やはり上出来だよ」と影山ほのか女史
よく考えてみてよ――と、ツツジは言った。
「アレは人間の動きを『再現』するだけでなく、明らかに『増幅』していたよね? でも、そういう倍力装置って、普通は『甲冑式』みたいな全身密着形状にはならないでしょう?」
「?」
「例えばさ、仮にこれが『遠隔式』なら、わかるんだよ。人間が動いた『結果』を異形とやらに増幅再現させればいいんだから。けど、『甲冑式』なんでしょう?」
「???」
「晶兄、繰り返すけど、アレは明らかに筋力を『増幅』していたよね? 要するにアレは単なる外部装甲と言うよりも倍力装置なんだよね? むしろ、外付けの倍力装置が装甲を兼ねていると考えるべきだよね?」
「あ、ああ……」
たしかにそうじゃなきゃ、晶光にあの異形の怪物を倒せるはずがない。
「じゃあ、その倍力装置への命令入力ってどうやっているの?」
「へ?」
「あの自律式異形とやらなら、わかるよ。というか、今、影山ほのか女史が仰っていたけど、狩猟犬と同じで、細かい原理はともかくとして、声に出した命令に従う――一種の音声入力でも十分だと思う。ううん、それ以外にも外部からなら、いくらでも命令入力の方法はある」
「? 内部からだと難しいのか?」
「晶兄、自分で言ったでしょう? 『全身が異形細胞とやらに包まれるのは、全身が異形細胞とやらで覆われるのだから、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされるのと変わらん』って。その状態でどうやって口を開くの? 少なくとも繊細な命令発声は困難になるよね?」
「な、なるほど……」
「それこそさ、人間が自由に動ける空間を内側に確保できる巨大ロボットとかなら、問題ないよ。でも、アレはどう見てもそんな大きさじゃなかったよね?」
言われてみればその通りだ。
「じゃあ、中にいる人間の動き自体を感知して……」
「だから、動いた『結果』に反応するんじゃ、動きを『増幅』するのは無理なんだよ」
と、影山ほのか女史はそこで口を挟む。
「……ツツジちゃん。君、本当に女子中学生?」
「この手の考察はネット上にも多いですから。ここ数日で慌てて調べただけですよ」
ちょっと早口のツツジ。
――いいや、ツツジ、俺は知っているぞ。お前の趣味をな……。
だが、それはそれとして、ツツジは淡々と語り続ける。
「実際、電動義肢なんかで同じ事が問題になったそうですよね? 動いた『結果』に反応するんじゃ、動きを『増幅』するのは無理――という現象はかなり普遍的でしたから」
――うーむ。
そこまでツツジに言われてみると、何となくわかる気がしてきた。
動いた『結果』に反応するのなら、まず動いた『結果』を出力せねばいけない。
しかし、全身を倍力装置に囲まれている状態では、動いた『結果』を出力する事自体がまず難しい。何故なら、全身を倍力装置に囲まれている状態とは、全身を蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされているような状態で、動いた『結果』を出力する事自体が難しいからだ。
それこそ、実際に動く前に、人間の動く意思そのものを感知して、あるいは先読みして動いてくれるようなシステムでなければいけない。
……という事だろうか?
「とはいえね」と影山ほのか女史。「実のところ、まったく動かないという事もないの。緊急時に困るから、最低限の機能は甲冑式異形に細胞段階で保障されてはいるわ」
「……どういう原理で?」
「それはとりあえず秘密。でも、似たようなシステムは世の中にいくつもあるから、多分、ツツジちゃんの考えている通りで正解だよ」
「……」
そこでツツジは考え込んだ上で、ふと何かを思いついたように問い返す。
「だとしても、円滑な動きは困難ですね。特に人間とは異なる器官があった場合は」
「そうよ。それはさすがに問題になった。そして、その問題を解決できるのが、一握りの異形化結晶細胞体(xeno-crystalline_cell_unit)統御者( driver )――通称、異形統御者」
「ヒトと、異なる形をも統べ御める者?」とツツジ。
「ええ。異形統御者こそが全身甲冑式異形細胞体を文字通り統御できる唯一の存在。我々、秘密結社《荒夏》の切り札」
影山ほのか女史は歌う様に言った。
「繰り返すけど、甲冑式異形は政治的事情から、自律式異形と違い、細胞段階で高品位が保証されているの。だから、一度、甲冑を展開した異形統御者の前では、蜥蜴型だろうが竜盤型だろうが、自律式異形なんて、鎧袖一触。それこそ、生卵を潰すようなもの」
「! あの……!」
と、晶光はさすがに声をあげた。
「じゃあ、俺はその異形統御者になってしまったんですか!?」
「東方晶光君」と、影山ほのか女史。「やっぱり、君が甲冑式異形を使ったんだね?」
「え……? あ……!」
晶光は気付いた。
――し、失言だった!?
ツツジは「晶兄の馬鹿」と露骨にため息をついていた。
た、たしかに影山ほのか女史の言動を整理してみると、晶光が甲冑式異形とやらを使った確証がなかったように思える。
――お、お、俺、とんでもないボロを出してしまった???
だが、晶光が悩んでいると、
「正当防衛及び緊急避難です」
ツツジは強い語調で主張する。
「あなたの話を信頼し、総合すれば、なるほど、晶兄はあなたがたの装備を無断で使用し、しかも破損させたのでしょう。ですが、ここはどうか晶兄の立場になって考えて下さい。所詮は突然の異常事態に混乱した哀れな被害者に過ぎません」
「だから、大目に見ろと?」
「……」
ツツジは黙り込む。
しかし、影山ほのか女史はケラケラ笑った。そして、
「安心なさい」
と、優しい声音で言う。
「何故、私が出てきたと思う? 私自身の動機もあるけどね。こういう時は若い女の方が交渉しやすいから――という上の命令よ」
「え?」
「今だって、そう。ノコノコついてきた」
「あ……」
そう、晶光達はいつの間にか人気のない屋上に連れ出されていた。
――ヤバイ。いつの間にか、話に夢中になっていた……!
気付けば、校舎を囲む高層建築物が、まるで逃げ道を塞ぐ檻壁にすら見えてきた。
「身構えないで」
と、影山ほのか女史は言う。
「ツツジちゃん。正当防衛及び緊急避難って言ったよね?」
「は、はい」
「うん。私もそう思うよ」
そして、影山ほのか女史は屋上の手すりに腰かけた。
「私は法律家ではないけど、君たちを被害者だと思う。君たちの行動は正当防衛及び緊急避難だと思う。それに潰された自律式異形も、所詮は安物の使い捨てなの。だから、損害賠償とかもないと思う。むしろ、こっちが慰謝料を払いたいくらい」
「あ、ありがとうございます」
「ただ、異形関連について、やけに詳しい事が気になるけどね」
「そ、それは……」
ツツジは言葉に詰まった。
――そういえば、なんでだろう?
言われてみれば、話が順調に進み過ぎている気がする。
しかも――
「ねぇ、アストリッドにも同じように誑かされたの?」
影山ほのか女史は、そう言って、視線をきつくした。
ツツジはいきなり出てきたアストリッドの名に慌てながらも弁明する。
「あ、晶兄はアストリッドさんにその異形統御者とやらにされてしまった被害者……だと思います」
「……やっぱり、君たち、あの東欧娘のアストリッドに会ったのね?」
「と、東欧? アストリッドって、北欧の名前じゃあ……?」
「君たち、わかっているのっ?」
影山ほのか女史はいきなり大声を張り上げ、手すりから腰を離し、屋上に立つ。
「あのアストリッドは……! ほむら姉さんは……滅茶苦茶に……!」
「「……」」
ツツジも晶光も混乱した。え、何でこんな険悪な雰囲気になっているの?
そこで影山ほのか女史は瞑目し、左右に首を振る。
「ごめんね。マグダレナの姉御とかなら、慣れてるんだろうけど。私は専門外だからさ。さすがに冷静じゃいられないの」
うん。わからないけど、わかる。
眼前にいる影山ほのか女史は何故か冷静ではない。
「ちょっと、力づくでいかせてもらう」
「え、力づく?」晶光は戸惑う。
「いい、よく見ていてね?」
影山ほのか女史はそう言って制服の裾をほどいた。
するりと抜け落ち続けた女子学生服は、風に飛ばされることもなく、屋上の床に落ちる。
あらわれたのは美しい肌着姿――ではなかった。
いや、美しい曲線が現れたのは事実だったが、影山ほのか女史が身に着けていたのは、一般的な肌着ではなかった。
まるで、ウェットスーツを思わせるSF的なぴっちりスーツだった。
そして、晶光にその謎のぴっちりスーツを落ち着いて観察する暇もなかった。
影山ほのか女史が、すぐに次の言葉を口にしたからだ。
「ディー=フェアヴァンドルング」
「っ! 晶兄、伏せてっ!」
ツツジはそう言って晶光に飛びつき押し倒してきた。
晶光がツツジの柔らかい躰を吟味する前に、無数の触手が吹き荒れる。
もし晶光が立ったままだったら、それらの触手が直撃していたかもしれない。
「って、いうか、これって……!」
「Die_Verwandlung(ディー=フェアヴァンドルング)! フランツ・カフカの代表作でもある中編小説!」
「は? はあ?」
「仮面ライダーの元ネタ! ドイツ語で『変身』! それが《変身(Die Verwandlung)》!」
次の瞬間、影山ほのか女史は
――体幹が膨らんだ有毒甲虫
そう表現したくなる異形の甲冑で全身を完全に鎧われていた。
「改めて自己紹介させてもらうわ」
と述べた彼女の甲冑体には金色仮面を含む粘体塊瘤はほとんど無かった。対照的に、粘体光脈は不活性化状態でも明確な緑色線を成していた。
「本名は同じく、ほのか。歳は十八。――見ての通り、第五階梯(ステージⅤ)の【緑】(アル=アクフダル)からなる三核炉心体。翅隠型光砲版異形【スタフィリニデ:ラーゼル】の異形統御者よ」
この時、彼女のがわざと説明台詞で語ってくれたのだと理解するのは、後の事となる。
***第三話 戦慄の女統御者!!
――に、似ている。
いずれにせよ、その時の晶光は認めるしかなかった。
影山ほのか女史の異形細胞体は、晶光がなってしまった異形細胞体と似ていたのだ。
まず、赤黒く生々しい触手が胸元から無数飛び出る。触手が全身を覆い、蛹か繭かという有様を経て、その表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたヒト型のみ。
――俺と似ている。
ただ、外から見ている分、客観的になれたところがある。
――各種要素は違う。
と、気付けたのも、外から見ていたからこそだ。
――影山ほのか女史の触手は胸部以外からも出ていた。
具体的は両肩後背部からも触手が出ていたのだ。それらは両肩上部に異形細胞からなる筒状器官を成し、その中心には眼球じみた左右一対の液晶発振装置らしきモノが発現していた。
しかし、晶光の場合は、異形化の触手は胸部から飛び出てきたモノのみだ。
つまり、この全身甲冑式異形化の『苗床』の性質はかなり似ているが、埋め込み部位やその数量に違いがあるのかもしれない。
――それに完成した異形甲冑の質感や形状にもかなり違いがある。
例えば、晶光を鎧った異形細胞は赤い筋肉組織がほぼ剥き出しで、結晶性の外殻で覆われているのはほんの一部だった。
逆に、影山ほのか女史を鎧った異形細胞は、ほぼ全身が結晶性の外殻で覆われており、赤い筋肉組織が剥き出しなのは、ほんの一部の関節部分ぐらいだった。
また、晶光を鎧った甲冑は、その形状だけを見れば、ほぼ完全にヒト型をなぞっていた(両肘両膝両踵などにある引き金のような突起が例外で、よく考えてみれば、あの部分は『結晶性』に近かった)。
だが、影山ほのか女史を鎧った異形は、その形状において、ヒト型を必ずしもなぞっていない。とりわけ、両肩が……そういえば、翅隠型とか言っていたな。
――というか、この違いって……。
「晶兄よりも特殊化している? 様式は同じでも、より進化しているという事?」
晶光の曖昧な不安を、ツツジがより明確な推論として口にしてくれた。
実際、影山ほのか女史の
「ええ、その通り」
という異形甲冑越しの声は鮮明で聞き取り易かった。それだけ、洗練されたシステムという事か?
「私は本物の異形統御者。正式採用のね。同じ甲冑式でも、まがい物とは表現型において、当然の違いが出るわ」
ですよねー。
――ていうか、細部以外の基本性能が同じだったとしても……。
「ちっ……!」
――ここは俺自身の内なる恐怖に打ち勝つためにも……
「う、うわあああああああ。でっ、でぃっ、ふぇあヴぁんどるんぐ!?」
晶光は叫んだ。しかし、何も起きなかった。
「「……」」
女子二人の微妙な視線と沈黙が晶光を襲う。
「へ、変身!」
晶光は叫んだ。しかし、何も起きなかった。
「「……」」
果てしなく気まずい再度の黙視の後、
――「……仕方がないから、手助けしてあげるわ」
という例の声が脳裏に届いた。
――? お前、アストリッドなのか?
そんな疑念を捻じ伏せるように、胸の奥に違和感が生まれる。
身体の中で蛇が蠢くような違和感には覚えがあった。
「……来たぞ。ツツジ、離れろ」
ツツジはやや顔をしかめながら、駆け足で晶光から離れた。
晶光も慣れてきている。胸元からの苦痛も薄れてきていた。
例によって、赤黒く生々しい触手が、晶光の胸元から無数飛び出る。伸び出た触手は上下左右四方八方に広がる。その放射状に広がった触手が、今度は晶光の方へと殺到し、晶光の躰を鎧い包み込む。
次に――この過程を落ち着いて理解できたのは今日が初めてだったが――触手は蛹か繭かいう有様を経て、その表面が結晶化。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
そして、異形の甲冑が残る。
晶光と影山ほのか女史は互いに異形の甲冑を着込んだ状態で向き合う形になる。
先に口を開いたのは影山ほのか女史の方だった。
「東方晶光君、その異形の甲冑を展開したのはこれで何度目?」
「……さ、三度目……です」
晶光は思わず敬語で正直に答えてしまった。
「そう、さすがは【レギオ】フレームね。ちゃんと『軍隊蟻型』になっている。凄まじい順応速度だわ」
「え……」
「でも、所詮は素人よ」
影山ほのか女史は一瞬で間合いを詰めてきた。
文字通りの一足飛び。人外の脚力。やはり、この異形甲冑は倍力装置でもあるらしい。
晶光は反射的に掌底で迎撃を図る。
が、その前に影山ほのか女史は腰を屈め、余裕で回避。
続く足払いで晶光は綺麗に倒された。
――止めの打撃が来る……!
晶光は、腕で頭部を、脚で腹部を、それぞれ守る。
しかし、実際には頭部の真横を何かが駆け抜ける感触のみがあった。
「……!?」
次の瞬間、混凝土の床は焼け爛れ、その後の急速冷却で硝子鉱物化した。
いわゆる『熱線』が通ったのだ。根拠は曖昧だったが、そんな『熱線』が通った事は、何故か感知できた。
「これは……!?」
「凝集光砲よ。聞いた事はあるでしょう?」影山ほのか女史の言葉が裏付けをくれる。「そして、こちらには聞きたい事があるの」
見れば、影山ほのか女史の異形後背部が『展開』し、薄翅めいた器官を広げていた。
翅隠型――甲虫類鞘翅目ハネカクシは鞘翅兼前翅が小さく、ここに大きな薄翅兼後翅を細かく折り畳み、まるで『隠して』いるものが多い故の名づけだった唐突に思い出した
「だから、君に直撃させる気はない。君にはね」
発振装置の『視線』が脱ぎ捨てられた制服の方を向く。
次の瞬間、例のA4用紙が燃え出した。
異形化していたせいか、晶光にも認識できた。
――制服近くに熱線が走り、風に棚引いていたA4用紙が発火した?
……証拠隠滅の一環だったのだろうか?
「さて、これをツツジちゃんに向ければ?」
「や、やめろっ」
晶光の言葉は届かない。
影山ほのか女史――いいや、翅隠型異形甲冑体の疑似生体凝集光砲たる眼球がツツジを視界に捉える。
「ひっ」
「やめてくれっー!」
ツツジの脅えも晶光の叫びも届かない。
現実は非情だ。
ツツジの髪は左右の両肩の辺りで綺麗に焼け落ちた。
「当然、こうなるわけね」
翅隠型異形甲冑は淡々と語った。
後から考えれば、示威行為に過ぎなかったはずだ。ツツジの肌に火傷一つ与えぬまま、ツツジの野暮ったくも美しい黒髪だけを正確に焼き切り落としたのだから。
あくまで脅しだ。
とはいえ、ツツジは腰を抜かし、座り込んだ。
晶光の理性が吹き飛んだ。
疑似生体凝集光砲の狙いは一時的にだが、晶光を外している。
だから、強引に立ち上がる事もできる。
「やってはならない事がある!!」
晶光はそのまま全力で殴り掛かった。
ツツジは何だかんだで気丈な娘だ。実際、この異形の事態に巻き込まれながらも、飄々とした態度を続けて、平常心を保ち、常に最善手を探し続けてくれた。それは晶光が最も知っている。そんなツツジでも今回ばかりは怖かったのだろう。恐ろしかったのだろう。無理もない話だ。ツツジの気持ちを思うだけで、晶光も胸がはちきれそうになる。
だから、拳をあげる事に躊躇いはなかった。
しかし、それでも――。
翅隠型異形甲冑に晶光は軽くあしらわれた。
晶光は二度三度と拳を振るう。
しかし、その度に、防がれ、受けられ、流される。
――畜生っ、ここまで差があるのか!?
甲冑式異形が基本的に同じものなら、後は中身である人間の差になるはずなのに。
――いや、しかし、これは……!?
「言っておくけど、これは異形甲冑の性能差ではないからね」
翅隠型異形甲冑の中にいる影山ほのか女史が、晶光の疑念を訂正する。
「ツツジちゃんの言う通り、私の翅隠型異形甲冑は凝集光砲運用に特殊化させただけとも言える光砲版の【スタフィリニデ=ラーゼル】だから。近接格闘性能で比べれば、君の軍隊蟻型異形甲冑とは大差がない」
「……っ!」
晶光はそれでも再び殴り掛かる。いや、何度も何度も殴り掛かる。
しかし、翅隠型異形はもはや防ぐ事も受ける事もなかった。
腕を動かす事もしない。脚捌きのみで躱され、晶光の拳撃連打を無効化していた。
「わかった? ――これが本物の異形統御者」
「……!」
聞き流していた台詞が身に染みる。
そして、翅隠型異形の繰り出す再びの足払いで晶光はまた綺麗に倒された。
そんな晶光を翅隠型異形は傲然と諭す。
「怒りに任せて、腕をあげて――それで何とかなるのは子供の喧嘩だけよ」
「……っ」
晶光は立ち上がると共に後方へ跳躍し、間合いを取った。……距離が開けば、あの両肩凝集光砲が一方的に有利になる(近接していれば、撃たれない保証はないが、少なくとも射程の差を埋める事はできる)。故に、まとわりつくように、追いすがるように、超近接格闘を挑んでいたはずなのに。
……認めざるを得ない。
晶光は仮に同じ異形の甲冑を着込んでいても、彼女には勝てない。
それどころか、互いに生身で殴り合っても、彼女には勝てない。
それほどの隔絶が晶光と彼女の間にはあるからだ。
――ツツジの髪を弄んだ相手に……俺は一矢報いる事も出来ないのか?
晶光が悔しくも諦めかけた時、遠間にいた翅隠型の注意が逸れた。
「え……?」
「しまったっ!」
と声を上げた影山ほのか女史の視線の先は、近くの高層建築物の屋上だった。
衝撃。――遠間にいた晶光にもそれは伝わっていた。
そして、翅隠型は『被弾』していた。直撃ではない。回避運動に入ってはいた。女史は躱しかけたのだ。が、躱しきれなかった。
疑似生体凝集光砲の片側――両肩一対二基あった凝集光砲の右側がほぼ全損していた。
さらに右側の薄翅めいた器官もドロドロと溶け出し、ブクブクと泡を立て始め、あの【融解】を始めていた。
何より、影山ほのか女史自身は「畜生……!」と毒づくも、一種の朦朧状態にあった。それが生体接続された器官をいきなり失った障害か(ホモ・サピエンス本来の体幹四肢の『外側』だったので中長期的な影響は少ないかもしれないが、短期的な障害は確実にあるはず)、あるいは頭部スレスレを超音速弾頭が通過した影響か……。
――そうだ。超音速弾頭。
だから、晶光は近くの高層建築物の屋上、影山ほのか女史が向けた視線の先を見る。
そこには、もう一つの異形細胞体がいて、次弾投擲の予備動作中だった。
これは……何と言えばいいのだろうか?
(晶光の視力も異形化で増大しているせいか、遠方細部までかなりはっきり見える。が、それを言語化する技術まで増強されたわけではない事もよくわかる)
まず、体幹四肢そのものは人型に近く、赤肉触手で一次皮膚を成し、結晶外殻で二次装甲を成している。後者の被面積は晶光よりもはるかに多い。が、影山ほのか女史の翅隠型よりは少ない。その意味で最大公約数的であり
「第三の異形甲冑……なのか?」
と口にした晶光は何も間違っていないはずだ。後に客観的に考えても、『全身から分泌する粘液がドピュドピュと多めだった』というのがせいぜいと思う。
そして、その『第三の異形甲冑』の体幹四肢以外が複数の意味で【異形】だった。
それらが内部に人体を格納していない純異形細胞製らしいという意味で【異形】だったというだけではない。その背部から伸びた異形の触手群が絡まり合って
――『疑似生体投擲装置』
とでも呼ぶべき【異形】を成していたのだ。
最も目立つ背面右腕部は異形細胞の投擲紐とでも呼ぶべき構造で、おそらく『両面円錐状弾頭』の投擲に特化していると思われる。
それと対になる背面左腕部の機能は明確ではないものの、最低でも重量均衡機能はあるだろう。
そして、背面下脚部左右一対は姿勢固定制御補助に特化し……、
――いや、これはヤバくないか?
あの『両面円錐状弾頭』の正体はまるでわからない。「結晶外殻と同様の異形細胞系の分泌余剰物の成れの果て」にも見えるし、「それは外部コーティングに限った話であり、中核部は独自調達した重金属」かもしれないし、あるいは「その両方を使い分けている」のかもしれない。いや、いずれにせよ
――あれが投擲紐の類なら、絶対にヤバい……!
そもそも古代における原始的投石具でも、有効射程は200メートル以上、最大射程は400メートル以上あったといわれる。そこそこ洗練された両面円錐状弾頭が投擲紐から放たれた場合は、人体を容易に貫くだけではない。仮に鎧を帯びていても、その内臓へと致命傷を与えるといわれる(空手道場での刑部先輩からの受け売り知識)。
問:これらが異形細胞で再現構成・最適化されたとしたら?
答:防弾装備を無力化するキロメートル級狙撃も可能となる?
勿論、それらが異形甲冑同士の戦いで、どう役立つのかはわからないが――。
少なくとも影山ほのか女史は最優先排除目標と認識したらしい。
朦朧状態のまま、翅隠型に残された左側の疑似生体凝集光砲を『第三の異形甲冑』へと向ける。
両者の投擲と発振はほぼ同時だった。
その結果は――凝集光砲が両面円錐状弾頭を迎撃する形となった。
正確には投擲寸前だった弾丸の『大半』を、異形の投擲紐先端巨大指部ごと消滅させる事となった。
しかし、その代償は大きかった。
「痛いっ! 痛いっっっっっっっっ!!」
影山ほのか女史の絶叫が鳴り響いた。
翅隠型異形甲冑の右足に見知らぬ『弾芯』が突き刺さっさていた。
迎撃しきれなかった両面円錐状弾頭の芯核部が、中身である影山ほのか女史の右足ごと、貫いていたのだ。
そして、『第三の異形甲冑』は高層建築物からシュッシュッと跳躍して、こちらの校舎屋上へスタッと立ち降りた。
そして――。
「あら? 意外といい声で鳴いてくれるのね」
その声の主には、その場にいた他の三人全員に憶えがあった。
「「「アストリッド……!!!」」」
とはいえ、アストリッドは晶光の見知った金髪美少女ではなかった。
いや、中身はあの金髪美少女のままなのだろう。
しかし、その外観は影山ほのか女史が
「く、女王級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=レギーナ】!」
と、苦痛に耐えながら呼ぶに相応しいものだった。
身近で観察できたからこそわかるが、体幹四肢を鎧う赤肉触手と結晶外殻による曲線は荘厳優美の極みだった(晶光の甲冑にあるような肘膝踵の突起が無い点もむしろ気品を醸し出している)。
さらに背部展開されている触手群は『女王』の玉座を髣髴させる威風を……。
――というか、背部触手群、先程と随分変わっていない?
少なくとも『投擲』要素はほとんど喪失した六束の触手群になっていた。
そして、六束に対応した六つの黄色疑似眼球が見えた。
いや、胸元の一個と合わせれば、合計で七つの黄色疑似眼球となる。
――【七核炉心体】とでもいうか……?
いずれにせよ、この時、晶光の感覚も認識も異形甲冑の力で拡張されていたのだろう。そうでなくては、こうも細かく覚えていられるはずがない。
何故なら、その次の瞬間には――、
「アストリッドっ……! あんたぁぁっっ……!!!!!」
その絶叫と共に影山ほのか女史=翅隠型異形甲冑が、アストリッド?=女王級軍隊蟻型甲冑式異形体?に殴り掛かったからだ。
しかし、その時点で影山ほのか女史=翅隠型は右足に重大損傷を負っている。
対するアストリッド=女王級は両手両足どころか、背面触手もまだまだ自在に動かせる……らしい。
アストリッドはせせら笑う。
「『怒りに任せて、腕をあげて――それで何とかなるのは子供の喧嘩だけよ』」
背面の触手が蠢動し、蠕動し、ヒュンヒュンと鞭のように伸び出す。
それらの触手はこれまで見た中でも、とりわけ赤黒く、生々しく、本能的な恐怖を誘う剥き出しの異形だった。
影山ほのか女史は、それでも頭上から振り下ろされる二本の触手は躱す。その身を捻るだけの最小限の動き。卓越した回避運動だった。が、足元から蛇のように這い寄る触手は躱せなかった。左腿に巻き付かれ、ひっくり返される。元々、最初の奇襲のせいで右足は満足に動かない。その上で左足を絡め取られてはどうにもならない。
一度倒れたら最後、まるで蟻の群れに集られる羽虫のようだった。
触手は、瞬く間に、影山ほのか女史=翅隠型異形体は右手左手左足にまでも絡みつく。
「はっ、離せっ!」
影山ほのか女史の声が響く。勿論、叫ぶだけでない。彼女は触手の拘束に必死に抵抗し、数秒かけて姿勢を立て直し、再び立ち上がったのだ。
……しかし、それも陽動に過ぎなかったのかもしれない。
「離せーーーっ!」
影山ほのか女史の声が……虚しく響く。四本の触手がシュルシュルと這い回り、両手と両足をミチミチと締め上げ、既に彼女の四肢は異形の触手で完全に拘束されていた。
アストリッドは愉悦を隠そうともしない。
「そもそも2対1よ。 いくら第五階梯(ステージⅤ)の【緑】(アル=アクフダル)だからって、勝てると思った?」
その台詞に、晶光はふと気づく。
――え、俺? アストリッド側に数えられている?
それとほぼ同時に、アストリッド=女王級の末端触手の一つが、影山ほのか女史の脱ぎ捨てた女子学生服を、突き刺し拾ったのを感知していた。
「あ、愛しのほむら姉さんがどんな目にあったか、聞きたかったの?」
「……っ!!」
「とりあえず、ネット上に流した動画を見てくれた? 4K~フルHD画質までの全世界同時無料公開♡ ご実家にはUSBメモリで郵送した上、メール送信もしておいたけど、お父さんお母さんは……」
「アストリッドっっぉぉおおおおおおおお……!!」
翅隠型異形甲冑に残された左肩部眼球――疑似生体凝集光砲――がアストリッドの方を向く。
発振発射さえされていれば、状況は変わっていたかもしれない。
だが、その前に女子学生服が射線軸を遮った。
それは影山ほのか女史の脱ぎ捨てた女子学生服だった。
アストリッド=女王級の触手が回収し、布一枚の壁として運搬したのだ。
「あれ、撃たないの?」
「……!」
影山ほのか女史には返答する暇はなかった。
その隙に、アストリッド=女王級軍隊蟻型異形の触手が、影山ほのか女史=翅隠型異形甲冑を締め上げつつ、その先端――に一瞬で生成された――鉤爪で両肘を突き刺したからだ。
「ぎゃやあああああああああああああああああああ!!!」
影山ほのか女史が絶叫したのも無理はない。
繰り返すが、影山ほのか女史は両肘を突き刺さされたのだ。
「ふふ、外殻結晶の隙間を狙えば、異形甲冑越しでも意外とイけるのよねえ」
しかも、触手はさらにビクビクと蠢き、その先端はグリグリとねじり込み続けている。
「ひいいいいいいい……やめ……やめろ……」
「い・や♡」
「やめてぇぇえぇ……!!」
そのまま、異形の触手は影山ほのか女史=翅隠型甲冑を屋上の床へ仰向けに縫い付けた。
「いゃああああああああああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
まるで昆虫標本だった。手足の自由を完全に奪われている。
屋上へ縫い付けられたから――というだけではない。
最低限の人体知識があれば、わかる話だ。
肘が砕かれれば、もう二度と自分の手で握り掴む事はできない。
膝を砕かれれば、もう二度と自分の足で歩き踏む事はできない。
アストリッドはそんな影山ほのか女史に寄り、甲冑越しに嘲笑う。
「先は躊躇ったよね? それって、姉さんの形見の制服コレクションは焼けないって事?」
「……痛いっ、痛いっ……!」
「アハっ。……愚かね」
「ち、畜生っ!!!」
それは意地だったのかもしれない。
ギリギリで影山ほのか女史が残った左肩の疑似生体凝集光砲を発振発射した。
対するアストリッドが異形甲冑の右手を振り下ろし、翅隠型異形甲冑を切り裂いた。
ほぼ同時だった。
その相互の一撃が両者の胸元苗床を抉り――、
その甲冑を相互に【融解】させた――。
……のだろうか?
影山ほのか女史を鎧っていた異形細胞の甲冑も、アストリッドを鎧っていた異形細胞の甲冑も、その大半が等しくブクブクと気泡を立て――おそらくは水と窒素と二酸化炭素に分解された。
多分、双方に共通する安全装置だったのだ。異形細胞が人体に重大な悪影響を与えたとしても、異形細胞の『苗床』を排除すれば、甲冑組織が一気に【融解】する。そうして、中の者の安全を確保する、そういう善意に基づき構築されたシステム……のはずだった。
しかし、この場においては影山ほのか女史を、裸同然ぴっちりスーツ姿で、野ざらしにするシステムだった。
そして、もう一方のアストリッドは、以前と同じスキニージーンズ&タンクトップ姿で、軽やかに出て来る。
影山ほのか女史が纏っているのは、皺や弛みを許さぬ謎の極薄ぴっちりスーツのみだ。当然、Iカップを含む女体の曲線をまるで隠していない。
アストリッドの着衣も傷穴だらけだった。ダメージスキニージーンズとダメージタンクトップの傷穴から真っ皓な肌が覗いて見える。
二人とも年頃の少女で、等しく異形粘液を全身にかぶっている。こんな状況でなければ、倒錯的な艶やかさで、見る者を興奮させたかもしれない。
しかし、アストリッドは戈状の鉤爪を拾い上げていた。【融解】した女王級の触手先端部位だ。そんなものが平凡な日本の校舎屋上に落ちているはずもない。どうやら、異形の中でも結晶化した一部は、こういう時、残存するらしい。
――あ、だから、影山ほのか女史は屋上の床に縫い付けられたままなんだ。
そう、影山ほのか女史は、肘膝を砕かれ、身動きが取れない。
ただ、「ひぃひぃ」と喘ぎ声を繰り返す。
その度に大きな乳房が上下に揺れる。仰向けの姿勢でありながら、豊満かつ綺麗な形を保っていた。
だからだろうか?
アストリッドは舌なめずりをしながら、拾った鉤爪を短刀のように逆手で握った。いや、元々そういう設計なのかもしれない。
「さて、こういう時、女の子がどういう目に合うか……お姉ちゃんでわかっているわね?」
既に影山ほのか女史の声には哀願の色があった。
「ゆ、ゆるして……お願い……」
そこでアストリッドは唐突に晶光へ声をかける。
「晶光クン、屋上の鍵を閉めて。第三者の介入は避けたいから」
「え……は、はい」
と、何故か言われるまま動きながら、晶光は気付いた。
――待て。俺とツツジは第三者ではないのか?
しかし、そんな当然の疑問を言葉にするゆとりはなかった。
「ツツジさんは携帯端末で撮影しておいてくれると助かるわ」
「え?」
と、ツツジですら反応に遅れた有り様だった。
アストリッドは鉤爪をぴっちりスーツの首元へとひっかけた。
「ひっ」
「それじゃあ、本番いってみようかー」
戈状の鉤爪が首元から股間までを切り裂く。
ぴっちりスーツのみならず、肉までもが割かれ、血が噴き出した。
「…………ぁぁぁぁ!!」
もはや、影山ほのか女史の言葉は意味をなさなかった。
ただ、首元から股下まで真一文字に切り裂かれていた。
「あ、ごめーん。剥くだけのつもりだったけど、狙いが逸れちゃった~」
そう言って、アストリッドはケタケタと笑った。
実際、真一文字の傷そのものはまだ浅いはずだ。
しかし、アストリッドは暴虐に耽溺する意図を隠そうともしない。
「いやっ、もう、いやっ……!」
だから、影山ほのか女史は絶望し、あるいは覚悟したのだろう。
細い首を左右に振り、生身の口を大きく開き――。
閉じる――寸前に、その口に女子学生服がぶち込まれた。
「……っっ!」
「駄目だよ。自殺なんてしちゃ駄~目。学校で習わなかった?」
アストリッドは左手で例の女子学生服を掴み、影山ほのか女史の口内にねじ込んでいた。
「辛さや苦しさがあるからこそ、人は幸せがわかるのよ。だから、ちゃんと痛みとも向き合って♡」
そう言って、アストリッドは身動きの取れない影山ほのか女史に跨る。
「ま、舌を噛んで自殺できた人なんて、あたしは知らないけどね~」
さらにアストリッドは頤と舌を伸ばし、影山ほのか女史の首元を舐め回す。同時に、右手は臀部の左手は胸部の、それぞれに豊かな膨らみを、手加減せず力一杯に揉み解す。
数秒か、数分か……アストリッドの責めの手はねちっこく続く。
当然、影山ほのか女史はあらゆる苦痛に悶えざるを得ない。
「……っっ! ……っっ!」
「それにしても~」
そして、アストリッドは左右両手で影山ほのか女史の謎ぴっちりスーツの裂け目に手をかける。
「甲冑が脱げたのは想定外だっだよ。……その分は、生身で愉しませてもらうわ」
そして、そのまま、左右に引き千切る。
「「「……?!」」」
元々が極薄の生地だ。いや、本来はそれなりの強度があったのかもしれない。が、上下真一文字に切り裂かれている現状では、影山ほのか女史の肌を隠す最後の砦は、さほどの音を立てる事もなく、あっけなく破れた。
包みを失くした双丘が震えるように露になる。
それどころか、下腹部ですら、もう隠すものはない。
ズタズタになったぴっちりスーツの切れ端が肢体を僅かに隠すだけ。
既に影山ほのか女史は、半裸というより、全裸に近い。
そして、アストリッドは欲望に正直だった。
「まずはここがいい?」
「……………………っっ!」
アストリッドの左手の指は股間――に極めて近い太股をスリスリと撫でていた。
「それとも……」
そして、その指は、影山ほのか女史の体幹をなぞりながら、足元からは離れていく。
「ここ?」
今や剥き出しである影山ほのか女史のIカップ。
そこをさらに強調するかのようにアストリッドの左手が鷲掴みにする。
「……っっ! ……っっ! ……っっ!」
影山ほのか女史が声にならない叫びを続けていた。
無理もない。
アストリッドの右手は、その時、例の鉤爪を握っていたからだ。
そして――
「それじゃあ、挿入開始~」
アストリッドは鉤爪を、影山ほのか女史の乳房に刺し込んだ。
「……っっ! ……っっ! ……っっ! ……っっ!」
影山ほのか女史の声にならない叫びが、しかし、響き渡る。
深々(ふかぶか)と乳房を抉る一撃であり、しかし、明らかに臓器を外した一撃でもあった。
それでも、いや、だからこそ、
晶光は口を開いた。
「ま、待てよ。これ以上、何をする気だ?」
「えーー?」
アストリッドは興を削がれた声で問い返す。
「もしかして、君、処女厨?」
「な……?!」
「違うなら、黙って見てなさい。あたし、性的には淡泊だから」
「なんだと……?!」
「だ・か・ら、四人目ぐらいまでは愉しめるわよ。間にツツジさんを挟むとしても、君は三人目。まだまだ余裕」
言いながら、アストリッドは右手の鉤爪をグリグリと動かす。
「……っっ!!!!!! ……っっ!!!!!!」
影山ほのか女史は乳房を抉り嬲られ、激しく身悶える。
「あ、孕ませプレイとかどうかな? あたし、男の人が苦手でね。異性経験皆無だから、そういうのはやった事なくてさ」
意味がわからなかった。
「いや、だって、それ、死んじゃう……」
「いーえ、死なないわ」
ただ、アストリッドの明るい声が続く。
「この人は誇り高き異形統御者様だもの。残留異形細胞の生体補助管理は緊急時にこそ、その真価を発揮する。故に意識を失う事自体が珍しいも。つ・ま・り、生身だったほむらお姉ちゃん相手にはできなかった遊び方もヤリたい放題ってわけ」
晶光が藁にも縋る気分で振り返ると、ツツジの顔色も蒼白だった。
その間も、アストリッドは女史への『行為』をねっとりと続けていた。
舌を伸ばしては首元に這わせ、自身のEカップを持っては女史のIカップに擦り付け、さらに今度こそ左手を彼女の股間へと伸ばす。
そこで、影山ほのか女史の声にならない叫びが別の性質を帯びる。
「…………っっっっ!!!!」
「ん? 今、指だけで痛がったの? え、もしかして本当に処女なわけ?」
アストリッドが「笑える~」と歓喜する。
「うわ、お姉ちゃんもアレはアレで結構使い込まれていたのに、妹ちゃんはこの身体で? あはっ……本当にステキ」
その時――
「やめてください」
と、ツツジが声をあげた。
「……」
アストリッドはしばし戸惑った。その上で言う。
「……ああ、心配しないで。ちゃんと準備はしてあるからね。鍵をかけろと言ったのも、あくまで念のためで。第三者の介入がないように工夫は……」
「やめてください」
と、ツツジは繰り返した。
「……言っておくけど、この水準の女って、簡単には手に入らないからね」
アストリッドの返答は玩弄しながらだったので、その間も、影山ほのか女史は蹂躙され、その肉体はビクンビクンと震え続ける。
「……元が縁故採用でも、《荒夏》の異形統御者選別試験を潜り抜けられるのは、若くて優秀で有能な……」
「や・め・て・く・だ・さ・い」
と、ツツジは三度繰り返した。
「……やれやれ。敵わないわ」
アストリッドは両手をあげて、首を左右に振る。
「わかった。わかったわよ」
この時、アストリッドは鉤爪を右手から離しもした。
鉤爪がカラカラと転がる音に、晶光はほっと一息が付けた。
一方のアストリッドは「ん~。じゃあ、こんな感じかしらね」と影山ほのか女史の顔を掴む。
「「「え……?」」」
そして、アストリッドはそのまま無造作にひねった。
影山ほのか女史の頭はあり得ない方向に曲がり、その顔からは一切の生気が消え失せた。
「な、何で殺した!?」
晶光の叫びにアストリッドは平然と答える。
「悪の秘密結社の悪の女戦士よ。ちゃんと始末しなきゃダメでしょう?」
「だからって! 何も殺すことは……!」
「何か勘違いしていない? この女、人殺しよ。もう何人も殺しているの。だからこそ、あたしも生かしてはおけなかった。危険すぎてね。正当防衛よ」
「な……!」
「捕虜にできるほど、安全な相手なら、あたしもそうするわ。美人で巨乳で若い女だし、愉しみ方は山ほどある。でも、そういう色香に誑かされて、死んだ奴も多いから」
アストリッドは理路整然と語った上で挑発する。
「ああ、君も色香に誑かされた一人?」
「お、俺は別に……」
「実際、ツツジちゃんはさ、あと一歩で大怪我するところだったんだよ」
「……っ」
晶光は否定できなかった。それは確かな事実だったからだ。
「悪の秘密結社の悪の女戦士の屍には、君こそがなお鞭打つべきなんじゃないの?」
「そ、それは……」
そんな晶光の戸惑いをよそに
「悪の秘密結社の悪の女戦士――とやらを確かめる術が私たちにありません」
と、ツツジは凛然と言った。
「この女は昨日の男二人を同じ仲間とも同じ人間とも思っていなかった」アストリッドはそう言って、可愛らしく小首を傾げる。「悪の秘密結社の悪の女戦士らしくない?」
「断片的な情報に過ぎませんよ」
しばらくの平行線の後――。
アストリッドはやれやれと肩を竦め、立ち上がり、口を開く
「変身(Förvandlingen)」
アストリッドの発音は本格的だった。
そして、金髪碧眼美少女の胸元と背中から、触手が飛び出した。
***
「す、すぐに再変身……だと?」
晶光はまずその事に驚いたが、その間にもアストリッドの『異形化』は進んでいた。
アストリッドの体内から飛び出た赤黒く生々しい数多の触手が全身を覆い、蛹か繭を思わせる有様を経て、その表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたやや歪なヒト型。
「女王級軍隊蟻型甲冑式異形体……?」
その造形を改めて、観察し、認識する。
やはり、晶光と同じ『軍隊蟻型』ではあるらしい。体幹四肢もほぼヒト型をなぞっている。しかし、肘膝踵の突起はない。その代りに結晶性の外殻装甲で割ときっちり覆われている。
そして、最大の特徴でもある背部触手群。
結晶装甲による優雅な曲線美とも相成って、『女王』を髣髴とさせる。
荘厳。
跪きたい。傅きたい。そんな衝動が駆け巡った。
……その一方で、晶光も自覚せざるを得ない。
今の『異形化』も現実にはせいぜいが数瞬の出来事だったはずだ。その過程をここまで冷静に観察・理解できるのは、晶光自身が『異形化』していた影響だろう。
「とりあえず、悪の秘密結社の悪の女戦士は、あたしが適切に処理しておくわね」
アストリッドこと女王級軍隊蟻型甲冑式異形体は冷淡な言動のまま、影山ほのか女史の亡骸を両手で抱えた。そしてそのまま、明らかにヒトを超えた異形の筋力で、校舎の外へ跳び立った。
「ちょっ」
晶光はギリギリまで追いかけたものの、屋上のふちで足踏みせざるを得なかった。
女王級軍隊蟻型甲冑式異形体=アストリッドは中空放物線軌道落下の最中に、その背の触手を複数伸ばし――というか、『射出』した。すると、その先端が近くの建築物の窓を貫き、あるいは壁に鋭く食い込む。
次の瞬間、アストリッドは触手を巻き取った。当然だが、アストリッドはその建築物の壁に引き寄せられる。いや、むしろ壁か窓に叩き付けられる勢いだったが、さらなる次の瞬間にはアストリッドは別の触手を射出し、上方に突き刺し、巻き取り始めていた。
慣性を完全に殺していたわけではないはずだ。
が、これでアストリッドは建築物に叩き付けられるというより、上方に引き寄せられる形になる。
しかも、その次は晶光が小学生の頃から得意だった――。
「三角跳び……!?」
――の要領だった。異形の人外脚力もあり、これでアストリッドは高さを大幅に稼ぐ。
違うのはその後だ。生身の肉体しか持たなかった晶光と違って、アストリッドは高さを稼いだ後、異形の触手を斜め上方へ伸ばせるのだ。そして、突き刺し、巻き取り、再度の三角跳び、それを繰り返す事で建築物をかけ上ることもできる。
「……!」
晶光は絶句するしかなかった。
その行き着くところは言うまでもない。
アストリッドは、別の建築物の屋上に――しかも、影山ほのか女史の亡骸を抱えたまま――降り立ったのだ。
同じ事を繰り返せば、この郊外に疎らに聳える建築物から建築物へと移動を重ねる事も出来る。
見れば、アストリッドがこちらに小さく手を振っている。……同じことをやれるなら、やってみろと言わんばかりに……。
「畜生……!」
無理だ――と、晶光は判断せざるを得なかった。
晶光もまた異形の甲冑に鎧われた身。その筋肉の跳躍力や耐久力を以ってすれば、この学校の屋上から、華麗に飛び降りる事もできるだろう。
ただし、それだけだ。
あんなCGめいた動きをできるはずもない。
晶光は警察へ連絡しなかった事を心底悔やむ羽目になった。
***
翌日の登校中――。
晶光がツツジに恐る恐る声をかける。
「な、なあ。ツツジどうする? 昨日……」
「黙ってて! 今、考えているのっ!」
……一晩経ったというのに、ツツジの機嫌はまるで直っていなかった。
「ていうか、晶兄はいつもそうだよね! 何かあったら、ツツジどうする? ツツジどうする? そのくせ、都合が悪くなると、女は黙っていろ!――って、一体どういう頭しているの?」
「そ、それは……」
「アストリッドさんにからかわれている時もそう!」
「え……」
「あんなの見え見えの蜜罠じゃない! ……チッ、いっそヤッておけばよかったのに!」
「や、ヤッて??」
「少し考えれば、わかるでしょう!」ツツジは頭を抱えていた。「褥の中で重要な秘密を話す無能はまずいない! 大概は馬鹿な男が無意味な罪悪感で弱みを握られるっ!」
「???」
「だから、筆下しのいい機会だったじゃない! 晶兄の……」
「っ!? 黙れ、ツツジ!!」
「え?」
晶光の大声にツツジは黙り込んだ。
「く、くる!」
「は、はあ?」
「この気配……異形だ! しかも……数が……!」
!!!
「うああああああああああああああ!!」
晶光は絶叫した。
***
四度目ともなれば、話も早かった。
晶光の絶叫と共に胸元からは触手が飛び出し、晶光の身体は一瞬で異形の甲冑に鎧われた。
と、同時に自律式異形が襲撃してきたのだ。
その数は1、2、3、4、5、6、7……!!??
「やばい! 数えきれ無い!」
晶光は文字通り『無数』の異形の接近に、恐怖し、混乱した。
おそらく感覚能力そのものが異形化によって増幅されているのだろう。そうでなくては、通学路の物陰から近づいてくる蜥蜴型異形を察知するなど不可能だ。
が、晶光の認識能力の方が追い付いかなかった。だから、大量とはいえ、百はないはずの気配を『数』える事もでき『無』い有り様だった。
「く、来るな……!」
今回の異形襲撃はこれまでの様な散発的な攻撃ではなかった。戦力集中の原則に忠実。つまり、相手は勝つべくして勝つ布陣で来ている。
「来るなあああああ!」
対する晶光は無我夢中で両手両足を動かし続けるしかなかった。
それでも、幾何かの蜥蜴型異形を手刀足刀で切り伏せ叩き伏せる事が、一応、出来た。
やはり、晶光の『甲冑式』は原則的に『自律式』を圧倒しているらしい。
さらに言えば、晶光も自分の甲冑式異形の扱いにかなり慣れ始めていた事もあるだろう。
しかし、晶光の心には、余裕はなく、焦燥があった。
繰り返すが、今回の異形襲撃はこれまでとは違う。相手は戦力の逐次投入を避けている。勝つべくして勝つ布陣で来ている。
皮肉にも異形甲冑によって拡大した知覚がそれを教えてくれる。
晶光の不完全な認識でも、
――この『布陣』はもう詰んでいる……!
という事が理解できてしまう。
実際、次の瞬間、晶光は上方からの異形の気配を察知した。
すぐに晶光は視線――異形甲冑による高品位複合複眼――を空へと向ける。
一瞬で理解したしたその本質は蜥蜴型や竜盤型と同じだった。剥き出しの筋肉に脈打つ血管の異形細胞体――だが、推定翼長で2メートルを超えるその形状は
「蝙蝠型だと……!?」
奇縁と言うべきか、それはツツジが想定した『飛行動物型異形体』そのものだった。
しかも、その蝙蝠型自律式異形体は集団でツツジに向かう。
ツツジはツツジで駆け出し逃げ出すが、所詮は人の身である。その速度差でいずれ追いつかれる。
だからこそ、晶光は跳躍した。
目標はツツジを攫った蝙蝠型自律式異形体。
自信もあった。異形細胞による人外筋力跳躍なら、蝙蝠型の飛行高度にも到達可能だ。晶光も晶光を鎧う異形について、経験を重ねているから、軌道計算を含む統御も問題ない。
が、放物線軌道中に、他の蝙蝠型が晶光の前に立ち塞がる。
「邪魔をするなああああああああっっ!!」
晶光は左右の肘でその蝙蝠型を十字に切り裂く。
実際のそれは間合いを測り損ね、接敵し過ぎた故の苦肉の策だった。
しかし、効果は抜群だった。
その蝙蝠型は一瞬で、水と窒素と二酸化炭素へ【融解】していく。
ただ、軌道は変わってしまった。これではツツジの元へは辿り付けない。
しかも――。
「み、ミサイル……!?」
対空滞空跳躍中の晶光に襲い掛かってきたのは、『誘導飛翔弾』と呼ぶ他ない異形細胞による疑似生体榴弾の数々だった。
「ちっ!」
晶光は反射的に防御態勢を取る。
刹那の後、無数の誘導飛翔弾による化学的な爆発が連鎖的に発生する。
そんな猛攻に対しても、なお晶光を鎧っている異形甲冑は強靭だった。勿論、無傷とは言えず、甚大な被害が出ている。しかし、混凝土に叩き落とされた晶光にとって、そんな事はどうでもよかった。正直、痛みすらほとんどない。それは脳内麻薬による鎮痛作用というだけではないはずだ。
「晶兄いいいいいいい!」
「返せ! ツツジを返せ!」
ツツジの叫びに、晶光もまたそう叫ばざるを得なかったからだ。
その間にも、複数の【蝙蝠型】がツツジに群がり、その中の一体がツツジを掴み捕え、連れ去っていたからだ。
「ツツジいいいいいいいい!」
晶光が伸ばした異形の右腕は虚しく空を裂く。
しかも、
――「下手に動けば、この娘の命はない」
そんな『意図』がひしひしと伝わってきた。
……実際のところ、そんな脅しが必要だったかどうかも怪しい。さすがに回避不可能な空中であんな爆発を複数くらって、即座に動き回れるほど、この異形甲冑は便利ではない。
いや、そもそも、物陰から姿をあらわした眼前の脅威に、晶光は硬直すらしていた。
それは――
「み、ミサイルランチャーだとっ?」
誘導弾砲搭載版の――翅隠型甲冑式異形だった。
そう、昨日相対した個体に似たヒト型の異形甲冑体だ。『体幹が膨らんだ有毒甲虫』を連想させる全体形状、結晶性の外殻装甲でほぼ全身が覆われ、背中にはそれこそ甲虫の鞘翅を思わせる正体不明の器官がある。
違いといえば、やはり異形細胞肩部に大きく『展開』した上で、その奥には見せつけるように疑似生体誘導飛翔弾が複数格納されていた点だ。
「――その通りだよ、晶光クン。こちらは第五階梯(ステージⅤ)の【緑】(アル=アクフダル)からなる三核炉心体」
その甲冑の主たる男はあえて語る。
「翅隠型光砲版甲冑【スタフィリニデ:ラーゼル】の異形統御者という訳だよ」
だから、言葉も重ねる。
「警察を含む第三者への情報漏洩は避けてくれたまえ」
「こ、断れば?」
「君が聡明な少年だという事は調べがついている。馬鹿な真似はしないと期待している」
「……っ!」
「以上だ」
と、立ち去る異形統御者の男の声にも耐えるしかなかった。
***
それから数日は記憶がおぼろげだった。
勿論、覚えている事もある。
当然だが、ツツジの両親は行方不明者届を出した。
だから、晶光のところにも警官は来た。
とはいうものの、実のところ、何と答えたかはよく覚えていない。
晶光は『参考人』の一人になっているだろう。
だが、それだけだ。
警官は、晶光の拙い言葉――実はどう誤魔化したのかもよく覚えていない内容――に、深く考えた様子もなく相槌を打つばかりだったのだ。
あるいは、あれは演技だったのかもしれない。いや、実際問題、警察でなくとも、大の大人が晶光の様な中学生の言葉を一から十まで真に受けるとは考えにくい。状況証拠的に、晶光の嘘は半ば見抜かれているはずだ。
だが、それだけだ。
勿論、警察も動いてはくれている。
女子中学生が白昼堂々いきなり姿を消したのだ。動かない理由はない。
だが、それだけだ。
結局、ツツジの『失踪』はよくある家出事件の一つとしか扱われていない。少なくとも、晶光の目にはそう見えた。
――これではツツジの救出は夢のまた夢だ。
そう判断せざるを得なかった。
脅威となるのはあの《異形》だけではない。それらの戦力を(何だかんだで最後には)適切に投入してきた点こそ、むしろ、恐ろしい。それだけの組織力を誇る集団が相手だ。片手間めいた労力ではツツジの居場所を見つける事すら叶うまい。
あるいはツツジをさらった――たしか《荒夏》と名乗った――組織が、警察に何らかの圧力をかけたのかもしれない。あんな《異形》を運用する組織なら、その程度はできてもおかしくはない。それこそ、ツツジが好きな漫画の様に。
いずれにせよ、晶光も真実を打ち明ける事は出来なかった。
正直に話しても、ツツジの身を危うくするだけで、救う事はできそうもない。
そう判断せざるを得なかったのだ。
だから、晶光は、朝方から夕暮れまで、街中を淀んだ目でぶらついていた。
脳裏をよぎるのは過去の事ばかりだった。
物心つく頃には、ツツジは既に晶光の傍にいた。
幼稚園の頃から、晶光にとってツツジは妹のような存在だった。
だが、周囲はそうは見なかった。
晶光達の関係に、大人は好意的だった……が、子供はそうではなかった。
晶光とツツジのあまりにも親密な関係をからかい、ちょっかいの対象としたのだ。
今ならわかる。
あれは同世代の少年少女たちがツツジの事を好きだったが故の行為だ。
だから、ツツジと共にいる晶光が邪魔だったのだ。
「……無理もないな」
ツツジ程の女子だ。万人を魅了するのは当然の話だ。
だからこそというべきか、思春期以降は晶光達の関係に対する同世代による有形無形の妨害は多かった。
しかし、それでも、ツツジは晶光から離れないでいれくれた。
ツツジがその外柔内剛を駆使し、対人関係を円滑に納めてくれた。
やっかみ混じりのからかいに対しても、軽やかに手を振りつつも、晶光の腕に抱き付く事で、周囲の雑念を雲散と霧消へ導いてくれたのだ。
当時の晶光は、それがやっかみだともからかいだとも、わかっていなかった。
ツツジは晶光が気付く前に事を収めてくれていたのだ。
「なのに、俺は……」
次の瞬間、晶光の携帯端末が震えた。
晶光が朦朧とした意識の中、端末を取り出す。
いつの間にか、ツツジの映った動画を着信していた。
数日ぶりに見るツツジは、よりにもよって、別れた時と同じ学生服姿だった。
しかも、『今日付けの新聞』を持っていた。それは背景も含め、ツツジの本棚に並んでいた『MASTERキートン』のような展開だった。
そして、始まる高精細度動画再生
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
と、そこでツツジの台詞は途切れ、再生が終わる。
だから、晶光は夢中になって、その動画記録を繰り返し再生する。
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
何度目かはわからぬ高精細度動画再生の後、晶光はその場に立ち崩れた。
周囲の通行人が奇異の視線を向けて来るが、正直、知った事ではない。
「無事だった……!」
晶光の一念はまさにそこに尽きた。
これでツツジの生存が完全に証明されたわけでもない。が、これだけの高精細度動画のでっち上げは困難だ。少なくとも一介の中学生の手には余る。つまり、晶光がこの動画を持っていけば、悪戯を疑う暇もなく、警察は動いてくれるだろう。
「……警察は……動いてはくれる……」
だから、晶光は数分待った。
しかし、何も起きなかった。
それなりに人通りのある道端で、明らかに不自然な足踏みをしているのに、周囲からは奇異の目で見られるだけだった。
正直、期待していた。こうやって『拉致犯』から連絡が着た瞬間、晶光を尾行していた私服警官が、晶光を即座に取り押さえ、携帯端末を奪い、通信サーバーの割り出しを急いでくれることを――。
ツツジが好きだったドラマの様な、渋くて頼りがいのある大人の警官を切望していた。『やはり、そういう事だったんだな。後の事は大人に任せなさい』と、我ながら幼く頼りがいのない晶光の肩を叩いてくれることを――。
しかし、現実の晶光の身は奇異の視線にさらされるだけだった。
つまり、現実の警察はこの『失踪事件』に、その程度の資源しか割いていないのだ。
いずれにせよ、はっきりしている事がある。
「駄目だ……! 警察は……! 大人はあてにならない……!」
そもそも、日本の警察の通常装備であの《異形》に太刀打ちできるとも思えない。
蜥蜴型の様な自律式であっても、リボルバー拳銃では相手になるまい。多分、アサルトライフルは必要になる(それこそ、ツツジの好きな漫画で覚えた)。
まして、甲冑式ともなれば! 防御姿勢を取っていれば、小型とはいえミサイル数発に耐えたのだ。どうすれば、倒せる? いや勿論、十分な火力を叩き込めば、倒せるだろうが……現実的にそんな事が可能なのか?
自律式もそうだが、甲冑式は特に運動性に優れる。十分な火力を叩き込む事はそもそも困難だ。
しかも、広義の隠密性も高い。それらを活かして、市街部で遊撃戦を徹底されたら……、
「はは、なんだ。無敵じゃないか? 異形の力さえあれば、『世界征服』だってできるんじゃないかの?」
そういえば、アストリッドは彼らを『悪の秘密結社』と呼んでいた。
……晶光はこの国に伝わる金字塔作品を髣髴とせざるを得ない。
「『世界征服』を企む『悪の秘密結社』が相手なのだとしたら……!!」
絶望を通り越して、自暴自棄にすらなりかねない。
が――。
奇縁と言うべきだろうか?
「彼女ォ、お茶、飲まない?」
そんな風に古典的なナンパをする声が耳に届いた。
晶光は振り向いた。
その先には予想通りの声の主がいた。
件の金髪美少女――アストリッドが見知らぬ女子を誘っていたのだ。
しかもと言うか、どうでもいい事かもしれないが、見知らぬ女子はその小さな背に赤いランドセルを担いでいた。
つまり、アストリッドが女子小学生をナンパしていたのだ。
「アストリッドおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
晶光は赫怒し、それから数分間の記憶はほとんどない。