第五話 突入! 《荒夏》東京支部!
俺とアストリッドは東京都心部の高層建築物屋上に立っていた。
その上で、俺達の視線は隣に屹立する高層建築物へ向いている。
「あれが《荒夏》東京支部なんだな?」
「ええ、中は丸ごと《荒夏》のアジトになっているから、遠慮は無用。むしろ、危険」
「わかっている。覚悟を決めるさ」
時刻は午前四時、アストリッドに指示され、俺ものこのこやってきたが……、
「ところで何でこの時間なんだ?」
「ん? 人通りの多い昼間に突撃して、無関係な人間を巻き添えにしたいの?」
「い、いや、配慮に感謝する」
俺が慌ててそう答えると、アストリッドは意味ありげに笑った。
アストリッドは今日も紫のダメージスキニージーンズと白のタンクトップの組み合わせ、そして、その下の黒いブラジャーを相変わらず見せ付けている。
俺はなんとなく視線を下げた。すると、アストリッドの足元に、彼女が担いできた背嚢が無造作に置いてあるのが目に入る。以前、俺の部屋で見たものと同じだ。つまり、アストリッドはアストリッドなりに準備をしてきたというわけだ。
――『その身一つで来ればいい。それが異形統御者の強みだから』
と、アストリッドに言われて真に受けて、ノコノコやってきたが、俺も俺で準備をしてくるべきだったかもしれない。
しかし、アストリッドに俺の後悔を気にする様子はない。
「それで、大まかな内部構造とツツジさんの監禁場所については暗記しているわね?」
「あ、ああ、覚えてきたさ。突入後はツツジへ向かって最短経路で走る自信がある。……とはいえ、これは貴様が提供した情報が事実ならば、の話だがな」
「だから、あたしが先に正面から突入すると言っているのよ。君はその後で好きな窓から突入しなさい。――できるわね?」
「ああ、当然だ」
高層建築物の屋上から、跳躍して、隣の高層建築物へ突入する――常人には非現実的な作戦に思えるだろう。
しかし、今や異形統御者の末席たる俺にとっては、むしろ凡庸な作戦に思えた。
小学一年生の俺が全力で打っても、母は平気だった。しかし、中学一年生の俺が全力で殴れば、母は負傷する。それはやる前からわかる(だから、やらない)。
それと同じ次元の話だ。
今の俺が異形甲冑を鎧えば、この程度の跳躍は容易い。それがやる前からわかる。
これは体感であって、錯覚ではない。実際、準備の一環として、久々に道場に行って、稽古をつけてもらいもした。当然だが、異形甲冑は隠したままだったので、体格差で押し切られもした。しかし、技のキレについては、以前よりも(ろくに稽古をしていないのに)大幅に上回っていると不思議がられた。かつての刑部先輩を髣髴とさせるという声すらもあったぐらいだ。
――あれが異形統御者の余技。アストリッドが生身で俺を圧倒した理由か。
どうやら、異形統御者になると生身のままでも、いわゆる『直感』が冴え渡るらしい。いや、埋め込まれた成虫原基(イマジナル=ディスク)を考えれば、『生身』の定義自体が怪しくなるが……。
俺が神妙な顔をしていると、アストリッドは微笑を浮かべる。
「頼もしいわね。……じゃあ、あたしは着替えるから、ちょっと待っていて」
「ああ……え、着替え?」
そう言ってアストリッドはいきなりタンクトップを脱ぎ出した。と思ったら、ダメージスキニージーンズと靴もまとめて脱ぎ出す。
俺が『待っていてね』という台詞を真に受けていると、アストリッドはあっという間に黒いブラと、初めて見るが、やはり黒いショーツのみの下着姿になっていた。
まだ日は出ていない。だから、東京都心部とはいえ、薄暗い。
それでも、アストリッドの裸身は皓かった。
「って、えっ? 着替えるって?」
俺が混乱している間にも、アストリッドの着替えは続いていた。
何と、アストリッドはさらにブラを外し、ショーツも脱いだのだ!
思わず俺は両手で顔を覆う。
「な、何で下着まで!?」
俺は指の間から、金髪美少女アストリッドの全裸をガン見しながら、叫んだ。
……誤解のなきように言っておくが、俺のガン見は必要あっての事だ。アストリッドは信頼も信用もできない。それはこれまでの経緯で明白だった。つまり、ツツジを救い出すためにもこの金髪美少女に気を許してはいけない。だから、俺はアストリッドの凄まじい曲線を成す素晴らしい肉体から目を離せない……!
すると、アストリッドは一糸まとわぬ艶姿を見せ付けるように両腕を背中に回す。
「あら、説明不足だったかしら?」
「な、何がた!?」
「前にも言ったけど、異形甲冑は、原則的に、皮膚表面の電流を入力信号として動くの。だから、あまり厚着すると、異形細胞が人体組織からの電気信号を正確に拾えず、甲冑の統御に支障をきたしてしまうの。一応、異形細胞分泌の媒介粘液補助なんかもあるから、極端な誤作動は珍しいけどね」
「……だから、貴様はいつも薄着とでもいうのか?」
「ええ。必要ゆえ、羞恥に耐えつつ、薄着なの」
と、語るアストリッドは全裸のままだった。
訂正する。見せ付けるようにではない。こいつは明らかに裸身を見せ付けていた。
「そして、今回はあたしも本気でいくつもりだから」
「……服を着ずに異形化すると?」
「いえ、甲冑統御用の装備を着るわ」
アストリッドはそう言って、全裸のまま、背嚢から、妙に薄い『装備』――ウェットスーツを思わせるSF的ぴっちりスーツを取り出す。
「それは、影山ほのか女史も着ていた……」
「《ドライバーウェア》、文字通り異形統御者用の下着よ。《TAMAGOROMO》――『緊張分析・(Tension Analyzer/)運動分析・(Motion Analyzer/)成長観察・(Growth Observer/)相互有機(Reciprocal-Organic )メモリオブジェクト(Memory-Object)』で形成されているから、人間の生体信号を安定増幅させ、異形細胞が入力信号として受け取り易くできる。つまり、より円滑な甲冑統御ができるというわけね。他にも色々と……そう、例えば、ブラジャー機能なんかもあるし」
「誰もそこまで聞いていない……!」
「あら、重要なのよ。あたしのEカップ、1キログラムぐらいあるからね」
全裸のアストリッドはわざわざ己の乳房を持ち上げやがった。
「わかったから、早くそれを着ろ」
「本当にわかっているの? このドライバーウェアは皮膚表面の電流なんかを正確に拾うために肌へ密着する下着であり、生化学的な接続を妨げないために薄着なのよ」
ちなみにアストリッドはまだ全裸だ。謎ぴっちりスーツ改めドライバーウェアとやらを手にしながら、それを着ようとしない。
「君用のドライバーウェアはないし、男のぴっちりスーツ姿には需要もない。かといって、男の裸にはもっと需要がない。ツツジさん救出後、人ごみに紛れて逃げ出す事を考えれば、君は異形化を解いた時に日常の衣服を着ていた方がいい」
それはわかっている。だから、俺も普段着で来た。社会性を考えて、武器も防具も身に着けていない。
「ただ、異形統御者にはそういう性質や装備がある事は、ちゃんと理解しておいてね」
「わかった。わかったから、早くそれを着ろ」
「なんだか、ぞんざいね」
「ぞんざいに扱われたくなかったら、早く着ろ」
俺はそう言って思い切って背を向けた。すると、アストリッドからは「わかったわよ、でもこれ、試作品もいいところで、潤滑剤なしで着るにはちょっと時間がかかるからね」という返答が来る。
ピチピチとかキュッキュッとか、およそ衣服を着ているだけとは思えない音が背中から聞こえる。時々聞こえるパンパンという音は、あのぴっちりスーツと肌の間の空気を抜くために手で叩いているためのものだろうか?
「んー、やっぱり無理かな? 潤滑剤を使うわね」
「どうでもいいから、早くしろ……!」
ビュビュとかピチャピチャとか、今度はそんな音が聞こえた気がする。これは幻聴か、あるいは異形統御者化の影響か?
俺が想像の翼を必死に抑え込んでいると、アストリッドが静かに尋ねて来る。
「君さ、もしかして、女の裸を見るのは初めて?」
「それは……」
と、そこで俺は口を閉ざす。
――小さい頃は、俺もツツジと一緒の風呂に入っていたが……。
さすがにそれは秘密だ。だから、緘黙を続けるしかない。
しかし、その静寂はアストリッドが先に破ってくれた。
「もういいわ。着替え終わったから」
そんなアストリッドの言葉を信じて振り返る。俺が馬鹿だった。
金髪碧眼美少女の着替えはたしかに終わっていて、ドライバーウェアとかいうぴっちりスーツで全身を覆っていた。ぴっちりスーツは極薄で、その艶美極まる全身の線は丸出しだった。まあ、それはいい。煽情的だったが、覚悟はしていた。
が、アストリッドは全裸同然のその上に、モミモミと謎の粘液を擦り込んでいた!
「ああ、この粘液は着替え易くするための潤滑剤と言うだけなく……」
「言わなくてもいい……!」
俺はまた両目を両手で顔を覆って、先に答える羽目になる。
「どうせ、超音波診断用ゼリーみたいな機能があると言うんだろう?」
「加えて、電気化学的にも調整されているから、その辺りの接続補助機能もあるわ。異形細胞が分泌する粘液と同類ね」
アストリッドは胡散臭くも納得はできる説明をする。乳房の間などでネバネバ糸を引く粘液を、ヌルヌルモミモミと全裸ぴっちりスーツ越しの全身に塗りたくりながら、だ。
「それにしても、君は随分と初心ね? 本当に童貞?」
「……」
「っていうか、この際、聞いておくけど、君、ツツジさんとは男女の仲じゃないの?」
「……」
「まさか、ただの幼馴染ってわけ? ツツジさんを女として見た事がないってわけ?」
「……いや、ツツジはただの幼馴染ではない」
俺は本心を口にする勇気をかき集めるのに時間がかかった。
だから、その時、俺は両手を下げ、まっすぐにアストリッドを見つめていた。
「ツツジは俺の想い人だ。俺の片思いなんだ」
「は……?」
「わかっている! 俺なんかがツツジとは釣り合わないという事は! 身の程知らずだという事も! 百も承知! だが、好きなんだ! どうしようもない!」
「いや、あの……」
「俺が初めて異形の甲冑をこの身に鎧った日は憶えているな?」
「ええ、君があたしの手紙に……」
「そもそも、俺が、何故、貴様の手紙にのこのこ従ったと思う?」
「あたしに魅了されたから……ではないの……ね?」
「ああ! ただの口実だ!」
気が付くと、俺は拳を握り、叫んでいた。
「俺がツツジにベタ惚れだったからだ。ツツジにメロメロだからだ。ツツジと一緒にいる時間が欲しかった。一分一秒でもツツジと一緒にいたかったからだ……!!」
「……」
「空手をやっていたのも、ツツジに型が綺麗と褒められたからだ! 他に理由があるか!」
「…………そういえば、『女は黙っていろ……!』とツツジさんには言ったわよね?」
アストリッドがいきなり妙な事を言い出した。
「ん? ああ。それがどうした?」
「いや、あたしは言われなかったな――と思ってね?」
「だから、それがどうした?」
「……なんだか、本気で……」
「え? なんだって?」
「…………………………変身(Förvandlingen)」
アストリッドの相変わらず本格的な発音に、俺は慌てて飛び退いた。
次の瞬間、ドライバーウェアの胸元と背中から、赤黒く生々しい数多の触手が飛び出す。そして、それらが金髪碧眼美少女の全身を覆い、蛹か繭を思わせる有様を経て、表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
「……危ないな」
「今の君なら余裕で躱せるでしょう? 仮初にも異形統御者なんだから」
六本の太い触手を背負い、要所要所を結晶性の外殻装甲で覆われた異形細胞甲冑体――女王級軍隊蟻型甲冑式異形体=アストリッドは平然と語った。
「だからって……」
「ほら、君も早く早く」
アストリッドがそう言って指を鳴らす。すると、俺の胸の奥に違和感が生まれる。
「き、貴様!」
俺の中で蛇のような何かが蠢き出す。もう慣れてきてはいるが、ここまで露骨だと、さすがに衝撃だった。
「これが『女王級』というわけか……!」
「本気で抵抗すれば、君も拒めるわ。でも、無駄な手続きは省きたくない?」
「ちっ……」
俺は舌打ちするしかない。
次の瞬間、俺の胸元からも無数の触手が飛び出た。赤黒く生々しいそれらは正面に立つアストリッドへ直進し……
「嫌よ嫌よも好きの内ってね」
……接触する直前に制止し、方向転換する。
この間、アストリッドは一歩も動いていなかった。躱す素振りすらなかった。俺よりもはるかに成熟した異形統御者であるにもかかわらずに、だ。
そして、俺の全身を触手が覆い、蛹か繭かという有様を経て、その表面が結晶化し、その直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたほぼ忠実なヒト型の似姿。
だが、アストリッドはそれを見て少し驚く。
「あら、君の表現型、変わったわね?」
「……それはこっちの台詞だよ」
たしかに俺の異形甲冑は突起部分等が多少変化していた。……しかし、それだけだ。
が、アストリッドの異形甲冑には明らかに新たなスカート状器官が追加形成されていた。これは……
「いわゆる『最適化』よ」とアストリッド。「構成要素間の調和をとって、システムの状態や動作を最適に近づけるの」
「俺達の心身に合わせ、異形甲冑側もその性質を微調整してくれると?」
「ええ。さらにあたしの場合は作戦目的に合わせて、意図的に異形の側を調整しているの。今回は奇襲ではなく強襲になるなら、追加装甲を形成したというわけ」
「な、なるほど」
「やろうと思えば、この触手も硬質化表皮をなくし、生の異形細胞を剥き出しに出来るわ」
「……それ、どういう時に使うんだ?」
「ふふっ、知りたい?」
「……聞かない方がよさそうだな」
「あら、それは残念」アストリッドは邪さを隠そうともしない。「ただ、こういった最適化がありうるという事も覚えておいてね。脳神経側の可塑性が残り少ない君は微調整程度しか起きないだろうけど、イグフテルを使える連中はその限りではないから」
「ふん」
俺は鼻で笑った。
「「……」」
これも異形統御者同士特有の間合いというものだろうか?
互いの大小様々な準備を整え終わった事を無言で確認し合う。
俺とアストリッドはほぼ同時に跳躍突入した。
***
***
***
あたし、アストリッドは、十五年の人生の中で、一途な恋心なんて見た事がなかった。
庇護欲や保護欲というものを否定するつもりはない。それらは人間を形成するたしかな要素だと思う。しかし、それらは欲望の一種でしかないと思っていた。
それは必要な事だとも思っていた。
例えば、ある者がある女に惚れたとしよう。好意を口にすらしたとしよう。そこに別の、より若く美しい女がその者へ好意を示せばどうなるか?
――その者は若く美しい女へ乗り換えるに違いない。
我が子を死なせてしまった母が、新しく生んだ子へ愛を注ぐのと同じ、当然な事だ。
しかし、あの少年は違うのかもしれない。だからこそ、
――「……なんだか、寝取りたくなったわー……」
と、あたしは口にまでしたのだ。
「彼はあの娘の事は『女』と見ている。というか、あの娘こそを『女』と見ているの?」
考えてみれば――。
東方晶光は何かある度に、一々必ず三葉ツツジの指示を仰いでいた。限定的とはいえ、彼を監視していたあたしにはそれがわかる。彼の様な男子中学生が今回の様な異常事態に出くわした時、本来、相談相手となるのは両親か友人だ。とりわけ東方晶光のように家庭環境に問題がない場合、まず両親へ相談するものだ。
ところが、東方晶光はまず三葉ツツジの指示を仰いだ。これは異常だ。何といっても、当人にその異常さへの自覚がない。それが異常なのだ。たしかにあたしは脅迫もしたが、その前の段階で両親に相談することはできたのだ。何しろ、東方晶光はあたしと違って、『健全な家庭』に恵まれているのだから。
しかし、それでもなお東方晶光は三葉ツツジの指示を求めた。
加えて、成虫原基越しにも伝わってくる強力な依存心!
さらに、今後の社会生活をまるで考えていないとも思える行動力!
「……歩兵級と言うよりは奴隷級ね……」
そして、そんな彼の女主人は、しかし、女王級であるはずのあたしではない。
不愉快だった。
あたしの役割が陽動なのは僥倖だったのかもしれない。
目立つ振る舞いが必要とされるのだ。ならば、少々感情的になるのも悪くない。
だから、あたしは正面玄関の鎧戸を堂々と突き破った後も、《荒夏》東京支部の中枢へ一直線に駆け出す事にした。
勿論、屋内でも要所要所は鎧戸で閉鎖されているし、中枢への道筋は公開されていない。しかも、警報機がけたたましい音を鳴らし、警備員が警棒を片手に駆け寄ってくる。
――うんうん。予定通り。
異形甲冑の爪牙と筋力なら、鎧戸を引き裂く事も朝飯前。中枢への道筋も、異形細胞の超感覚とあたしの超認識の組み合わせで割り出せるし、下調べとも矛盾していない。警報機の音も耳障りではあるが、陽動には役立つ。警備員はおっさんばかりだったので、目に付いた者から、とりあえず触手で喉仏を掻っ切っていく。
――さて、どこで切り上げようかしら?
中枢付近には明らかに甲冑式異形体と思われる気配が複数ある。あたしが当初想定したよりも何故か少ないが、おそらく防備を固めているのだ。そんなところまで突入するのは自殺行為。引き際を見極める必要がある。
あたしは思案を重ねつつ、通路を進み、死体を積み上げていく。
すると、敵性異形の気配が急に迫り始めた。蜥蜴型と竜盤型が複数、つまりは自律式の群れである。
さらに、その後ろから新たな警備員が駆け付け始めた。しかも、彼らはこれまでと違い、露骨に銃器で武装している。しかも、アサルトカービンライフルやらソードオフショットガンやら、ここが日本だという事を忘れさせるような銃器ばかりだ。
そして、両者は明らかに連動している。陣形を組んでいると言ってもよい。
――さあて、《荒夏》の本性を現し始めてきたわね。
勿論、通常の自律式異形など、今更、物の数ではない。晶光クンですら、初陣で勝てた相手だ。あたしなら、触手の一刺しで無力化できる。
警備員の銃器も同じだ。甲冑式異形は拳銃弾程度ならば防いでくれるし、そもそもその超人的な運動能力で相手にまともな照準をさせない。
(さらに言えば、異形統御者には特有の『直感』がある。勿論、人の身で銃弾を躱す事は不可能だが、予め銃弾が自分に命中しない位置に移動する事は出来るのだ)
それでもなお、あたしは一応、慎重策を取った。
まず、曲がり角に身を隠す。次に、触手で壁を少し抉る。この時の音で敵性自律式異形軍団はあたしへ注意を向け、警備員達もまたこちらへ銃口を向ける。予定通り。あたしは抉った壁の破片をそのまま触手で掴む。
そして、六つの触手を曲がり角の向こうに伸ばし、六つの破片を同時に投擲する。
相手は無警告で発砲してくるが、人体ならばともかく、細い触手に致命傷を与える事はできない。それどころから、発砲のために銃器を突き出す形になった事が仇になる。
触手に投擲させた破片は正確に銃器に命中したのだ。異形統御者の優位とはこういった軌道計算をも直感的に行える点にある。
そう、警備員達はそろって銃器を取りこぼしそうになったのだ。
あたしのような甲冑式異形統御者にとって、その隙で十分だった。
――予め射刀を用意しておけば、触手の届かない距離でも一撃で仕留めれるかな?
そんな思いつきと共に、あたしは敵性防御陣形に突入する。
後は一瞬だった。両手両足を動かすまでもない。触手だけでも敵は等しく解体できる。
異形由来の粘液と人体由来の鮮血、そして共に等しき肉片を舞い散らかす。
赤と黒の驟雨の中、あたしはふと別種の気配に気づく。
「あ、女だ」
早朝出勤の受付嬢と思しき存在を察知する。
それも巨乳だった。恐怖に震える身体を縮め、物陰に隠れていたが、甲冑式異形で増設拡張されている感覚認識系で舐め回せば、彼女のGカップですら手に取るようにわかる。しかも、荒夏に採用されるだけあってか、彼女はそこそこの美人だった。巨乳であっても、腰回りが弛んでいない。
考えてみれば、今日はおっさんと異形の相手ばかりさせられていた。
だから、あたしは潤いを求め、彼女へ触手を伸ばす。
「い、いやあああああああああああああああ」
巨乳受付嬢の悲鳴にうっとりしながら、あたしは触手で彼女の衣類を剥ぎ取り、即行で全裸にする。男は殺し、女は犯す。世の理だ。
――でも、なんで、こんなところにこれだけの上玉がいたのかしら?
あたしの疑問は、しかし、すぐに解けた。
『女子更衣室』
その標識が目に入ったからだ。
***
女子更衣室に沢山隠れていたので、まずブスとババアから、順番に触手で殺していく。ブスの心臓を突き刺して抜いて、ババアの心臓を突き刺して抜いて。
数秒で目障りな連中を皆殺し完了。
そして、残ったのが甲乙つけがたい二人の若い女だった。ちなみに最初に全裸にして、触手で拘束したまま持ち歩いている女を含めれば三人。あたしも入れれば、四人。まあ、あたし以外は二十台だから、結局あたしが一番若くて美人なんだけど。
――さて、どうしよう?
あたしは少し考え込んだ。
最初に拘束したGカップ受付嬢は全裸に剥いた上で、触手で左右の足首を拘束し、大股開きの姿勢で逆さ吊りにしてある。両手はまだ使えるはずだが、もはや反抗の意思はないらしい。よく見れば、虚ろな顔で涙を流している。
残りの美人二人は着替えの最中だったのか、半裸でガタガタと震えている。
ふと『乳合わせ』をさせたくなった。最近女子小学生ばかりだったのでご無沙汰だったが、この二人に互いの乳房同士をこすり合いさせれば、さぞや絵になる事だろう。そして、嫌よ嫌よも好きの内。すぐに乳首は四つともギンギンに勃起して……。
……と、思ったが、今日はさすがにそんな時間の余裕はない。
あたしがそんな風に迷っていると――。
「と、投降します」
女の一人が両手をあげて、勇気を振り絞って、そんな風に言ってきた。
あたしの甲冑式異形体を見て、こういう台詞が出て来る辺り、彼女は《荒夏》の内情についても知っているらしい。
「ありがたい話だけど、あたしとしては情報漏洩が怖いから」
「だ、誰にも言いません。だから、殺さないで……!」
「そう。ありがとう」
次の瞬間、あたしは触手でその女の首をちょん切っていた。
沈黙していたもう一人の女は「え?」と事態を呑み込めずにいた。
だから、彼女――この場であたしの次に美人――の隣に首を放り投げてやる。
「あ、あああああああああああああああ!!!!!」
そんな彼女の絶叫に、あたしは興奮した。
気が付いたら、触手で彼女の残り少ない着衣をも剥ぎ取っていた。
「い、いやっ。いやっ。いやぁああああっ!!!!」
そして、彼女も全裸にすると「ひっ……ひっ……」と実にそそる喘ぎ方をしてくれた。
「うんうん。やっぱり、あなたの方が美人だから」
「……あ、ありがとうございます」
彼女は裸に剥かれて、両手を触手で縛り上げられながら、あたしに感謝した。
同僚が無残に殺され、全裸で吊り下げられているにも関わらずに、だ。
――ほら、やっぱり、人間って、こんな生き物よ。
ツツジさんなら、予言の自己成就とでもいうだろうか?
しかし、その一方で晶光クンには是非とも見せ付けてヤリたい光景だった。
「あ、でも、武装していないかは心配なの。ほら、女の人って、隠し場所が色々あるしー」
「「……!」」
その台詞に彼女らは揃って顔色を変える。
「とりあえず、身体検査ね」
あたしの触手が蠢いた。
***
***
***
俺、東方晶光十四歳は窓硝子を突き破った。
そして、高層建築物の五階に降り立つと、すぐにけたたましい警報音が鳴る。
しかし、俺はまず周囲の気配を探った。異形化に伴う超感覚と超認識を全開にしたのだ。
――よし、ここは《荒夏》東京支部……少なくとも《荒夏》のアジトだな。
警備用らしき自律式異形の気配が複数かつ明確にある。つまり、この建物で《異形》が運用されている。そして、それができるのは《荒夏》のみだ。……アストリッドのまるで信用できない説明の裏付けがようやく取れた。
――というか、この『超感覚』と『超認識』は便利すぎないか?
大まかにとはいえ、これだけの広範囲を一気に探査可能とは驚異という他ない。……異形統御者の真価とは、異形細胞による筋力や装甲ではなく、展開能力ですらなく、この超感覚と超認識の複合によるこの『ちょっと異常なカンの良さ』なのかもしれない。
俺は、そんな事を考えながら、ツツジに向かって走り続ける。
夜間という事もあってか、進路が鎧戸で塞がっている事もあったが、異形甲冑の爪牙と筋力なら、容易に引き裂ける。
とはいえ、警報音にひかれた警備員が駆け付けるのは無理なからぬ話であった
ただし、警備員のすべてが《荒夏》関係者というわけでもないらしい。
駆け付けた警備員は、まず異形甲冑に鎧われた俺の姿に驚くのだ。というか、そもそも警備員の武装は警棒のみだったのだ。
――ならば、無益な殺生は不要!
俺は異形の脚力で彼らの間を駆け抜ける。
警備員は反応すらできず、呆然と立ち尽くすのみだった。
***
***
***
あたしは絶好調だった。
殺して、殺して、殺しまくっていた。
警備員も、自律式異形も、見つけ次第に触手で刺し殺す。何故か、物陰に隠れて震えていた幼い兄弟(おそらく《荒夏》関係者の子弟)も、とりあえず触手で縊り殺す。
――『女体の盾』は思った以上に有効ね。
これは先に囚えた上玉の女を二人、全裸のまま触手で吊るし、人間の盾としたものだ。……物理的な防御力には乏しいので、通用するか否かが不安だったが、その成果は如実にあらわれていた。
まず、自律式異形がこちらに襲い掛かる事をやめた。強力な保護設定がなされているのだろう。あたしごと彼女らに平伏する姿勢すらとったのだ。
警備員も同じだ。若くて小奇麗な裸の女二人を目にして、露骨に発砲を躊躇ったのだ。
――男って馬鹿ねー。さんざん玩具にしてあげたから、中古もいいところなのに。
あたしは、内心せせら笑いながら、またも触手を伸ばす。
元々、こちらは異形の速度と異形の筋力とを兼ね備えているのだ(『女体の盾』がまだ生きているにも関わらず無抵抗なのはその動きについてこられないからでもある)。
相手の攻撃はまず命中しないし、あたしの一撃はまず必殺となる。
だから、触手をヒュンヒュン伸ばすとすぐに鏖が終わった。
人体は悲鳴と共に屍体となり、異形は気泡を立てて分解される。
あたしは順調すぎて戸惑っていた。
――うーん、ほどほどでいいんだけどねー。
これでは無人の野を行くが如しである。このままだと《荒夏》東京支部の中枢へたどり着いてしまう。前述の通り、それは本意ではない。
しかし、次の瞬間――。
いきなり、複数の疑似生体誘導飛翔弾があたしに目がけて飛んできた。
「ってえええええ……?!」
回避――は間に合わない。防御をするしかない。しかしどうやって?
視覚性の疑似時間加速の中、逡巡し、決断する。
あたしは触手を動かし、『女体の盾』を『物理的な盾』にした。
二重にした全裸の女へと誘導飛翔弾が着弾。猛烈な爆発で女体は四散。細切れになった女の血肉骨片を至近距離で被る羽目になったものの、あたし自身は感覚器系が一時障害になる程度の被害で済んだ。
「仲間の女ごとなんて、ひどいなあ。副次的な被害とでも言うわけ?」
あたしは本気で怒っていた。せっかくの玩具を壊されたのだから、当然の話だ。
「……慈悲の一撃だよ。外道の嬲りものにされるよりはマシなのでな」
彼は嫌悪を隠さず、翅隠型甲冑越しにそう吐き捨てた。
――誘導弾砲搭載版翅隠型甲冑式異形体【スタフィリニデ=ミーシル】……!
晶光クンの報告にあった個体。影山ほのか女史と同じ、本物の異形統御者だ。
その堂々たる威容にあたしは正直焦った。
あたしは既に近縁種である翅隠型甲冑式異形統御体=影山ほのか女史を仕留めている。が、あれはあくまでも一方的な奇襲が成功したからの話だ。
眼前に立つ異形統御者は万全の状態、しかも油断の欠片もない。
実際、他の警備員たちが新たに駆け付けても、彼は微動だにしなかった。
それどころか、異形統御者を援護しようと、健気に隊列を組む《荒夏》警備員に対し、
「不要だ。下がれ」
と、彼は冷徹に言い放った。
「し、しかし……!」
「悪いが、今この場において、諸君らは足手まといだ。しかし、諸君らの役目は他にこそある。違うか?」
「りょ、了解……ご武運を」
そして、警備員たちもまた隙を見せずに撤退していった。
あたしはそのやりとりにクスクスと笑ってしまう。
「何がおかしい?」
「いや、上手いなあと思ってね。只人なんて、頭から見下している異形統御者なのにさ。さすがは《荒夏》のエリート様」
「貴様の凌辱暴虐を見過ごすよりはマシだ」
「ふーん。じゃあ、聞くけど、何で甲冑式異形統御者はあなた一人なのかしら? 戦力の逐次投入の愚かさを、知らないわけじゃないでしょう?」
「……」
「中枢を生かすため、末端を見殺しにした。違う?」
「答える義務はない。いずれにせよ、影山の仇、取らせてもらう」
――やれやれ、そこで影山姉妹か……。
あたしが殺した人間の数は覚えていないが、今日だけでも二桁は軽いはずだ。
なのに、口から出るのは影山姉妹の事……いや、これはもしかして……?
「もしかして、あなた、影山さんに惚れていたの?」
「ゲスが!」
あたしの質問への返答は怒声と二発の誘導飛翔弾だった。
超感覚と超認識を全開。視覚性疑似時間加速を最大。……だが、まともな対応策がない。
そもそも、ここは屋内だ。
限定空間なので躱しようがない。
仕方がないので、あたしは伸ばした触手を盾にして誘導飛翔弾を防いだ。より正確には、六本しかない触手の二本を犠牲にして誘導飛翔弾を凌いだ。何せ、誘導飛翔弾自体は正常作動している。そして、あたしの増設腕部と言える触手がその化学爆発の直撃を食らった。いくら、強靭に鍛え上げた異形細胞と言っても、機能不全に陥ってしまう。
それでも、あたしは質問を続ける。
「ねえねえ。それで、お姉ちゃんと妹さん、どっちが好きだったの?」
「黙れ!」
さらに疑似生体誘導飛翔弾が二発放たれる。あたしは先程と同様に二本の触手を犠牲にどうにか凌ぐ。
「考えてみれば、妹さんは残念だったわね。【スタフィリニデ=ラーゼル】の凝集光砲、ここで使えば、回避も減衰も不可能だから、あたしは詰んでいたのに……」
「……挑発はそこまでか?」
彼は急に――あるいは演技をやめたかのように――冷静な口調で、さらに疑似生体誘導飛翔弾を二発放つ。あたしは三度、二本の触手を犠牲にどうにか凌ぐしかない。
同じ事の繰り返し……ではない。
あたしの触手は六本すべてがこれで機能不全である。これはあたしを鎧う女王級軍隊蟻型甲冑式異形体の主兵装が無力化されたに等しい。
逆に誘導弾砲搭載版翅隠型甲冑式異形体が内蔵生産する疑似生体誘導飛翔弾には、まだ明らかに残弾がある。
しかし、あたしはもう触手で誘導飛翔弾を防ぐ事ができない。
そして、彼は戦力の逐次投入を避ける。
「これで終わりだ……!」
翅隠型の体幹装甲が肩部方面に大きく『展開』した。その奥に無数残っていた疑似生体誘導飛翔弾が全弾発射体制に移行する。
だから、あたしは切詰式二連装散弾銃を二丁取り出した。
「なっ……!」
異形甲冑のスカートの下に隠し持っていたものだ。正確にはここの警備員が持っていたソードオフショットガンからちょろまかしたものだ。
「じゅ、銃火器だと……!?」
彼が驚愕したのも無理はない。
異形統御者には銃火器を軽視する傾向がある。
銃火器で武装しまくっていた警備員があたしを仕留めれなかった事を考えれば、当然の傾向ともいえる。重要な事なので繰り返す。甲冑式異形を相手に個人用の携帯火器が有効打を与えるのは難しい。異形装甲は小口径弾を素で防ぐし、異形甲冑の運動能力は狙いを定めさせない。そもそも、異形細胞による【超認識】と【超感覚】の相乗効果はほとんど予知能力に近い――【疑似超反応】の領域にある。予め銃弾が中らない座標を把握し、常に危険個所を避け続ける事が出来る。極端な話、『なんとなくだけど、ここはヤバイ?』という直感?に基づき、被狙撃箇所に近寄らない事で、長距離狙撃をも無力化するのだ。
翅隠型の誘導飛翔弾が有効機能しているのも、【疑似超反応】同士の相互無力化現象によるものだ。これが単なるRPGなら、あたしを含む異形統御者は、そもそもその射角に入らない事で対応できる。
我ながら、インチキ極まりない。しかし、だからこそ、秘密結社《荒夏》は甲冑式異形システムを戦術上の切り札としたのである。
ただし、何事にも例外がある。
「くっ。死ねええええええ!!」
彼は躊躇せずに決断した。翅隠型異形甲冑は残った誘導飛翔弾を全弾発射する。
巧遅よりも拙速を選んだのは正しい判断だったと思う。
実際、あたしはギリギリだった。
散弾銃の二丁持ち。生身ではまず不可能な芸当だ。
しかし、今のあたしは異形化している。超人の怪力で正確な照準と発砲ができる。
後は、間に合うか、間に合わないかで――そうギリギリだった。
あたしは二丁持ち切詰式二連装散弾銃の引き金を一気に引いて、12番口径の粒状弾を四発ほぼ同時に打ち出す。
……ちなみに、異形統御者が銃火器を軽視する理由は先に述べた他にも多い。例えば、精密部品の塊である現代の銃器はその複雑さゆえに、甲冑式異形体の筋力と反応速度についてこられない。異形統御者が本気を出すと、かなりの確率でジャムってしまう。結局、現代の銃火器は生身のヒトの使用が前提になっているというわけだ。そのため、異形統御者の多くは複雑な銃火器よりも、むしろ単純な刀剣類を好む。
同様の理由で、あたしは精密なカービンライフルではなく堅牢なショットガンを選んだ。それも、オートマチックやポンプアクションよりも、構造の単純さゆえに誤作動が少なく、連射の利くダブルバレルをこそ選んだのだ(それこそ、取り回しを優先するなら、拳銃。とりわけ、誤作動し難いリボルバー、異形の装甲を抜けるマグナムを選ぶだろう)。
そして、二丁持ち切詰式二連装散弾銃はその信頼にこたえてくれた。
四発の原始的な12番口径粒状弾は、最先端技術の結晶である疑似生体誘導飛翔弾群と衝突。発生する誘爆現象は轟音衝撃を齎した。しかしやはり、その結果は感覚系が一時障害になる程度だった。
奇しくもこれで、甲冑式異形統御者は双方ともに主兵装を失った事になる。
「銃火器に頼らない姿勢、異形統御者の誇りと言えば、聞こえはいい。けれども、結局は下らない選民思想だったということね」
「……っ!」
あたしは切詰式二連装散弾銃を二丁ともに投げ捨て、異形のスカートの下に隠していた遠隔装置を起動させる。
光速と音速の後、別種の衝撃がこの区画に伝ってきた。
「い、今のは……!?」
「通りがけに設置していた爆薬の爆発。というか、この異形スカートも元々は爆薬運搬のためだったの」
「こ、この《荒夏》東京支部は近代高層建築物だ。ましてや、ここは世界屈指の地震大国日本だぞ。素人が適当に仕掛けた爆薬で建築物全体が崩壊など、設計上あり得ない……!」
「ええ、同意するわ。あたしがこの《荒夏》東京支部を物理的に爆破するのは無理。でも、社会的に無力化するには十分じゃないかしら?」
「……っ!」
彼は翅隠型の体幹装甲を肩部方面まで全面物理排除した。先端かつ主力である誘導飛翔弾発射部位を捨てたのだ。その上で即座に突貫、あたしへ近接戦闘を挑んできた。
――ここで死重量を切り離す決断の速さはやはり賞賛に値する。
だから、あたしは珍しく敬意を以って、彼を無力化する事にした。