第四話 黄昏の対談!!
SF系設定解説回です。私はこういうの大好きなんですけど、需要は少なそうで怖い……。
気が付くと、街中の喫茶店で――。
「あー、しくじったわ」
「何がだっ!?」
俺は着席対面する金髪美少女アストリッドを糾弾していた。
今日の彼女は白いブラウスと霞色のスラックス&ジャケット
いわゆるビジネススーツ姿のようで、しかし、実はそうではない。
アストリッドの服装はまるで二次元だったのだ。
ビジネススーツ姿のはずが、何故か、体を締め付ける様にぴっちり(タイト)で、水着の様に薄い生地だったからだ。おかげで綺麗な形の胸のふくらみがはっきりわかる。腰のくびれから太股への引き締まった線も見せつけている。おまけにアンダーショーツラインもくっきり透けている。……わざと小さい服を着ているだけではあるまい。大概の社会人の正装とは良くも悪くも柔軟性に欠け、身体の形を隠す機能がある。しかし、このビジネススーツはその逆、身体の形をむしろ強調する意匠だ。それも魔法の様に薄く、皮膚へ張り付く素材。多分、先端科学の産物なのだろう。
――ツツジが言っていた『蜜罠』とはこういう事か……!
つまりは色仕掛けだ。アストリッドの魅力とは他者を惑乱し、利用するためのものだ。だから、この前はスリーサイズその他をあっさりと開陳したし、今もブラウスのボタンを大胆に外し、黒いハーフカップブラが包み切らない豊かな乳房の皓さを誇示している。
こんな露骨な手に引っかかっていた自分がむしろ腹立たしい。
一方で、アストリッドは意外と簡単に口を開く。
「ID帰巣性を舐めてたって事よ。あと、油断もしてた。こまめに周辺探査を繰り返していればね……。ろくにバックアップをとらずにプレステで遊んでいたら、OSそのものがいきなりクラッシュして、再インストールを要求された気分」
「意味が解らん!」
「うん。だから、説明するから、あまり声を大きくしないで」
アストリッドは困った顔で、俺をなだめようとしていた。
実際、店員来客の別なく周囲の視線は集まっている。
しかし、俺はそんなアストリッドの態度をもはや信用できない。
「なら、ここで怒鳴り散らしてやろうか? これまでの経緯の悉くを」
「それは困る。あたしは絶対困るし、君も多分困る」
「脅しか?」
「前にも言ったけど、単なる事実の指摘よ」
「信用できない」
「だから、今日は信用してもらえるだけの情報を提供するわ」
今日のアストリッドはやけに素直だった。
「……本当なんだな?」
「それを確かめたいなら早く質問して。これまでの言動だけで結構目立っているからね。急がないと本当に第三者の邪魔が入るかもしれない」
「……」
悔しいが、アストリッドの言う通りに思えた。ついでに言えば、実際、アストリッドはこれまでになく焦っているように見える。
……もっとも、ここ数日で俺は自身の眼力がまったく信用できなくなっていたが……。
それでだろうか?
「あの女子はなんだ?」
と、俺の質問はどうしようもなく低俗なものだった。
しかし、それは低俗ながらも必要な質問でもあった。
アストリッドが声をかけていた女子――割と可愛いが、勿論、ツツジには及ばない――小学生は同じ喫茶店の別の席に座って、露骨にこちらの様子を窺っていたからだ。
すると、アストリッドはあっさり答える。
「あ、ナンパよ。ナンパ。君の時と同じ。悪の秘密結社と共に戦う仲間を探しているの」
「なん……だど……?」
「まさか、君、あたしの手駒が自分一人だなんて思っていないでしょうね?」
俺はあまりの展開に混乱した。
「ま、待て。そもそも俺はいつ貴様の手駒になった?」
「《荒夏》の方ではそう思っているわ。それに実際、君のイマジナルディスクはあたしのイマジナルディスクの分枝体だから」
「『イマジナルディスク』? 『幻想円盤』?」
「Imaginal_disc――直訳すると『幻想円盤』だけど、意訳すると『成虫原基』になるわ」
「!? あの『苗床』のことか!?」
「ナエドコ? ああ、日本人はよくそう呼ぶよね。うん、発想としても間違いではないよ。ええ、甲冑式や自律式を構成する異形細胞の苗床になっているのが、イマジナルディスクこと成虫原基」
ちなみに『Imaginal_disc』の元ネタは完全変態昆虫だから、検索すれば、普通に出てくるわよ――と、アストリッドはペラペラ補足する。
店員がフルーツチョコレートDXパフェ大盛りを運んできたのは、ちょうどその頃だ。
「おー、来た来た」
喜ぶアストリッドの口調からして、予め注文していたのだろう。
「……いや、待て……」
この機会に、俺は――俺というよりもツツジが――気にしていた事を尋ねる。
「……『俺たち』がやたらと甘いものが欲しがるのは……?」
「もう感づいているでしょ? 体内の成虫原基へ糖分を与えるためよ。異形化結晶細胞も所詮は結晶細胞だからね。蛋白質は消化できないの」
アストリッドはフルーツチョコレートDXパフェを一人で貪りつつ返答する。
「……つまり、俺も……?」
「言っておくけど、君は一基だけだから、まだマシなんだよ。あたしなんて合計で七基も抱え込んでいるもん。維持するだけで一苦労なの」
「……今日はちゃんと説明してくれるんだな」
これは俺の本音だった。以前のこいつは、肝心な事に限って、まともに話さなかった。
「だから、言ったでしょう? 信用してもらえるだけの情報を提供するって。君はなんだかんで有力候補に育ったからね。この際だし、ちゃんと説明しようとは考えていたの」
ほら、何でも答えてあげるから――とアストリッドは言わんばかりだった。
だから、俺は事態の根本を右の親指で示しながら尋ねる。
「やはり、貴様が俺の胸元に『苗床』――貴様の言う《成虫原基》とやらを埋め込んだな?」
すると、アストリッドが両上腕部で乳房を挟み寄せ、胸の谷間を強調しながら答える。
「ええ。あたしの胸元に一つ、背中に六つ植え付けられた《成虫原基》は、君の胸元にも埋め込んである」
「……」
これまた艶っぽい仕草だった。実際、周囲の目はアストリッドにチラチラ向いている。例の女子小学生の視線はもはや釘付けだった。
俺はそんな現実に苛立ちながら質問を重ねる。
「で、結局なんなんだ? その《成虫原基》とやらは?」
「元々は完全変態昆虫の……」
「俺達の中にあるヤツの話だ……!」
「えーと……秩序的な創発現象を引き起こし、特定形質への自己組織化へ至るべく、調整圧縮された準異形化結晶細胞の塊……かな?」
「……」
アストリッドの自信なさげな台詞に、俺は暗澹たる気分になった。
***
「詳細はあたしもわからないし、君はもっとわからないだろうから、大まかな流れだけ、時系列順に説明するわね」
アストリッドの台詞には俺への侮蔑が露骨にあったものの、それを糾弾する気にはなれなかった。
「事の発端たる『それ』は、中華人民共和国の苗族自治区で見つかったと言われている」
――と言いながら、アストリッド自身、この発見場所については怪しんでいるらしい。彼女によると『それ』は深海、あるいは中東からアフリカ大陸で見つかって然るべきものだったという。
「『それ』はパッと見、泥のように見えたらしいわ」
「じゃ、泥じゃねーの?」俺は半ば自棄で相槌を打つ。
「そう考えて、元素分析をしてみたんだけどね。珪素が見つからなかったの。珪素なしで、『泥』と言えるかしら?」
「『それ』は」俺は半ば自棄で推測を口にする。「炭素と酸素と窒素と水素で出来ていた?」
「その通りよ。……なるほど、自力で調査もしていたという事ね」
「……ああ」
勝手に評価を上方修正するアストリッドに、俺は曖昧な相槌で返すしかなかった。
しかし、アストリッドはそんな事情に気付かなかったのか、一方的に話を進める。
「泥のようで泥ではない『それ』を調べているうちにわかったの。――『それ』の中に、限定的な分子アセンブラとして機能する結晶性散逸構造がある事にね」
「……ほう……」
「物理学者はあのシュレーディンガーが提唱した非周期性結晶が発見されたと、大騒ぎ。生化学者も『それ』はLUCA――地球生命の最終普遍共通祖先(Last Universal Common Ancestor)かもれないと、大騒ぎ。皆で仲良くドッタンバッタン大騒ぎになったわ」
「…………ふむ……」
「実際に『それ』のおかげで、古典的な粘土説から、現代的な表面代謝説まで、かなりの修正が行われた。冥王代の地球では結晶系の疑似生命と核酸系の共通祖先が競合していたんじゃないのかとかね」
「………………へえ……」
「だから、『それ』は《女媧泥ユニット》と名付けられ、さらにその中にあった限定分子アセンブラとして機能する結晶構造は《結晶細胞》と呼ばれるよう……」アストリッドはそこで声音を変える。「って、ちゃんとついてきているよね? 変な相槌ばっかりだけど、あたし、結構重要な事を話しているんだよ」
俺は図星を突かれたが、必死に平静を取り繕う。
「も、勿論だ。しかし、あまり聞いた事がない話ばかりでな」
「ああ、そういう事」アストリッドは勝手に解釈してくれた。「たしかにこの分野の話は一時期から、極端に停滞している風に見える。RNAワールド仮説なんかも数十年単位で停滞中に見えるでしょう?」
「……違うのか?」
「違う。その証拠があたしや《荒夏》の使う異形化結晶細胞よ。君も見たはず。あの尋常ならざる《異形》の力を」
「それは……その通りだな」
この相槌は誤魔化しではない。だから、俺は思わず胸元に手をやる。そこに埋められた苗床=《成虫原基》とやらの力は疑う余地がない。それこそ神話の如き、《幻想円盤》の力である。
「陰謀論に思えるかもしれないけど、実用段階に入ったからこそ、その利益独占のために、機密として扱われるようになり、公の話題にはならなくなったの。一昔前の秘密都市(ЗАТО)のように研究員を丸ごと抱え込む形もとられた。《荒夏》やその前身組織の手によって」
「《荒夏》……」
「ええ、《荒夏(huāngxià)》――それがあたし達の敵よ。《女媧泥ユニット》を実効支配していた中国共産党若手エリートと、出資者たるロシアの新興財閥と、理論支給たるアメリカのシカゴ学派が悪魔合体した悪の秘密結社よ」
「悪の秘密結社……?」
俺は意味がわからなくなってきた。
「考えてもみて」
と、アストリッドは言う。
「さすがにドレイクスラー=タイプのナノ=テクノロジーほど万能ではない、あくまでも限定的なもの――とは言っても、分子の組立機なの。構成元素は豊富だけど、化学構造の性質から、とてつもなく希少だった素材の幾つかを、条件次第とはいえ、ほとんど無限に量産できる。これが何を意味するか分かる?」
「えーと……。あ、鉛筆の芯から、金剛石を作れるとか?」
「実際には希少な薬品や燃料の安価な量産、それと素材系の向上などに役立つらしいわ。具体的には六方晶金剛石、理論的には立方晶窒化炭素とかね。《荒夏(huāngxià)》が強大な組織力を誇るのは、それによる潤沢な資金源を持つからとも言われている」
アストリッド曰く、《荒夏(huāngxià)》は意図的に供給量を絞っているだけで、連中が本気なら、いわゆる立方晶金剛石などは、既にプラスチック感覚で量産可能らしい。それどころか、そも近年の金剛石市場の価格破壊の一因も《荒夏(huāngxià)》なのだという。
「しかしな、話が繋がらないぞ?」俺は正直に訊ねてみた。「それとあの《異形》に何の関係がある?」
「潤沢な資金源に基づく強大な組織力って、多くの問題を解決するけどね」
「だから、それはあの《異形》のような化け物の説明にはならんだろう?」
「十二分な資金源と組織力で、限定的な分子組立機として機能する結晶細胞に既存生命の模倣をさせたとしたら?」
「悪いが、わからん」
「こう言えばいいのかしら? 限定的だけど、実用水準の分子組立機を手に入れた組織があった。その組織=《荒夏》はこれまで家畜や奴隷――近代以降は工業機械に任せていた役割も、その疑似分子組立機の被造物に任せようとした。とはいうものの、家畜や奴隷が動く仕組みは、厳密に言えば、よくわかっていない」
「……?」
「勿論、家畜や奴隷の筋肉収縮原理はいわゆる『滑り説』でほぼ合っているはず。必要な筋肉組織の分子性質自体もわかっている。だから、それを疑似分子組立機に模倣させることもできる。細かい過程は怪しいままだったけど、そんな経験則的手法で組み上げた準異形化結晶細胞の塊《成虫原基》は、秩序的創発現象を引き起こし、特定形質への自己組織化に至ってくれた。そして、発現した全細胞表現型は既知の高等動物に似通っていた」
俺はそれこそ似た話を最近聞いた事を思い出した。
「もしかして……あの蜥蜴型やら、蝙蝠型やらの《異形》か?」
「わかっているじゃない」
……勿論、俺はおぼろげにしかわかっていなかったが、その思いつきにアストリッドは勢いよく食らいついた。ひょっとしたら、こういう話が元々好きなのかもしれない。
「あの蜥蜴型や蝙蝠型のような自律式に顕著で、あたしたち軍隊蟻型のような甲冑式にも共通するけど、何であんな形状になるのかというと、『収斂進化による相似器官』なんだと思う。そもそも細かい過程は人間の手で書き上げるには複雑過ぎるからね。どうしても、大まかなパラメータ設定で誘導する遺伝的アルゴリズムにならざるをえない。演算結晶によるマシンパワーは強力だから、専門家も依存しがちだし」
そこでアストリッドが一つ付け加える。
「あ、勿論、『現行人類の発想と語彙の限界』という可能性もあるわよ」
「……そうか」
勿論、俺は話の半分も理解できていなかった。
しかし、アストリッドはペラペラと語り続ける。
俺はアストリッドの言葉を追うだけで精一杯だった。いや、話が政治経済の分野に移り、ベーシックインカムやらフラットタックスやらの横文字が出て来るとそれすら危うかった。
ただ――。
「ちなみに甲冑式のメイン=インターフェイスは……」
「……『筋電制御』か?」
「わかっているじゃん」
――と、アストリッドがにやりと微笑む辺りで、俺は少しだけ話に追いつけたと思う。
実際には、ツツジの残してくれた知識のおかげだったのだが……。
「俺達が手足を動かす過程を、大雑把に言うなら、俺達の脳から出た電気的信号が手足に伝わって、化学反応が始まり、筋肉収縮が起こるからだ。つまり、実際に手足が動くより先に手足を動かすための電気的信号は流れている。だから、その信号を拾って反応させる仕組みを異形細胞に組み込めば、原始的な設計でも、俺達が動く前に、俺達の動く意思で、先読みして、駆動する倍力装置ができる。……それが甲冑式異形の基本制御構造だろ?」
そんな俺の俺なりの必死な解釈に――
「ほぼ満点」
――と、アストリッドは口笛を吹く勢いで頷いた。
「その通り、甲冑式異形のメイン=インターフェイスは君の言う『筋電制御』の一種よ。ま、世間に出回っているものとはちょっと毛色が違うけどね」
アストリッドの言う通り、『筋電制御』とは実用化されている義手義足――つまりは【義体】に採用もされているインターフェイス・システムである。
……しかし、それだけだとわからないこともある。例えば、
「貴様の触手や、連中のレーザーやらミサイルやらは、それでどう制御しているんだ?」
というのが、その代表だろう。筋電制御式だと、俺のようにほぼ純粋に人体をなぞっている異形甲冑は(多少の慣らしが必要にはなったが)人体を動かす感覚の延長で動かせるはずだ。しかし、人体にない器官はどう操っているのか?
「それに、いや、これは主観的な話で、俺の気のせいかもしれないが」と、前置きして、俺はあやふやな質問をする。「異形化している時、俺は妙にキレてなかったか? いや、これはいい意味でだ。こう、感覚が鋭くなるというか、認識が高まるというか。いわゆる『ゾーンに入った』というのはこういう事では?――と錯覚させられる……」
「錯覚とは言い難いわね。それ、あたしたちも同じだから」
「……単純な筋力強化装甲とはとても思えない時も多い。貴様らの動き方もそうだ。多分……」
「――異形化の際、感覚器が増設され、認識力も拡大している?」
「そう、そんな感じだ。そもそも、触手やらレーザーやらミサイルやらをまともに使おうと思ったら、ただ動けと命令するだけじゃ駄目なはずだ。生身の脚でも、土を踏み締める感覚を認識し、はじめて歩ける。俺達は無自覚にやっているが、脚から受け取った情報を元に、常に筋肉の出力調整をやっているからこそ、二足歩行が可能なんだ」
「出力調整なしで脚部筋肉を一定稼動させるだけだと、すぐに転んじゃうだろうしね」
「それと同じ理屈だ。触手やらレーザーやらミサイルやらをまともに使おうと思ったら、何らかの情報還元が必要になるはずだ」
「本来の人体には存在しない【人外器官】を操作するためにも、対応する【超感覚】や【超認識】が、不可欠になると?」
「ああ。だが、そんなの単なる筋電制御では無理だろう?」
……この辺りは俺の空手経験も活きていた。
例えば、空手の突きは型が生み出す力と重さを相手に伝え切る事を理想としている。そうすれば、一撃必倒も成し得るとされる。
とはいえ、言うは易しだ。
現実には、型稽古ですら、そんなキレのある動きは難しい。
(それに対して、体力と筋力は鍛えれば、万人が身に付け得る。だから、あの刑部先輩も『まずは体力と筋力。すべてはそれから』と語っていた。俺もまったく同意見である)
空手に限らず、技のキレ――力学的合理性の十分な実践には、己の躰の十全な統御が必要になる。己で動きながら、己を見るような矛盾すらも包摂せねばならない。あるいはそれらが出来た状態を競技者は『ゾーンに入った』と呼ぶのかもしれない。
しかし、俺は凡愚だ。生身で『ゾーンに入った』事などなかった。
正拳、掌底、前蹴り……そんな空手の基本ですら、実のところ、満足にこなせた覚えはない。出来たと思っても、録画を見れば、やはり型が崩れていたものだ。だから、
――人間は自身の四肢すら、満足に扱えていない。
それは痛いほどわかっている。
――ましてや、【人外器官】ともなれば……、
というわけである。
そして、【人外器官】とは、狭義にはあの触手やレーザーやミサイルを指すのだろうが、広義には俺を鎧った異形の甲冑そのものも含むはずだ。何故なら、あの時の筋力も感覚も超人的なものだったからだ。なのに、俺は不十分ながらもそれを統御できたのだ。
「つまり、筋電制御以外にも、おそらくは相互的なインターフェイスがあるんだろう?」
すると、アストリッドが俺を素直に称賛し始めた。
「さすがねえ。その通りよ。これだから中学生はやりやすい」
「どういう意味だ?」
「女子小学生と違って、話を進めやすいって事」
馬鹿にしているのか?――と声を荒げる寸前で気付いた。
俺は、露骨にこちらの様子を窺っている女子小学生を、視線で指す。
「あの娘にも同じ話をしたのか?」
「あの娘にはまだしていない。けれど、ナンパして引っ掛けた娘たちの内の何割かには、同じ話をした。でも、女子小学生だと、今の話もなかなか理解してもらえなかったのよ。まあ、例外もあったけど」
「???」
毎度ながら、アストリッドの言葉は俺の理解を超えていた。が……、
「元々、あたし、いわゆる『百合営業』が得意だったし」
と、アストリッドがいきなりこちらへ顔を近づけてきた。
「な……!」
俺が反応する前に、彼女は俺の頤へ手をかけて上を向かせる。
「実際、こうやって迫ると、かなりの確率で女の子が落ちてくれるんだよ?」
「……っ!!」
距離を置いた時でも、中身はともかく、外面は綺麗だとは思っていた
しかし、間近で見るアストリッドの顔はもはや暴力的で犯罪的な美貌だった。
――こうやって、女子供を誑し込んできたというわけか……!!
現にこちらの様子を窺っていた女子小学生は、裏切られたという表情になっている。
が、アストリッドは嫣然と微笑み、その魔性の美貌を遠ざけた。
そして――、
「言っておくと、君に声をかけた時、あたし、君を女子小学生と勘違いしていたの」
「俺が女子に見えたと?」
「君、私服だったでしょう? それを後ろから見ただけだとわかんないって」
「……」
悔しいが、たしかに無理もない話だ。前にも述べたが、男子の発育は女子よりも遅い。アストリッド以外にも、小柄な日本人男子中学生を女子小学生と間違う者は、多い。……はいはい。148センチメートル39キログラムな俺の実体験ですよ。
「だが、話して、男子と気付いたろう?」
「うん。だから、内心驚いたんだけど、まあ、たまには男子中学生も試してみようかなと思ってさ」
「ていうか、何で女子狙いなんだ?」
「それは簡単。あたしが女子だから」とアストリッド。「普通に考えて、あたしの成虫原基は女性向け。で、そこから成虫原基を分け与えるのだから、適合率を上げようとすれば、自然と女子狙いになる。勿論、あたしが男の子に不慣れで怖いというのもあった。男女の適合率の差はそれほど大きくないしね。実際、君には見事に適合しているでしょ?」
「じゃあ、なんで小学生みたいな子供に?」
「君だってまだ子供じゃん。というか、子供じゃないとダメなのよ。脳神経系の可塑性が残っていないと、甲冑式異形には適合しない」
「子供じゃないと駄目って……ロボットアニメかよ?」
「似たようなものよ。よく使われる例としては多指症みたいなものってこと」
「タシショウ?」
「『指が多い症状』と書いて多指症。この場合はね」
ツツジなら即座に理解したはず――だが、俺にはわからなかった。
その一方でアストリッドはペラペラと語ってくれる。
「凄く簡単に言うと、ヒトの四肢の指が六本以上になる先天性の異常よ。でもね、異常と言いつつ、古来より片手で六本以上の指を自在に動かす者の記録も多いの。構造的・器質的な可動限界はあっても、生まれたばかりのヒトの脳神経系自体は『六本目の指のような《異形》』を動かせる可塑性を具えている傍証ね。ただ、成長の過程で脳神経系は人体に『最適化』されていくから」
「仮に、大人になってから、六本目の指を移植しても、脳神経系が対応していない以上、動かせないと? それどころか、何かに触った時の感覚を認識する事すらできないと?」
「その通り」
「すると、大人はあの甲冑式異形を使いこなせない事になるな?」
「解決策は二つあるわ」
とアストリッド。
「一つはまだ可塑性の大きな子供の頃から異形細胞を使い続ける事。そうすれば、甲冑式異形の【超感覚】や【超認識】、あるいは【人外器官】に対応した脳神経系構造も育つ。可塑性の大きな子供の頃から六本の指を使い続けた多指症の人なら、大人になっても六本目の指を動かしうるのと同じで、あたしも六本の触手をちゃんと操れるわ。勿論、何かに触れた感覚も正しく認識できる。そうでないと、ああ自在には操れないし」
「……入力装置たる感覚神経。演算装置たる認識能力。出力装置たる運動神経。これらを、幼少期からの訓練で育てていれば、六本目の指や六本の触手のような【人外器官】をも、操れるし、対応する【超感覚】や【超認識】も自然と育つということか……」
「うん。いやまあ、正確に言えば、末端異形細胞にも節足動物の梯子状神経みたいな演算機能はあるの。だから、あたしも厳密な命令を個々の触手に与えているわけではなくて、いわゆる下流工程を異形細胞側に一任して、昆虫みたいに情報処理を全身で分散負担しているのが実態だけど」
「……つまり……」
実のところ、アストリッドの説明は半分ぐらいしかわからなかった。
しかし、おぼろげにわかった事もある。
「……貴様が小学生ばかりを狙うのは、脳神経系可塑性の問題で子供の方が甲冑式異形に対応し易いからなんだな?」
「ええ。まあ、個人的な嗜好もちょっとはあるかな? やっぱ、女の子は十代に限るよ。肌に触った時の、手に吸い付くようなすべすべしっとりがたまんない」
そして、アストリッドは両手をワシャワシャとしたが、俺はそのゲスな発言を無視した。こいつの本性はもうわかっている。引き出せる情報を引き出す事に専念せねばならない。
「……そして、俺もまた子供だから、甲冑式異形を使える――と?」
「ええ。広い意味では君もこちらに入るわ」
「広い意味では……とは?」
「君はもう十四歳よ。女子小学生に比べると、脳神経系可塑性がかなりすり減っている。このままだと、いくら努力しても、君はせいぜいヒト型しか操れないでしょうね」
「……だが」俺は選択肢が二つあった事を思い出す。「方法はもう一つあるんだろう?」
「ええ。それがIGFTELという薬」
「イグフテル……!?」
「IGFTEL――インシュリン類似(Insulin-like )成長因子(Growth Factor )三型内因性リガンド(Three Endogenous Ligand)」
「……???」
「『富山県』で起きた麻薬事件を知っているかしら?」
「『富山県』……だと?」
「北陸地方――つまり、『裏日本』にある地方都市よ」
「日本の裏側……?」
「『越中富山の薬売り』って聞いた事ない? あそこは昔から製薬会社が強いの。だから、IGFTELみたいな特殊な薬品を大量生産する設備も整っているわ」
そして、アストリッドはせせら笑う。
「この日本という国にはね、君の様な東海岸のシティーボーイには想像もつかない辺境が存在するのよ」
総人口が約百万。一方、GDPが約五百億ドル。――ルクセンブルクの約二倍の人口を擁しながらも、GDPはほぼ同じという悲しい県――富山が存在するのだ。いわゆる都市国家であるルクセンブルクと富山を単純比較はできないという意見もある。だが、そうはいっても、ノーベル賞受賞者は強引に掻き集めてもわずか五人。著名漫画家は藤子不二雄コンビだけで、アニメ制作会社もピーエーワークスのみで、三ツ星レストランもただ一件。そんな文化不毛の地域が存在するのだとアストリッドは言った。
「それが裏日本。富山県……だと?」
「ええ。そして、数少ない名産の蜃気楼の如き低認識性の下、IGFTELは量産されていた」
「しかし、そのイグフテルとはそもそも何なんだ?」
「ある種の神経系初期化剤よ」
「な……!?」
「適切な誘導剤付きで定期的に摂取すれば、大人でも子供の頃の様な神経組織の可塑性を取り戻せる。つまり、異形の【統御】に不可欠な脳神経系領域の初期化ができるの」
「じゃあ、それを使えば、子供でなくとも……」
「訓練次第で異形甲冑の十全な統御が可能になるわ。というか、異形統御者はほとんどがこの類よ。だから、十代後半からでも凝集光砲のような『人外器官』を操れる」
「それって……」
「そう例えば、影山ほのか女史とか」
「……っ」
「ところで共犯者として教えて欲しいんだけど」
「共犯者って……俺は……!」
「ツツジさんはどうしたの?」
俺は絶句した。
***
***
***
私、三葉ツツジ十三歳は同じ台詞を繰り返す。
「ですから、私と晶兄は、あの女に巻き込まれただけなんです」
しかし、それは私を拉致した男にとって、やはり、望ましい返答ではなかったらしい。
「……」
男は相変わらずの無表情を崩さない。
私を拉致した組織――おそらく《荒夏》――は予想通りに洗練された集団だった。
窓もない一室に監禁した後、私を放置したのだ。携帯端末は没収されたが、特に拘束はされず、市販の非常用保存食と水を与えられ、排尿排泄はおろか入浴すらも認められた。が、それ以上の自由はない。話し相手や読み物はおろか、時計もない。
こうなると、今日が何日目かもわからなくなる。
一応『MASTERキートン』の『身代金のルール』のように新聞紙を持たされ、動画撮影されたから、その新聞の日付以降だとは思うが……。
「いずれにせよ、話せる事は全て話しました。それでも話せと言われれば、同じ事をもう一度話しますが、これ以上は私の理性と記憶が怪しくなるだけです」
私の言葉に嘘はない。……というか、初日から特に包み隠さず、質問に答えてきたのだ。明らかに攪乱と思われる質問にも素直に答えてきたのだ。訊かれれば、「スリーサイズは計ってないから、わかりません」と答える所存だ。
すると、男は一枚のA4用紙を差し出す。
そこには初めて見る画像が印刷されていた。
理解が遅れる程にこま切れだったが、そこに写っているものを把握した。
男二人分の死体だ。そして、その二つの頭部に……。
「見覚えは?」
「……あります。我々は彼ら二人に襲われました。が、これは我々の仕業ではありません。話した通り、晶兄は、我々を殺そうとした彼らを、しかし、あえて無傷で見逃したのです」
「では、これは?」
差し出されるもう一枚のA4用紙、そこに印刷された写真画像。
……今度はわかり易かった。
若い女の死体だ。全裸で逆さ吊りにされているが、ズタズタにされた乳房の名残がある。なお、私が股間で性別を確認しなかったのは、そこに切断された右腕が突き刺されていたからだ。引き抜かれた腸は屍に巻き付けられ、引き千切られた頭は隣に転がっている。暴虐の限りを尽くされたのは明らかだが、それでも、顔は元の形をとどめ、虫も集ってはいない。……見せ付けようという意思の介在だろう。
だから、私、三葉ツツジ十三歳はいつもの通り正直に答える。
「見覚えがありません」
「言っておくがな。それはまだマシな方だぞ。ほのかにいたっては……クソっ!!」
「……」
「ああ、認めるさ」男はとうとう感情をあらわにし始めた。「俺達も所詮は非合法組織だ。それでも、あんな……」
「……我々も残虐行為を薦められた事は認めます。これは既に述べた事の繰り返しですが」
私は自分の馬鹿正直さがつくづく嫌になる。が、とっさに整合性のある嘘を思いつけるほど、大人でもない。だから、考えをそのまま口にする。
「おそらく、悪質な武装勢力が失敗国家の内戦地域などで、少年兵に薬物を使用し、判断力を低下させ、その上で身内への暴行強姦や四肢切断、親殺しを経験させるのと似たものかと」
「……そうすれば、その少年兵に『帰るところ』がなくなる。だから、生きるために武装勢力へ依存するしかなくなる――というやつか?」
「はい。おそらくこれは我々――私と晶兄――と、貴方達との分断工作です。実際、影山ほのか女史は当初我々に友好的でしたし、我々もまた平和的な状況説明を求めていました」
「じゃあ、なんで、あんな事になったんだ……!?」
「アストリッドの名前が出た瞬間に……その……突如、影山ほのか女史が感情的に……」
「感情的になったほのかが悪いというのかっ!? 実の姉が、女に生まれた事を後悔するような凌辱を受けたんだぞ! それをまざまざ見せつけられて、冷静沈着でいろと!? 彼女たちの両親だって、どんな思いで!!」
「す、すみませんっ」
私は反射的に頭を下げた。その『姉』についてはまるで知らないのだから、そんな事を言われても困るのだが、ここは下手に出るしかない。
すると、興奮した男は、しかし、息を整え始めた。そして、
「……だが、君の主張は了解した。当面、君たちの家族には手を出さない」
「あ、ありがとうございます」
倒錯極まりない話だが、私は安堵していた。
アストリッドさんの誘いを断っていて本当に良かったと思った。
同時に、アストリッドさんの狙いは明白になってきた。
――あそこで、もしも、影山ほのか女史への強姦輪姦に参加していれば、この人達との和解の道は完全に断たれ、私と晶兄は生き残るためだけに、アストリッドさんへ協力するしかなかった。
おそらく、影山ほのか女史はそのための生贄だったのだ。
「あの、それで、アストリッドさんって、何者なんですか?」
「……君には知る資格がない」
私の質問を彼ははぐらかした。
***
***
***
「それで、アストリッド、貴様は何者なんだ?」
俺は、ツツジの現状を「そんな事より」とはぐらかした上で、質問を続けた。
アストリッドがとぼけているのでなければ、こいつはツツジが行方不明である事自体を知らないはずだ。ならば、不要な情報を与える義理はない。少なくとも……、
――ツツジなら、そう判断するはずだ。
そんな俺の質問に対し、アストリッドは自身の境遇を素直に開陳する。
「ああ、あたしは《荒夏》の実験動物(Experimental Animals)、いわゆるモルモットだったの。――生まれる前も、生まれた後も」
「……どういう意味だ?」
「先天的な実験としては――そうね、あたしのこの髪と眼、どう思う?」
「どうって……金髪碧眼?」
「……君、まさか、北欧美人は皆、天然の金髪碧眼とか思っていないでしょうね?」
「そこまで馬鹿じゃねえよ。なんか、欧米人っぽいなーとは思っていたが……」
「いや、それはもっと……。ていうか、筋電制御の話とかすぐ理解できるのに、どうして、あたしの金髪碧眼を自前ではない可能性を考慮しないの?」
「? じゃあ、それは染めたのか?」
「……あたしは生まれつきの金髪碧眼。それが問題だとは思わない?」
……そういえば、ツツジは何か言っていた気がしないでもない。
「地毛でこんな明るい山吹色の金髪って、白人の中でも希少なのよ。ましてや、あたしみたいに思春期以降も金髪のまま、碧眼まで兼ね備えている確率は極めて低い。だから、《荒夏》の一部は、その確率を引き上げるため、人為的な交配を始めた」
「交配って、稲じゃあるまいし」俺は呆れた。「『コシヒカリ』と『初星』を交配させて『ひとめぼれ』を作るみたいな話か?」
「ええ、そういう話よ」
「……は?」
「あたしは《プレ=アーデルハイト》の一体。高貴なる形質のための実験型なのよ」
……金髪碧眼美少女は金髪碧眼美少女で色々抱えていたらしい。
「《荒夏》は技術的・経済的・政治的・倫理的に現行の国民国家とは一線を画す組織で、一般的な先進国ではとてもやれない人体実験を行っているというのはわかるわね?」
「ああ、それこそ《成虫原基》を人体に埋め込む――とかな」
「その他にも《アーデルハイト=プロジェクト》というのがあってね。これはヒト受精卵内遺伝子を全面調整する事で、多様な《高貴なる形質》を人工的に発現させようって計画」
「じゃあ、貴様は遺伝子操作されたから、そんな金髪碧眼に?」
「交配って言ったでしょう? あたしはそのための実験型――捨て石の一つだったの。『理屈で考えれば、この組み合わせの子は金髪碧眼になり易い』という男女に――多分、金を渡して――交配させたのよ。標本記録採集のためにね」
「え……それって……?」
「そして、生まれた一体が、金髪碧眼美少女たるこのあたし。とはいえ、ここまでの成功例は珍しいみたい。だから、あたしに限っては《高貴なる形質の前身》というより、既に《高貴なる形質の原器》の段階にあるかもね」
「じゃあ……貴様の両親は?」
「さあ? 顔も見た事もないけど、多分、東欧系で、遺伝子と生殖能力が取り柄の貧乏人男女だと思う。そこに目を付けた《荒夏》が出した条件に目がくらんで――って、ところかな?」
「…………」
俺が絶句していると、アストリッドはさらりと次の話題に移る。
「後天的な実験としては――まず、髪と肌と血液の標本を取られたわ。あたしが物心つく前から、しつこく何度も。さすがに目の方は非侵襲系の検査だけだったけどね」
おそらくは『金髪碧眼美少女』という表現型の確認だったのだとアストリッドは言う。
「状況が変わったのが、五歳の時。初めて成虫原基を埋め込まれた頃ね」
「どういう事だ?」
「言っておくけど、当時のあたしはまだ五歳よ。当然、状況認識はさっぱりだったわ。未成熟な技術ゆえに、苦痛を伴う手術や検査に泣き叫ぶだけ――ただ、後になってみれば、推測はできる。それでよければ、聞いてくれる?」
「……ああ、聞かせてくれ」
「あたしたち《プレ=アーデルハイト》の利用価値が薄れてきた結果だと思う。ま、所詮、原始的な交配頼りの実験型だからね。回収した標本記録を元に、遺伝情報を直接編集調整した製品生産型なんかを安定して造れるようになれば……」
「……用済みって事か?」
「そうなりかけた寸前で、別の用途が見つかったというところ。当時、実験段階にあった甲冑式異形の成虫原基の被験者は不足していたの。だから、あたしたち《プレ=アーデルハイト》が回された。だから、あたしたちって、これでも最古参の異形統御者なのよ」
「……さっきから、『あたしたち』と複数形を使っている理由は?」
「選ばれた《プレ=アーデルハイト》はあたしだけではなかったから。甲冑式異形の成虫原基はその性質上、最終的には人体実験するしかなかったから。……とはいっても、他の実験動物もとい被験者の末路はあんまり考えたくないけどね」
「……」
「それから、定期的に成虫原基を埋め込まれ続けた。そして、それが立て続けに成功した辺りで、あたしへの教育が問題になったわ」
それまでは実験動物の健康管理の延長でしかなかったからね――と語るアストリッドは皮肉げに笑った。が、俺は笑えなかった。
「それで、本家【マリオンプラン】の育成課程の模倣が始まったの。具体的にはあたしにドライバーウェアの類を着せたり、読み書き算盤を教えたり、柔道を習わせたりね」
「……だから、あんなに柔道が強いのか?」
「あ、それはむしろ古参異形統御者特有の余技。あたし、まともな誘導剤もない頃から、神経系初期化剤を投与され続けていたから。おかげで当時の記憶は凄まじく曖昧だけど、その一方で脳神経系可塑性が著しく増大していたみたい」
アストリッドは毎度ながら平然ととんでもない事を言いやがった。
「おかげで稽古――技の力学的合理性を、頭で噛み砕いて、体にしみ込ませる反復作業――を大幅短縮できた。特に練習時間が技量に直結し易い柔道との相性は抜群だった」
「……試しに訊きたいんだが、仮に貴様がラッキーパンチを生身で食らったら?」
「一巻の終わりかな? あたしも異形化しない限り、筋肉量や耐久力は大した事ないから」
「……なるほど……」
――覚えておこう。
俺はそう判断したが、その一方で
――こいつ、本当に柔道が、いや、何かを学び習う事が好きだったんじゃないのか?
という気もした。
努力に対して成果が出るというのは、人間にとって至上の悦びである。
理由はどうあれ、アストリッドは常人をはるかに上回る速さで学ぶ事ができたという。ならば、何かを習う喜びも人一倍だったはずだ。しかし……、
「あたしに埋め込まれた成虫原基が試作種もいいところ――それも『規格外品』だって、気付いたのも、その頃よ」
アストリッドの言葉は淡い期待を打ち砕くものだった。
「何故、あたしが影山ほのか女史と違って、すぐに再度の異形化が出来たかわかる?」
「……影山ほのか女史の異形組織の消耗が激しかったからか?」
「勿論、それもある。けど、より根本的な相違としては、あたしの成虫原基《女王級軍隊蟻型》がろくな機能分化もしていない――言わば『frameless_frame(フレームレス=フレーム)』だから、よ」
「形無しの形(フレームレス=フレーム)? 形無形?」
「どちらかと言えば、『型無き型』というべきからしね?」
「どちらにせよ、矛盾してないか?」
「そりゃそうよ。これは後付けの命名だもの」
「???」
「遺伝的アルゴリズムというのはわかっているわね?」
「何度か聞いたからな。概要だけならわかった……つもりだ」
遺伝的アルゴリズム(genetic algorithm、略称:GA)とは、その名の通り、生物発生起源的な解法だ。専門家は怒るだろうが、素人の俺は『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』と解釈した。実際のところ、生物発生起源的な解法とはそういうモノだろう。親は一定の変異がある子を複数作る。実際のところ、進化の仕組みとはそれだけだ。それでも、莫大な試行回数を重ねれば、有益な変異の蓄積で、目に見える進化が顕現する。この時、試行回数≒演算処理能力が十分にあるならば、「こうすればいいんじゃないか?」という人間の浅智恵は不要だったりする。何故なら、高等生物のように大規模なプログラムは、人間が一から組み上げるには複雑すぎるからだ。そして、コンピューターの性能が向上し、十分な試行回数≒演算処理能力が確保されながらも、書き上げるべきソースコードが膨大になってくると、この遺伝的アルゴニズムは有力な選択肢になってくる。
多分、《異形》開発はその典型だったのだろう。異形はその名の通り、異質な形質だ。人間の常識が通用しないところがある。そのくせ、高等動物のように複雑なところもある。つまり、異質で複雑で大規模なソースコード……そんなもの人間の手で書ききれるわけがない。一方、『彼ら』がコンピューター的な演算処理能力に不足していたとは考えにくい。『彼ら』が《異形》の具体的な開発段階に、遺伝的アルゴリズムに頼るのは自然に思える。
「じゃあ、聞くけど、正規採用型を量産する時も遺伝的アルゴリズムを直接使っていると思う?」
「いや、それはないだろう。俺が調べた限り、遺伝的アルゴリズムはあくまで研究開発のシロモノ。普通に考えれば、遺伝的アルゴリズムで一定の完成品が出来たら、後はそれをむしろ愚直に模倣する」
つまり『守破離』だと俺は思う。一に【型】を守り、二に【型】を破り、三に【型】を離れる。何事も見本となる【型】を守る。これが効率的だ。少なくとも本来の【型】とはそれこそ、戦国乱世の最適解――遺伝的アルゴリズムの成果物だからだ。
「荒夏も似た結論に至ったわ。だから、正規採用型異形体には甲冑式・自律式を問わず、かなり強固な型が設定されているの」
「当然だろう。型破りと型知らずは違う。先人たちの経験の蓄積たる型の遵守には相応の合理がある。だから、何事もまずは教科書通りにやるべきだ。型破りに挑むのはその後だ」
「うん。だから、言ったでしょう――正規採用型には強固なフレームが設定されている――と」
アストリッドは同じことを繰り返した。
だからこそ、俺は気付いた。
「いや、待て。アストリッド、お前は……」
「試作もいいところの規格外(Non-standard)だもの、当然、フレームは緩々。ラマルク的進化機能自体は既に標準搭載されていたけどね。その方向性はほぼ自由、つまり無制約であり、無軌道であり、無責任だった」
俺はゾッとした。
「ま、待て。じゃあ、女王級軍隊蟻型というのは?」
「だから、後付けよ。たまたま生き残った解が軍隊蟻の女王に似ていただけ。おかげで、あたしは原始的な可動感覚突起である触手を何本も使えるようになったけど」
「き、貴様の成虫原基の方が原始的なんだな?」
「ええ。逆に影山ほのか女史の成虫原基は最先端だったわ。何しろ、凝集光砲装備よ。LASER――Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation/輻射誘導放出式光波増幅――なんて、そもそも異形細胞による発現自体が最近実用化されたばかりだったんだから」
アストリッドの触手と、影山ほのか女史の凝集光砲――どちらが困難なのか、正直よくわからない。が、触手を持った生物は無数にいるが、凝集光砲を持った生物は多分いない。疑似生命らしい《異形》においても、同じ理屈が通用するのかもしれない。
「つまり、貴様の異形甲冑の方が原始的で構造が単純だったから、再生も早かったと? というよりも複雑化・特殊化を重ねてしまった異形甲冑の方が再生が遅かっただけだと?」
「それもある。ただ、『枠組み(フレーム)』の差にはもう一つの要素があるわ」
「……」
「甲冑式の成虫原基は体内に適合し、一定の化学エネルギーを蓄積すると、あたしたちの細胞と同じように分裂増殖するの。そして、複数の予備胚核を作るわ」
「高等多細胞生物みたいに機能分化したり?」
「それもあるけど、もう一つ重要なのは単細胞生物が分裂するのと同じ理由、それ自体の複製を取る事」
「ああ、その成虫原基が壊れ……死ん……機能喪失した時の代わりか?」
「ええ、特にイマジナルディスク自体、本来は使い捨ての消耗品だから」
「使い捨て?」
「男子なら、カブトムシとか好きでしょう? ああいう完全変態昆虫は何度も変態する?」
「まさか。成虫原基は一回しか……って、いや、待てよ、じゃあ……」
「そういうこと。カブトムシなら、一度成虫になってしまえば、あとは死ぬまで硬い鎧を着込んだまま過ごせばいい。けど、人間はそうはいかない。特に異形統御者は《荒夏》の中でも選良者よ。必要を終えれば、その甲冑を脱ぎ捨ててもらいたいし、必要があれば、さらにまた甲冑を着込んでもらいたかった。可逆性の確保は必須事項だった」
「――そのための予備胚核か?」
アストリッドは「その通り」と頷いた。
「これは、君みたいに成虫原基が一つのみいう素組みの甲冑式異形統御者にこそ、顕著ね。それこそ、カブトムシは一度しか『成虫化』できないのに……」
「俺は異形化し、それを解除し、人間体に戻り、さらに再びの異形化もした。その過程を何度も繰り返した。これは俺の中の成虫原基が予備胚核を形成していたからだな。だから、一つの成虫原基を使い切っても、予備胚核が成長すれば、次世代成虫原基になり……」
「その次世代成虫原基もまた予備胚核を作る。この再帰性によって、多細胞生物のように、単独では使い捨ての成虫原基も、水と糖分と窒素と時間があれば、複数回使用もできるし、原理的には一生使い続ける事が可能になるわけ」
「じゃあ、何が問題だったんだ? ちゃんと増殖分裂しかなかったとか?」
「逆よ。初期の原始成虫原基は増殖分裂しすぎたの」
アストリッドの口調は淡々としていたが、俺にはその内容が壮絶だった。
「成虫原基が増殖し過ぎて、人体を食らい尽くすとか!?」
「その前に原始成虫原基は周辺の糖分を食らい尽くして、勝手に飢餓融解するわよ。繰り返すけど、異形化しようがしまいが、結晶細胞は蛋白質の分解すらできないんだからね。せいぜい、巻き込まれて壊死した既存生体組織を取り除く簡単な外科手術が必要なくらい」
「そ、そうか……じゃあ、俺が内側から、異形に食い尽くされる事はないんだな?」
「ええ。あたしの知る限り、そんな前例はない。そも正規採用型の成虫原基に強めの『枠組み(フレーム)』が組み込まれたのはそういった『失敗作』の反省から。暴飲暴食を控えさせる事で、自滅的飢餓融解を回避させる仕組みなの。もっとも、副作用として成虫原基の分裂増殖は遅くなったわ。それが影山ほのか女史の即時の再度異形化を難しくした一因」
「待て。確認しておきたいが、貴様の成虫原基にはその『枠組み(フレーム)』は組み込まれていないのか? だから、『frameless_frame(フレームレス=フレーム)』と?」
「正確には『枠組み(フレーム)』が凄まじく緩いというべきかしら? あたしの成虫原基はその分、大食いというわけ」
「それで何故、自滅的飢餓融解とやらに陥らない?」
「多型現象かな? 甘いものを食べ過ぎると、すぐに血糖値が上がって、病気になる人もいれば、そうでない人もいるでしょう?」
「貴様と貴様の成虫原基は、食べ過ぎても平気な類だったというわけか?」
「多分ね。ただし、《荒夏》にとっては別の問題が起きたわ」
「別の問題?」
「ええ。あたしの成虫原基は大食いで、分裂増殖が盛ん。本来、それらを制限するはずの『枠組み(フレーム)』が緩い。複数の予備胚核も次々と造る。それこそ、他人に分け与えれる成虫原基をもガンガン生み出すほどにね」
「!? 俺の中の成虫原基のことかっ!?」
「正解。君の成虫原基はさしずめ歩兵級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=ペデス】。ただそのモトは、あたしの成虫原基の予備胚核分枝体よ」
「じゃあ、貴様は……!」
「聞き逃した? あたしの成虫原基は女王級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=レギーナ】。まあ、こんな風に次々と駒を生み出せる特性が明らかになったからこそ、あたしは『女王』と呼ばれるようになったんだけどね」
「つ、つまり……そういうことか?」
続く俺の口を閉ざしたままの質問に……。
――「そういうことよ。今まで君へ与えられた助言も、今まで君が勝ちぬけた理由も、あたしの君への遠隔支援というわけ」
……アストリッドもまた口を閉ざしたまま返答した。
――「俺が貴様と同じ軍隊蟻型だから、通信が成立する。そして、女王級である貴様は、歩兵級である俺へ、一方的に命令できるというわけか!?」
「あら、やればできるじゃないの。でも、一方的というのは言い過ぎよ」
俺の必死な無言の詰問にも、アストリッドは優雅な有言の応答をする。
「貧弱ながらも『広義の強制性』はあるみたいね。でも、あたしに主導権があるとは言い難いわ。今も、ID帰巣性――母体だった成虫原基(ImaginalDisc)への帰巣性で、君は物理的にあたしへたどり着いたけど、これはあたしの意思とは無関係だった」
「信用できない」
「同じことを《荒夏》もまた考えたみたい。少なくとも、あたしの担当者達は、ね」
アストリッドは角砂糖をつまんで、そのまま口に放り込み、言う。
「そもそも戦術上、甲冑式異形システムは《荒夏》にとっての切り札。――これは信用も理解も実感もできるでしょう?」
「それは、まあ……」
「だから、その成虫原基ともなれば、《荒夏》が独占しておかねばならなかった。あの影山ほのか女史のような荒夏の正規構成員――つまりは十分な忠誠も期待できる選良者にのみ、与えられるべきモノだった。それが試行錯誤の必要からとはいえ、あたしみたいな実験動物まがいの小娘に適合しちゃった。それ自体が厄介だったのに……」
「よりにもよって、その成虫原基は想定外の自己複製・自己増殖をする。結果的に単独で異形の軍隊を形成する危険を秘めていた。――だからこそ、『軍隊蟻型』というわけか?」
「口で言う程には簡単でもないけどね。いくらあたしが外部移植可能な水準な成虫原基を体内生産できると言っても、実際に他者に埋め込んだ成虫原基の適合率はそう高くない。仮に適合したとしても、今の君のように育成には手間暇がかかる。何より、あたしには『組織力』が致命的に欠落している。……とはいっても……」
「脅威だな」
「それで、あたし、処分されそうになったの」
「いきなりかよ。もっと穏当な手段だってあっただろう?」
「《荒夏》は『悪の秘密結社』なのだと言ったでしょう? ……ああ、信用できないなら、こう付け加えようか? ――その頃にはあたしもあたしで、《荒夏》の連中にいつか一泡吹かせてやろうと既に考えていた。だから、それを見透かした《荒夏》側の予防措置でもあったのかもしれない」
「理解に苦しむ」
俺は突き放すように言った。
アストリッドが自身の境遇に不満を持つのは無理もないと思う。しかし、話を聞く限り、《荒夏》はアストリッドの生みの親であり、育ての親でもある。どうしても、
――和解の道はなかったのか?
という思いが頭を離れない。それとも、これは俺が甘ちゃん坊やだからこその発想なのだろうか?
「あたし、連中に玩具にされるのが嫌になったのよ」
アストリッドは俺の疑念を(成虫原基の介在の有無は不明だが)読み取ったらしい。
「生まれる前も生まれた後も、あたしはずっと実験動物。欲望の捌け口にもされて幾星霜。百合営業が得意になったのもそのおかげ」
「百合営業? いや、さっきも言っていた気がするが」
「初心な君にはわかんないかなー」
アストリッドはそこで視線を逸らした。
「本家【マリオンプラン】同様、あたしたちへの男性の接触は限定されていたわ。性的な統制。つまり、計画外の妊娠なんかを回避する仕組みだった。でも、女性同士なら、その限りではない。――この意味がわかる?」
「い、いや……」と言う俺の声が震えていたことは否めない。
「本当に? あたしほどの成功例は稀とはいえ、あたしたちは美少女になる様に先天的・後天的に調整され、一定の成果は出た。――そして、あたしたちに人権はなかった」
「嫌なら別に言わなくても……」と言う俺の声の震えが増した事は否めない。
「理解が不十分だと困るから、明言しておく。あたしの初めては、遅くとも、九歳の時」
「……っ!」
「人間って、慣れには弱い生き物よ。新人の中には、あたしの扱いに疑問を抱く女もいたけど、差し出された欲望には正直だった。――影山の姉もその一人」
気が付くと、アストリッドの碧眼の双眸が俺をまっすぐに見つめていた。
「さっきも言ったけど、《プレ=アーデルハイト》はあたしだけではない。あたしには【姉妹】が大勢いる。あたしと似た様な目に合っている【姉妹】が大勢いる。でも、秘密結社《荒夏》に抗える幸運に恵まれたのはあたしだけ」
そして、その真開かれた碧眼からは涙が流れていた。
「どう? 復讐と反逆を決意にするには十分な理由じゃない?」
俺は何も言えなかった。
***
――って、マジで信じているの? アハハ、童貞丸出し~
あたし、アストリッド十五歳は涙を流しながら、笑いをこらえるのに必死だった。
どうも、この童貞クンはツツジさんがいないとチョロさ倍増らしい。これなら、成虫原基なしでも誑し込めそうだ。
――というか、そのツツジさんはどうしたのかしら?
彼女なら、童貞もとい晶光クンを一人にしないはずである。
しかし、そんなあたしの内心の疑問に対し、晶光クンは無言かつ勝手に答えてくれた。
彼が差し出した携帯端末の動画を総括すると、
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
という心底ヌルいものだった。あたしなら、折るなり、犯すなりするところである。が、ここは悲壮な表情を作る。
そして、涙を拭って、あたしは言う。
「拉致された日時と、状況を教えてくれるかしら?」
「ああ……あれは……」
東方晶光クンはあっさりぺらぺらと情報提供してくれた。
あたしは自身の端末を取り出しては立ち上げる。続いて、独自に構築した情報網に繋ぎ、条件に合う可能性を検索する。
そして――。
「うん。ツツジさんは《荒夏》東京支部に監禁されているわ」
「ほ、本当か?」
「ええ。間違いない」あたしは正直に話した。嘘偽りは一切ない。正確には必要ない。「だから、共同作戦と行きましょう」
「っ? どういう意味だ?」
「あたしは《荒夏》東京支部へ、正面から殴り込みをかける。君はその隙にツツジさんを救い出しなさいな。……今、ツツジさんの監禁場所を君の携帯へ送信するわね」
「な、何?」
「君は別に特別な事をしなくてもいい。ツツジさん救出に専念してくれればいい。あえて言えば、その過程で警備の自律式異形を無力化してくれると助かる。それだけで陽動にはなるからね」
「……何でそんなに親切なんだ?」
「《荒夏》は、あたしと君の共通の敵だから」
そして、晶光クンがこの共同作戦に参加すれば、《荒夏》は彼をあたしの一味とみなす。そうすれば、なし崩しに晶光クンを、ひいてはツツジさんも、傘下に収められるだろう。あの《荒夏》を本気で敵に回して、彼と彼女が生き残る道は他にない。
さらに言えば、あたしもあたしで、ツツジさん救出に向かおうとは考えている。まあ、危なくなったら、すぐ逃げるつもりだが。
すると、晶光クンは絞り出すように言う。
「助かる……」
――男の子って、頭がおかしいんじゃないのかしら?
あたしは本気で首を傾げたくなった。
晶光クンは、あたしが影山の妹に何をしたか、もう忘れているらしい。