第三話 戦慄の女統御者!!
金髪ヒロインのおかげで性暴力的な場面があります。
いえ、私の筆力なので、大したことはないでしょうが、苦手な方はご注意下さい。
――に、似ている。
認めるしかなかった。
影山ほのか女史の異形細胞体は、俺がなってしまった異形細胞体とほぼ同じだった。
まず、赤黒く生々しい触手が体内から無数飛び出る。触手が全身を覆い、蛹か繭かという有様を経て、その表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたヒト型のみ。
――俺とほぼ同じだ。
むしろ、外から見ている分、客観的になれたところがある。
――逆に言えば、細部は違う。
と、気付けたのも、外から見ていたからこそだ。
――影山ほのか女史は下腹に手をやっていた。
そして、実際、影山ほのか女史の場合は、異形化の触手は腹部から『も』出てきた。『も』を強調するのは、胸元や背中からも同時に異形化の触手が出てきたからだ。
しかし、俺の場合は、異形化の触手が胸部からのみ勝手に飛び出てきたのだ。
つまり、この全身甲冑式異形化の『苗床』の性質はかなり似ているが、埋め込み部位やその数量に、やはり差異があるのかもしれない。
――それに完成した異形甲冑の質感や形状にも差異がある。
例えば、俺を鎧った異形は筋肉組織がほぼ完全に剥き出しだった。
ただ、影山ほのか女史を鎧った異形は、要所要所が結晶性の外殻装甲で覆われている。
また、俺を鎧った甲冑は、その形状だけを見れば、ほぼ完全にヒト型をなぞっていた(両肘両膝両踵などにある引き金のような突起が例外で、考えてみれば、あの部分だけが『結晶性』に近かった)。
だが、影山ほのか女史を鎧った異形は、その形状において、ヒト型を必ずしもなぞっていない。体幹から肩部にかけてが膨らんでいるし、その背には甲虫の鞘翅を思わせる正体不明の器官までもある。……そういえば、翅隠型とか言っていたな。
――というか、この違いって……。
「晶兄よりも特殊化している? 様式は同じでも、型式はより進化しているということ?」
俺の曖昧な不安を、ツツジがより明確な推論として口にしてくれた。
実際、影山ほのか女史の
「ええ、その通り」
という異形甲冑越しの声は鮮明で聞き取り易かった。同時に元の声と変質もしてもいる。それだけ、洗練されたシステムという事か?
「私は本物の異形統御者。正式採用のね。同じ甲冑式でも、まがい物とは表現型において、当然の違いが出るわ」
ですよねー。
――ていうか、細部以外の基本性能が同じだったとしても……。
「ちっ……!」
――ここは俺自身の内なる恐怖に打ち勝つためにも……
「う、うわあああああああ。でっ、でぃっ、ふぇあヴぁんどるんぐ!?」
俺は叫んだ。しかし、何も起きなかった。
「「……」」
女子二人の微妙な視線と沈黙が俺を襲う。
「へ、変身!」
俺は叫んだ。しかし、何も起きなかった。
「「……」」
果てしなく気まずい再度の黙視の後、
――「……仕方がないから、手助けしてあげるわ」
という例の声が脳裏に届いた。
――? お前、アストリッドなのか?
そんな疑念を捻じ伏せるように、胸の奥に違和感が生まれる。
身体の中で蛇が蠢くような違和感には覚えがあった。
「……来たぞ。ツツジ、離れろ」
ツツジはやや顔をしかめながら、駆け足で俺から離れた。
俺も慣れてきている。胸元からの苦痛も薄れてきていた。
例によって、赤黒く生々しい触手が、俺の胸元から無数飛び出る。伸び出た触手は上下左右四方八方に広がる。その放射状に広がった触手が、今度は俺の方へと殺到し、俺の躰を鎧い包み込む。
次に――この過程を落ち着いて理解できたのは今日が初めてだったが――触手は蛹か繭かいう有様を経て、その表面が結晶化。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。
そして、異形の甲冑が残る。
俺と影山ほのか女史は互いに異形の甲冑を着込んだ状態で向き合う形になる。
先に口を開いたのは影山ほのか女史の方だった。
「東方晶光君、その異形の甲冑を展開したのはこれで何度目?」
「……さ、三度目……です」
俺は思わず正直に答えてしまった。
「そう、さすがは【レギオ】タイプね。ちゃんと『軍隊蟻型』になっている。素晴らしい順応速度だわ」
「え……」
「でも、所詮は素人よ」
影山ほのか女史は一瞬で間合いを詰めてきた。
文字通りの一足飛び。人外の脚力。やはり、この異形甲冑は倍力装置でもあるらしい。
俺は反射的に掌底で迎撃を図る。
が、その前に影山ほのか女史は腰を屈め、余裕で回避。
続く足払いで俺は綺麗に倒された。
――止めの打撃が来る……!
俺は、腕で頭部を、脚で腹部を、それぞれ守る。
しかし、実際には頭部の真横を何かが駆け抜ける感触のみがあった。
「……!?」
次の瞬間、混凝土の床は焼け爛れ、一部が硝子化した。
いわゆる『熱線』が通ったのだ。根拠は曖昧だったが、いわゆる『熱線』が通った事は、何故か感知できた。
「これは……!?」
「凝集光砲よ。聞いた事はあるでしょう?」影山ほのか女史の言葉が裏付けをくれる。「落ち着きなさいな。威力はそれほどでもないから」
見れば、影山ほのか女史の膨らんだ体幹装甲が『展開』し、その奥に巨大な眼球じみた一対の液晶発振装置らしきモノが発現していた。
「だから、結局は、この程度の事しかできないのよ」
発振装置の『視線』が脱ぎ捨てられた制服の方を向く。
次の瞬間、その制服の近くに――異形化していた俺ははっきり捉えていたが――熱線が走り、風に棚引いていた例のA4用紙が燃え出した。
……証拠隠滅の一環だったのだろうか?
「でも、これをツツジちゃんに向ければ?」
「や、やめろっ」
俺の言葉は届かない。
影山ほのか女史――いいや、翅隠型異形甲冑体の疑似生体凝集光砲たる眼球がツツジを視界に捉える。
「ひっ」
「やめてくれっー!」
ツツジの脅えも俺の叫びも届かない。
現実は非情だ。
ツツジの髪は左右の両肩の辺りで綺麗に焼け落ちた。
「当然、こうなるわけね」
翅隠型異形甲冑は淡々と語った。
後から考えれば、示威行為に過ぎなかったはずだ。ツツジの肌に火傷一つ与えぬまま、ツツジの野暮ったくも美しい黒髪だけを正確に焼き切り落としたのだから。
つまり、これはあくまで脅しだ。
とはいえ、ツツジは腰を抜かし、座り込んだ。
だから、俺の理性が吹き飛んだ。
疑似生体凝集光砲の狙いは一時的にだが、俺を外している。だから、強引に立ち上がる事もできる。
「やってはならない事がある!!」
俺はそのまま全力で殴り掛かった。
ツツジは何だかんだで気丈な娘だ。実際、この異形の事態に巻き込まれながらも、飄々とした態度を続け、平常心を保ち、常に最善手を捜し続けてくれた。それは俺が一番よく知っている。そんなツツジでも今回ばかりは怖かったのだろう。恐ろしかったのだろう。無理もない話だ。ツツジの苦しみを思うだけで、俺も胸がはちきれそうになる。
だから、拳をあげる事に躊躇いはなかった。
しかし、それでも――。
翅隠型異形甲冑に俺は軽くあしらわれた。
俺は二度三度と拳を振るう。
しかし、その度に、受けられ、防がれ、流される。
――畜生っ、ここまで差があるのか!?
甲冑式異形が基本的に同じものなら、後は中身である人間の差になるはずなのに。
――いや、しかし、これは……!?
「言っておくけど、これは異形甲冑の性能差ではないからね」
翅隠型異形甲冑の中にいる影山ほのか女史が、俺の疑念を訂正する。
「ツツジちゃんの言う通り、私の翅隠型異形甲冑は凝集光砲運用のために特殊化させた【スタフィリニデ=ラーゼル】だからね。純粋な近接格闘性能で比べれば、君の軍隊蟻型異形甲冑とは大差がない」
「……っ!」
俺はそれでも再び殴り掛かる。いや、何度も何度も殴り掛かる。
しかし、翅隠型異形はもはや防ぐも受ける事もなかった。
腕を動かす事もしない。足働きのみで躱され、俺の拳撃連打を無効化していた。
「わかった? ――これが本物の異形統御者」
「……!」
聞き流していた台詞が身に染みる。
そして、翅隠型異形の繰り出す再びの足払いで俺はまた綺麗に倒された。
倒れた俺を翅隠型異形は傲然と諭す。
「怒りに任せて、腕をあげて――それで何とかなるのは子供の喧嘩だけよ」
「……っ」
……認めざるを得ない。
俺は仮に同じ異形の甲冑を着込んでいても、彼女には勝てない。
それどころか、互いに生身で殴り合っても、彼女には勝てない。
それほどの隔絶が俺と彼女の間にはあるからだ。
――ツツジの髪を弄んだ相手に……俺は一矢報いる事も出来ないのか?
俺が悔しくも諦めかけていた時、彼女の体勢が崩れた。
「え……?」
翅隠型異形甲冑の右足に見知らぬ『触手』が突き刺さっさていた。
異形の『触手』が、中身である影山ほのか女史の右足ごと、貫いていたのだ。
「あら? 装甲の隙間を狙えば、意外とイけるのね」
その声の主には覚えがあった。
「「「アストリッド……!!」」」
物陰から出てきたアストリッドは俺の見知った金髪美少女ではなかった。
いや、中身はあの金髪美少女のままなのだろう。
しかし、その外観は影山ほのか女史が
「く、女王級軍隊蟻型甲冑式異形体【レギオ=レギーナ】!」
と、苦痛に耐えながら呼ぶに相応しいものだった。
全体的な形状は俺と同じ――だから『軍隊蟻型』なのか――ほぼヒト型をなぞっている。ただ、俺の甲冑にある肘膝踵の突起はない。その代わり、影山ほのか女史の甲冑と同じく、結晶性の外殻装甲で要所要所が覆われている。
そして、最大の特徴は女王級軍隊蟻型甲冑式異形体?≒アストリッドが後方に背負った触手だ。計六本あり、その内の一本が現在翅隠型異形体の右足を貫いており、残り五本はそれこそ蟻の脚を思わせる形状で本体を衛っている。
――これが、女王級軍隊蟻型甲冑式異形体?
なるほど、女王級軍隊蟻型甲冑式異形体?≒アストリッドが背負った触手は玉座を連想させたし、結晶装甲による優美な曲線とも相成って、『女王』を髣髴とさせるものだった。
また、それら触手も異形筋組織がかなり硬質化し、その先端は『戈』に似た結晶性の鉤爪となっている。おそらく、これで影山ほのか女史=翅隠型異形甲冑の右足を串刺しにしたのだ。
いや――後から考えれば、この時、俺の感覚も認識も纏った異形の力で拡張されていたはずだ。そうでなくては、こうも細かく覚えていられるはずがない。
何故なら、その次の瞬間には――、
「アストリッドっ……! あんたぁぁっっ……!!!!!」
その絶叫と共に影山ほのか女史=翅隠型異形甲冑が、アストリッド?=女王級軍隊蟻型甲冑式異形体?に殴り掛かったからだ。
しかし、その時点で影山ほのか女史=翅隠型は右足を串刺しにされている。
対するアストリッド=女王級は両手両足どころか、触手が残り五本も自在に動かせる……らしい。
アストリッドはせせら笑う。
「『怒りに任せて、腕をあげて――それで何とかなるのは子供の喧嘩だけよ』だっけ?」
残り五本の内、三本の触手が膨張し、蠕動し、ヒュンヒュンと鞭のように伸び出す。
それらの触手はこれまで見た中でも、とりわけ赤黒く、生々しく、本能的な恐怖を誘う剥き出しの異形だった。
影山ほのか女史は、それでも頭上から振り下ろされる二本の触手は躱す。その身を捻るだけの最小限の動き。卓越した回避運動だった。が、足元から蛇のように這い寄る触手は躱せなかった。左腿に巻き付かれ、ひっくり返される。元々、最初の奇襲のせいで右足は満足に動かない。その上で左足を絡め取られてはどうにもならない。
一度倒れたら最後、まるで蟻の群れに集られる羽虫のようだった。
触手は、瞬く間に、影山ほのか女史=翅隠型異形体は右手左手左足にまでも絡みつく。
「はっ、離せっ!」
影山ほのか女史の声が響く。勿論、叫ぶだけでない。彼女は触手の拘束に必死に抵抗し、数秒かけて姿勢を立て直し、再び立ち上がったのだ。
……しかし、それも陽動に過ぎなかったのかもしれない。
「離せーーーっ!」
影山ほのか女史の声が……虚しく響く。四本の触手がシュルシュルと這い回り、両手と両足をミチミチと締め上げ、既に彼女の四肢は異形の触手で完全に拘束されていた。
アストリッドは愉悦を隠そうともしない。
「そもそも、彼我戦力比は2:1よ。勝てると思った?」
その台詞に、俺はふと気づく。
――え、俺? アストリッド側に分けられている?
それと同時に、アストリッド=女王級の五本目の触手が、影山ほのか女史の脱ぎ捨てた女子学生服を、突き刺し拾ったのを感知していた。
「あ、愛しのほむら姉さんがどんな目にあったか、聞きたかったの?」
「……っ!!」
「とりあえず、ネット上に流した動画を見てくれた? 4K~フルHD画質までの全世界同時無料公開♡ ご実家にはUSBメモリで郵送した上、メール送信もしておいたけど、お父さんお母さんは……」
「アストリッドっっぉぉおおおおおおおお……!!」
翅隠型異形甲冑の胸部一対巨大眼球――疑似生体凝集光砲がアストリッドの方を向く。
発振発射さえされていれば、状況は変わっていたかもしれない。
だが、その前に女子学生服が射線軸を遮った。
それは影山ほのか女史の脱ぎ捨てた女子学生服だった。
アストリッド=女王級の触手が回収し、布一枚の壁として運搬したのだ。
「あれ、撃たないの?」
「……!」
影山ほのか女史には返答する暇はなかった。
その隙に、アストリッド=女王級軍隊蟻型異形の触手が、影山ほのか女史=翅隠型異形甲冑を締め上げたまま、その先端の鉤爪で両肘両膝を突き刺したからだ。
「ぎゃやあああ!!!」
影山ほのか女史が絶叫したのも無理はない。
繰り返すが、影山ほのか女史は異形甲冑越しとはいえ、両肘両膝を突き刺さされたのだ。
しかも、触手はさらにビクビクと蠢き、その先端はグリグリとねじり込み続けている。
「ひいいいいいいい……やめ……やめろ……」
「い・や♡」
「やめてぇぇえぇ……!!」
そのまま、異形の触手は影山ほのか女史=翅隠型甲冑の両肘両膝を串刺しにし、屋上の床へ仰向けに縫い付けた。
「いゃああああああああああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
まるで昆虫標本だった。手足の自由を完全に奪われている。
屋上へ縫い付けられたから――というだけではない。
最低限の人体知識があれば、わかる話だ。
肘が砕かれれば、もう二度と自分の手で握り掴む事はできない。
膝を砕かれれば、もう二度と自分の足で歩き踏みしめる事はできない。
アストリッドはそんな影山ほのか女史に歩み寄り、甲冑越しに嘲笑う。
「先は躊躇ったよね? それって、姉さんの形見の制服コレクションは焼けないって事?」
「……痛いっ、痛いっ……!」
「アハっ。……愚かね」
「ち、畜生っ!!!」
それは意地だったのかもしれない。
ギリギリで影山ほのか女史が翅隠型異形甲冑の二連一対胸部凝集光砲を発振発射した。
対するアストリッドが異形甲冑の右手を振り下ろし、翅隠型異形甲冑を切り裂いた。
ほぼ同時だった。
その相互の一撃が『苗床』を抉り――、
その甲冑を相互に【融解】させた――。
……のだろうか?
影山ほのか女史を鎧っていた異形細胞の甲冑も、アストリッドを鎧っていた異形細胞の甲冑も、等しくブクブクと気泡を立て――おそらくは水と窒素と二酸化炭素に分解された。
多分、双方に共通する安全装置だったのだ。異形細胞が人体に重大な悪影響を与えたとしても、異形細胞の『苗床』を排除すれば、甲冑組織が一気に【融解】する。そうして、中の者の安全を確保する、そういう善意に基づき構築されたシステム……のはずだった。
しかし、この場においては影山ほのか女史を、裸同然ぴっちりスーツ姿で、野ざらしにするシステムだった。
そして、もう一方のアストリッドは、以前と同じスキニージーンズ&タンクトップ姿で、軽やかに出て来る。
影山ほのか女史が纏っているのは、皺や弛みを許さぬ謎の極薄ぴっちりスーツのみだ。当然、Fカップを含む女体の曲線をまるで隠していない。
アストリッドの着衣も傷穴だらけだった。ダメージスキニージーンズとダメージタンクトップの傷穴から真っ皓な肌が覗いて見える。
二人とも年頃の少女で、等しく異形粘液を全身にかぶっている。こんな状況でなければ、倒錯的な艶やかさに興奮したかもしれない。
しかし、アストリッドは戈状の鉤爪を拾い上げていた。【融解】した女王級の触手先端部位だ。そんなものが平凡な日本の校舎屋上に落ちているはずもない。どうやら、異形の中でも結晶化した一部は、こういう時、残存するらしい。
――あ、だから、影山ほのか女史は屋上の床に縫い付けられたままなんだ。
そう、影山ほのか女史は、両肘両膝を砕かれ、身動きが取れない。
ただ、「ひぃひぃ」と喘ぎ声を繰り返す。
その度に大きな乳房が上下に揺れる。仰向けの姿勢でありながら、豊満かつ綺麗な形を保っていた。
だからだろうか?
アストリッドは舌なめずりをしながら、拾った鉤爪を短刀のように逆手で握った。いや、元々そういう設計なのかもしれない。
「さて、こういう時、女の子がどういう目に合うか……お姉ちゃんでわかっているわね?」
既に影山ほのか女史の声には哀願の色があった。
「ゆ、ゆるして……お願い……」
そこでアストリッドは唐突に俺へ声をかける。
「晶光クン、屋上の鍵を閉めて。第三者の介入は避けたいから」
「え……は、はい」
と、何故か言われるままに屋上の鍵を閉めてから、俺は気付いた。
――待て。俺とツツジは第三者ではないのか?
しかし、そんな当然の疑問を言葉にするゆとりはなかった。
「ツツジさんは携帯端末で撮影しておいてくれると助かるわ」
「え?」
と、ツツジですら反応に遅れた有り様だった。
アストリッドは鉤爪をぴっちりスーツの首元へとひっかけた。
「ひっ」
「それじゃあ、本番いってみようかー」
戈状の鉤爪が首元から股間までを切り裂く。
ぴっちりスーツのみならず、肉までもが割かれ、血が噴き出した。
「…………ぁぁぁぁ!!」
もはや、影山ほのか女史の言葉は意味をなさなかった。
ただ、首元から股下まで真一文字に切り裂かれていた。
「あ、ごめーん。剥くだけのつもりだったけど、狙いが逸れちゃった~」
そう言って、アストリッドはケタケタと笑った。
実際、真一文字の傷そのものはまだ浅いはずだ。
しかし、アストリッドは暴虐に耽溺する意図を隠そうともしない。
「いやっ、もう、いやっ……!」
だから、影山ほのか女史は絶望し、あるいは覚悟したのだろう。
細い首を左右に振り、生身の口を大きく開き――。
閉じる――寸前に、その口に女子学生服がぶち込まれた。
「……っっ!」
「駄目だよ。自殺なんてしちゃ駄~目。学校で習わなかった?」
アストリッドは左手で例の女子学生服を掴み、影山ほのか女史の口内にねじ込んでいた。
「どんなに辛くて苦しくっても、逃げちゃ駄~目。戦わなくっちゃ、現実と♡」
そう言って、アストリッドは身動きの取れない影山ほのか女史に跨る。
「ま、舌を噛んで自殺できた人なんて、あたしは知らないけどね~」
さらにアストリッドは頤と舌を伸ばし、影山ほのか女史の首元を舐め回す。同時に、右手は臀部の左手は胸部の、それぞれに豊かな膨らみを、手加減せず力一杯に揉み解す。
数秒か、数分か……アストリッドの責めの手はねちっこく続く。
当然、影山ほのか女史はあらゆる苦痛に悶えざるを得ない。
「……っっ! ……っっ!」
「それにしても、さ」
そして、アストリッドは左右両手で影山ほのか女史の謎ぴっちりスーツの裂け目に手をかける。
「甲冑が脱げたのは想定外だっだよ。……ま、その分は、生身で愉しませてもらうわ」
そして、そのまま、左右に引き千切る。
「「「……?!」」」
元々が極薄の生地だ。いや、本来はそれなりの強度があったのかもしれない。が、上下真一文字に切り裂かれている現状では、影山ほのか女史の肌を隠す最後の砦は、さほどの音を立てる事もなく、あっけなく破れた。
包みを失くした双丘が震えるように露になる。
それどころか、下腹部ですら、もう隠すものはない。
ズタズタになったぴっちりスーツの切れ端が肢体を僅かに隠すだけ。
既に影山ほのか女史は、半裸というより、全裸に近い。
そして、アストリッドは欲望に正直だった。
「まずはここがいい?」
「……………………っっ!」
アストリッドの左手の指は股間――に極めて近い太股をスリスリと撫でていた。
「それとも……」
そして、その指は、影山ほのか女史の体幹をなぞりながら、足元からは離れていく。
「ここ?」
今や剥き出しである影山ほのか女史のFカップ。
そこをさらに強調するかのようにアストリッドの左手が鷲掴みにする。
「……っっ! ……っっ! ……っっ!」
影山ほのか女史が声にならない叫びを続けていた。
無理もない。
アストリッドの右手は、その時、例の鉤爪を握っていたからだ。
そして――
「それじゃあ、挿入開始~」
アストリッドは鉤爪を、影山ほのか女史の乳房に刺し込んだ。
「……っっ! ……っっ! ……っっ! ……っっ!」
影山ほのか女史の声にならない叫びが、しかし、響き渡る。
深々と乳房を抉る一撃であり、しかし、明らかに臓器を外した一撃でもあった。
それでも、いや、だからこそ、
俺は口を開いた。
「ま、待てよ。これ以上、何をする気だ?」
「えーー?」
アストリッドは興を削がれた声で問い返す。
「……もしかして、君、処女厨?」
「な……?!」
「違うなら、黙って見てなさい。あたし、性的には淡泊だから」
「なんだと……?!」
「だ・か・ら、四人目ぐらいまでは愉しめるわよ。間にツツジさんを挟むとしても、君は三人目。まだまだ余裕」
言いながら、アストリッドは右手の鉤爪をグリグリと動かす。
「……っっ!!!!!! ……っっ!!!!!!」
影山ほのか女史は乳房を抉り嬲られ、激しく身悶える。
「あ、孕ませプレイとかどうかな? あたし、男の人が苦手でね。異性経験皆無だから、そういうのはやった事なくてさ」
意味がわからなかった。
「いや、だって、それ、死んじゃう……」
「いーえ、死なないわ」
ただ、アストリッドの明るい声が続く。
「この人は誇り高き異形統御者様だもの。残留異形細胞の生体補助管理は緊急時にこそ、機能するわ。意識を失う事自体が珍しい。つ・ま・り、生身のほむらお姉ちゃん相手にはできなかった遊び方もヤリたい放題ってわけ」
俺が藁にも縋る気分で振り返ると、ツツジの顔色も蒼白だった。
その間も、アストリッドは女史への『行為』をねっとりと続けていた。
舌を伸ばしては首元に這わせ、自身のEカップを持っては女史のFカップに擦り付け、さらに今度こそ左手を彼女の股間へと伸ばす。
そこで、影山ほのか女史の声にならない叫びが別の性質を帯びる。
「…………っっっっ!!!!」
「ん? 今、指だけで痛がったの? え、もしかして本当に処女なわけ?」
アストリッドが「笑える~」と歓喜する。
「うわ、お姉ちゃんもアレはアレで結構使い込まれていたのに、妹ちゃんはこの身体で? あはっ……本当にステキ」
その時――
「やめてください」
と、ツツジが声をあげた。
「……」
アストリッドはしばし戸惑った。その上で言う。
「……ああ、心配しないで。ちゃんと準備はしてあるからね。鍵をかけろと言ったのも、あくまで念のためで。第三者の介入がないように工夫は……」
「やめてください」
と、ツツジは繰り返した。
「……言っておくけど、この水準の女って、簡単には手に入らないからね」
アストリッドの返答は玩弄しながらだったので、その間も、影山ほのか女史は蹂躙され、その肉体はビクンビクンと震え続ける。
「……元が縁故採用でも、《荒夏》の異形統御者選別試験を潜り抜けられるのは、若くて優秀で有能な……」
「や・め・て・く・だ・さ・い」
と、ツツジは三度繰り返した。
「……やれやれ。敵わないわ」
アストリッドは両手をあげて、首を左右に振る。
「わかった。わかったわよ」
この時、アストリッドは鉤爪を右手から離しもした。
鉤爪がカラカラと転がる音に、俺はほっと一息が付けた。
一方のアストリッドは「ん~。じゃあ、こんな感じかしらね」と影山ほのか女史の顔を掴む。
「「「え……?」」」
そして、アストリッドはそのまま無造作にひねった。
影山ほのか女史の頭はあり得ない方向に曲がり、その顔からは一切の生気が消え失せた。
「な、何で殺した!?」
俺の叫びにアストリッドは平然と答える。
「悪の秘密結社の悪の女戦士よ。ちゃんと始末しなきゃダメでしょう?」
「だからって! 何も殺すことは……!」
「何か勘違いしていない? この女、人殺しよ。もう何人も殺しているの。だからこそ、あたしも生かしておけなかった。危険すぎてね。正当防衛よ」
「な……!」
「捕虜にできるほど、安全な相手なら、あたしもそうするわ。美人で巨乳で若い女だし、愉しみ方は山ほどある。でも、そういう色香に誑かされて、死んだ奴も多いから」
アストリッドは理路整然と語った上で挑発する。
「ああ、君も色香に誑かされた一人?」
「お、俺は別に……」
「実際、ツツジちゃんはさ、あと一歩で大怪我するところだったんだよ」
「……っ」
俺は否定できなかった。それは確かな事実だったからだ。
「悪の秘密結社の悪の女戦士の屍には、君こそがなお鞭打つべきなんじゃないの?」
「そ、それは……」
そんな俺の戸惑いをよそに
「悪の秘密結社の悪の女戦士――とやらを確かめる術が私たちにありません」
と、ツツジは凛然と言った。
「この女は昨日の男二人を仲間とも同じ人間とも思っていなかった」アストリッドはそう言って、可愛らしく小首を傾げる。「悪の秘密結社の悪の女戦士らしくない?」
「断片的な情報に過ぎませんよ」
しばらくの平行線の後――。
アストリッドはやれやれと言う様子で、肩を竦めて、立ち上がり、口を開く
「変身(Förvandlingen)」
アストリッドの発音は本格的だった。
そして、金髪碧眼美少女の胸元と背中から、触手が飛び出した。
***
「す、すぐに再変身……だと?」
俺はまずその事に驚いたが、その間にもアストリッドの『異形化』は進んでいた。
アストリッドの体内から飛び出た赤黒く生々しい数多の触手が全身を覆い、蛹か繭を思わせる有様を経て、その表面が結晶化する。直後に結晶部分がパラパラと風に乗り散り去り消え行く。残るのは、異形細胞の全身甲冑に鎧われたやや歪なヒト型。
「女王級軍隊蟻型甲冑式異形体……?」
その造形を改めて、観察し、認識する。
やはり、俺と同じ『軍隊蟻型』ではあるらしい。全体像もほぼヒト型をなぞっている。しかし、肘膝踵の突起はない。その代りに結晶性の外殻装甲で要所要所が覆われている。
そして、最大の特徴でもある背部の太い触手。
結晶装甲による優雅な曲線美とも相成って、『女王』を髣髴とさせる。
荘厳。
跪きたい。傅きたい。そんな衝動が駆け巡った。
……その一方で、俺も自覚せざるを得ない。
今の『異形化』も現実にはせいぜいが数瞬の出来事だったはずだ。その過程をここまで冷静に観察・理解できるのは、俺自身が『異形化』していた影響だろう。
「とりあえず、悪の秘密結社の悪の女戦士は、私が適切に処理しておくわね」
アストリッドこと女王級軍隊蟻型甲冑式異形体は冷淡な言動のまま、影山ほのか女史の亡骸を両手で抱えた。そしてそのまま、明らかにヒトを超えた異形の筋力で、校舎の外へ跳び立った。
「ちょっ」
俺はギリギリまで追いかけたものの、屋上のふちで足踏みせざるを得なかった。
女王級軍隊蟻型甲冑式異形体=アストリッドは中空放物線軌道落下の最中に、その背の触手を複数伸ばし――というか、『射出』した。すると、その先端が近くの建築物の窓を貫き、あるいは壁に鋭く食い込む。
次の瞬間、アストリッドは触手を巻き取った。当然だが、アストリッドはその建築物の壁に引き寄せられる。いや、むしろ壁か窓に叩き付けられる勢いだったが、さらなる次の瞬間にはアストリッドは別の触手を射出し、上方に突き刺し、巻き取り始めていた。
慣性を完全に殺していたわけではないはずだ。
が、これでアストリッドは建築物に叩き付けられるというより、上方に引き寄せられる形になる。
しかも、その次は俺が小学生の頃から得意だった――。
「三角跳び……!?」
――の要領だった。異形の人外脚力もあり、これでアストリッドは高さを大幅に稼ぐ。
違うのはその後だ。生身の肉体しか持ち合わせていなかった俺と違い、アストリッドは高さを稼いだ後、異形の触手を斜め上方へ伸ばせるのだ。そして、突き刺し、巻き取って、再度の三角跳び、それを繰り返す事で建築物をかけ上ることもできる。
「……!」
俺は絶句するしかなかった。
その行き着くところは言うまでもない。
アストリッドは、別の建築物の屋上に――しかも、影山ほのか女史の亡骸を抱えたまま――降り立ったのだ。
同じ事を繰り返せば、この郊外に疎らに聳える建築物から建築物へと移動を重ねる事も出来る。
見れば、アストリッドがこちらに小さく手を振っている。……同じことをやれるなら、やってみろと言わんばかりに……。
「畜生……!」
無理だ――と、俺は判断せざるを得なかった。
俺もまた異形の甲冑に鎧われた身。その人外異形筋肉の跳躍力や耐久力を以ってすれば、この学校の屋上から、華麗に飛び降りる事もできるだろう。
ただし、それだけだ。
あんなCGめいた動きをできるはずもない。
俺は警察へ連絡しなかった事を心底悔やむ羽目になった。
***
翌日の登校中――。
俺がツツジに恐る恐る声をかける。
「な、なあ。ツツジどうする? 昨日……」
「黙ってて! 今、考えているのっ!」
……一晩経ったというのに、ツツジの機嫌はまるで直っていなかった。
「ていうか、晶兄はいつもそうだよね! 何かあったら、ツツジどうする? ツツジどうする? そのくせ、都合が悪くなると、女は黙っていろ!――って、一体どういう頭しているの?」
「そ、それは……」
「アストリッドさんにからかわれている時もそう!」
「え……」
「あんなの見え見えの蜜の罠じゃない! ……チッ、いっそヤッておけばよかったのに!」
「や、ヤッて??」
「少し考えれば、わかるでしょう!」ツツジは頭を抱えていた。「褥の中で重要な秘密を話す無能はまずいない! 大概は馬鹿な男が無意味な罪悪感で弱みを握られるっ!」
「???」
「だから、筆下しのいい機会だったじゃない! 晶兄の……」
「っ!? 黙れツツジ!!」
「え?」
俺の大声にツツジは黙り込んだ。
「く、くる!」
「は、はあ?」
「この気配……異形だ! しかも……数が……!」
!!!
「うああああああああああああああ!!」
俺は絶叫した。
***
四回目ともなれば、話も早かった。
俺の絶叫と共に胸元からは触手が飛び出し、俺の身体は一瞬で異形の甲冑に鎧われた。
と、同時に自律式異形が襲撃してきたのだ。
その数は1、2、3、4、5、6、7……!!??
「やばい! 数えきれ無い!」
俺は文字通り『無数』の異形の接近に、恐怖し、混乱した。
おそらく感覚能力そのものは異形化によって増幅されているのだろう。そうでなくては、通学路の物陰から近づいてくる蜥蜴型異形を察知するなど不可能だ。
が、俺の認識能力の方が追い付いかなかった。だから、大量とはいえ、百はないはずの気配を『数』える事もでき『無』い有り様だった。
「く、くるな……!」
今回の異形襲撃はこれまでの様な散発的な攻撃ではなかった。戦力集中の原則に忠実。つまり、相手は勝つべくして勝つ布陣で来ている。
「くるなあああああ!」
対する俺は無我夢中で両手両足を動かし続けるしかなかった。
それでも、幾何かの蜥蜴型異形を手刀足刀で切り伏せ叩き伏せる事が、一応、出来た。
やはり、俺の『甲冑式』は、その基本性能において、『自律式』を圧倒しているらしい。
さらに言えば、俺も自分の甲冑式異形の扱いにかなり慣れ始めていた事もあるだろう。
しかし、俺の心には、余裕はなく、焦燥があった。
繰り返すが、今回の異形襲撃はこれまでとは違う。相手は戦力の逐次投入を避けている。勝つべくして勝つ布陣で来ている。
皮肉にも異形甲冑によって拡大した知覚がそれを教えてくれる。
俺の不完全な認識でも、
――この『布陣』はもう詰んでいる……!
という事が理解できてしまう。
実際、次の瞬間、俺は上方からの異形の気配を察知した。
すぐに俺は視線――異形甲冑による高品位高度複合複眼――を空へと向ける。
一瞬で理解したしたその形質は蜥蜴型や竜盤型と同じだった。剥き出しの筋肉に脈打つ血管脈打つ筋肉の異形細胞体――だが、全高約一メートルのその形状は
「蝙蝠型だと……!?」
奇縁と言うべきか、それはツツジが想定した『飛行動物型異形体』そのものだった。
しかも、その蝙蝠型自律式異形体は集団でツツジに向かう。
ツツジはツツジで逃げ出し駆け出すが、所詮は人の身である。その速度差でいずれ追いつかれる。
だからこそ、俺は跳躍した。
目標は蝙蝠型自律式異形体。
自信もあった。異形細胞による人外筋力跳躍なら、蝙蝠型の飛行高度にも到達可能だ。俺も俺を鎧う異形について、経験を重ねているから、軌道計算を含む統御も問題ないはず。
しかし――。
「み、ミサイル……!?」
対空滞空跳躍中の俺に襲い掛かってきたのは、『誘導飛翔弾』と呼ぶ他ない異形細胞による疑似生体榴弾の数々だった。
「ちっ!」
俺は反射的に防御態勢を取る。
刹那の後、無数の誘導飛翔弾による化学的な爆発が連鎖的に発生する。
そんな猛攻に対しても、俺を鎧っている異形甲冑は強靭だった。勿論、無傷とは言えず、甚大な被害が出ている。しかし、地面に叩き落とされた俺にとって、そんな事はどうでもよかった。正直、痛みすらほとんどない。それは脳内麻薬による鎮痛作用というだけではないはずだ。
「晶兄いいいいいいい!」
「返せ! ツツジを返せ!」
ツツジの叫びに、俺もまたそう叫ばざるを得なかったからだ。
俺が防御姿勢を取っている間に、複数の蝙蝠型異形体がツツジを掴み捕え、連れ去っていたからだ。
「ツツジいいいいいいいい!」
俺が伸ばした異形の右腕は虚しく空を裂く。
しかも、
――「下手に動けば、この娘の命はない」
そんな『意図』がひしひしと伝わってきた。
……実際のところ、そんな脅しが必要だったかどうかも怪しい。さすがに回避不可能な空中であんな爆発を複数くらって、即座に動き回れるほど、この異形甲冑は便利ではない。
いや、そもそも、物陰から姿をあらわした眼前の脅威に、俺は硬直すらしていた。
それは――
「み、ミサイルランチャーだと?」
誘導弾砲搭載版翅隠型甲冑式異形――ともいうべき個体だった。
そう、昨日相対した個体に似たヒト型の異形甲冑体だ。『体幹が膨らんだ有毒甲虫』を連想させる全体形状、要所要所が結晶性の外殻装甲で覆われ、背中にはそれこそ甲虫の鞘翅を思わせる正体不明の器官がある。
違いは体幹装甲が肩部方面に大きく『展開』し、その奥には見せつけるように疑似生体誘導飛翔弾が複数格納されていた点だ。
だから、
「警察を含む第三者への情報漏洩は避けてくれたまえ」
「こ、断ればどうなる?」
「君が聡明な少年だという事は調べがついている。馬鹿な真似はしない」
「……!?」
「期待している」
と、立ち去る異形統御者の男の声にも耐えるしかなかった。
***
それから数日は記憶がおぼろげだった。
勿論、覚えている事もある。
当然だが、ツツジの両親は行方不明者届を出した。
だから、俺のところにも警官は来た。
とはいうものの、実のところ、何と答えたかはよく覚えていない。
俺は『参考人』の一人になっているだろう。
だが、それだけだ。
警官は、俺の拙い言葉――実はどう誤魔化したのかもよく覚えていない内容――に、深く考えた様子もなく相槌を打つばかりだったのだ。
あるいは、あれは演技だったのかもしれない。いや、実際問題、警察でなくとも、大の大人が俺の様な中学生の言葉を一から十まで真に受けるとは考えにくい。状況証拠的に、俺の嘘は半ば見抜かれているはずだ。
だが、それだけだ。
勿論、警察も動いてはくれている。
女子中学生が白昼堂々いきなり姿を消したのだ。動かない理由はない。
だが、それだけだ。
結局、ツツジの『失踪』はよくある家出事件の一つとしか扱われていない。少なくとも、俺の目にはそう見えた。
――これではツツジの救出は夢のまた夢だ。
そう判断せざるを得なかった。
脅威となるのはあの《異形》だけではない。それらの戦力を(何だかんだで最後には)適切に投入してきた点こそ、むしろ、恐ろしい。それだけの組織力を誇る集団が相手だ。片手間めいた労力ではツツジの居場所を見つける事すら叶うまい。
あるいはツツジをさらった――たしか《荒夏》と名乗った――組織が、警察に何らかの圧力をかけたのかもしれない。あんな《異形》を運用する組織なら、その程度はできてもおかしくはない。それこそ、ツツジが好きな漫画の様に。
いずれにせよ、俺も真実を打ち明ける事は出来なかった。
正直に話しても、ツツジの身を危うくするだけで、助ける事はできそうもない。
そう判断せざるを得なかったのだ。
だから、俺は、朝方から夕暮れまで、街中を淀んだ目でぶらついていた。
脳裏をよぎるのは過去の事ばかりだった。
物心つく頃には、ツツジは既に俺の傍にいた。
幼稚園の頃から、俺にとってツツジは妹のような存在だった。
だが、周囲はそうは見なかった。
俺達の関係に、大人達は好意的だった……が、子供達はそうではなかった。
俺とツツジのあまりにも親密な関係をからかい、ちょっかいの対象としたのだ。
今ならわかる。
あれは同世代の少年少女たちがツツジの事を好きだったが故の行為だ。
だから、ツツジと共にいる俺が邪魔だったのだ。
「……無理もないな」
ツツジ程の女子だ。万人を魅了するのは当然の話だ。
とはいえ……いや、だからこそか、思春期以降は俺達の関係に対する同世代による有形無形の妨害は多かった。
しかし、それでも、ツツジは俺から離れないでいれくれた。
ツツジがその外柔内剛を駆使し、対人関係を円滑に納めてくれた。
やっかみ混じりのからかいに対しても、軽やかに手を振りつつ、俺の腕に抱き付く事で、周囲の雑念を雲散と霧消へ導いてくれたのだ。
当時の俺は、それがやっかみだともからかいだとも、わかっていなかった。
ツツジは俺が気付く前に事を収めてくれていたのだ。
「なのに、俺は……」
次の瞬間、俺の携帯端末が震えた。
俺が朦朧とした意識の中、端末を取り出すと――いつの間にか、ツツジの映った動画を着信していた。
数日ぶりに見るツツジは、よりにもよって、別れた時と同じ学生服姿だった。
しかも、『今日付けの新聞』を持っていた。それは背景も含め、ツツジの本棚に並んでいた『MASTERキートン』のような展開だった。
そして、始まる高精細度動画再生
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
と、そこでツツジの台詞は途切れ、再生が終わる。
だから、俺は夢中になって、その動画記録を繰り返し再生する。
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
――「私は無事だから、現状のまま、余計な事をしないで――というのがこの人たちの指示で……」
何度目かはわからぬ高精細度動画再生の後、俺はその場に立ち崩れた。
周囲の通行人が奇異の視線を向けて来るが、正直、知った事ではない。
「無事だった……!」
俺の一念はまさにそこに尽きた。
これでツツジの生存が完全に証明されたわけでもない。が、これだけの高精細度動画のでっち上げは容易ではない。少なくとも一介の男子高校生の手には余る。俺がこの動画を持っていけば、悪戯を疑う暇もなく、警察はすぐ動いてくれるだろう。
「……警察は……動いてはくれる……」
だから、俺は数分待った。
しかし、何も起きなかった。
それなりに人通りのある道端で、明らかに不自然な足踏みをしているのに、周囲からは奇異の目で見られるだけだった。
正直、期待していた。こうやって『拉致犯』から連絡が着た瞬間に、俺を尾行していた私服警官が、俺を即座に取り押さえ、携帯端末を奪い、通信サーバーの割り出しを急いでくれることを――。
ツツジが好きだったドラマの様な、渋くて頼りがいのある大人の警官を切望していた。『やはり、そういう事か。後は大人に任せなさい』と、我ながら幼く頼りがいのない俺の肩を叩いてくれることを――。
しかし、現実の俺の身は奇異の視線にさらされるだけだった。
つまり、現実の警察はこの『失踪事件』に、その程度の資源しか割いていないのだ。
いずれにせよ、はっきりしている事がある。
「駄目だ……! 警察は……! 大人はあてにならない……!」
そもそも、日本の警察の通常装備であの《異形》に太刀打ちできるとも思えない。
蜥蜴型の様な自律式であっても、リボルバー拳銃では相手になるまい。多分、アサルトライフルは必要になる(それこそ、ツツジの好きな漫画で覚えた)。
まして、甲冑式ともなれば! 防御姿勢を取っていれば、小型とはいえミサイル数発に耐えたのだ。どうすれば、倒せる? いや勿論、十分な火力を叩き込めば、倒せるだろうが……現実的にそんな事が可能なのか?
自律式もそうだが、甲冑式は特に運動性に優れる。十分な火力を叩き込む事はそもそも困難だ。
しかも、広い意味で隠密性も高い。それらを活かして、市街部で遊撃戦を徹底されたら……、
「はは、なんだ。無敵じゃないか? 異形の力さえあれば、『世界征服』だってできるんじゃないかの?」
そういえば、アストリッドは彼らを『悪の秘密結社』と呼んでいた。
……俺はこの国に伝わる金字塔作品を髣髴とせざるを得ない。
「『世界征服』を企む『悪の秘密結社』が相手なのだとしたら……!!」
絶望を通り越して、自暴自棄にすらなりかねない。
が――。
奇縁と言うべきだろうか?
「彼女ォ、お茶、飲まない?」
そんな風に古典的なナンパをする声が耳に届いた。
俺は振り向いた。
その先には予想通りの声の主がいた。
件の金髪美少女――アストリッドが見知らぬ女子を誘っていたのだ。
しかもと言うか、どうでもいい事かもしれないが、見知らぬ女子はその小さな背に赤いランドセルを担いでいた。
つまり、アストリッドが女子小学生をナンパしていたのだ。
「アストリッドおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
俺は赫怒し、それから数分間の記憶は本当にほとんどない。