第二話 謎の秘密結社《荒夏》!?
翌日――。
俺とツツジは何事もなく、共に登校し、共に授業を受けた。
先日の事を忘れたわけではない。むしろ、先日の事を忘れられなかったからこそ、共に通学したのだ。
中学校という目撃者多数の公共空間なら、相手が誰でも手が出し難いだろう――という判断だ。
そして、下校中――。
ギリギリまで行動を共にするため、俺とツツジは一緒に帰宅しているのだが……。
「アストリッドさん、あれから来てくれないね」
「来なくていいんだよ、あんなヤツ。つーか、ツツジ、お前は本気で言っているのか?」
「本気って何が?」
「だから、あのアストリッドにまた会うような目に会いたいのか?」
「晶兄は来て欲しくないの?」
「来て欲しいわけないだろう。あいつさえいなければ、俺たちは平穏無事な日常を送れるんだぞ」
「んー? それはちょっと論理が飛躍していない?」
「いや、しかしな……」
「それに、晶兄だって、アストリッドさんみたいな美人さんと会いたいでしょう?」
「阿呆か……! いくら美人でもあいつは、あからさまに怪しいし、危なそうだろうが……!」
「あー、美人というところは認めるんだー。ふーん。へー。なるほどねえ……」
そう言って、ツツジは目を細めて、こちらをじっーと見つめて来る。
俺は頭を抱えたくなった。
いつもなら、ツツジのこの鷹揚さは頼もしいと思える。と言うか、今も少し頼もしい。こうやって、男子の俺と女子のツツジが四六時中べったりしていれば……まあ、さすがに色々とある。しかし、ツツジは泰然自若とした振る舞いを続けてくれる。
――ツツジの器量には助けられている。
と、思う自分がいないと言えば嘘になる。が、その一方で
――しかし、いくらなんでも、危機感が足りないだろう!!
という苛立ちは隠せない。実際、俺は歯を食いしばっていた。
考えて欲しい。俺は昨日、異形の怪物に襲われたり、異形の甲冑に鎧われたりしたのだ。ツツジだって、そんな俺の傍にいたのだから、危険と隣り合わせだったのだ。そして――。
「あのアストリッドがあの異形の事態と関わっている事は、疑う余地もないだろう?」
「ん? だから?」
「なら、普通はあの金髪と……」
俺がそう言いかけたところで、ツツジは足を止めた。
少し遅れて、俺も気付く――道を遮るように黒服の男が二人で立っていた。
「東方晶光君に、三葉ツツジ君だね?」
男の一人はそう言って、黒革の手帳を懐から垣間見せた。
「警察だが、聞きたい事がある。ご同行願えないかね?」
***
俺とツツジはなし崩しに、二人に付いて行く事になった。
「そのまま、昨日の件でいくつか質問に答えて欲しい」
男二人は共に黒い背広姿で、体格も悪くない。たしかに『私服姿の警察官』という感じ――まあ、俺がこの場で殴りかかっても勝てそうにない。ましてや、女子中学生の中でも特に小柄なツツジがいるのだ。
「昨日の件というと?」
「君達の通っている学校裏の山林に、大きな杉の木があるだろう? というか、昨日まであったろう?」
「ええ、まあ、知っています」
「ほう、では、私が過去形で補足した理由も知っているのかね?」
「え……」
俺は言葉に詰まった。
「私もこの辺りの生まれでね。あの杉の木の事も知っている。しかし、位置的に君たちの中学から、そう目立つものではない。現にこれまで何人かの同級生に聞いてみたが、あの杉の木が折られている事は、まだ、誰も知らなかったよ?」
「お、折られているって、まるで何かがあの杉の木を折ったみたいな言い方ですね?」
俺の声は震えていたと思う。今更ながら、あの杉の木を薙ぎ倒した『異形』が恐ろしくなったのだ。
「『何か』? 『誰か』ではなく? あの杉の木は『誰か』ではなく、『何か』に折られた事を知っているのかね?」
「それは……」
「すみません。その前に警察手帳の中を見せてもらえませんか?」
それまで黙っていたツツジが口を挟んだ。
「どういう意味かね?」
「質問の仕方が不自然です。まるで出来の悪い素人小説のように不合理です。現行の警官向け職務質問手順書などから大きく逸脱しています」
何故、そんなことがツツジにわかるのか?――どうせ、その手のマンガかラノベからの知識だろう。
すると、男はバツが悪そうに頭をかいて言う。
「いやはや、耳が痛い。しかしね、現実問題、我々、現場の人間に手順書を熟読する暇はないんだよ。それに手順書通りのやり方では……」
「でしたら、警察手帳の中身を見せて下さい」
「……何か勘違いしていやしないかね? 我々は君たちの味方になりたいと思っている。君たちだって……」
「でしたら、警察手帳の中身を見せて下さい」
ツツジもまた震えていた。
しかし、それでもなおツツジは返答を求めた。
……それはたしかに不自然で不合理だった。
二つ折りの警察手帳の中には、警察官の氏名や証明写真があると聞く。ところが、この二人は警察を名乗りながら、それを見せようとしない。いや、その手続きを省略する事はあるのかもしれない。しかし、ここまで頑なに拒む理由はない。
……本当に俺たちの味方になりたいのなら。
「「……」」
二人組の男は沈黙し、俺達との間に不穏な気配が漂う。
――おいおい、冗談だと言ってくれよ。
繰り返すが、男二人は共に黒い背広姿で、体格も悪くない。何となく『私服姿の警察官』という感じ――まあ、俺がこの場で殴りかかっても勝てそうにない。ましてや、女子中学生の中でも特に小柄なツツジがいるのだ。
しかし、時間稼ぎぐらいはできる。
俺は改めて周囲を視線で確認する。
「おい、お前らっ」
男の一人が俺たちに手を伸ばす。
「ツツジっ! 逃げるぞっ!」
俺はそう言って、ツツジの手を引いて駆け出す。こんな時だが、その手は柔らかかった。
「ガキどもがっ」「逃げられると思うなよっ」
二人の男は、警官とは思えない柄の悪さで、追いかけてくる。
勿論、逃げ切れるとは思っていない。
ただし、第三者の介入を期待してはいる。
――護身の基本は逃げる事! そして、助けを求める事!
(勿論、真の護身とはそもそも危険に近づかない事であり、のこのこ付いてきてしまった時点で大失敗なのだが……)
大人の男二人が中学生二人を追い掛け回しているのだ。しかも、そのうち一人は女子である。人通りの多いところまで出れば、見て見ぬふりをする者ばかりでもあるまい。直接助けてはくれないまでも、(本物の)警察への連絡はあり得る。それを恐れて連中が手を引く事はもっとあり得る。
が、人通りまで、あと一歩というところで、俺は足を止めた。
「晶兄っ?」
ツツジが疑問と抗議の声を上げる。
実際、この時、俺は自分が何故足を止めたのかわかっていなかった。
しかし、理由はわからずとも、正しい判断だった事は間違いない。
次の瞬間、巨大な爪が前方の虚空を割く。
俺たちがあと一歩足を進めていたら、この爪の餌食だったろう。
そう、それは蜥蜴のように四足爬行する『異形』の化け物だった。尾はなく、鱗もなく、毛もなく外骨格もない。全長は2メートル程で、脚部は胴体より太く、剥き出しの筋肉に脈打つ血管。そして、鋭利で巨大な爪の持ち主。
――疑似生体兵器《異形》!
あのアストリッドの台詞が嫌でも甦る。
それもよく見れば、一匹ではない。物陰から、二匹、三匹とあらわれる。
「ふん。もう逃げられんぞ……!」
男の一人が高らかに言い放つ。
「……!」「……!」
俺とツツジは黙り込まざるを得なかった。実際、こんな『異形』の化け物に勝てる気がしない。というか、人間は同じ体重の犬にすら勝てない生き物だ。
「言っておくが、そいつらは俺達に従う様に調整されている。逆らうなら、容赦はしない」
疑う理由はなかった。
その《異形》は計三匹いたが、三匹ともよく躾けられた狩猟犬のような動きで俺達を囲んでいたからだ。
「……蜥蜴型異形を初めて見たわりに冷静な反応だな?」
「あ、それは……」
俺はまた失態を犯していた。見れば、ツツジも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「やはり、二人とも《異形》を以前にも見た事があるな?」
じりじりと《異形》が俺達に近寄ってくる。
「どこで知ったのか、教えてもらおうか? さもなくば、『死』んもらおうか?」
男の一人が狂気と興奮がこもった言葉を口にした。
三匹の《異形》は指令単語を受け取った狩猟犬のようにその身を震わせる。
殺気。そう抽象表現するしかない雰囲気を《異形》計三匹が纏ったのだ。
――死ぬ。死んでしまう。
――あの《異形》の爪で、あの《異形》の牙で、切り裂かれ、噛み砕かれてしまう。
――俺は、いや、ツツジも、ここで殺されてしまう……!!!!!!!
次の瞬間――。
胸の奥に違和感が生まれた。
しかし、その違和感には覚えがあった。
それは俺の身体の中で蛇が蠢くような苦痛でもあった。
「! ツツジ、あの時と同じだ」
俺の声を聞いて、ツツジは「ええっ?」と驚きながらも、一足飛びで俺から離れた。
何だかんだで冷静な判断だ。やはり、ツツジの肝っ玉は頼もしい。
それを見て、俺も肝が据わった。
だから、胸元からの激痛にも無言で耐える事が出来た。
後は前回と同じだ。
俺の胸から飛び出た赤黒い触手が、蜥蜴に似た《異形》の一匹を串刺しにする。
胸部から伸び出た触手は上下左右四方八方に広がる。
串刺しだった《異形》の四肢は四散し、辺りには異形の肉片と粘性の体液が飛び散る。
その放射状に広がった触手が、今度は俺の方へと殺到する。
そして、俺の躰を鎧い包み込む異形の甲冑を成していく。
――せ、『セーラームーン』の変身バンクに似ているな。
俺は唐突にそんな事を思った。
あのアストリッドは『仮面ライダー』とか『強殖装甲ガイバー』とか言っていた。――なるほど、異形の質感は『仮面ライダー』とか『強殖装甲ガイバー』のノリだ。しかし、この過程は『セーラームーン』だった。【胸元にある何か】から、触手が生え伸び出し、その触手が俺を鎧い包み込む異形の甲冑を成していくのだ。
しかも、
――前回ほど、苦しくない。
それは、覚悟云々の問題でもなかった。触手が胸部を食い破って出てきたはずなのに、今度は出血もほとんどない。痛みも少ない。前回、あれほど辛かった息苦しさも乏しい。生体組織を作り変えられるような恐怖は皆無に近い。
――順応しているのか?! それも、急速に!?
しかし、俺よりも驚いた奴らがいた。
それは、この『異形の展開』に巻き込まれないように距離を取ったツツジではない。
俺達を追ってきたはずの男二人だった。
「かっ、甲冑式異形……だと……!?」
その言葉に、少し離れていたツツジが指摘する。
「……晶兄、晶兄を包んでいるそれ、カッチュウシキイギョウらしいよ。文脈から考えて、多分、普通名詞だと思う」
一方で、串刺しにされた《異形》はガクガクと震えた挙句、やはり動かなくなった。
それを視界に収め、俺も少し冷静になる。正確には俺を鎧う異形の超感覚の力もあったのだが、この時の俺はそこまで頭が回らなかった。
「カッチュウシキイギョウ……これが『甲冑式異形』……。ああ、それでその蜥蜴みたいのが『蜥蜴型異形』というわけか……」
そして、俺は残り二匹の敵性蜥蜴型異形に目を向ける。
奇しくも、襲い来る異形の怪物に、俺は異形の甲冑を鎧って立ち向かう構図となった。
異形の細胞同士が共鳴しているのかと思ったぐらいだ(その誤解が解かれるのはやはり後になるが)
男が叫ぶ。
「こ、殺せ! ……い、いや、その小娘だ。そうだ。化け物ではなく、その小娘を狙え!」
化け物って、俺の事だろうか?
とはいえ、残り二匹の異形にツツジを狙わせるらしい。
俺はそれを耳にして、最短最速で異形のトカゲモドキの懐へ飛び込む。
……つもりだったが、トカゲモドキの懐を飛び越してしまった――異形を身に纏った俺は脚力も大幅に増大していた――が、かえって、トカゲモドキの死角に位置取れた。
俺は半ば反射的に正拳中段逆突きを繰り出す。
それは伏せる蜥蜴型異形を狙い撃つのに最適な一撃でもあった。
ほとんど偶然だったが、俺の突きは見事に直撃――やはりその感触は生卵を砕く程度でしかなかった。傍目にも強靭そうな《異形》の細胞組織を打つ感触ではなかった。
二匹目を撃破。
「う、うわああああ」
この時点で男二人は逃げ出していた。
何となくわかってきた。この二人の錬度は高くない。
多分、ツツジの好きな漫画でいう『脅かし役』なのだ。
それでも、残り一匹の《異形》は男二人の退路を陣取った。
躊躇なく殿をつとめる辺り、やはり、蜥蜴というよりも忠犬を連想させる。
俺は威嚇の意味を込めて、わざと大袈裟に右足を大きく踏み込む。
野良犬ならこれで逃げ出すはずだが、そいつは逆に俺へ飛びかかってきた。
「ちっ」
相手の爪牙が怖かったので、反射的に頭部(急所)を隠せるように、
「セイッ!」
俺は後ろ回し蹴りを繰り出す。
凄まじい速度と威力の足刀が、最後の《異形》を射抜く。
後は以前と同じだ。
ガクガクと震えた挙句、動かなくなる……だけではない。
三匹の『異形』がドロドロと溶け出し、ブクブクと泡を立て始める。
文字通りの【融解】で液状化し、気体化し、消えて行ったのだ。
一方、男の方はそのまま見逃す事になった。
――追えば、殺せる。……殺さざるを得ないかもしれない。
それがわかっていたから、追わなかったのかもしれない。
だから、俺はその場で立ち竦んだ。
俺を鎧っていた異形の甲冑が【融解】し、消え始めたのはそれからしばらくしてからの事だった。
***
***
***
「晶光クンのヘタレ。ちゃんと殺しておかなきゃダメだよ。というか、セーラームーン? 何それ? 水兵・月(sailor・moon)? 意味不明じゃない?」
まず、あたしは呆れた。
「にしても、《荒夏》も堕ちたわね。あんた達みたいなチンピラを雇った上、警察手帳の偽装一つ満足にできていない」
次に、あたしは嘆いた。
「もしかして、あたしのせいで相当混乱しているの? ねえ、教えて欲しいんだけど」
そして、あたしは触手を展開し、後始末の準備を始めた。
「素直に吐けば、12時間以内に殺してあげるわ。男の悲鳴には需要も興味もないしね。……でも、シラを切るなら、あの女みたいに72時間は飼い殺してあげる。いかかが?」
背広姿の男二人はひきつった笑みを浮かべたが、少しは感謝して欲しいと思う。
あたし、アストリッド十五歳という類稀な美少女を見ながら、その一生を終えられるのだから。
***
***
***
翌日、やはり、俺は校内でツツジと話していた。
「……なあ、ツツジ。連中、あれで諦めると思うか?」
「――連中自身はともかく、連中の背後にいる人たちは諦めないと思う」
「……やっぱり、あれで終わりじゃないよなあ……」
俺は暗澹たる気分になったが、ツツジは淡々と指摘する。
「《異形》だったよね? 間違いなく、アレには共通する技術基盤がある。蜥蜴みたいに四足で歩いていたヤツにも、竜盤みたいに二足で歩いていたヤツにも……晶兄を包み込んだアノ……」
「『甲冑』みたいなヤツにも?」
「うん。別々の基盤から、偶然、ほぼ同時に生まれたと考えるよりは、共通する基盤から別々に派生していったと考える方が自然だと思う」
「そんなもんか? ……いや、そんなもんかもなあ」
俺は認めざるを得なかった。たしかに、俺を襲ってきた怪物も、俺を鎧っていた甲冑も、等しく『異形細胞』という感じのシロモノで構成されていた。
あの時、ツツジはその『異形細胞』の残骸を分析しようとした。具体的に言うなら、予め持っていたというミネラルウォーターのペットボトルを、その場で空にして、俺を鎧っていた甲冑や、俺を襲ってきた怪物の『残滓』を頑張って詰め込んだらしい。
で、家に帰って、その残滓の成分分析をしたらしい。結果は
――「水と窒素と二酸化炭素が主成分だね。……そういえば、アストリッドさんも似たような事を言ってたっけ?」
とのこと。実はペーパースキャナー感覚で使える簡易オートシーケンサーもどきは既に市販されており、他のデバイスと同じくPCへUSB接続し、ソフトをネットからダウンロードしてインストールすれば、その辺りまでは分析可能らしい。
――技術の進歩は凄いなあ。
とは俺も思うものの、
――でもそれって、別に調べなきゃいけない事もでもないだろう……?
とも俺は思う。
水と窒素と二酸化炭素なんて、地球上にはありふれている。そもそも、俺達、現行人類自体、九割以上は炭素と酸素と窒素と水素で構成されているらしい(これは理科の先生が授業中に余談として教えてくれた)。
ぶっちゃけ、分析過程でツツジがしくじったのでは?――と思って、俺がつい口にすると、
――「うん。でも、あたしのお小遣い(おこづかい)で出来るのはここまでだよ。もっと正確な情報を得るためには大学の機材とかじゃないと駄目だね」
と己の限界を素直に認めたのだった。
そんな我が従妹で幼馴染で級友のツツジは
「連中は『組織』だよ。そういった共通基盤を体系化した技術として運用できる水準のね」
と、噛み締めるように言った。
「アストリッドさんはたしか《荒夏》と言っていたよね?」
「ああ。じゃあ、あの異形とかを取り扱っている組織の名が《荒夏》で、昨日の男二人はその構成員という事か?」
「うーん。昨日の男二人も関係者だとは思うよ。でも、構成員かと言われれば……、多分、その末端ですらないと考えるべきだと思う」
「あのな、昨日の男二人も、生身で殴り合ったら、俺は勝てないからな」
俺は、カシャカシャと腕を動かしながら、答えた。
「……ところで、晶兄は何をしているの?」
「え? コーラのボトルの炭酸抜きだよ」
そう、俺は500mlペットボトルのコーラを振って、その炭酸を抜いてる最中だった。
「言ったろう? 最近、甘いものが欲しくてな。とはいえ、甘いものばかり食っていると、咽喉が渇くし、コーラばかり飲んでいると炭酸がきついしな」
「……そ、それで、晶兄はわざわざコーラの炭酸を抜いていると?」
「おう、その通り」
俺は簡潔に答えると、ツツジは何故か絶句した。
「晶兄……さ……」
「何故、そんな体調で病院や警察に行かないの?」
その台詞は見知らぬ短髪の少女のものだった。
彼女は少年のような極端な短髪だった。身長は推定160センチメートル前後、体重は……それこそ推定だが、50キログラム前後だ。そして、女子用学生服を着ていた。
いや、仮に、学校指定の制服姿でなくとも、性別を誤る事はなかっただろう。
何故なら、彼女の体格全体は細く柔らかな曲線で構成されているのに、その胸部だけは大きく張り出し、制服を露骨に押し上げ、性別を疑う余地をなくしていたのだ。
――年上……だよな?
俺が戸惑っていると、巨乳の少女は
「私は影山ほのか。よろしく」
と名乗った。そして、その影山ほのかは
「歩きながら、話しましょう」
と、一方的に宣言して歩き出した。
俺はあわてて影山ほのかについていき、ツツジもそれに続く。
影山ほのかは速足だった。まるで苛立っているかのように床を踏みしめている。
が、そうすると、揺れる。何が揺れるのかと聞かれると、俺の口からは言いづらい。が、とにかく揺れる。
しかし、ツツジは容赦なく尋ねる。
「その、その御胸はいかほどで……?」
「……Fカップよ。ぶっちゃけ、乳房縮小手術を申請したわ」
「凄いっ! ていうか、乳房縮小なんて、何でまた?」
「私、いわゆる体育会系でね。正直、ここまででかい胸は邪魔なの」
「そんなっ! もったいないっ!」
……ツツジ、ツツジ、気持ちはわからないでもないが、発言が露骨すぎないか?
しかし、影山ほのかは、同性ゆえの気楽さか、平然と答えてくれた。
「上にも同じこと言われて、乳房縮小は諦めたわ」
「上?」
「上司よ。私が所属する秘密結社《荒夏》って、この手のセクハラが多いの。下手すると髪まで伸ばさせられそうになるんだから」
「へ、へぇ~」
とんでもない発言に、さすがのツツジも平然とはしていられなかった。
そこで影山ほのか女史は振り返る。制服と巨乳に誤魔化されているが、短髪のその顔はどこか荒々しい。
「ところで三葉ツツジさん。とりあえず、携帯の電源は切ってね。ここから先は録音とかされると面倒なの」
「……せめて、手書きの覚書は?」
「禁止」
「あのですね。私たちとしても、情報の整理はしたいわけで……」
「それが嫌なら、立ち去るまでよ」
平行線だった。
ただし、ツツジは所詮中一の女子だ。もっと言えば、その中でも小柄で華奢な類だ。
一方で、影山ほのか女史は(その極端な巨乳を含む女性らしい体付きを含めて)どこか威圧的な風貌だ。
だからだろうか?――先にツツジが折れた。
「晶兄。ここは従おう。いくらなんでも情報が足りない」
「お、おう」
実のところ、俺は録音準備などまるでしていなかったのだが、さすがに見栄を張った。
「じゃあ、このまま歩きながら、話しましょうか」影山ほのか女史は再び背を向け、足を進める。「あたしに付いてきて」
「盗聴防止ですか?」
「ええ、広義のね」
……いつの間にか、女子二人で話が進んでいくのだった。
***
「まずは謝罪をするわ。秘密結社《荒夏》の一員としてね」
秘密結社《荒夏》――俺がここ数日で何度か聞く羽目になった用語だ。
そして、影山ほのか女史はその《荒夏》の一員として謝罪するという。
ツツジは「えーと、何の話か……」としらばっくれようともしたが、影山ほのか女史はすかさず一枚のA4用紙を取出し、俺達に見せる。
その用紙に印刷されていたのは――。
「甲冑式異形と蜥蜴型異形のツーショット。君たちはこれに巻き込まれたのでしょう?」
その通りだった。
甲冑式異形――二本の脚で立ち、二本の腕を具え、脊椎の上に頭部があり、その顔には大きな複眼と細長い触角付きの仮面が形成され、両肘両膝両踵等には引き金を思わせる突起が付属、そんな生々しい甲冑で鎧われた異形のヒト型。
蜥蜴型異形――あの蜥蜴のように四足で爬行しながら、尾はなく、脚部は胴体より太く、鱗も毛も外骨格もなく、おまけに全長は2メートル程で、剥き出しの筋肉に脈打つ血管と鋭利で巨大な爪を兼ね備えた化け物。
俺が成ってしまった『異形』と、俺に襲いかかってきた『異形』だ。
その双方がそのA4用紙には印刷されていたのである。
勿論、細部は微妙に違う。
まず、甲冑式異形の方は形状差異が大きい。
俺が成ってしまった甲冑式異形はビクンビクンと脈打つ細胞組織?で全身拘束構成され、皮膚や衣類は全く見えないというだけだった。しかし、A4用紙には印刷されている方は、その細胞組織がまるで硬化したような結晶組織?の装甲で覆われている。
次に、蜥蜴型異形の方は雰囲気が違う。
俺に襲いかかってきた蜥蜴型異形はそれこそ殺意に満ち満ちた凶悪凶暴な猟犬?だった。ところが、A4用紙には印刷されている方は、厳かに傅く忠臣というか、まるで忠犬のように服従の姿勢を取っている。
それに、こんな画像はいくらでも合成できる。
……とはいえ、この影山ほのか女史に『異形』についての知識がある事は、証明された。そして、その知識は、俺たちの持つ断片的な情報を上回るだろう。
「現在、これら『異形細胞体』の運用技術を確立しているのは我々《荒夏》のみだから。君たちがコレに巻き込まれたのなら、一定の責任も、謝罪の必要も、素直に認めるわ」
「そこまで言うにはあなたは『正社員』なんですね?」と、ツツジは釘をさす。「『一定の責任も、謝罪の必要も、認めはするけど、結局は別会社の派遣社員がやった事だからー』とか、やめてくださいよ」
俺もそこで気づいた。
思い返せば、あの男二人には……何というか、底の浅さがあった。いや、これは後出しジャンケンのようなものかもしれないが……。
それに対し、この影山ほのか女史は全身に自信を漲らせていた。いわゆるエリート風。だからだろうか? こんな台詞も出て来る。
「ええ。私はこれでもゼノホルダーだからね。あの連中と違って、《荒夏》正規構成員よ」
「ぜのほるだー?」と、ツツジは首を傾げる。
「xeno-holder。――別にわざわざ変な発音で確認しなくても、情報提供ぐらいするわ」
と、影山ほのか女史。
「用語を整理しておこうか? と、『異形』についてはもうおおまかには理解していないかな?」
「いえ、その辺りはちゃんと教えて下さい。こちらは恐怖と不安で夜も眠れないんです」
ツツジはやや信用ならない事を言っては質問を重ねる。
「まず、あの『異形』って、なんですか?」
「xeno-crystalline_cell――異形化結晶細胞の通称というか略称ね」
「異形化結晶細胞……。では、そのcrystalline_cell=結晶細胞と言うのは?」
「言葉通り、細胞として機能する炭素系の結晶構造よ。主な成分はもう推測できているんじゃない?」
「――元素で言えば、炭素と酸素と窒素と水素、比率は大体3:3:3:1」
「……凄いね。君、結さん級だよ。ねえ、私のところで働かない?」
「茶化さないで下さい」ツツジは珍しく口を尖らす。しかし、さすがはツツジ。それでも、必要な質問をする。「話をまとめると、アレらはウイルスやプリオンと似ているようですが……」
「異形には、ウイルスやプリオンと違って、核酸もアミノ酸もない」
「じゃ、我々のような遺伝子も蛋白質もなしってことですか? リンやイオウがほとんど見つからなかったのも、私の測定精度の問題ではないと?」
「そうね。異形は、基本的に我々とは別系統の、疑似生命だと思って」
「いやでも、アレ、高等動物に似ていたと思うのですが……」
俺には正直よくわからない話になってきた。
しかし、影山ほのか女史はそれでも丁寧に説明をしてくれる。
「理由の一つは遺伝的アルゴリズムに基づく収斂進化。もう一つの理由は高等動物機能を意図的に結晶細胞で模倣させているから」
emulateと言う概念には、俺も覚えがあった。
ミッドチルダ式デバイスで、古代ベルカ式魔法の使うために、魔法の側にそこにベルカ式デバイスがあると誤認させる――もといマックOSでウインドウズ用プログラムを起動するため、あるいはウインドウズOSでマック用プログラムを起動するために、疑似的なOSを模倣させることがある。
……というか、だから、『疑似生命』なのか?
「あの水と窒素と二酸化炭素に分解された炭素系結晶構造=結晶細胞に、我々の既知生命活動を『異なる形で』、模倣させたのが異形化結晶細胞――《異形細胞》であると?」
「ええ……。異形拘束者というのはね。要するに異形細胞体の拘束者よ。文字通り、異形細胞体の手綱を握る(ホールドする)者と考えてもらえばいい」
「異形化結晶細胞(xeno-crystalline_cell)の拘束者(holder)の略称が異形拘束者というわけですね?」
「ご明察」
「それでは、先日、私たちを襲った男二人は、あなたのような異形拘束者ではないと?」
「勿論」
「しかし、彼らはあの異形細胞体に命令を下していたように見えるのですか?」
「あの男二人もたしかに異形使役者よ。でも、私みたいな拘束者ではないし、権利者でもない。ましてや、統御者ではない」
……専門用語が増えてきたので、俺の頭はいっぱいいっぱいだ。
しかし、ツツジの方は違うらしい。
「……あなた方が彼らへ一時的にあの異形細胞体への命令権を貸し与えていた――という事でしょうか? 大企業が下請け会社へ、自社のシステムの使用権限を暫定的・限定的に貸し与えるのと同じ構図だと?」
すると、影山ほのか女史は、俺ではなく、ツツジの方をじろじろ見始める。
え? なんで? 話を総合すると、俺こそがその『異形なんとか』になってしまったのだろう? そのぐらいは俺にもわかる? なのにどうして、俺ではなくツツジの方に興味津々なの?
……という俺の疑念を超えて、ツツジはさらに質問を重ねる。
「あの異形細胞体とやらの本来の権利者は、あなた方、秘密結社《荒夏》であると?」
「ツツジちゃんなら、わかるでしょう? 自律式とはいえ、あんなチンピラどもに異形の運用なんてできっこない事を」
「……」
「純技術的にも所有者である我々《荒夏》がその気になれば、自律式異形体の使用権限は即時凍結して、拘束する事はできたの。勿論、現実には目の行き届かないところがあった。それは認めるし、素直に謝るわ」
「……」
ツツジは沈黙していた。
いや、俺もその言い方が気になった。
影山ほのか女史は、あの男二人を『チンピラども』と明らかに下に見ているのだ。
あの男二人は最終的に逃げ出したが、あの三匹の化け物――『異形』に命令していた。
一応は撃退したが、俺からすれば、あの男二人は十分な脅威だった。
ぶっちゃけ、あの『異形の甲冑』を鎧わなければ、とても太刀打ちできなかったのだ。
ところが、影山ほのか女史の『チンピラども』に対する上から目線は揺るがない。
「実際、あのチンピラ下請け使役者達は、『自律式』異形を使うだけで、『甲冑式』異形は使わないでしょう? あれは使わないんじゃなくて、使えないのよ」
え? それって……!?
だが、俺が口を開く寸前に、ツツジは肘鉄を俺の腹に食らわせた。
その上でツツジは何事もない様に尋ねる。
「『自律式』と『甲冑式』……ですか?」
「文字通りの意味よ」と影山ほのか女史は言う。「『自律式』は一度命令を受け取った後は自律的に任務を遂行する異形体、だから、自律式異形。逆に『甲冑式』は直接人間が鎧い纏う事で原則的に人間が運用する異形体、だから、甲冑式異形」
「あの『蜥蜴型』は『自律式』の『異形』であると?」
「ええ。蜥蜴型自律式異形【ラッテティリア】。私の知る限り、自律式異形の最高傑作。総生産数も最大規模。ただし、純戦闘力では竜盤型自律式異形【サウリシア】なんかには及ばない。ましてや、『甲冑式』の前では有象無象の雑兵でしかない」
そこで、ツツジは眉をひそめる。そして、
「話を聞いていると、自律式の方が技術的制約の少ない分、強力になると思うのですが?」
と疑念を呈する。
「自律式異形ならば、『飛行動物型異形』なども可能ですよね? 例えば、蝙蝠みたいな飛行動物型自律式異形とか。でも、甲冑式異形だと、飛行動物型異形は困難ですよね? 中に人間というお荷物を入れなきゃいけませんから」
「……純技術的にはその通りよ」
何故か、影山ほのか女史の言葉は遅れた。
「でも、政治的には、それって机上の空論なの」
「と言いますと?」
「私達、《荒夏》は人間の人間による人間のための組織だから」
その上で、影山ほのか女史は誇らしげに断言した。
「だから、最終的な決定権を『異形』に委ねるなんて、ありえない。引き金はあくまでも人間自身の手で引くべき。そう考えているの」
「……」
ツツジは少し考え込んでから問い返す。
「自律飛行機に偵察は任せても、爆撃は任せないのと同じ理屈ということですか? 想定外の動作をしうる自律式に強大な、それも対人殺傷能力を与えるのは危険過ぎると?」
「そういう事ね」影山ほのか女史は肯んずる。「実際、自律式異形の行動原理は狩猟犬の思考ルーチンとかを遺伝的アルゴリズムで再現しているだけ。専門家も『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』状態らしいから」
「……そんな事を言い出したら『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』技術の方が世の中には多いでしょう?」
「耳が痛いわ。ただそれでも、あたしたち《荒夏》は『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』技術に、引き金を引かせたくない秘密結社なの」
「《荒夏》が人間の人間による人間のための組織だから?」
「ええ」
「私にすれば、【人間】こそが『よくわからないけど、とりあえず動くから、使っている』最たるモノな気がしますけど」
「価値観の相違ね」
影山ほのか女史が平然と答えたせいか、ツツジは切り口を変える。
「しかし、『自律式』と『甲冑式』を比べた時、政治的事情から、『甲冑式』の方が強力になりえる事はわかりました。しかし、それはあくまで『自律式異形』と『甲冑式異形』の差です。『自律式異形使役者』と『甲冑式異形使役者』にそう差があるとは思えません。包丁で武装した人間と拳銃で武装した人間なら、拳銃で武装した人間の方が強力ですが、それは武装の差であって、人間の差ではないでしょう?」
「じゃあ、ツツジちゃんは全身異形細胞に包まれた時、ちゃんと動ける自信がある?」
「あ……」と、ツツジは何かに気づいたらしい。「たしかに……身動き一つできないかも」
「え、何で?」
俺が率直な疑問を口にすると、ツツジは大きくため息をついた。
「晶兄晶兄、ちょっとは考えて。そもそも下手をすれば、中の人は窒息で死んじゃうよ」
「……」
「あっ、そうか」
ツツジの台詞に、影山ほのか女史は顔をしかめ、俺もようやく気付いた。
「全身が異形細胞とやらに包まれるのは、全身が異形細胞とやらで覆われる訳だから、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされるのと変わらんな」俺は実体験をもとに述べる。「蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされた獲物が、身動きが取れなくなるように、異形細胞とやらでぐるぐる巻きにされれば、普通は身動きが取れなくなるはずなんだ……!」
「うん。晶兄にしては上出来だね」とツツジ。
「いや、予備知識なしと考えれば、素直に上出来だよ」と影山ほのか女史。
「じゃ、アレは全身を拘束しているように見えても、実は普通の甲冑みたいに関節可動部みたいのがあったのか?」
「……うん。晶兄、それ、多分ちょっと違うからね」とツツジ。
「いやいや、予備知識なしと考えれば、やはり上出来だよ」と影山ほのか女史
よく考えてみてよ――と、ツツジは言った。
「アレは人間の動きを『再現』するだけでなく、明らかに『増幅』していたよね? でも、そういう倍力装置って、普通は『甲冑式』みたいな全身密着形状にはならないでしょう?」
「?」
「例えばさ、仮にこれが『遠隔式』なら、わかるんだよ。人間が動いた『結果』を異形とやらに増幅再現させればいいんだから。けど、『甲冑式』なんでしょう?」
「???」
「晶兄、繰り返すけど、アレは明らかに筋力を『増幅』していたよね? 要するにアレは単なる外部装甲と言うよりも倍力装置なんだよね? むしろ、外付けの倍力装置が装甲を兼ねていると考えるべきだよね?」
「あ、ああ……」
たしかにそうじゃなきゃ、俺にあの異形の怪物を倒せるはずがない。
「じゃあ、その倍力装置への命令入力ってどうやっているの?」
「へ?」
「あの自律式異形とやらならわかるんだよ。というか、今、影山ほのか女史が仰っていたけど、狩猟犬と同じで、細かい原理はともかくとして、声に出した命令に従う――一種の音声入力でも十分だと思う。ううん、それ以外にも外部からなら、いくらでも命令入力の方法はある」
「? 内部からだと難しいのか?」
「晶兄、自分で言ったでしょう? 『全身が異形細胞とやらに包まれるのは、全身が異形細胞とやらで覆われる訳だから、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされるのと変わらんな』って。その状態でどうやって口を開くの? 少なくとも繊細な命令発声は困難になるよね?」
「な、なるほど……」
「これはさ、人間が自由に動ける空間を内側に確保できる自家用車とか巨大ロボットとかなら、問題ないよ。でも、アレはどう見てもそんな大きさじゃなかったよね?」
言われてみればその通りだ。
「じゃあ、中にいる人間の動き自体を感知して……」
「だから、動いた『結果』に反応するんじゃ、動きを『増幅』するのは無理なんだよ」
と、影山ほのか女史はそこで口を挟む。
「……ツツジちゃん。君、本当に女子中学生?」
「この手の考察はネット上にも多いですから。ここ数日で慌てて調べただけですよ」
ちょっと早口のツツジ。
――いいや、ツツジ、俺は知っているぞ。お前の趣味をな……。
だが、それはそれとして、ツツジは淡々と語り続ける。
「実際、電動義肢なんかで同じ事が問題になったそうですよね? 動いた『結果』に反応するんじゃ、動きを『増幅』するのは無理――という現象はかなり普遍的でしたから」
うーむ。
そこまでツツジに言われてみると、何となくわかる気がしてきた。
動いた『結果』に反応するのなら、まず動いた『結果』を出力せねばいけない。
しかし、全身を倍力装置に囲まれている状態では、動いた『結果』を出力する事自体がまず難しい。何故なら、全身を倍力装置に囲まれている状態とは、全身を蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされているような状態で、動いた『結果』を出力する事自体が難しいからだ。
それこそ、実際に動く前に、人間の動く意思そのものを感知して、あるいは先読みして動いてくれるようなシステムでなければいけない。
……ということだろうか?
「とはいえね」と影山ほのか女史。「実のところ、まったく動かないという事もないの。緊急時に困るから、最低限の機能は甲冑式異形に細胞段階で保障されてはいるわ」
「……どういう原理で?」
「それはとりあえず秘密。でも、似たようなシステムは世の中にいくつもあるから、多分、ツツジちゃんの考えている通りで正解だよ」
「……」
そこでツツジは考え込んだ上で、ふと何かを思いついたように問い返す。
「だとしても、円滑な動きは困難ですね。特に人間とは異なる器官があった場合は」
「そうよ。それはさすがに問題になった。そして、その問題を解決できるのが、一握りの異形化結晶細胞体(xeno-crystalline_cell_unit)統御者( driver )――通称、異形統御者」
「ヒトと、異なる形をも統べ御める者?」とツツジ。
「ええ。異形統御者こそが全身甲冑式異形細胞体を文字通り統御できる唯一の存在。我々、秘密結社《荒夏》の切り札」
影山ほのか女史は歌う様に言った。
「繰り返すけど、甲冑式異形は政治的事情から、自律式異形と違い、細胞段階で高品位が保証されているの。だから、一度、甲冑を展開した異形統御者の前では、蜥蜴型だろうが竜盤型だろうが、自律式異形なんて、鎧袖一触。それこそ、生卵を潰すようなもの」
「! あの……!」
と、俺はさすがに声をあげた。
「じゃあ、俺はその異形統御者になってしまったんですか!?」
「東方晶光君」と、影山ほのか女史。「やっぱり、君が甲冑式異形を使ったんだね?」
「え……? あ……!」
俺は気付いた。
――し、失言だった!?
ツツジは「晶兄の馬鹿」と露骨にため息をついていた。
た、たしかに影山ほのか女史の言動を整理してみると、俺が甲冑式異形とやらを使った確証がなかったように思える。
――お、お、俺、とんでもないボロを出してしまった???
だが、俺が悩んでいると、
「正当防衛及び緊急避難です」
ツツジは珍しく強い語調で主張する。
「あなたの話を信頼し、総合すれば、なるほど、晶兄はあなたがたの資産を無断で使用し、しかも破損させたのでしょう。ですが、ここはどうか晶兄の立場になって考えて下さい。突然の異常事態に混乱した哀れな被害者に過ぎません」
「だから、大目に見ろと?」
「……」
ツツジは黙り込む。
しかし、影山ほのか女史はケラケラ笑った。そして、
「安心なさい」
と、優しい声音で言う。
「何故、私が出てきたと思う? 私自身の動機もあるけどね。こういう時は若い女の方が交渉しやすいから――という上の命令よ」
「え?」
「今だって、そう。ノコノコついてきた」
「あ……」
そう、俺達はいつの間にか人気のない屋上に連れ出されていた。
――ヤバイ。いつの間にか、話に夢中になっていた……!
「身構えないで」
と、影山ほのか女史は言う。
「ツツジちゃん。正当防衛及び緊急避難って言ったよね?」
「は、はい」
「うん。私もそう思うよ」
そして、影山ほのか女史は屋上の手すりに腰かけた。
「私は法律家ではないけど、君たちを被害者だと思う。君たちの行動は正当防衛及び緊急避難だと思う。それに潰された自律式異形も、所詮は安物の使い捨てなの。だから、損害賠償とかもないと思う。むしろ、こっちが慰謝料を払いたいくらい」
「あ、ありがとうございます」
「ただ、異形関連について、やけに詳しい事が気になるけどね」
「そ、それは……」
ツツジは言葉に詰まった。
――そういえば、なんでだろう?
言われてみれば、話が順調に進み過ぎている気がする。
しかも――
「ねぇ、アストリッドにも同じように誑かされたの?」
影山ほのか女史は、そう言って、視線をきつくした。
ツツジはいきなり出てきたアストリッドの名に慌てながらも弁明する。
「あ、晶兄はアストリッドさんにその異形統御者とやらにされてしまった被害者……だと思います」
「……やっぱり、君たち、あの東欧娘のアストリッドに会ったのね?」
「と、東欧? アストリッドって、北欧の名前じゃあ……?」
「君たち、わかっているのっ?」
影山ほのか女史はいきなり大声を張り上げ、手すりから腰を離し、屋上に立つ。
「あのアストリッドは……! ほむら姉さんは……滅茶苦茶に……!」
「「……」」
ツツジも俺も混乱した。え、何でこんな険悪な雰囲気になっているの?
そこで影山ほのか女史は瞑目し、左右に首を振る。
「ごめんね。マグダレナの姉御とかなら、慣れてるんだろうけど。私は専門外だからさ。さすがに冷静じゃいられないの」
うん。わからないけど、わかる。
眼前にいる影山ほのか女史は何故か冷静ではない。
「ちょっと、力づくでいかせてもらう」
「え、力づく?」俺は戸惑う。
「いい、よく見ていてね?」
影山ほのか女史はそう言って制服の裾をほどいた。
するりと抜け落ち続けた女子学生服は、風に飛ばされることもなく、屋上の床に落ちる。
あらわれたのは美しい下着姿――ではなかった。
いや、美しい曲線が現れたのは事実だったが、影山ほのか女史が身に着けていたのは、一般的なブラジャーやショーツではなかった。
まるで、ウェットスーツを思わせるSF的なぴっちりスーツだった。
そして、俺にその謎のぴっちりスーツを落ち着いて観察する暇もなかった。
影山ほのか女史が両手を胸元に掲げ、すぐに次の言葉を口にしたからだ。
「ディー=フェアヴァンドルング」
「っ! 晶兄、伏せてっ!」
ツツジはそう言って俺に飛びつき押し倒してきた。
俺がツツジの柔らかい躰に感動する前に、無数の触手が吹き荒れる。
もし俺が立ったままだったら、それらの触手が直撃していたかもしれない。
「って、いうか、これって……!」
「Die_Verwandlung! フランツ・カフカの代表作でもある中編小説!」
「は? はあ?」
「仮面ライダーの元ネタ! ドイツ語で『変身』! それが《変身(Die Verwandlung)》!」
次の瞬間、影山ほのか女史は
――体幹が膨らんだ有毒甲虫
そう表現したくなる異形の甲冑で全身を完全に鎧われていた。
「改めて自己紹介させてもらうわ。本名は同じく、ほのか。歳は十八。――見ての通り、翅隠型甲冑【スタフィリニデ】の異形統御者よ」