箱庭の町スクエール
箱庭の町スクエール。それが私が住んでいた町の名前だ。
スクエールに箱庭の町というもう1つの名称がついたのは、町全体を覆う巨大な壁のせいだろう。魔王の城があるスクエールは、敵に襲われることを防ぐために、町を壁で四角く覆ってしまったのだ。それを人々は箱庭に例え、スクエールは箱庭の町と呼ばれることになった。
簡単に町に入られないよう、高く作られた壁のせいでスクエールの端は日当たりが悪い。日光を完全に遮らないため、壁は作ったが天井は作っていない。その代り、町の中心にある魔王城の周りには、多数の対空兵器が設置されている。
自分の住む町だというのに、ほとんど城から出たことがなく町の中で迷子になってしまった私は、ひたすら同じ方向に歩き続けて町を囲む壁を目指した。壁に沿って歩けば町の出入り口にたどり着くと考えたからだ。
巨大な壁と建物に挟まれ、陽の光の当たらない薄暗い道を歩いて町の出入り口を目指す私の前に、1つの奇妙なモノが現れた。いや、それは現れたというよりは最初からそこにいたと表現する方が正しいのかもしれない。
人の形をしているが、半透明で存在が希薄とでも言えばいいのだろうか。青白く光るソレを見た瞬間、私は「幽霊の様だ」と思った。
幽霊。死んだ生命が未練によって現れる精神、心だけの存在。そう言われているだけで、幽霊を見たという話など聞いたこともないが。
私が見たその幽霊のようなモノは髭を生やした老人の姿をしていた。老人は私がこちらを見ていることに気付いて、口を開く。
《私が見えるのか?》
それは聞こえてくるというよりは、声が頭の中に入ってくるような感覚だった。老人の言葉に私が頷くと、老人は嬉しそうな顔をした。
《指輪を……指輪を探してくれんかのう?》
「指輪?」
《指輪……青い宝石の指輪……探してくれんかのう?》
老人はひたすらに「指輪を探してくれ」と繰り返す。
「探すといっても、何の情報もないんじゃ……」
《指輪……探してくれんかのう?》
私がそう言っても老人は同じ言葉を繰り返す。ただ、その指先は老人のすぐ目の前の一軒家を指さした。
「この家?」
玄関の扉に手をかける。鍵はかかっていないようだった。家の中は散らかっていて少し汚い。廊下を渡り、家の奥の部屋へと進んでいく。
家の1番の奥の部屋。その部屋の戸を開けて中に入ると、そこにはソファに座った老人がいた。外の幽霊のような老人と姿は全く同じだが、こちらは存在がはっきりしている。
「あの……すいません?」
「……」
試しに話しかけてみるが、老人は返事もなく、ただじっと目をつぶってぴくりとも動かない。まるで死んでいるかのように。
「幽霊……死……」
ふと気になって、私は老人の口元に手をかざしてみた。老人は呼吸をしていなかった。やはり、外にいた老人は幽霊だったのだろうという、確信めいた感覚を私は感じていた。
老人のいる部屋を探してみると、指輪はあっさりと見つかった。部屋に置いてある棚の上、写真立ての前に2つの指輪が置いてあった。1つは青い宝石の指輪。もう1つは赤い宝石の指輪。
写真立ての中の写真には仲睦まじい老人と老婆の姿が映っている。当然というべきか、老人は指輪を探してくれと言っていた老人だ。そうなると、この老婆は奥さんだろうか。
私はこの場所から指輪を動かしてしてはいけないのではないかと思いながらも、老人の願いを叶えたら元の場所に戻そうと考えて指輪を2つ手にとった。
家の外に戻り、私は半透明の老人に2つの指輪を見せる。
「ありましたよ、指輪。2つ並んでました」
「おお、指輪……」
よろよろとした動きで老人は私の手から指輪を受け取ろうとしたが、老人の手は指輪も、私の手もすり抜けた。
「……ああ、そうか」
しばらく指輪を見つめた後、老人は悟ったように呟いた。その瞬間、私の頭の中にある景色が流れ込んできた。
◇◇◇
婆さんが死んで、もう10年になるか。最近、体が思うように動かない。婆さんもそうなっていたな……。
ワシはもうすぐ、死ぬのだろうか。体がだるい。少し眠ろう。起きたら、身の回りの物を整理しよう……。特に、結婚指輪は、大事だからな……。
◇◇◇
「今のは……」
突然流れ込んできた映像に、私は戸惑うばかりだった。
「そうだった。そうだったなァ……」
老人は私の持つ指輪を見ながら首を縦に振っている。
「そうだったのう……。指輪は2つそろってないとなァ、婆さん」
懐かしむように笑う老人の姿が足から段々と消えていく。元々半透明で希薄だった体がただの無へ変わろうとしていた。
「ありがとうなァ。婆さん、今、行くよ。まだ待っててくれてるかねえ……」
そして、老人の姿は完全に消えてしまった。最初からいなかったように。彼が幽霊だというのならば、これを成仏と呼ぶのだろうか。
私は指輪を元の場所に戻し、再び町を出るために歩いた。特に何があったということもなく、誰かを見かけることもなく、少し歩けば町の出入り口に着いた。
高い壁に囲まれ大きな門を作っておきながら、その門を守る兵士の姿はない。門自体も開きっぱなしになっており、かつて町を守っていた面影は何処にもない。こんな状態で敵が入って来たらどうするのか。それだけ町の人口は減り、何をするにも人手が足りないのか。そう思いながらも、私は私にとって都合の良いこの状況に甘えそのまま町を出た。
世間知らずな私の旅は、ようやく始まりを迎えたのだ。