渡辺秀の事情 その二
「わあー! 魔王様‼ 我らの新しい王よ!」
いえ、そんなんじゃないです。乗せられただけです。
「きゃあー! 魔王さまっ、こっち向いてー!」
ああはい。向きますよ。向いたところで何が起きるわけでもないですし。
「ざわざわ」
「きゃあきゃあ」
「うわあああ」
ええはい。騒がしいですね。ええ。
「まおうさまだー。かっこいー。……わっ」
身を乗り出そうとして人の群れからすっぽ抜けてしまった随分と幼い男の子を受け止める。
「大丈夫?」
「きゃ、きゃあ、魔王様‼ うちの息子が失礼を……!」
駆け寄ってきた女の人に男の子を手渡して、
「その子が怪我をしなくてよかったです」
慌てて頭を下げる母親にそういって、軽く手を振った。
「大人気ですね。シュウさん」
「ああうん。君のせいで魔王への道突っ走っちゃったんだけども」
僕……渡部秀の隣に立つ桃色の少女が少し意地の悪い笑みを浮かべた。
ああうん。やっぱりこの子、結構腹黒いや。
桃色少女ことフィーリア・エーデルシュタインはにこにこと見た目純真そうな笑みを浮かべ、僕の隣を歩いていた。
簡単なことです。
彼女はあの洞窟で僕に「助ける」ことへの約束をさせたところですぐに涙を引っ込め、ニコニコ笑顔で
「うふふ、馬鹿ですねぇ。こんなにも簡単に「確約」させられるなんて思ってもみなかったのに」
「……へ? っていうか魔王って」
「まさか一番最初の泣き落としでオチるなんて。やっぱり男の人ってちょろいですぅ♪」
言葉に音符がついていた。んん? えっと、これって……?
「あれ、わかりませんかぁ? わたしはぁ、あなたを騙して絶対に魔王にならせるための工作要員ですよ?」
「……え」
最初に思ったのは一つ。
……あ、この子、和人とかが絶対に僕に近づけさせないタイプだ。
「それにしても、まさかこんなに純真な創作物の主人公みたいな方だなんてぇ。わたし、何て運が良いんでしょうかぁ」
ほわほわゆるふわな笑みを浮かべるフィーリアに、僕は何も言えないでいた──。
「……」
「どうしました? シュウさん」
今はちゃんとした巫女さんの衣装を纏うフィーリアの胸元で、小さな宝石が揺れていた。
あの宝石が、今僕が何やら歓声の溢れる大通りを歩いている理由だ。
「ねえフィーリア。その宝石……僕にくれない?」
「いくら新魔王様の命令とはいえ駄目ですぅ♪ これは大事なあなたへの抑止力ですからぁ♪」
フィーリアは機嫌よさそうにそんなことをのたまった。
曰く。
その小さな宝石は、他人に何かを「確約」させることで絶対に「確約」した内容を順守させる効果があるという。
事実、僕の中でフィーリアはもう鈴や和人レベルではないけど『大事』のランクが上がっている。
……これはヤバいかもなぁ……。
しかもその小さな宝石にはもう一つの機能がある。
それは僕が最も恐れなくてはいけない効果だ。
記憶の消失。
いざというとき、「確約」させた人間のあらゆる記憶を無くすことが出来る。
それが彼女の言う『抑止力』。
家族みたいに大事な鈴や和人の記憶を消されることは、今の「僕」が死ぬのと同じだ。
元の世界に帰るためにも、僕はそれを避けなくちゃならない。
「しゅーうさん♪ そろそろこの世界の基礎知識、覚えました?」
フィーリアがあの祭壇の洞窟から出るときに渡してくれた本には、様々なことが書いてあった。
魔法があること。妖精がいること。そして──魔王となった僕が統べるべき種族、魔族の事。
およそ地球のこととは思えない大陸の配置、風景、常識。
そういったものにくらくらした。
洞窟の外は、平然とドラゴンが飛ぶ、不思議な世界。
どこかでこれが夢であることを期待していた。
目が覚めれば、和人や鈴にまた会える、と。
でも、世界は残酷だった。
どんなにほっぺたをつねっても、鋭い痛みがこれが夢でないことを示すし、どんなに目を凝らしても、風景に欺瞞は見えない。
一度空っぽになった頭の中に浮かんだのは、この状況なら和人はどうするか。
帰る方法を、探す。
結局考え付いたのは、そんな漠然とした一言だけだった。
「……頑張らないと」
「? 何か言いました?」
「ん、ううん。独り言」
足が止まる。上を見上げれば、暗い色彩の大きな城があった。
「さて、魔王さま。これからここがあなたの城です」
フィーリアが言う。
今はどうすればいいかわからないけど、取り敢えず城に向かえば何かの糸口は掴める筈だ。
そう信じて、僕は歩を進める。
…………。
「はうう、怖いよう、リーンちゃん」
「うっさいわね、しっかりしなさいよエリス」
「大丈夫だと思いますよエリス殿。新しく就任された魔王殿は非常に温和な性格だと聞きます」
「あ、ありがとうございます、ハリオスさん」
「ち、温和ってか。じゃあもう戦争はできねーか?」
「不謹慎だぞガウル。我らは新しき王に従うのみ。それが魔族の守護騎士たる我らの役目であろう」
「おーおーお堅いねぇダルタニアン。昔はあんなに粋がってたのによう」
「ッ‼ ガウルッ!」
「静かにしろ」
その一言でざわついていた声がぴたりと止まる。
「温和にしろ好戦的にしろ、我らは見極めなければならない。
選出された者が、魔族の王たり得るか否か」
…………。