大野和人の事情 その2
結論から言おう。
おっさんの髭が四分の二までに減って、俺は取り押さえられた。
「て、めえ……っ!」
「ひい⁉」
思いっきり睨み付けてやるとおっさんは悲鳴を上げたが、コホンと一つ咳払いしてきょろきょろと辺りを見回し、周りの人がみんなそっぽを向いているのを確認してほ、と息を吐いた。
そう言えばさっき国王とか言ってたっけ。国王の威厳とやらを守ろうとしているのかは知らないが、まず俺以外の全員が顔を背けた時点で王の威厳なんぞぐっずぐずに腐っていることくらいわかりそうなもんなのに。
まあそれはそれとして。
「おいおっさん。てめえ、異世界召喚とか何妄言吐いてやがるんだ⁉」
「妄言も何も本当のことだ。さあ、勇者よ。魔王を倒すために立ちあがげぶるぁ⁉」
取り敢えず口じゃあ真剣なこと言いつつ目の前で俺を馬鹿にするような踊りを始めやがったので拘束が緩んだ隙に奴の顎へと頭突きを入れてやった。
床に倒れるなんて言う生易しいことはさせてやらねえ。
「がば⁉」
おっさんのもふもふしたファーがやけにもこもこ取り付けられたローブ(でいいのだろうか、これ……)を掴んで引き寄せる。
周りから僅かに悲鳴が上がる。
「異世界召喚なんぞ、漫画やアニメの中だけの話だろ。何の番組のドッキリだ。それともクラスの奴らか?」
「し、知らん、わしは知らんぞ! そ、そもそもまんがやらあにめとは一体……」
おっさんの顔は本気で怯えている。……本当に、異世界に召喚されたってのか……?
「し、信じられんなら外を見てみるがいい‼」
おっさんの一声で背後のやけにでかい扉が開いて、少し冷たい風が吹き込んでくる。
青い空が見えた。
それだけだったらまだ普通だ。
でも、何で空に大きな翼を持った赤い鱗のドラゴンが飛んでいるんだ?
「……、は」
慌てて扉を通り抜け、廊下らしきところに飛び出た。やけに冷たい大理石のような手すりに手を着いて、身を乗り出す。
わいわいがやがやと喧騒が耳に届く。
「は、は」
少し遠くに街が見えた。でも、その街並みは見慣れないもの。
高層ビル、というかコンクリートの建物さえ見当たらない。
「……うそ、だろ」
現代にはほぼ残っていないような、中世の建築様式。
暖かい、明らかに現代とは違う喧騒。
「……」
身体から力が抜けた。尻餅を着く。
傍らに来たおっさんが言った。
「どうだ。ここは明らかにお前の世界とは違う。わしに協力し、敵を討ち滅ぼさねば元の世界に帰ることなど出来ない。どうだね?」
一瞬、いい方法だ。と、そう思った。
そうやって餌をちらつかせて協力させた後で使い潰す。良い手じゃないか。
だけど。
こいつはおそらく俺が帰る方法を知っている。そしてこいつは脅迫という汚い手段を使った。
つまり。
「俺も脅迫していいってことだよなあ‼」
再びおっさんのもこもこファーをグイッと引っ張り、その長い髭を掴む。
悲鳴もお構いなしで言った。
「あんたは俺を帰す方法を知ってる。そうだよなあ‼ 今すぐ俺を帰せ。さもねえと────てめえの髭全部引き千切る」
「ひぃっひっひひぃ! わ、分かりましたっ、分かりましたからやめてくださいい⁉」
おっさんはあっさり陥落した。
「すっ、すみ、すみませんん! あ、あなたを帰す方法なんて知りません、ごめんなさい‼ ゆる、許してええええ!」
──思考が停止した。
「お、い。どういう事、だよ」
「ひ⁉ あ、あなたを召喚するのには私の娘の命を五人捧げました‼ ですが、帰す方法なんてわかりません! おそらく人の命が必要になるのではと」
もう聞きたくなかった。
「黙れ」
「ひ……」
「てめえに二つ言いてえことがある」
最早おっさんは悲鳴しか上げられねえみたいだがまあいい。
「一つ。まず魔王とやらを倒すためにてめえが努力もせず勝手に何の了承も得ず人を呼んだこと。
てめえがいきなり王座から引きずりおろされんのと同じだよおい。
めんどくせえからって身勝手に呼び出した奴を身勝手に戦わせようとするなんざ理不尽だ」
俺の親友である渡部秀であったならほいほいと勇者なんて言う馬鹿げた役職をやっていたかもしれないが、俺は勝手に戦わされるのなんざごめんだ。
「二つ。てめえの娘を殺すとはどういう了見だ? 自分の娘なら殺してもいいのか?
ふざけるな。どれだけ人の命を軽く見てやがる。王だからって許されるとでも思ってたのか?
死んだそいつにも人格が、記憶が、人生があったはずだ。てめえがそいつを軽んじられる理由なんかどこにもねえんだよ!」
誰かが息を呑んだ。
最早がくがくと震える事しか出来ない王様を放り棄て、近くにいた男に話しかけた。
「なあ、最低限の路銀と、この世界の基礎教養が書いてある本をくれねえか?」
「え、あ……な、何故?」
「何故ってそりゃあ……」
「俺が帰る方法を自力で探すからに決まってんだろーが」
ざわめきが起きた。
男は驚いたような顔を見せたが、しかし直ぐに「承りました」といって姿を消した。
外に出てみると、さっきまで俺がいたのはとても大きな城だった。まあ、出たのは裏口からだしその大きなシルエットはほぼ影になっていたけど。
「こちらを」
先程の男が差し出してきたのは典型的な銀貨に茶色い革で出来た装丁の少し分厚めの本だった。
表紙に目を向けてみると、自然とそこに書かれた文字が理解できた。
何かちょっと自分自身が気持ち悪い。
「どうかされましたか?」
「ん、あ、いや」
慌てて誤魔化す。
「もしかして、こちらの文字が理解できたのが不思議だったのですか?」
バレていた。
「あー、分かっちゃいました?」
「いえ、まあ。貴方様には特殊な加護がかかっておりますので、こちらの文字がきちんと読み書きできるようになっているのです」
加護と来ましたか。どうやらこの世界は典型的なファンタジー世界らしい。
「ありがとうございます、よく分かりました」
一応年上だし、と頭を下げる。と、男はにっこりと笑って、
「いえ、一応私の方が年上のようなので。気にしないでください」
良い人だ、良い人だよこの人……! と感動していると、
「ここから回り込んで街に向かうと案内人である衛兵がいるかと思います。その衛兵にギルド、という施設の場所を聞いてください。
そこだと冒険者登録も出来ますが、住民票発行も出来ますので。住民票があれば図書館に入って本を借りれたり、仕事を探したりもできますから」
この人は神か何かだろうか。
「ほんっっっっとうにありがとうございました‼ このお礼はいつかさせてもらいます!」
そう言って勢いよく頭を下げ、俺は意気揚々と街に歩き出した。
「……さて、バカ王は私がいさめておくとして」
異世界人の少年を見送った後、男はぐ、と軽く伸びをし、
「これで良かったんですか? 姫」
こそこそと男の後ろを着いて来ていた艶のある紫色の髪をした少女は、こくりと頷いた。