渡辺秀の事情。
渡辺秀は少し遅刻気味で焦っていた。だから気づかなかった。その足が誘導され、異世界へとつながる路地へ追い込まれていたことに。
……。
目の前に人の顔があった。
僕こと渡辺秀はついついその瞳に見入っていた。
綺麗な、澄んだ淡い桃色の瞳。
そして、
「っきゃああああああ⁉」
という高い音が目の前で炸裂し、僕は思わず仰け反った。
「え⁉ わ、ぁあ⁉」
どさ、という音が聞こえて思わず今立っている場所から下を見ると、僕と同じように尻餅を着いた女の子が涙を浮かべてこちらを見ていた。
その少女は何から何まで不思議だった。
桃色のふわふわしたロングヘアーに和風のリボンを二つ着けて、西洋風の顔立ちなのにそれが何故だか様になっている。
真っ白な透き通っている肌に淡い桃色の瞳。色づいた頬に小さい唇。ハッキリ言って美少女というやつだ。
まあでもそういう事を吹き飛ばす圧倒的なものがあった。
その女の子は何故か巫女さんの衣装を身につけていたのだ。
それも露出が結構あるやつ。
「へ、は、な、なん」
果たして露出が高いものは巫女さんの衣装と呼べるのか、という疑問は後にして。
下で尻餅を着いたまま涙目でプルプル震えている巫女さんに声をかける。
「あ、あの、君、大丈夫?」
恐る恐るといった感じで顔を上げる巫女さんは、こちらを見て、
「あ、は、はい、大丈夫です……」
そうして立ち上がり、こちらに上ってくる。
ふとここで気づいたのは、自分が立っているのは奇妙な石段だという事だ。
アニメや漫画で見る、祭壇によく似ている。
辺りは暗く、ごつごつとした岩肌に包まれており、松明が幾本も壁に取り付けられていた。
「あ、の」
「わっ⁉」
気が付くと目の前に巫女さんが立っていた。
一つのことに集中しすぎるのがお前の悪い癖だわなー、という親友の声が頭をよぎった。
「え、ええと。まず、怪我とかしてない?」
「はい、ちょっと足を滑らせただけですから」
目の前にいる桃色の少女に怪我はないようだ。
これはまず安心。
だけど、
「あの、さ。ここは、いったいどこなのかな」
僕の言った質問に少女はびくんと体を震わせ、その後顔を青ざめさせてカタカタと体を震えさせ始めた。
「え、あ、あの? ど、どうしたの?」
流石にこれはおかしい。
「さ、寒い……とか?」
「……」
ふるふる、と首が横に振られる。
「な、何か怖いことを思い出しちゃったとか?」
「……」
またもや否定される。
「え、えっと……」
僕がまた別の質問を考えようとした所で、不意に。
「ご、ごめんなさい‼」
ぶん、と大きく桃色少女の頭が下げられた。
「え?」
「わたっ、わたしのせいでっ、わた、しが……っ!」
未だに小刻みに震える少女の頭から、地面に向かいぽたぽたと数滴のしずくが落ちた。
「あ、えっと……何が、あったの?」
なるべく優しく僕は聞いた。
少女はフィーリア・エーデルシュタインと名乗った。
何とか頭を上げさせたフィーリアは、ぽつぽつと語った。
僕がここにいる理由を。
……その日、フィーリアはここら一帯の領主である自分の父に、新たなる王を選出する巫女の役がエーデルシュタイン家へと王直々に任ぜられたことを伝えられた。
巫女というのは特別な素質が無ければ勤まらない。
よって一番巫女の資質が高いとされたフィーリアが新たな王を選出することとなった。
フィーリアは自分が巫女になれたことを喜んだ。
しかし父は何故かフィーリアを見て泣いていた。
翌日、フィーリアは父と従者に連れられてこの洞窟までやってきた。
おかしい、と思った。
何故なら本来、王の選定は国の中心部である王都、その一番広い広場で行われるはずだからだ。
しかし衣装を持って洞窟に一歩踏み込んだ途端。
後ろに岩の戸が落ち、フィーリアは父や従者と分断されてしまった。
慌てて岩の壁に手を着くと、フィーリアは叫んだ。
「お父様、助けて‼」
しかし外からは父の嗚咽が聞こえるだけだった。
切れ切れに聞こえてくる声から分かったのは、今回の王は国民の中からではなく、異世界の住民を王とすること。
異世界の住民が凶暴性の高い者だった場合は巫女がその身体を捧げてでも鎮めなければならないこと。
フィーリアは泣いた。父が去っても泣いた。
そして精神が擦り切れたフィーリアは、祈る事にした。
もういい、と。
もういっそ巫女の役目を果たして死んだ方がましだ。
呼び出した異世界の住人に暴行でもされてしまえば少しは世界が変わるだろうか、と。
囚人のような生活を送り、フィーリアは涙の枯れた瞳を伏せて祈り続け──、
ついに異世界の住人はやってきた。
目の前に突然現れた人に、フィーリアは久しぶりに感情を出した。
祭壇からひょっこりと異世界の住民が顔を出した時には気持ちが醒めていた。
わたしは殺されるのかな、と心の奥で呟いて。
しかしかけられたのはやさしい言葉で。
フィーリアは異世界から来た少年が優しく言葉をかけてくるたびに小さな不安を覚えた。
この人はやさしい人だ。なのに、わたしはこの人を、大事な人や友達がいたはずの人を、強引に引っ張って、こちら側に連れてきてしまった……?
それに気づいて、フィーリアは耐えられなくなってしまった────。
そこまで語ってまた再びしくしくとフィーリアは泣きだした。
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返される嗚咽に、僕は……。
「えっと。悪いのは君じゃないって思うんだ」
「……え?」
「あのさ、君が責任を負う必要なんてどこにもないって思うんだよ。
悪いのは君にそんな役目を押し付けた王様じゃあないの?」
「で、も。帰る方法がないんです……。あなたを帰す方法がどこにもっ!」
「それでも」
僕がここに来た時のことを思い出して、
「僕は確かに帰りたい。でも、君を見捨てたくもないんだ」
「な、何で……。わたしがあなたを勝手に呼び出したのに。帰る方法すらわからないのに……」
「僕はね。君の声を聞いてここに来たんだ」
僕はあの時、遅刻気味で焦っていた。だけど、
「走っているとき、ふと、『助けて』って聞こえたんだよ。『助けて、わたしを、ここから助け出して』って」
「ぅ、あ……」
「だから、僕は君をここから助け出そうと思う」
「わ、わたしは、赤の他人で……っ」
「助けたいって思ったから」
ひそかに憧れている、あいつのような。
そんなヒーローになりたくって。
「ちょっと身勝手に、君を救うよ」
最早涙でぐしゃぐしゃな顔を歪ませて、フィーリアはしゃくりあげ、
「は、い……た、すけて、くだっさ、い……魔王、さま」
小さな笑みを浮かべて、フィーリアはそう言った。
「……へ?」