リンネ・プレアーの事情
祈原鈴は今日も元気に学校へと向かっていた。だから気づかなかった。数秒後に自らの死が迫っていることに。
……。
「はぁ……」
今日何度目とも知れぬ溜息を吐いた。
窓の外を眺める。
そこに広がるのは薄い青の空に、幾つかの緑。土の薄い茶色。あまりにも非現実的だと言えよう。
……いや、流石に非現実的の要素が足りなかったか……。
非現実的な要因は、窓の外でそりゃもう『ワタクシザ・怪物!』と言わんまでに大暴れ中の、
赤い鱗のドラゴンである。
まさに世界を代表するくらいの現代っ子である私は初めて見たときはそりゃもうおったまげたものだが、今じゃあラノベ大好きな祈原鈴さんのあこがれの存在になっているのだ!
だってドラゴンだもの。
ファンタジーのお約束、ドラゴンだもの!
そして今日も私は窓の外を目をキラッキラさせつつ恍惚とした溜息を吐いているわけだが。
「────ァーさん。プレアーさん!」
今日もめんどくさい鬼教官様が私の前に現れた。
「いい加減にしてくださいリンネ・プレアーさん!」
私こと祈原鈴をそう呼ぶのは、眼鏡を掛けたいかにもきつそうなスーツ姿の女性だった。
彼女はサジェス・クリスタリザシオン。私の先生だ。
きつそうな顔や服をしていて、更には名前がフランス語で『賢さの結晶』だ。
ピッタリじゃあないですか?
ちなみに私がフランス語なんて知っているのは一時ラノベを書くと言って譲らなくなっていた時期に買って貰った名づけ辞典による影響だ。
「プレアーさん、ここはあなたのための教室なんですよ! あなたが勉強しないでどうします!」
あーはいはいうるさい、と騒がしい教師の声を聞き流して耳を塞いでいると、ふと窓ガラスに映る自分の姿を見つけた。
金色の長い髪に、真っ白できめ細やかな肌。長い睫に青い瞳。ここまでならまだ外人と言い張れるだろう。だがしかし。
私の耳は、長かった。俗にいう『エルフ耳』というやつだったのだ。
昔の黒髪ボブで黒い瞳だった私はどこにもいなかった。
私はある日、『祈原鈴』から「リンネ・プレアー」へと転生した。
始まりは簡単だった。
たまたま交差点でふらふらしている女の子を見かけたときから、私の運命は決まっていたのだ。
「……ぅっ、ひっく、ぅあ、おかーさんっ、どこ、どこぉ……っ」
まだ随分と幼い、小さく背を丸めて歩き回っている女の子がいた。
その片手は涙の止まらない顔に。もう片方の手は誰かを探し求めるかのようにふらふらとさまよっていた。
「君、どうしたの? 大丈夫?」
「ひぁ……⁉ あ、お、おねーちゃん、だーれ?……ひっく」
思わず通学途中だった私はその子に話しかけていた。
髪を二つ縛りにした、幼稚園のスモックを着た女の子は一度怯えたものの、私が誰かを尋ねてくれた。
なので私は急にポーズをとると、
「学生戦隊、ヒマナンジャー! 私が君のお母さんを探してあげよう!」
何てやったのだけど。
「ゎ、わぁ……! おねえちゃん、ひーろーさんだったの⁉」
何て善良……!
こんなのうちの部員どもにやったら
「わ、ど、どうしたんだ鈴⁉ 大丈夫⁉ 頭打ったの⁉」
「ついにボケたか祈原。俺は何も言わんぞ」
くらいしか言わない……!
善良な反応に罪悪感三つ、感動感七つくらいで私は言った。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお母さんさがそっか」
「うん!」
驚くほど反応がいいなこの幼女。
何て思いながら交差点をさまよった。
だけど。
「あ‼ おかーさん⁉」
不意に繋いでいた手が離れ、女の子が駆け出した。
「あ、ちょ、ちょっと⁉」
慌てて追いかけた先。
女の子は道路を渡っていた。
信号がぴかぴかと点滅している。
青が、赤に変わった。
これはヤバくないか、と思った矢先に、視界の端にゆらゆら揺れる不自然なトラックを見つけた。
漠然とした不安が、危機感に変わる。
トラックが猛然と幼い少女めがけて走り出した。
「ちょ……⁉」
慌てて駆け出した。女の子は母親のもとに辿り着きかけていた。
しかし、不意に女の子がぱたんとこけた。
「────っ!」
昔陸上部で鍛えた健脚を思いっきり生かして、倒れた女の子とトラックの間に滑り込み、女の子の身体を抱え上げて、
──時間が足りない
「っつあ‼」
強引に女の子をぶん投げた。
無事女の子が人に受け止められるのを見て安心し、不意に力が抜けた。
トラックは目の前に迫り、その中で男がノリノリに目を閉じて音楽を聴いているのが見えた。見えてしまった。
あー、ヤバい。こりゃ駄目だ。
そう思った直後、トラックが激突し、
まあそれが私の異世界に来ることへと相成った理由だ。
どやモノローグ。
私はいまだに説教を続ける教師を無視して虚空に視線を投げかけた。
「大野君に秀君。今頃何してるのかなあ……」