9黒をまとった蝶。
魔界に来て、どれくらいの時間が経っただろうか。
天空の話をして、魔界の話をして、とても楽しい。
どうして、魔界と天空はこんなにも長い時間戦い続けているのだろう。
「最初はさ、天使と悪魔が争ったんだ。ほんとに小さいことさ」
「天使と悪魔か…」
天使と悪魔の争いにより、天空に住む子供が死んだ。
悪魔の放った術が、子供の脳幹を貫通した。
子供は、灰となって二度と転生できなくなった。
「ここで死んだ奴は、存在が消える。だから転生できない…魔界も天空もこればっかりは一緒だ」
その後、魔界と天空は何度も戦争を繰り返し、今もなお対立している。
「まあ、魔界にいる奴らが全員、天空の人間を嫌っているわけじゃない」
「そうだな。俺も魔人だ聖人だと分けるつもりもない」
ここに集まる本たちが増えれば増えるほど、争いは多くなるのだろう。
一体、何人の人間が死んだのだろうか。
…考えるだけで頭が痛くなる。
「そういえば、この本の中にも主人公がいるのか?」
「あぁ、いるぜ。帰ってこないけどな…」
帰ってこないとはどういう意味なのだろうか。
「戦死する奴の方が多いけど、生きてるやつは本の中で生活してる。あとはその家族とかが住んでるから、管理もしてる」
「……良い所なんだな、きっと」
「戦いも終わって、二度と争いが起こらない世界。きっと幸せだろーよ」
遠くを見つめるマイルは、何かを呟いている。
『…そんな時代に生まれたかった』
どこか悲しげな表情。
過去に何かあったのだろうか。
だが、きっといい記憶ではないのだろうと考え、口に出すのをやめた。
「リフってどれくらいの大きさがあるんだ?」
「魔界の3分の1だな。…と言ってもほとんど開放してあるから、入れない場所はホントにごく一部だけどな」
「でも、十分広いな」
「魔術生成に広い部屋がいるんだ。殆どその部屋だよ」
フェストと比べるとおよそ100倍くらいあるのではないだろうか。
そう考えると、本当に広い。
「今度天空に来るといい。天空の城はこれに比べたら本当に小さいんだ」
「おいおい、無理だろ。魔族は敵で今戦争真っただ中だろ…入れるかよ」
魔界に住んでるだけで、危険だと判断するのはどうだろう。
同じ魔術師で、ただ族種が違うだけ。
きっとリストは入れてくれるはずだ。
「明日、迎えに来る…と言っても一人じゃ来れないけどな」
「馬鹿だな」
そういって笑うマイルの顔をみて、何かを感じた。
何かを、思い出せそうだ。
「そこの転送装置を起動させてみな」
「…あれか」
ガラスの箱一面に術式が描いてある。
「天空の裏町に出られる…けどこれの事は内緒な」
パチっとウインクをして、ガラス箱に押し込まれた。
「天送偽転」
恐らく転送術の呪文だろう。
目をつぶって、身体を空間に預ける。
ふわりとした感覚が終わると、目を開いた。
「…裏町、005番地区か」
005番地区は、あまり人が住んでおらず警備も甘いため、転送先には最適な場所だ。
「見つからないうちに帰ろう」
フェストへと戻ると、リオが今にも泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「カイト…どこに行ってたんですか」
「…裏町を見に行ってた」
「だから言っただろう。カイトも子供じゃない、天空内くらい自由に行動させてやれ」
レイスがこちらを見て、すごく怖い顔をしている。
何に対してだろうか。
リオに心配をかけたことなのか、嘘をついたことなのか。
近くの部屋を指さし『入れ』と口を動かす。
「リオ、リストにカイトが帰ってきたと伝えてくれ」
「分かりました…」
部屋の中に入ると、カーテンが閉まっていて薄暗かった。
「カイト」
レイスが指を鳴らすと、赤い明かりがついた。
「…で、なんで魔界に行ってたんだ?」
「起きたら魔界にいた。魔界で案内人と仲良くなって、話し込んでたら遅くなった」
レイスは何も言わず、少しの沈黙の後『分かった』と答えた。
次の日、リオとレイスに同行してもらい魔界の入り口へとたどり着いた。
「元々、この入り口は誰でも通れるのですが、最近は低級悪魔が多く危険なので規定ができたのです」
1、魔力が1000を超える場合、魔力を封じる魔石を所持するか、魔力封じの印を取得、あるいは取得している者の同行が必要。
2、身長160センチ以上(魔界調査に必要な条件)であるか、同行者が必要。
3、成人(16歳)であること。
「カイト君の場合は、160センチに達していないので一人では通れないんですよ」
俺の今の身長は156センチ。
…この世界では身長は伸びない。
生まれ持ったものだ、仕方ない。
「……早くいくぞ」
リフの近くまで行くと、黒服の男が立っていた。
隣にはマイルがいる。
守護者だろうか…?
「マイル、迎えに来た。…隣の黒服は」
「あぁ、こいつは黒士。……ヴァーノの使いさ」
リスト・ヴァーノか。
と言う事は、魔王の使い…。
「すいませんね」
黒士は、気を抜いた隙に背後へと回りこみ、俺の身体を抑え込む。
「カイト君!」
「おい、マイル…。なんのマネだ」
「さあ、…命令?」
昨日と雰囲気が違う。
この顔がマイルの正体だったのか。
「だましたのか」
「うーん…。別にお前となれ合いたいわけじゃないしなぁ。勝手に騙されただけじゃない?」
どうする。
体は黒士に抑え込まれているため動かせない。
リオ達も、身動きが取れない様だ。
「死んでもらおうか、皇子様?」
……こいつは昨日話したマイルとは違う。
「なあ、マイル…。俺、お前に自分の正体を明かした覚えないんだが」
「……は?」
「なんで、俺が皇子だって知ってんだよ」
こいつは過去の記憶がない。
魔界の情報を取り込んでいるだけ。
だから、天空の事は知らない。
「お前、誰だ…」
ニヤリと笑うマイルは、何か呟き始めた。
長い袖の中で、手が三回動いた。
「散‼」
突如青く光る陣が現れ、光線のようなものがこちらへと飛んでくる。
「おいおい、私も巻き込むのか!」
黒士が焦ったように、言葉をこぼした。
今なら逃げ切れるか。
幸い、焦りからか腕の力は弱くなっている。
「レイス‼」
そう呼ぶと、目の前にはリオとレイスが現れる。
光線は、黒士が放った術によってかき消された。
「危ないな!」
「…まて」
黒士に声をかけると、リオが何かを悟ったように術を放った。
「催眠術を掛けたのか」
「えぇ、カイト君の大切な人ならば、気付つけるわけにはいきません」
そんなやり取りをしている俺たちの間に、黒士が割り込んでくる。
「……先ほどの術。貴方は…」
「……黒士さん?」
リオは一歩後ずさり、苦笑いをする。
「黒服に似合う長い髪、バラのように赤い唇…。貴方は、魔界調査官司令官の…セイゼル・リオ」
黒士はリオの手を掴むと、強く握った。
「最級クラスの魔力と才能を兼ね備えた、総合魔法の使い手。S形式でありながら、その威力と持続時間はQにも劣らないという…」
「…なんでそんなに詳しいんだよ」
きっとリオもレイスも、同じことを考えてただろう。
「昔、調査に来ていた貴方を見て恋に落ちたんだ。髪の色は変わっていたが、術を見て思い出した…」
「おい、リオ。もう帰ろう…、こいつは危険な気がするんだ」
レイスがそういうと、黒士がブツブツと何かを呟き始めた。
「……たい。あぁ…」
「…はい?」
「リオになら、隅々まで調査されたい‼」
落ち着いた見た目とは裏腹に、当の本人はハアハアと荒く息を吐きながらリオに迫っていく。
すると、リオが耐えられなくなったのか、自ら黒士に近づいていく。
「…黒士、あんまり調子に乗るなよ」
その時のリオの顔は恐ろしいどころではなかった。
赤い目は黒く鋭くなり、オーラが恐ろしさを醸し出していた。
「アァ…怒る顔も美しい……」
「リオ、こいつはどうにもならない。帰ろう」
「えぇ。もう相手することすら面倒になってきました」
そう吐いて、帰ろうとしたリオの腕を引いて…。
「…ん⁉」
リオが目を見開いた。
「……もうだめだ」
黒士が、リオにキスをしている。
唇が離れると、リオの顔が殺気を帯びている。
まずい。
レイスもそれを感じ取ったのか、リオの手を取った。
「面倒だから相手するな」
黒士は、相変わらずリオの美しさを語っている。
「さぁ、帰ろう」
そう言ったとき、後ろから声がした。
マイルが目覚めてしまったのだ。
「逃がさないさ」
マイルが魔法を放とうと伸ばした手を、黒士が封じた。
「黒士、離せ」
「私は、天空や魔界の争いに興味もなければ、加わりたいとも思わない。ただ、今は大切な人を守りたいだけだ」
大切なもの…。
黒士は、本当は戦いが嫌いなのかもしれない。
さっき動きを封じられた時も、術を掛けようとしなかった。
…なら、なぜ魔王の使いなどしているのだろうか。
「マイル、ちょっと眠っておいて」
黒士がマイルに術を掛けた。
「…プログラムが操作されてる。恐らくは意識さえも」
「なあ…。なぜ、黒士は魔王の使いなんかしてるんだ」
「……なぜ」
単純に考えて、意味もなく魔王の使いにはならない。
戦いが嫌いな者が、魔王の使いにはならない。
ほかに、何があるのだろうか。
「…場所を移動しよう。魔界は監視の目が多い」
「では、第4地区の鍵部屋に移動しましょう。…あと、マイルのプログラム操作について調べないといけないですね。オリエラを呼びますか」
「だと思って先程からコンタクトを取ろうとしているんだが…接続できないんだ」
「……ぐっ」
「おいフィン!お前…」
「いいから、何も言わずにここから消えろ……」
「おい‼」
閉じこもった部屋の中。
ここは、黒い監獄。
「お前は何もしてないだろ!」
「…もういいんだ」
明るい白は、闇に溶けて黒に染まっていく。
「今までありがとう」
サヨナラだ。