1.準備
1.準備
父から話があった一週間後、父はエストレアに返事をして、大臣たちとの会議にもわたしの婚約が確定したものとして議題にあげたらしい。その間わたしは何をしていたかというと、熱を出して寝込んでいた。
知恵熱だと思う。だって、結婚とか旦那様になる人のこととか、エストレアのことについてずっと考えていたんだもの。
熱が下がって一晩経った今朝、わたしは久しぶりに王宮の中庭を散歩した。十分に日の光を浴び、草木の香りを楽しんだ後、付いていた侍女に促されて部屋に戻った。
部屋に着くと、部屋の前で番をしていた狼族の兵士が扉を開けてくれた。別に自分で開けてもいいんだけど、そうすると次の日に筋肉痛になるから、大きくて力のある人に任せることにしてる。
「ありがとう」
「どうしたんですか、姫様。いつものことじゃないですか」
いつになく感謝の意を表すわたしを不思議に思った兵士は聞き返した。
「もう会議に出たことだから言うわね。わたし、結婚することになったの」
「えぇ!!」
「それでね、外国へ嫁ぐから、もうあなたにこうして扉を開けてもらうこともなくなるのだと思ったら、言いたくなってしまったのよ」
「それは……」
「いつも非力なわたしに代わって扉を開けてくれてありがとう」
驚きから硬直が解けた彼は、にっこり笑って祝いの言葉を言ってくれた。
「あめでとうございます。あと何回でもないですけど、せめて姫様がここを去るまで、俺が扉を開けますよ」
「よろしくね」
わたしも笑いながらそう言って、兵士が支える扉をくぐった。
「そういえば、エストレアには何を持って行けばいいのかしらね?」
わたしは侍女に問いかけた。
「そうですね……。気候が変わりますから、衣装はほとんどあちらで仕立てることになるでしょうね。生活に必要なものは国が用意するはずなので、この部屋から持ち出すものは少ないと思いますよ、姫様」
「まぁ……そうよね。嫁ぐのだもの、部屋を移動するというわけではないものね……」
一週間寝込んで考えているときにはわかなかった実感が、何を持っていくか迷うことで、少しわいてきたみたい。
「女官長を呼びましょうか?彼女なら何を持っていけばいいか把握していると思いますが」
「うん、お願いするわ」
侍女が女官長を呼びにいっている間、わたしはクローゼットを開いて中を検分した。
エストレアの人ってどんな服を着るの?
モノリスでは男女共に袴を履いている。寒暖にあわせて素材が変わり裾の高さが上下することはあるが、基本は足首までを覆う柔らかい布製だ。上半身は、開いている襟を前で重ね合わせて、それをおなかの辺りで幅広の帯を締めて着ている。裾は尾の付け根程まで。袖はない。季節に合わせて、袴と同じ素材のゆったりとした上着を羽織るのだ。それらは身体の部分によって獣に近い形をしている獣人でも動きやすく作られている。
わたしも今はその衣装に身を包んでいる。萌黄色に染められた木綿の袴と上着、下着は白緑色だ。襟や裾には白い百合の刺繍が施されている。一日中寝巻きで過ごすことも稀ではないわたしにとってはお洒落な方だ。
エストレアの服がどんなものかはわからないけど、着心地は合わないと思う。だって、人族ってとてもほっそりしているし。女官長が来たら、衣装は着慣れたものを何着か持って行くべきか聞こうっと。
クローゼットを離れて、今度は本棚に向かう。わたしの部屋の本棚は、モノリスに古くから伝わる伝説や御伽話を書いた本ばかりが詰まっている。綺麗な挿絵が付いているのがほとんどで、そういう本は全部、ベッドに伏せがちな私のために父や兄姉が贈ってくれたものだった。幼い頃は母が読み聞かせてくれていたけど、自分で字が読めるようになってからは毎日読み込んだ。うん、これも置いては行けないわ。
次にわたしは机の引き出しを開けた。ここにはわたしの宝物が入っている。空に浮かぶ島に住んでいる鳥人族からもらった、大きくて鮮やかな羽根。水人族が治めている、湖の底に沈む国を訪れたときに拾ったガラスのように透き通っている巻貝。王宮の庭師がくれた菜の花の香りのポプリ。成人した年の誕生日に、側仕えの侍女や騎士が贈ってくれた翡翠のブローチ。他にも天然石といった細々としたものがいくつかある。
持って行きたいけど、箱か何かに入れないと失くしてしまいそう。
どうしようかと悩んでいたら、侍女が女官長を連れて戻ってきた。
「女官長をお連れしました」
「ありがとう」
わたしは女官長に普段着慣れている衣装と、本を持って行きたいことを伝えた。
「衣装はモノリスの物を新しく仕立てるので心配ありませんよ。書物も、ニーナ様の部屋にある本棚の分なら問題ありません」
「よかったぁ」
「ふふ、会議にニーナ様の婚約の議題が上がってから、王宮は嫁入り道具のことでてんてこ舞いですよ」
「なんだか悪いわね……。普段騒がしている分余計申し訳なく思うわ」
「いいんです、ニーナ様。あんなに小さくてか弱かったお子が、お嫁に行けるくらい育ったことが皆うれしいんですよ」
「そうかしら?」
「はい、もちろん」
ちょっと照れくさいかも。
照れ隠しに引き出しの中のものをいじっていると、侍女がブローチに目を留めた。
「まぁ。懐かしいですね、姫様」
「うん。あなたと扉の騎士たちがくれたのよね」
「その宝物等も持っていくんですか?」
「そうしたいんだけど……。ばらばらになってしまわないかしら?」
「でしたら、宝石箱にお入れしたらいかがでしょう?ほら、姉姫様から頂いた、孔雀石の」
そう言われて、わたしはベッドの下にしまってある宝石箱の存在を思い出した。
「いいわね!じゃあ、あれに入れようっと」
嫁入り道具とか、まだまだ準備には時間が掛かりそう。それでも、少しずつ準備は進んでいく。わたしの気持ちも婚約から結婚へと向かっていくのだった。