01,はじまり、はじまり
警告、この連載は不定期更新になる恐れがあります。
柔らかな日差しのなか、バルコニーにて見目麗しい淑女とお茶の支度をする侍女がいた。
迷いのない動作で、手際よくお茶の準備をする侍女を見ていた淑女の目線に気がついた侍女は、ふっと目を和らげて淑女に声をかけた。
「御婚約、おめでとうございます。アリアお嬢様」
「ありがとう、バーバ。バーバには長い間、お世話になったわね」
「いいえ、お嬢様。お嬢様にお仕えしてきましたこの十年間、バーバは本当に幸せ者でございました。あんなに小さなお姫様でしたのに、こんなに立派な淑女になられましてバーバは誇らしゅうございます」
「バーバ・・・」
主人と侍女という関係を越えて、まるで本当の自分の娘の事ように喜んでくれるバーバに淑女、ーアリアはバーバと過ごしてきた日々を思い返した。
五歳で母が亡くなり、それ以来ずっと近くで私を支えて来てくれたバーバ。亡き母に、時として公爵として多忙の父に代わって私を守り、育て、そして支えてきてくれたバーバ。できれば、結婚した後もずっとずっと先の人生も傍にいてほしい。
(でも、)
そんなバーバとも、もう少しでお別れ。
母のようなに、姉のように愛おしいバーバとの区切りのようなこの会話にジーンと目頭が熱くなってしまう。
バーバもまた家族も同然といえど、私の前と言うことで堪えてはいるが、目がいつもより潤んでいる。
嫁ぎ先にだって育ての親同然のバーバを連れていきたいのだけれど婚約者である公爵がどうしてもバーバの同伴を許してはくれなかったのだ。
(だって泣きながら、お願いされてしまったわ)
どうしてかしらと悩むアリアだが、アリアへのアプローチから婚約を申し込むまでにバーバと公爵の間で数々の死闘(バーバにより一方的な物理的説得)あったことを彼女はあまり知らない。
代わりにバーバ以外の人間ならば、実家から何人でも連れてきても良いと言われたけれど、
(あんまりだわ、バーバの代わりなんて誰にも務まらないいし、代わりなんていないのに)
もちろんアリアは公爵に抗議をした、バーバを連れて行けないというのならば婚約しないとまで言ったときアリアを窘めたのは誰であろう、バーバ本人だった。
『お嬢様、バーバはお嬢様の人生の中での通過地点でございます。いつか、お別れはやって来てしまうものなのですよ。けれど、旦那様は違います。お嬢様の人生において旦那様は唯一の人。どうか、バーバと離れても旦那様と健やかにお過ごしください。バーバはそれだけで十分幸せでございます』
そして、両目をキュッと瞑らせて笑ってこう締めくくった。
『でも、もし旦那様に意地悪や浮気をされたならすぐにバーバにおっしゃってくださいな。旦那様の眉間に鉛玉を打ち込んで差し上げましょう』
下手なウィンクと真面目なバーバなりの茶目っ気の言葉はアリアを勇気づけるためのものだった。
ちなみに、その後ろで一部始終を見ていた公爵はガタガタと震えた手で盛大にカップから紅茶を零していた。彼の仕立ての良いスーツの膝部分に、大きなシミが出来ていた。
つい先日のことを思い返して、アリアはバーバの手によって淹れられたニルギニをベースに、柑橘を乾燥させたものとカモミールをブレンドした、バーバ特製の爽やかな甘みのある紅茶を飲みながら一息ついた。
そして、その可憐な唇からポロリと言葉を零したのだ。
「では、バーバの先のことも考えなくてはいけないわね」
ガッシャーン
突然の何かを盛大に落とした音にアリアは驚いて、音の先を振り返れば、そこにはバーバが銀製のケーキトングを落とした体制のまま硬直している姿だった。昔から、バーバの失態など見たことのなかったアリアはその様子に驚き目を見開かせた。
「まぁっ!どうしたのバーバ!?」
硬直したまま動かないでいたバーバに声をかければ、バーバはハッと気がついてケーキトングを拾い上げてからアリアに顔を向けそして寂しげに微笑した。
「お嬢様。いいえ、これからはもう奥様でございますわね。本当に、御立派になられました」
「ばぁーば?」
なんだか様子がおかしいと気がついたアリアはバーバに呼びかける。けれどもバーバは止まらない。
「えぇ、バーバはよぉうく心得ておりますとも」
「ば、ばーば?」
「明日には、荷物をまとめて屋敷からお暇させて頂きます」
アリアは丁寧に下げられたバーバの頭を見ながらあまりのことに絶句し、心の叫んだ。
(どうしてそういうことになったの!!)
突然、退職宣言をしたバーバは顔を上げてスンっと鼻を鳴らしながらも満足げに言葉を続けた。先ほどの自身の言葉通りに『分かっておりますとも』という顔で。
「老いてお役御免になった使用人にそれとなく暇を与える。まさしく、公爵夫人にふさわしい気遣いでございますわ」
うんうんと頷くバーバに、慌ててアリアは待ったをかける。勝手に自己解釈した妄想で、屋敷を止められてしまっては堪らないし目も当てられない。
「違うわ、バーバ!誤解よ!」
「いいえ、いいえ、老兵は清く去るのみ。下手な気遣いは不要ですのよ!奥様!ここは心を鬼にするのです!」
「だから、違うのよ!バーバにうちを止めて欲しいとかではないの!」
「では、このバーバの先とはなんでございますか!?まさか、」
バーバははっと驚愕の『気がついてしまった』という顔で、口元に手を当てると後ろにヨロヨロと二、三歩下がった。
「噂の引退婆や専門の老人施設っ!?バーバはまだ現役でございます!老人施設などへは送られとうございません!」
アリアはアリアで、先ほどまでの淑女然とした姿をかなぐり捨てて『なんてこったい!』というふうに目元に手を当てて空を仰いだ。
「そんな、老人施設、初めて聴いたわよ!というか、バーバをそんなところに送るはずないじゃないの!」
バーバのノンストップ暴走妄想に、待ったをかけ続けるアリアであるがノンストップはノンブレスで妄想を垂れ流し続けた。止まらない、止めらせられないバーバの誇大妄想にアリアはとうとう痺れを切らして言い放った。
「バーバの先のことと言ったら、バーバの結婚のことに決まっているじゃないのっ!!」
あぁ、やってしまった。




