夢の如しうつつなれば
この話はとある歴史人物をモデルに創作した物語です。また、主人公に関わる者の名前などはすべて架空の人物ですのでご理解のほどをお願いいたします。
「世は徳川の時代になる」
誰もが思い、発するようになったこの言葉。
場所は和泉、一人の男が眉間にしわを寄せ、
その言葉を心中で暗唱していた。
否、それは徳川を支持する意味は示していない。
彼の居る場所は寺の一角にある木や石が無数に設置されている所。
軽く砂が盛られ、その中心の粗末な板には念仏が書かれている。
その板の前には杯が置かれ、風で杯の中の酒に波紋が広がっている。
彼は目を閉じ、合掌をした。
もう幾年も前の話、一人の友人、いや、親友がいた。
その頃は共に年も幼く、毎日とりとめもない話や
いたずらばかりをしていた。
何をしていたかなど、一つ一つは覚えていない。
ただ、毎日ただひたすらにその友人と馬鹿騒ぎをしていたこと
だけは覚えている。
幾年か経ったある日。
「小平太、俺は近いうちにいづこかのお偉いさんの軍に入り、
自らの文武を生かし、大きく出世を果たしたいのだ。」
突然突拍子のないことを口にした彼に、
小平太なる少年は聞き流すようにこう言った。
「無事に元服を終えてから、そのような偉そうなことを言うんだな」
小平太はそう言うなり、少年の顔をつねり、また馬鹿騒ぎ再開した。
小平太と言う少年の首には傷があった。
赤子の頃に木片で切ったと彼は言っていた。
少年は小平太の首の傷を時々からかうことがあった。
しかし小平太は怒りの顔ひとつ見せずに笑っていた。
それから数年が経ち、少年たちは元服をむかえた。
しかし、身分の同じだった小平太も父親が戦で戦死したため
故郷を離れ、今では何をしているのかさえ分からなかった。
少年の方も名を変え、顔、身体共に大人になり、
仕事もこなすようになっていた。
しかし、中々馬の合う君主に巡り会えず、
幾度となく君主を変えていった。
ある時は行き場を失い、あるときは髪を剃ると決意したこともあった。
波乱万丈と言えば、自業自得と言う言葉が返ってくるかもしれない。
だが、それでも彼は自分の志向を曲げたりはしなかった。
そして今自分が立っているのは日が段々と長くなりつつある春の大坂。
いや、こよみの上では夏かもしれない。
大坂城を取り囲むようにして、我が軍徳川と、敵軍、豊臣秀頼軍が、
未だに睨み合いを続けていた。
自軍の誰もが徳川の勝利を望んでいただろう。
しかし、彼の心情は複雑なものであった。
彼は前に一度、豊臣軍の武将だったことがあり、
その中で、秀吉の弟、秀長とは特に馬が合う人物だった。
この主君なら心から仕えることができるかもしれぬと心中で思ったほどであった。
だがその秀長が突然亡くなったため、行き場が無くなった。
極度に気落ちした彼はこれを機会に頭を丸めようと思うほど衝撃は大きかった。
豊臣軍では関ヶ原でも刃を交えた。
東方徳川家康軍と西方石田三成軍、霧の立つ中、両軍は激しくぶつかり合い、
東方の圧勝に終わった。
だが彼の心情は、戦が終わるまで、立ち込める霧のように霞んでいた。
そして大坂冬・夏の陣。
戦場にて思うことは生か死かの思いのみのはず、
だが、今の彼はいつかの少年の言葉が思い返されていた。
小平太は歌を詠むのが得意だった。
その才は幼いながらも発揮され、大人も認めるほどであった。
戦の前にこのような事を思うのは不思議なことである。
現に今、小平太がいづこで何をしているのかさえ分からないが、
彼が予想するに、どこかの村落で田畑を耕しそれなりに平和に暮らしているのか、
はたまた彼の文才で地方では有名な歌人になっているのか・・・。
彼の頭には戦とは無縁のことばかりが思い出されては消えていった。
彼がふと我にかえる。
ついに戦が始まる。
ところどころで時の声を上げ、一斉に馬を走らせてゆく。
彼もまた、陣の最前線で刃を振るう。
戦は激しさを極めた。生きるか死ぬかの分かれ道、
彼は狂ったように暴れまわり、
鬼人の如く槍を振るい、
疾風のように戦場を駆けた。
頭にひびくほどの雄叫びや断末魔の声。
何人斬ったのか、どれほど時が経ったのかも分からない。
ただ、彼は今、己が己でないことを知った。
勝敗は徳川軍が勝利し、敵軍の豊臣秀頼は燃え盛る大坂城内で自刃。
ここに長きに渡った乱世が終わった。
戦が終わった戦場と言うのは誰もが思う地獄絵図だ。
数え切れぬほどの遺骸が転がり、
ところどころが赤く染められていた。
勝利した軍の将らは、名武将の首を取りにきたり、
いくつもの鼻を裂いたりして名誉を得る。
彼もまた再度戦場へおもむき、遺骸が散乱している場所へ向かう。
戦の時よりも、むしろ戦の終わった光景の方が辛いかもしれぬ。
彼は何度もそう思う。
っと、いくつも散乱している遺骸によく知っている特徴が見えた。
首につけられた古い傷、幼い頃と変わらぬ顔。
それを確認するやいなや、彼は駆け寄り、呆然と立ち尽くした。
彼は、小平太は戦場に出ていたのだ。
彼が思っていたように、農民や歌人ではなく足軽として、
一般の兵として彼の進むべき道は他にもあった。
何故彼は兵士になり、戦場へ出たのか、思い返せば答えはすぐに浮かんできた。
彼の父もまた戦に出、武将として立派な死を遂げた。
彼は戦場へ出て父の面影を追っていたのかもしれない。
そして、その死を前にして彼が更に痛烈に感じたのは、
小平太が戦っていたところが自軍の徳川ではなく、
豊臣として、敵軍として戦っていたのだ。
誰が彼を斬ったのかは分からない。ただ、彼は一箇所だけでなく何箇所も斬られていた。
胸の辺りから腹部に至るまでばっさりと斬られ、大きく開いている。
彼の鼻はまだ剃られていない。彼は小平太の鼻をそり落とすと、
別の箱へ丁重に入れ、和泉へ持ち帰った。
和泉へ帰る間、馬を走らせる彼の心情には
この戦さえ出なければ今頃は平和に暮らせていただろうと
憤りの感情や言葉が溢れ出ていた。
彼が駆けた後の地にはほんの指先ほどの水滴がうすく刻まれていた。
・藤堂高虎
通称与右衛門。和泉守。
戦国の世に、幾度となく主君を変え、
したたかに生きた彼は
全国に知られる名武将の一人。
歴史人物の物語がどうしても気になっていて、
気になるだけでなく、
ついに作ってしまったというエピソードのある作品です。
かなり内容が硬めになってしまい恐縮ですが、
途中で飽きてしまった方も、
全て読んでいただいた方も、
どうもありがとうございました。
深くお礼を申し上げまする!