こうなる予感はしてたんです
近頃、婚約者であるサントルーヴィル侯爵家のジェラール様が何度も私の屋敷を訪れるようになったので、妙だとは感じていた。
「クロエ、お前との婚約を破棄して、俺はお前の妹のアルバと一緒になることを決めた」
ジェラール様の横には妹のアルバがぴったり寄り添っている。
ここはサントルーヴィル侯爵家の庭園なのに、なぜかアルバがいた。
私は嘆息した。こんなところで腹を立てても今更どうしようもない。
「ごめんね、お姉様。でも、恋愛感情というものは抑制できるものではないから諦めて」
アルバが見下した目で私を見る。お父様の再婚でひっついてきた義理の妹と私は昔からずっと考えも性格も合わなかった。
「ちなみに、この話は伯爵家のご両親もすでに許可を出している。お前は完全に出し抜かれた形になったな、クロエ」
ジェラール様は私を長年の敵でも見るような目で見つめてくる。
いや、まさにそうだったのか。私は事実上、出来のよくない侯爵家の嫡男の教育係として婚約者を任されたのだ。教育係を嫌う人間なんていくらでもいるだろう。
「てっきり、お父様だけはお姉様の味方かと思ったけど、そうでもなかったわね。せいぜい次のいい縁談を全力でお探しになって」
「そうね、それ以外の選択はないわ」
「まあ、腐っても伯爵家の立場なんだし、家格の低い子爵家や男爵家に範囲を広げればお相手はいくらでもいらっしゃるんじゃなくて?」
「ええ、一応お会いしてみようかなと思っている方はいるから、縁談を申し込んでみようかしら」
その言葉にアルバは驚いた顔をした。
「えっ? そんなにいい人がいたかしら? いい方はほとんど婚約者がいて埋まってるはずだけど」
「ええ、サントルーヴィル侯爵家の三男のセドニック様は温和なうえに聡明と名高い方ですから、一度申し込んでみようかなと思っていますわ。もうすでに婚約者がいるかもしれませんが」
私の言葉にジェラール様は大笑いした。
「おいおい、クロエ、お前、そんなにジョークが得意だったのか。そんな面白い話を普段からしてくれれば俺がお前に飽きることもなかったんだろうけどな」
「冗談を申したつもりはありませんわ。どのあたりがご冗談だと思われました? 別に婚約破棄をされた家のほかのご令息に縁談の話をするのは、双方の家が同意するならおかしなことではありませんわ。例えば前例を挙げれば――」
「やめろ! すぐにお前は歴史や地理の話に持ち込む!」
嫌悪の混じった声でジェラール様は私の声をさえぎった。
婚約者になってからこの3年間ほど、学園に入学する前から。私はジェラール様に歴史も地理も教え込んできた。
とくに地理の教育には時間をかけた。
サントルーヴィル侯爵家は王国の各地に分散していたので、それぞれの所領の特徴の説明をしないといけなかった。
「お前もこんな時ぐらい勉強から離れたらどうだ。所領ごとの気候、物産、人口、抱えている課題……。もう飽き飽きしている」
ジェラール様が赤茶けた髪をかきむしって言った。短期でこらえ性のない人なのだ。
「それはその勉強が本当に大切だからです。自分の家の所領も知らないようではまともな貴族になどなれません。まして、先日、侯爵様は多くの土地をご子息にお分けなされたわけでしょう」
「そんなことは関係ない。俺は嫡男としてメインの土地のほかにも実入りのいい郡を確保した。セドニックなんかよりよっぽどいい選択をしたぞ」
アルバまでくすくす笑い出した。
「そうそう、三男のセドニック様は山岳地帯だらけの所領を選ばれて、別家を建てることになったそうじゃない! そんなの体のいい追放処分と同じことだわ。地位だけ侯爵でもうだつが上がらないにもほどがあるわ。侯爵だからって貧乏貴族じゃ意味がないわ!」
「アルバ、人の家のことを悪く言わないの。品性を疑われますわ」
「ふん! 品性より地位よ、お姉様。これで私も侯爵家の人間だから。お母様の再婚のおかげで少しは偉くなったけど、こんなもの踏み台よ」
やっぱり価値観が違いすぎるな。でも、私の家から出ていこうという意識でいてくれるのはありがたいかもしれない。
「では、お二人ともどうかお幸せに」
◇◆◇◆◇
話は少し前にさかのぼる。
お父様に呼ばれて伯爵家の執務室に入ると、お父様がげんなりした顔で座っていた。
「サントルーヴィル侯爵家のバカ息子が、お前ではなくアルバと婚約を結ぼうとしているそうだ。本当に救いようのない奴だな。侯爵家嫡男の地位と品格がまったく見合ってない」
「あのお噂は本当だったんですね。最近、妹のアルバがそれとなくほのめかしてくるので、もしやとは思っていたんですが」
アルバは昔から派手好きな性格だったし、それがジェラール様とはよく合っていたんだろう。私の髪は地味な黒っぽいブロンドだし、金色に近いアルバのほうが惹かれるものがあったのだとも思う。
どちらも勉強嫌いだし。
「私としては、建前上、伯爵家の当主として、妹に乗り換えさせろなんてふざけた話を通すつもりはない」
「ですが、あのお義母様はぜひアルバと婚約させたいでしょう? そうすれば伯爵家の娘からさらに侯爵家の夫人の地位になれるわけですから」
男爵家の娘にすぎなかったアルバは母親の再婚で伯爵家の娘の立場を得た。アルバの傲慢さの何割かは急に身分が上昇したことによる。男爵家にいた頃は家に仕えるメイドはいても、自分だけのお付きのメイドもいなかったはずだ。
さらに侯爵家の家格を得られるなら、アルバもお義母様もうれしいだろう。
「お前に不行跡があったわけではない。婚約破棄の理由にならんさ。それはサントルーヴィル侯爵家のご家族もよくわかっていらっしゃる」
「ところで、お父様、先ほど、建前とおっしゃいましたね。では本音はまったく違うということでしょうか?」
にやりとお父様が笑った。
「話が早いな。そういうことだ。正直なところ、あのバカ息子との縁談を維持してもお前も幸せには程遠いだろう。だったら別の選択をするのもいいかもしれんと思ってな」
話を聞いた私は自分でも一つの決断をすることにした。
◇◆◇◆◇
婚約破棄を言い渡されて十日後。
王都の少し高台のカフェを貸し切りにして、セドニック様とお会いすることになった。
セドニック様は三男ではあるが、次男は妾腹の子ということで、扱いは昔からジェラール様の次の立場というものだった。年齢も私と同じ17歳のはずだ。
遊び人のジェラール様の弟とは思えないほど、セドニック様は地理的な顔をして、カフェの席についていた。
「あの、本当に僕で間違いではないんでしょうか?」
セドニック様は半信半疑という表情をなさっていた。
「間違いないかというと、どういうことでしょう?」
「僕が継承する領地は平野部もほとんどない山岳地帯です。たしかに内海までの距離はさほど遠くはないですが、いわゆる豊かな土地とは考えられていません」
「ええ、世の中の大半の人はそう思ってらっしゃいますね」
「ということは、クロエさんはそう考えてはいないと?」
「どの土地を継承するかの話し合いには嫡男のジェラール様も参加されていましたよね。つまり、この土地は別家を作るためにセドニック様がつまらない土地を押しつけられたものではなく、主体的に選択なさったもののはずです。なら、悪い土地のわけがありませんわ」
「ハズレくじが入っていただけかもしれませんよ」
「仮にハズレだとしても選ぶべき価値があると思わなければ、実入りの悪い土地を選ぶことはしません。ちなみに、仮に私が侯爵家の土地を選ぶとしても、同じ土地を選んだと思いますわ」
驚いた顔で、セドニック様は私の瞳を見つめた。
お互いの目がはっきりと合った。
その時、私は胸がかぁっと熱くなる感覚を覚えた。
不思議なものだ。別に愛の言葉を囁かれたわけでもないのに、この人と一緒に生きていきたいと強く願ってしまっている。
いつのまにか、テーブルの奥のセドニック様もまじまじと私を見つめていた。
「あの……私の顔に何かついているでしょうか?」
「あっ、すみません。その……クロエさんの意志の強い表情に見惚れていました。僕の屋敷に来られていた時にはそんな顔を見ることはなかったので」
ジェラール様の教育係として侯爵家の屋敷に赴いた時は私は笑顔を見せることもほとんどなかった。露骨にジェラールが私を鬱陶しがっていたからだ。
「見惚れるだなんて。つまらない娘ですわ。髪も冴えない色ですし」
「まさか。僕はずっとあなたと婚約していた兄を果報者と思っていたんですよ」
「あらやだ。まるで、以前から私に焦がれていたような物言いですわ」
「そうではいけませんか?」
はっきりとセドニック様はおっしゃった。
「焦がれていましたよ。もちろん、兄の婚約者に懸想するだなんてことを見せないようにしていましたが」
本当に、本当にうれしかった。
私の価値を認めてくれる人がこんなところにいてくれたのだ。
「しかも、本当にあなたは学がある。兄の教育係というのは本当だったんですね。これ以上素晴らしい方はきっと二度と見つかりません」
「告白の言葉だと受け取りますわよ。後悔なさっても知りませんからね」
「後悔なんてするわけがないです。僕と婚約していただけますか」
「喜んで」
私はうなずいた。
この選択に間違いはないと直感が告げていた。
「僕らが学園を卒業するまでにいい結果が出せそうな気はしているんです。そしたら、クロエさんもご両親も僕を選んでよかったと思ってくれるはずです」
「結果と言いますと? 学業の成績もスポーツも素晴らしいですわよ」
「僕が継承する土地の真価です。あそこはただの山岳地帯ではない。宝の山なんです。その調査を現在していますが、もうすぐ答えが出るはずです」
やっぱりか。
あのあたりの山岳地帯は古代から黄金伝説があった。それは地理の勉強をすればすぐにわかることだ。
「先ほどの僕は自信なさそうにしていたと思いますが、あれは結果が出るまでは誰も僕を認めてくれないだろうなという気持ちのせいです。あの土地を選んだことには自信があります。だから、クロエさんがあの土地の価値を理解してくださっていたことに驚いたんですよ」
「侯爵家の所領についてはたくさん勉強しましたからね」
「僕たちの選択の結果は数年後にははっきり出ていると思いますよ」
◇◆◇◆◇
学園を卒業した後、私とセドニック様は正式に結婚式を挙げた。式典は貴族同士のもののなかでも大掛かりなものになった。
というのも、その時にはもうセドニック様が継承する土地から巨大な銅の鉱床が発見されていた。
大量の銅が安定して供給できることは、国全体にとっても極めて重要な意味を持つ。最低でも百年間は贅沢をし続けても何も問題ないようなお金が入るだろうという話だ。
一方で、義理の妹のアルバとジェラール様の仲は半年ほどで破綻した。
「あの人、私に手をあげたのよ! 頬をぱちんって張って! 信じられない!」
そうやって、自宅でも何度か訴えていた。
「こんなの、おかしいわ。お姉様は暴力を振るわれたなんて話、聞いたことなかったのに!」
少なくとも私はジェラール様と強く対立するようなことはなかったからな。勉強を教えようとしても、嫌だと言うならそれ以上の無理強いはしなかった。
気の短いジェラール様とわがままな妹のアルバが一緒になれば、どちらもひかずに潰し合うようなことになるだろう。
こうなる予感はしていた。
そして、そのとおりになった。
ジェラール様のほうが愚痴をこぼしているのも、セドニック様から布にくるんだような表現で近況としてたまに聞いていた。
「なんでも、あんなわがままな人間は見たことがないと言っていましたよ。僕は鏡を見ろと思いましたけど、さすがに口にはしませんでした」
「どうせ、あの方のことだから、私がもっと地理を教えていればあの銅の鉱脈のあった山岳地帯を選んだのになんて言っているんでしょう」
ジェラール様には侯爵家の所領の特性などもたくさん教えようとした。だが、彼はそんな勉強をすべて拒んだ。わざとらしく耳を手でふさいでみせたことさえあった。
もっと自分の持っている土地について関心を払っていれば、違う選択もできただろうが、彼は勉強そのものを拒んだので、選択肢を手にすることがそもそもできなかったわけだ。
「しかし、婚約者を叩くなんて正気の沙汰ではありません。兄がそのうち取り返しのつかないことをしそうで怖いですよ」
「まあ、私たちが手出しをできることではありませんから」
もっとも、そうなりそうな予感はしていたし、その予感は当たった。
貴族が集う遊園会の日に、昼からお酒を飲んで酔っ払ったジェラール様は事もあろうに第二王子と口論になって、その頬を叩いたらしい。
さすがに叩いてからは酔いも醒めたらしいが、事態を重大視されたジェラール様は廃嫡された。ジェラール様が侯爵家嫡男として継承するはずだった土地も大半がセドニック様のものとなった。
アルバはジェラール様を信じてついていくのかと思ったが、廃嫡された人間に価値はないと思ったのか、すぐに婚約を破棄した。問題を起こしたのは向こうなので、この話はあっさり受け入れられた。
もっとも、その直後に妹のアルバではなくて、赤の他人のアルバになってしまったが。
お父様が離縁をしたのだ。
お父様いわく、
「侯爵家とアルバのつながりも途絶えたからな。もう、遠慮して暮らす必要もない。やはり再婚などするべきではなかったな。お前にも再婚で迷惑をかけた」
とのこと。やはりお父様と(私にとっての)義母との仲も最近は冷え込んでいたらしい。
お父様はアルバと侯爵家とのつながりが完全に消滅するタイミングを待っていた。
侯爵家の嫡男とのつながりが傲慢なアルバにとっての唯一の命綱だったのに、それを自分から切ってしまった。
婚約者がいる相手を奪うぐらいのことをしたのだから、少しの問題があっても愛し抜くぐらいの覚悟でいなければいけなかったのだ。
義母の連れ子だったアルバは侯爵家の人間にもなれず、伯爵令嬢から男爵令嬢に戻る。
アルバがわがまま放題だという話もずいぶん広まってしまっているし、次の婚約者が見つかるか怪しいところだが、赤の他人が心配しすぎるのも無礼というものだろう。
アルバがジェラール様と一緒になることになった時からこんな予感はしていたのだ。
品性より地位が大事だと言っていたアルバは男爵家の娘に戻っても同じことを言うのだろうか。
サントルーヴィル侯爵家も私のお父様もジェラール様とアルバに選択肢というチャンスは与えていた。
姉の婚約者を奪わないという倫理観があれば、アルバが婚約することなどなかった。少なくとも、不幸な婚約だと嘆くことは絶対になかった。
ジェラール様も大貴族の嫡男としてのプライドを持っていれば、転落を防ぐぐらいはできただろう。
結果的にジェラール様もアルバも落ちるところまで落ちることになった。
夫のセドニックと幌馬車で移動していた時、貧相なみなりで路上をとぼとぼ歩いているアルバとかつての義母の姿が見えた。
あっ……と思ったが、私は見なかったふりをした。
今の私にはかけられる言葉も差し伸べられる手もないのだ。




