出藍の誉れか逢蒙殺羿か
[前回の話]
ヘイトの反省
[今回の話]
ヘイト再び?
物語を書けない。
アイデアがさっぱり浮かばない。
ネタはあっても想像が全く広がらない。
広がるのは物事に対する皮肉ばかり。
というわけで、今回も例によって黒い考察。
私が作品を書くのに障害となっているものの一つが翻案権。
意味を分解し解釈すれば『原案を翻し弄すること』を禁じる権利ってことになるのかな?
原案者の気持ちは解る。自身の苦労して創り上げたものを横から浚われるのは面白くない。だがしかし……。
創造というものはそれの元となるものがあってこそ可能なもの。そこに原案となるものがあれば飛び付きたくなるのが人の心情。というわけでオマージュやパロディなんてものやってみたくなるものなのではありますが、ここで出てくるのが翻案権。便乗を禁じる権利です。他人の褌で相撲を取るなと憤怒してくるわけですね。
とはいえ、相撲に褌は必須。丸出しでそれを行おうとすると反則となり土俵に上がることを許されない。相撲は褌で取るものではないのに。因みに西洋のパンクラチオンを丸出しの状態でするものでした。(笑)
などと冗談はともかくとして、実は褌の借用は全面禁止というわけじゃないんですよね。著作権切れという使い古しの褌を引用することは認められていますから。但しアレンジは厳禁。褌をブリーフという別物に加工してみたり、包帯のようにぐるぐる巻きに巻いたりするのは禁止。あくまでも本来そのものの形で正しい纏い方をすることが求められます。たとえ相撲は格好で取るものでないといえども。
とまあ、全く理解できないわけではないのですが、結局は褌が必要なことに変わりがなく、これを誰かに独占されて閉め出されてしまえば相撲は取れない。できるのは相撲ではなくパンクラチオンというよく似た別の競技等となります。どうしても相撲を取るには相撲部屋に所属するしかないんですよね。
何が言いたいかといえば、例えるならば外国人や女性が公式に相撲を取れないようなもの?
辛うじて形を取り繕うことができても本質的に駄目と否定される場合。こういう不条理を理由とされては最早どうしようもないんですよね。本題の表現に戻すとすれば適性のない者の投稿を禁ずるという筆を折らせたい批判者の存在。最早ルールが否定のための道具に成り下がっているわけで。
……いや、翻案権という話から脱線しているのは解ってますが、やはりこういう人はいますから。過度な好きという愛が質を求めて暴走した形といえるでしょうか。自由よりも秩序を重視し始めると案外これが罷り通るんですよね……。
ではなぜこういうことが起こるのか?
相撲でいえば興行元の都合なのでしょうけど、それをいうと相撲業界への誹謗中傷となりますし喩えは運営批判に及ぶ可能性があるためそれは置いておくことに。(苦笑)
代わりに比喩を止めて直に当事者の立場で。
……やはり利権の問題かな?
出藍の誉れという言葉からすれば自身をリスペクトする者の中からより優れた者の現れることは名誉なもの。その人の存在は必然的に自身の名誉を高めてくれますので。
ですが利権が絡むとそれは好ましくないものへの変わる。羿を射る者の故事ではないですが師が弟子にその技で滅ぼされるとあればあまりに滑稽。そんな者を弟子にした者の見る目のなさ故の自業自得というわけで。
一般的に翻案権が親告罪とされオマージュやパロディが放置されているのも、主権者が敵に値しないと見なしているからで、自身を脅かす存在となれば排除に動くというのもこれで納得がいきますよね。因みに漫画黎明期では漫画家がアシスタントの独立を嫌い兆しがあれば潰しに掛かっていたなんてブラックジョークがあるようです。真偽のほどは知りませんが。(苦笑)
そしてそんな話があるだけにファンは推しの作者、作品を守るべく脅威の可能性の排除に動いたりもするわけで。
正論をいうなれば自前の褌で土俵に立てばよい話ですけど、されど誰しもがそれを仕立てる能力を持っているわけではなく、その辺が現実の厳しさといったところでしょうか。(苦笑)
羿を射る者の故事って私の中では弟子の逢蒙に射殺されたとなっているのですが、実はそれは失敗で撲殺されたという話もあるようで? 果たしてどちらが本当なのやら。
少なくともゲイとホモが相撲を取っていたという話ではないはず。(笑)




