名誉毀損が怖い
[前回の話]
後書きでアウグスティヌスの言葉を引用
[今回の話]
実は彼への名誉毀損や彼を崇める者への感情侵害かも知れない……
「悪とは善の欠落である」
なんかこんな説を宗教家アウグスティヌスは説いていたようです。
これに対し善を知らぬ者は皆悪かなんて皮肉な後書きを残したわけですが……。
今回その善の観念を形ある物と定義して欠落したそれの行く方を用いた揶揄をする予定でした。
俗人が善性を欠いて悪人となる一方で、善性を独占し神性を目指す聖職者。これが世の中に悪が満ちる原因という言い掛かりです。
ですが中世の教会の在り方を見るに強ち間違いといったわけでなく、他者に異端というレッテルを貼り魔女狩りを行うことで善の取り上げるといった行為をしていたわけですしね。そして救済という善性の分配も教会を支持する者のみに与える。これは皇帝ですら逃れることができなかったようで。事実カノッサの屈辱の例もありますから。
なお、これはアウグスティヌスの説にいう献身を忘れた自己愛の暴走そのものだったりするという皮肉があります。『神>他者>自分』という概念を『神>自分>他者』へと置き換えたわけですから。
と、ここでふと気づいたんですよね。
これをこのまま載せてよいのかを。いや、既にこうして載せてしまってますけど、そこはまあ何が問題であったかを説明するため必要性があるため敢えて触れないでいただけると助かります。
で、その掲載の是非ですが、一応相手は故人であり、それを歴史上の事実に鑑みて考察を行っただけであるため客観的には問題はないと思うのですが、されどこれが宗教や信仰に関わる言説であるためそれを支持する者からすれば思想に対する誹謗中傷であり冒涜であるという名誉侵害が成り立ってしまうわけで。物事は相対性なものであり客観性と主観性は対立するものであるという理から逃げることはできません。況してや私のやっていることは風刺という揶揄であるため悪意を否定できないんですよね。
とはいえ事の問題性を問うには必ず何らかの具体例は必要なわけで引用の必然性は発生するもの。今回の件は偶然その例がそれであったに過ぎません。
まあ、その偶然に該当した者からすればいい迷惑かも知れないですけど、それこそ目立つものはサンプルとして取り上げられ易いということで。
というか、自分たちが他者を叩くのは良いが他者が自分たちを叩くのは許されない、そんな不公平さを主張するのはどんなものかと。まあ、こうして私も同じ主張をしている皮肉は自覚してますけど。(苦笑)
なにはともあれ相互理解とは善悪を越えて両者が歩み寄ることと許し合うことではないかと常々考える私です。
こんな意見も悪は必ず善により正されねばならず善悪は対等に扱ってはならぬもの。それを越えるなんてとんでもないなんて意見を出されては話合いは成立しないのですが。相手からすれば議論の余地はなく一方的に排除するのが合理的ですから。(苦笑)




