才能とは?
[前回の話]
無知の自覚はあっても……
[今回の話]
無知の努力
無知とは何か?
それを知れば賢くなれるのか?
知性なき者に知識は豚に真珠、努力も水泡に帰すだけで無意味?
前回は「種の無い土に水をやっても芽は出ず実の生ることもない」などと嘲りはしましたが、それならばその土に種を蒔けばよい話で。
多分その種こそが知識であるのではないでしょうか? そこに教育という肥料を与え愛という水をやる、こうして才能の花が咲く。これが知恵というものだと私は思う次第。
感じとすればこんな感じ?
才能=(知性+知識) ×教育×愛
無知な知性という土も知識という種を蒔けば未来ある畑となる。
そして教育という肥料で支え、愛という水をやり育む。
……って、あれ、字的に教育の方を育むと喩えるべきだった?(笑)
まあ、そんな不粋なツッコミはともかく、教育も愛もどれが欠けても才能は0となる欠け算ならぬ掛算、当然ながら知性が0で知識が0だと才能は0です。
ですが知性が0でも知識が0でもその合計がプラスであれば才能の花が咲く。無知とは最初の知性無き者、天才とは最初からチートな知識の有る者といったところでしょうか? というか後者を天才というのならば前者は凡才というべきか、非才も努力で凡才に近づき、凡才も努力で秀才となる。そんなところかな? たとえ天才に及ばずといえど努力次第で近づくことは可能ということで。
……などと言いつつ、実は上記の通り教育や愛といった環境に依存もするんですよねぇ。
結局のところ非才なる者は独力では天才には追い付けないという。
天才とは正に生まれながらの知性、予めの知識、神による教育、神の偏愛という全てを与えられた者であり、スタート時からゴールに存在するチートですから。(苦笑)
ならばせめて非才が凡才となることを許す寛容な社会であることを望みたいです。でないと本当に才無き者の努力は無意味な徒労と化しますから。
因みにこれを私に当て嵌めるとこんな感じ──
(アホ+間違った知識 )×最低限の教育×自虐
マイナスの畑とマイナスの愛の掛算でプラスに……なってくれないかなぁ……。
「天才とは99%の努力と1%のひらめきである」(トーマス・エジソン)なんてよく言われますが、実は「天才とは99%の努力を無駄にする1%のひらめきである」(ニコラ・テスラ)なんて言葉もあるらしいです。
……って、今回のテーマが台無し……。(苦笑)
※あくまでも上っ面の言葉です。多分意味合いは違います。




