遺言です!
はじめまして。
初投稿です。よろしくお願い致します。
「あまり信じたくない話だが、本当にお前は俺の許婚者らしい」
爛漫の花園のただなかで、軽く眉を顰め鋭い眼差しを足下に落として彼はそう口にした。
彼と、ぽかんと口を開けた私が向き合う空間を、風と花びらが吹き抜けてゆく。
花の香りだ。
うっすらと目覚めかけた私の感覚に最初に届いたのは花の香りだった。香水の香りじゃなく花だと思ったのは、みずみずしい緑の香りも含まれていたからだ。
なんだっけ、花なんか買ったっけ。生花を買って活けたり育てて愛でるような甲斐性はない。バイト三昧の苦学生にそんな余裕なんてない。
バイト先のスーパーの生花コーナーの売れ残りを下げ渡されたんだっけ?花より食べ物の方が嬉しいんだけどなあ。
あれ?今何時!?今日は早番だったはずだから、やっば!遅刻しちゃう!アラームまたかけわすれて……枕元にあるはずのスマホを探り、くっついて離れたがらない瞼をめりめりとこじ開ける。目やにではりつくまつ毛をが離れると、辺りはまだ薄暗かった。良かった遅刻は免れた。
いま何時?スマホ、あれ?ない。
というか、感触がシーツじゃない。肌にチクチクとささる何かと、さやさやと風に揺らされるざわめきが届く。え、もしかしてここ、部屋じゃなくて外!?
一瞬で覚醒した私は飛び起き、辺りを見回した。薄暗いが、白いのでよくわかる。視界を埋め尽くすほどの白い花達が風に揺れて遠くまで広がっていた。建物の類は見えない。
な、な、なんだこれ。なんで花畑?ってかどこ?飲んで酔い潰れて行き倒れたにしてもなんで花畑?何かで意識を失って運ばれた?誰に?淋しいおひとり様の私が?やべー奴に拉致されたり?
あらゆる疑問がわいては消える。だって現状にたどりつくヒントが何もない。私はもう一度目を凝らして辺りを見回した。白い花だけの花畑。真っ平ではなく多少の起伏があり、少し離れた所には白い花をつけた木々もある。それらは整然と整えられているので、ここがただの野っ原ではなく人の手が入っている場所だと分かる。
立ち上がって二、三歩歩くと足の裏が急に平らで硬い感触を拾う。石畳だ。さらさらの石畳が敷かれた道は前方と左右に広がって行く。右の道はカーブして後ろにつながり、そのまま振り向くとそこには東屋があった。
東屋、東屋だよね?公園によくある屋根付きの……なんだろ、壁のない小屋?部屋?
薄暗がりに光をもたらしていたのは東屋に灯されたランプだった。円形の東屋の屋根の内側から漏れる光は柔らかく、私は光に誘われる虫のようにフラフラと近づいた。
「止まれ!」
言葉の意味より、びっくりしすぎて足が止まった。あまりの衝撃に心臓が跳ね上がる。えっ?人いたんだ!?何?何もしかして私をここに連れてきた人だったりする?やばくない?だいじょぶ?
しかし、東屋から足音が近づくのは私の混乱による自問自答の結果を待たなかった。東屋の光を背に、少し離れたところで立ち止まる影は手に何か棒状の物を持っている。
どう見ても武器です。ありがとうございました。
だ、だいじょばないじゃん!!上がりきった心拍数で耳の奥がガンガンする。さらわれた先で変質者に殺されるとか、いくら私が薄幸のブ少女でもありえなさすぎでしょうが!
「貴様、何奴だ。どうやってここへ入った」
あ、男だ。ですよね、なんか背も高いし。やけに体つきもいい。逆光でシルエットしか見えないけど。いや、そんなことより、彼は私を知らないらしい。
「あ……あの!えっと」
緊張のあまりひりつく喉は誰何にうまく答えられない。
飯田双葉、大学生二十歳、私もここにどうやって来たのか教えて欲しい。
「どこの家の者か」
彼は一本私に近づきつつ、握っていた棒を体の前に斜めに構えた。棒の先は尖っていて、背の高い彼の頭を越すくらい長いし、平べったい。もしかしなくてもそれは剣とかいうやつでは。じゅ、銃刀法違反!お巡りさん!この人銃刀法違反です!
「答えよ。素直に吐けば一瞬で冥府への道を開いて遣わす」
冥府!?
お前を殺すって言ってないこの人?マジか!?あと口調がなんか戦国武将じゃない?
「疾く答えよ」
時代劇口調でさらに要求したあと、剣の構えを変える。よくわからないけど、感情の乗らない声とは違って口先だけじゃない雰囲気だけは伝わる。
「い、飯田双葉です!大学生!」
恐怖と緊張になんとか理性が追いついた。名前、言えたあ……。
「イーダフティーバ?」
「はい!飯田双葉です。住所は東京都豊島区池袋」
「貴様、俺を愚弄する気か。所属を言え」
「ぐろ……だから大学生ですって!R大学生二年生経済学部所属です。お疑いなら家に帰れば学生証をお見せできます!」
「学生?モリスモリアに出来たという勉学所の者か?」
もりすもりあ?って何?
「かどうかは分かりませんが、学生で怪しい者ではありません!から、剣をしまってくださいー!」
「学生風情が俺に命じられると思うたか痴れ者めが」
とか言いながらも彼は剣を下げて身体の傍に戻した。鞘に納めたわけじゃないから、警戒はしてるけど、私に悪意がないことはなんとなくわかってくれたらしかった。
「ありがとうございます」
「して、その学生がいかにしてこの花園に潜り込んだ。モリスモリアで開発された星の魔術とやらの力か?」
ほしの、魔術って、いまおっしゃいました?
「されば洗いざらい吐かせて技術を剥ぎ取った上で貴様の首を国へ戻してやろう、喜べ。これを機にモリスモリアを攻め滅ぼしてやろう」
いやいやいやいやいやいや、物騒倍増しになってるんですが!?てかモリスモリアって国なの!?
「ふん、貴様のような女なら俺が油断すると考えたのなら、うつけもいいところよな」
平板だった口調に明らかに嘲りの色が乗る。ハニトラ要員のスパイかなんかだと思われてるらしい。残念ながらハニトラに使えるような見た目じゃないのにね。
「あの、私、そのモリスなんとかってとこの人じゃないです。日本人です。ここにはどうやって来たか分かりません。自分の部屋で寝ていて、目が覚めたらここに居ました」
彼の気配が変わった気がした。微かに頭をもたげて私を斜め上から見下ろす姿勢は変わらないのに。
「この期に及んで俺を謀るとはな」
妙に早口で小声だけど、その分怒りを感じる。彼は一足で距離を詰め、私の左腕を掴むと後ろ手に捻り上げる。
「いたたたた!!やめ、やめて!何すんの!」
痛みに暴れる私の顔の前に剣を突き出すと、
「望み通り死を与えてやろう。ただしここでは殺生はせぬ」
耳元でそう呟いて私の身体を押した。灯りをギラリと反射する剣は、近くで見るとものすごく鋭い。ぐびりと息を呑んだ肌が軽く触れただけでも流血しそうだ。
どうにかして逃げ出したいけど、この体勢ではそれも難しい。
「そら、きりきり歩け。俺も暇ではない」
彼はふたたび感情を乗せない声に戻っていた。押されるままに石畳の道を歩き出す。裸足の足の裏に石の冷たさと落ちた葉の感触があり、いまごろ私は自分が裸足だと気がついた。足の裏よりギッチリと握られた左腕が痛い。右腕は自由だが、首に刃を当てられたままでは何もする気になれない。
背後から吹く風に靡いて目の前をヒラヒラするのは何かと思えば彼の髪らしかった。ありえないほどの長髪だ。そりゃ異世界だもんなあ、長髪も珍しくないんでしょうよ。
そう、多分ここは異世界。これがすっごいリアルな夢とか悪質なドッキリじゃないなら異世界なんだと思う。星の魔術、聞いたことのない名前の国、言葉は通じてるけど噛み合わない話。そして剣と暴力。友達に借りたラノベとかで沢山読んだアレだ。私はなんの因果か異世界にやってきてしまったのだ。
異世界ものって、神様からチートな能力を与えられたり聖女召喚でチヤホヤされたりする内容だったけど、そんな上手くはいかないもんなんだな。そりゃそうか、なんせ私だもんね。
親や親戚とのゴタゴタで平均的なご家庭育ちの女子より苦労を味わった。無くならない借金、転職に次ぐ転職の両親。引っ越しも何回もした。そんな中でなんとか奨学金をもらえて大学に進学もできたけど、お金がなくてバイト三昧。サークル?恋愛?何それ美味しいの?
それでもいいところに就職できたらそのあとはなんとかなると思って頑張ってたのに、理不尽すぎる。ああ、だんだん腹立って来た。
「あの、私、マジで殺されるの?」
「黙って歩け」
「嫌です」
「貴様」
「だって、本当に何も知らないし、何もしてないもの。いきなり花畑に連れてこられて殺されそうになってるとかありえない」
「花畑と申すか、このラリスの花園を」
「知らな……あっ、いたた!痛い!」
「黙れと言ったぞ」
怒りに任せた力がギリギリと握り潰さんばかりに左腕にかけられる。しかし、私はタガが外れてしまっていて、空いている右手で剣を支える彼の手をバシバシと叩いて叫んだ。
「痛いって言ってんでしょこの馬鹿力!!どうせ殺されるんだから最後まであがいてやる!ひとごろし!馬鹿!」
「暴れるな!騒ぐな!立場を弁えよ、狼藉者が」
そう言いながらも腕の力が緩む。
「貴様ごとき下賤の輩の血で母の墓所を汚すなど、許されぬわ」
あっ、そういう……。痛みと怒りに汗みずくになっているところに降って来た言葉。だからといって理不尽な現状を受け入れられるわけはないんだが。
それから数分道なりに歩くと、石畳は軽い登り坂になって、さらに階段が始まり、登りきったところに塀が見えた。東屋の灯りはとっくに遠ざかり、私達は石畳の道に点在する街灯と、その塀の上に等間隔に作られた灯りを頼りに歩いていたのだった。街灯は石造りのポールの上に、丸い玉が浮かんでいる形式だ。
近づくと塀は高さが3メートルほどあった。煉瓦造りでつるバラが絡んでいる。それもやはり白い花で、なるほどここは彼の言う通りお墓なのだろうと感じた。白がここでも故人に捧げる色ならね。
塀の一部に装飾が美しい鉄格子の門があり、門の外には篝火が焚かれ、衛兵らしき男たちが数名立っていた。一瞬、助けを求めようと思ったけれど、そうする前に彼らは一様に門の前で跪いた。
「黒獅子公子!」
口々に聞こえるのは耳慣れない言葉だが、恐らくこれが彼の名前なのだろう。
「許す、立て」
彼、エリオキュロスは私の肩越しに告げる。兵士たちは篝火に鎖帷子を煌めかせながら立ち上がり、手にした槍を各々の胸の前に掲げた。いかにも訓練された兵士っぽい。
「今からこの狼藉者を門の外に出して処刑するゆえ、刑場の支度を」
「はっ」
マジで殺すつもりだ!!感心してる場合じゃなかった!
無理無理無理!どうする、どうしよう!!
なんとかしてこの剣と腕をどけなきゃ。
「開門」
パニクる私をよそに、エリオキュロスは淡々と門を開いた。おお、音声認識自動ドアかな!?ってだから、それどころじゃないよ。何か隙はないのかな!?
鉄格子が軋みを上げながら外に開いてゆき、エリオキュロスが再び私の背を押すので、仕方なく門の外に足を踏み出した。
その瞬間。
「キャアアアア!!」
爪先から痛みと、光が迸った。目も開けられない閃光にのけ反り、そのまま後ろに倒れ込む。痛みは、捻りあげられた腕どころの騒ぎではなかった。焼かれるような衝撃が爪先から身体をかけあがり、光はバチバチと音を立てる。
しかし、痛みも光も長続きはせず、尻餅をついた私と、なぜかさらに後ろに同じように尻餅をつく偉丈夫の姿があった。
「エリオキュロス!ご無事ですか!?」
「いかがなされましたか!?」
門の外から衛兵隊が叫ぶ。多分上司であろうエリオキュロスを助けにやってくる気配はない。エリオキュロスは放心したように私を見て動かないでいる。そして、彼の剣は私の足元に落ちていた。ためらわずに剣を拾いあげる。
エリオキュロスの表情に驚きが見えたが、彼はなぜかまだ身体が動かないらしく、もどかしげに身じろぐだけだ。形勢逆転だね。
私はエリオキュロスの側に寄り、彼の前に抜き身の刀身をさらす。
「怪我したくなかったら、私を殺さず身の安全を約束して」
「き…さ…」
「約束しなさい。でないとあなたのお母さんのお墓を血で汚す」
言いながら自分でもあまりの酷薄さにヒヤリとした。極限状態だとこんなことができてしまうやつだったんだ私って。エリオキュロスは顔を思い切り顰める。あれ、この人もしかして顔がいい?
ことここに至って、私は初めてエリオキュロスの全身を見た。門外の篝火に照らされた彼は、無駄のない筋肉をまとった青年だった。年齢はアラサーくらいか。長い黒髪はきつめにウェーブがかかり、背の中ほどまでを豊かに覆っている。私を睨みつける緑の瞳には金色が混じり、黒々としたまつ毛に覆われている。大きい目はまるで猫…いや、全体的にはライオンの方が近いか。やや浅黒い肌は彼の精悍な美貌を野生的に引き立てている。
白と緑の麻っぽい貫頭衣にアラベスク模様の刺繍がびっしり入ったサッシュをしめ、足元は編み上げサンダル。
わあ……なんかにわかに異世界情緒が押し寄せて来た。
「何が望み、だ」
「話通じないなあ、私はなんでかここに入っちゃったけど、運が悪かっただけ!好きで入ったわけじゃないし、スパイでもない。身の安全を保証してくれたらあなたに怪我もさせないし、さっさとここを出てくよ」
「しょう…めいしてみろ」
どうしても私をスパイにしたいとみえる。でもそりゃそうか、なんの保証もなしにこっちの言い分を信じられるわけがない。困ったな。
「わたくしが保証いたしましょう」
二進も三進もいかなくなったところに、涼やかな声が響いた。衛兵たちがざわついて声の主を引き止めようとしているみたいだ。しかし、彼女は穏やかに彼らを制して鉄格子を通り抜けて歩み寄って来た。
「星の姫、こちらに座すと知って参りました」
こんな状況にも関わらず、和かに微笑んだ彼女はエリオキュロスに少し……いや、かなり似ていた。猫族を思わせるような少し釣り上がった大きな瞳に黒い髪。姉か何かに見える。
刺繍がびっしりと施されたベールを被り、柔らかな生地の染め物のベアトップのドレスは細身で、インドの女性の服を思わせた。明らかに貴婦人だとわかる佇まいだ。
「星の……なんて?」
「星の姫、フリーダ。甥が無礼を働いたこと、どうぞひらにご容赦を。貴女だとわからなかったのです」
お、い。
ということはおばさま!えー、見えない、あっ、年の離れたごきょうだいの?なるほど血縁。ではなく、フリーダってなんですか?
「まあ、そのご様子では姫もおおぼえでない……これはまた神々の御手も罪なことをなさる」
「なんだか分かりませんが、殺されかけたので簡単には許せません。怖かったし。でも、私の安全を保証してくれるなら、嫌いになるくらいにしときます」
「まあ!」
彼女は目を大きく見張ったのち、上品な仕草でころころと笑った。背後でエリオキュロスがぐうっと喉が詰まるような声を出す。
ひとしきり笑うと、貴婦人は和かな表情を崩さないまま甥に命じる。
「お立ちなさい、エリオキュロス。我が姉ラリスの遺言です!ここに座すはあなたの許婚者、星の姫君フリーダ。彼女に赦しを請いなさい」
「クロエ叔母上!」
いつの間にか立ち上がっていたエリオキュロスが貴婦人、クロエさんに反駁しようと半歩踏み出したが、
「遺言です。わたくし、二度申し上げましたわよ?」
和かな笑みに包まれた有無を言わさぬ力が放射され、エリオキュロスの見えない尻尾が股の間に挟まったのが見えた気がする。
クロエさんは私に向き直り、静かに膝を曲げて貴婦人らしい礼をとった。
「フリーダ、このヘイロダータ帝国第八妃のクロエ・メディハと亡き姉ラリス皇后が貴女様をお守りいたします」
やっぱりこれはいわゆるひとつの異世界ものらしい。私は手にした剣を足下に落とした。