「若者の婚約破棄離れ」を嘆くおっさん二人
正午と日没のちょうど中間ぐらいの時刻。ある王国の下町の酒場にて、ランガーという50代ほどの男が一人エールを飲んでいた。
小さなテーブルを占拠し、淡い金髪で口髭を生やしたその顔はすでに赤みを帯びている。
すると――
「ランガーさん!」
「おおエブリス!」
エブリスと呼ばれた男も、年はランガーと同年代。茶髪で髭はなく、ランガーより体型は細い。
ランガーの顔を一瞥すると、ニヤリと笑う。
「もう結構やってますね、ランガーさん」
「お前が遅いからだよ」
「へへっ、すみません」
エブリスはランガーの前の席に座ると、ウェイトレスに注文する。
「姉ちゃん、俺にもエール! あと、つまみも!」
「はーい!」
エールの入った木のジョッキが運ばれてきて、二人は笑い合う。
「かんぱーい!」
ジョッキをぶつけ、乾杯する。
エールを一口、二口と飲み、エブリスはうめき、首を横に振る。
「くぅ~、きくぅ~!」
「どんな酒も最初の一杯が一番ってね」
「たまりませんねぇ~!」
こんな具合にしばらくはとりとめのない雑談を交わす。
ジョッキを何度か空にした頃、より顔が紅潮したランガーが切り出す。
「それにしても、近頃の若い貴族は“婚約破棄離れ”が進んでるらしいな」
「……みたいですねえ」
エブリスはうなずく。
「実に嘆かわしい!」
「ホントですよねえ」
「これを見てみろ」
ランガーが一枚の紙を取り出す。
そこには右肩下がりの折れ線グラフが描かれていた。
「これは?」
「年ごとの婚約破棄件数を示したグラフだ」
「わっ、こんなに減ってるんですか……」
「ああ」
グラフの最も左側、つまり最も古い年の婚約破棄件数はおよそ500件。
しかし、年々その件数は減少の一途をたどり――
「一昨年は5件、去年は2件、そして今年はなんと0件だ!」
「0件!?」
「信じられないだろ」
「ええ、話には聞いてましたが、まさかこんなに婚約破棄離れが進んでるだなんて……」
「このグラフでは件数が下がってから翌年上がった例は皆無だ。つまり……」
「今後も0件が続いていくってわけですか」
「そういうことになる」
エブリスは首を左右に振る。
「寂しいもんですねえ」
「ああ、まったくだ」
二人は深いため息をつくと、つまみのピーナッツに手を伸ばす。それをポリポリ食べながら、話を続ける。
「どうしてこうなってしまったんですかねえ?」
「俺もそれが気になって、新聞記者を装って、なぜ婚約破棄しなかったのか理由を聞いてみたよ。すでに結婚している10代から20代の若い男の貴族にな」
「それで、どんな答えが返ってきたんです?」
「えーと……」
ランガーは懐から手帳を取り出しページをめくる。
『婚約破棄しても自分にメリットはないし、する意味が分からない』
『家の発展のために婚約したし、婚約相手にも満足したので』
『婚約する前に相手のことはきちんと調べたし、破棄する理由がない』
ランガーは手帳を閉じる。
「……こんなところだな」
エブリスは舌打ちする。
「いやー、実に情けない!」
「お前もそう思うか」
「メリットとか、家のためとか、相手に満足とか……婚約ってのはそういうものじゃないでしょうよ!」
「その通りだ」
「婚約を破棄することによって発生するデメリットをあえて被ってでも破棄する! 真実の愛を追求する! それが貴族ってもんでしょうが! 男ってもんでしょうが!」
ランガーはうんうんとうなずく。
「今時の若者は野心や上昇志向がなさすぎる! 男ならよりよい相手を求めてガンガン婚約破棄しないと!」
「そうだそうだ!」
二人はため息をつく。
「このまま貴族の男どもは、安定や安全ばかりを取る、平らな道ばかり進みたがる、牙の抜けた連中になっていくんでしょうねえ」
「実に嘆かわしい……!」
ランガーは歯を食いしばる。
「しかし、これも時代の流れってやつなんでしょうねえ」
「そうだろうな……」
「……」
「……」
エブリスがぼそりとこぼす。
「我々も今の時代に生まれてれば、時代の流れのまま、きっとバカなことせずに……」
「それを言うな!」
「ええい、今日は飲みましょう!」
「今日“も”だけどな! 浴びるように飲んでやる! 飲まなきゃやってられん!」
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
二つのジョッキが勢いよくぶつかり、酒の粒が飛び散る。
彼らの席から少し離れた場所に座っている若い男女が、二人を見ながらこう話す。
「やけに盛り上がってるけど……なんなの? あのおじさん二人」
「この辺りじゃ名物になってる飲んだくれオヤジ二人組さ。普段は荷物運びや靴磨きで日銭を稼いでる」
「ふーん、何者なんだろ」
「なんでも実は二人とも公爵家だか伯爵家だかの貴族出身で、だけど若い頃に身勝手な理由で婚約破棄をしちゃったことをきっかけに家を追い出されて身を持ち崩して……なんて聞いたことがあるけど、それもどこまで本当なんだか」
「まあ、楽しそうにやってるならいいんじゃない?」
「そうだな」
おっさん二人の宴は夜更けまで続く――
完
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