07.ゆきまんじゅう(欠片)
結果から言うと、兄は無断で私を連れ出していた。
カフェの一件は父にも伝わったらしい。
公爵家の兄の学友である以上、皆それなりの家の出身だったようだ。
そして私は、放置されても逃げなかったことで、その従順さを評価されていた。
散歩が許されるようになり、何故だか部屋も変わった。
兄に激怒した父により、私の部屋は兄が滞在する部屋の一番遠くへ移動することになったのだ。
その部屋には大きく開く窓があった。
夜、窓を開けば風が入り、外の景色がよく見える。
軽やかに飛び込んでくる白もよく見える。
《……千歩譲って、部屋が変わったことだけが良いことだな》
「飲み物をかけられたかいがあったわ!」
《……君が前向きで俺は嬉しい》
変更された私の部屋には、ゆきまんじゅうが侵入できるようになっていた。
ゆきまんじゅう曰く、私が暮らしていた別邸と比べると警備は厚く、本邸よりは薄い、とのこと。
開いた窓から事も無げに飛び込んできたが、やはり侵入するのは大変なことなのかもしれない。
あまり無茶をしてほしくはないが、彼が問題ないと言うから、私は甘えてしまう。
ベッドの上、ゆきまんじゅうを膝の上。もにもにと撫でる。
《認識のすり合わせと行こうか。話せることは話しておこう、俺は君の気持ちが知りたい》
「わかった」
頷く。ゆきまんじゅうが相手だと、表情も動きも作らないでいられて、すごく楽だ。
《守護召喚は、十歳にならずともやろうと思えばやれるし、通常契約を妖霊側が切り替えることも可能だ》
私の現状を聞き、実際見たからか、契約は春でなくてもいいと言ってくれる。その優しさが嬉しい。
《だが、わかっている。君はシャルエン家で何かしらやりたいことがあり、君の立場上、今君に契約妖霊が存在するのはまずい》
「……私の気持ちとしては、契約して側にいてほしい。でも、あなたが言う通り。まだ事を荒立てたくない」
ゆきまんじゅうには、言っていないことがある。
私の未来の記憶についてだ。
私の未来の分岐点は守護妖霊召喚だと考えていた。けれど、きっと違う。
ゆきまんじゅうと出会えたことが、私の分岐点。
記憶では現在、私は別邸にいるはずだったし、実質の意味は置いておくにしても、父から娘として紹介する、だなんて話が出る事はなかった。
兄は元々あまり接点がなかった分、記憶の兄も本当はこうであったのかもしれない。
私には未来の記憶がある、だなんて言っても、彼は絶対に笑わない。
笑わないとは思うが――新たな怖さがある。記憶の私は酷い女だったから、あなたに嫌われてしまわないかと。
今、私は記憶の私のような事はしないと自信を持って言えるが、私は結局、人を傷付けることが出来る人間には違はないのだ。
《聞いてもいいか。逃げる手段を持ちながら、シャルエン家に留まる理由。やり残したことを》
弟のことを隠す理由はないだろう。
「……私には、会ったことがないけれど、弟がいるの。父の不貞の子。確か、王都で働く女性魔法使いとの子よ。もうすぐ、シャルエン家に引き取られることになる」
《君は、会ったこともない弟の面倒を見るつもりなのか?》
「弟は元からシャルエンではない。きっとシャルエン家の性質が会わず、苦しむと思う。弟だから、というより――同じ苦しみを味わうことがわかっているのに、見過ごすことが出来ないだけ」
《その弟が、シャルエン家の性質に合ったら?金と権力で解決出来る公爵家が引き取ることを選ぶなら、そういうことだろ?》
その通りだ。弟には魔法の才がある。
子どもながら、シャルエン家に相応しいと即断された程の才が。
「魔法の才があるだけで、皆が皆シャルエン家みたいだったら、この世界はもう終わりよ」
《……それは、そうだな。嫌だなそんな世界。だが、弟とやらがそうだったら、俺は君を連れていくぞ》
「うん、その時はお願い。私は明後日の、王家主宰のパーティーで、王家へ向けた献上品としてお披露目されるらしいから――所有者が確定する前には逃げたいと思っているわ!」
《――は、》
私はまだ子どもの体だ。正式に決まるのは年を重ね成長してからだとは思うが、……わからない。
記憶の私の最期を考えると、人であることを物理的にやめさせられたわけではない今、この程度ならと思ってしまう。物扱いは慣れてしまった。
《…………………………、歴史上、国で暴れてきた上級のやつらの気持ちが、少しわかった気がする》
ぼそりと言った言葉が正確に聞き取れず、「なに?」と聞き返せば、《王家もシャルエン家も嫌いだな、と言った》だなんて返ってきた。
シャルエン家はともかく、王家自体は――この国は栄えている。
貧富の差はあるが、他国との戦はなく、平和だ。
平和を維持する政治をしている以上、その類いの学がない私には何も言えない。
《王家主宰のパーティーか、……お嬢様。俺はまだこの辺りの地理を把握していない。寝ている君の側にいられないのは本意ではないが、》
「私の側にいようとしてくれるのは凄く嬉しい。でも、危険なことは……」
《俺より君の方が明らかに危険な立場だと、まったく、……ほら、ちょっと欠片を置いていくから、受け取ってくれ》
そう言うと、彼はふるりと震え、揺れるその端が引き千切られたように分離した。
私の手のひらに乗る大きさの、千切られた真っ白な断面をさらすのは、動かないゆきまんじゅう(小)。
「!???」
《青ざめている君が何か言う前にしっかり説明するけど、痛くはない。そして俺ではないから動かないし話さない。ただ、俺と同じくもちもちしているのと、持っていると君がどこにいるかを、俺がわかるようになる》
「もちもちだ……」
そっと手にのせつつけば、確かにもちもちだった。
両手に挟み、優しく形を整えるように転がせば、大きな楕円形のゆきまんじゅうとは違う、完全球体ゆきまんじゅうが誕生する。
「ゆきまんじゅう……」
《待ちなさい、どこを見て呼んでいるんだ。ゆきまんじゅうは俺です。それは俺ではないので、その呼び名は認めません。ただの欠片です」
「そうよね……これはまん丸、ゆきまんじゅうはもっと味のある曲線が……ありがとう、大事にする!」
《これで君が少しでも寂しくなくなれば、俺としてはそれで良い。今夜は眠りにつくまで、君の側にいるから》
「ふふ、うれしい!ありがとうゆきまんじゅう! 」
夜も更けてきた。確かにそろそろ寝る時間だ。
ベッドに入ると、枕元にはゆきまんじゅうがいてくれて、その陰にはゆきまんじゅう(欠片)がある。
《子どもは沢山寝ないと健康に大きくなれないからな、おやすみ。お嬢様》
「おやすみ、ゆきまんじゅう。……私ね、あなたを見て眠ると、良い夢がみられるの」
《……そうか、それなら、毎晩俺を見てもらうことになるな》
「それは、ふふ、とてもとても、幸せなことね……」
するりと意識が溶けるように、私は眠りに落ちる。
ぐっすりと眠ったらしい私は、宣言通り出かけたゆきまんじゅうに気付くことはなく。
翌朝、彼はいなかったが、枕元のゆきまんじゅう(欠片)はしっかりとそこにあった。
つつくとやっぱり彼の感触そのままで、私は無意識に顔を緩ませてしまったのだった。
×××××
――時々、彼女が妙に自罰的に思えるのは気のせいだろうか。
逃げようという言葉には一応ながら賛同してくれる。
シャルエン家に染まりそうにない弟を助けたいという気持ちも立派だ。あの家風が合わなければ、例え公爵家に名を連ねることになっても、地獄にしかならない。
だが、自分とあのような扱いを受けているのに、その状況で他人に手をさしのべようとする精神性がわからない。俺という存在がいるにしても、だ。
彼女は冷遇されていた、知っていた。
さすがに、生きている者としてすら、認められていないとまでは知らなかった。
どうして耐えられる。もうすぐ十歳にしても、子どもの精神で、なぜ壊れず過ごせている。
まだ契約者ではないが、出来るだけ意向は汲みたい。彼女の望むようにしたいのが本音だ。
危険なことはしないでほしいと、彼女が思っているなら従う。
――そもそも俺は彼女と出会ってから一度足りとも、己が負傷するような危険なことをしていない。
もちろん、この王都にいる間も、危険なことをするつもりはない。
それにしても、王家主宰のパーティーだったか。
この国に来た当初は、統治者を見物しに行こうとは思っていた。
が、まさか別の理由で統治者一族を見ることになるとは。妖霊生、未来はわからないものである。
やりようはある。パーティーの規模が大きいほど、出入りする妖霊は増える。妖霊が多いほど、つけこみやすい妖霊もまた増える。
さっさとパーティーに潜り込む算段を整えて――パーティー会場の現場で、近くにいると合図を送れれば、きっと彼女も安 心、
だめだ、俺は人の形を見せたことがない!
何かしらの仕事を受け持つ妖霊と成り代わり、パーティーに侵入するつもりであるのに、彼女はゆきまんじゅうの俺しか知らない!
ゆきまんじゅうの姿で成り代われる業務が存在するわけがない!
例え俺の姿で一番素敵なフォルムであっても、不向きなことはある、沢山ある!
くそ、びっくりさせようと、守護召喚まで見せるのはやめておこうと考えた俺が悪い!
でもお嬢様はゆきまんじゅうの俺のことが大好き!!だからこれはやらかしたミスというより、起こるべきして起こった問題だ。
誰も悪くない。――いや、やっぱり俺が悪いな。
はー、とため息をつく。
ただ、まぁ、嫌な気分ではない。
こうして、契約者のためにどう動くかを考える事は嫌いじゃない。やれることをやるしかない。
あとは、そうだ。心優しい彼女には黙っておくか、考えていることがある。
消息をたった、俺の知り合いの氷の妖精。
最後に会った時のあいつは、人の形をした殻を作れるようになったばかりの、中級にやっと分類されるような弱い妖霊だった。
あれからそれなりに強くなったときく。立派な中級妖霊をやっているはず、だった。
微かに存在の残滓は感じるが、消息をたってから一度たりとも、生きている強さの魔力を感じたことがない。守護召喚の儀式を行う、この、王都でさえも。
妖霊は魔力を糧に生きるが、逆に魔力を得られる術がなければ、いずれ衰弱し消滅する。
シャルエン家が彼女と守護契約を結ばせる予定の妖霊であるなら、適当に魔力を与え生かしておくだろう。
本当に王都にいて、生きているのなら、同じく王都にいる俺が探せないわけがない。
氷の妖霊なんて、珍しいものではない。
別の妖霊であるか――もう死んでいるのかもな、と思う。
妖霊の命なんて儚いものだ。例え上級だろうが、そこは変わらない。
俺も、臆病な寂しがりの彼女を残して死ぬわけにはいかない。
普段以上に油断せず行動しよう。そう、自分を戒めた。