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17.母は悪女


 物心ついた頃から、僕の世界はこの部屋一室に収まっていた。


 僕専用のベッド、僕専用の衣類が入った棚。僕専用の椅子は、成長と共に形を変えた。


 母と食事をするテーブルは、母を先生にする机でもある。大きな本棚の半分はまだ手が届かない。

 この部屋にあるものはほとんど全て、僕だけのものか、母と共有しているものだ。


 僕のものでないのは、扉と高窓。扉は、母が向こう側へと行く家具で、高窓は母の魔法でしか開け閉めする出来ない。


 母の出入りで少しだけ見える向こう側も、僕の世界と似たような世界で、そこには母が住んでいる。僕と母の世界は隣り合っているのだ。


 高窓の向こうにも世界がある。

 空がある世界は、時間や天候によって、色や様相を変える。

 鳥という生き物も存在し、僕や母でない誰かの世界も近いのか、知らない声だって聞こえてくる。


 僕のベッドがある壁に、ぺたりと張り付き耳をすませば、知らない音が沢山聞こえる。

 どんな世界なのだろうと想像するのが僕は好きだった。でも、この行為は母を悲しそうな顔にさせる。だから僕は、その行為も想像の話も、母にすることはなかった。


 母にする話と言えば、そう。

 母は僕が一日何をしていたか聞くのが好きだった。本棚の端から一冊ずつ、選び読んだ本の話をした。

 母は本を入れ換えるので、同じ本の話をすることはない。


 母は僕の世界にないことを沢山教えてくれたし、僕が外の世界に行けない理由も教えてくれた。


 外の世界にいる人達が僕の顔を見ると、驚いてしまうそうだ。母が驚かないのは、僕が子で、母が親だからで。


 親の、子に対する愛情については、これまで読んできた物語で存在を知っていた。母が驚かない理由は愛情であると、僕も納得していた。

 だって母は、僕を何度も何度も可愛いと言って、悲しげに笑っていたから。


 もう一つ、僕にある不思議な力もまた、外の世界にいる人達を驚かせてしまう。

 この力は、母と同じ魔法の力だと思ったが、母は違うと言う。僕のこれはとてもとても恐ろしいもので、外の世界の人たちに、絶対に見せてはいけないもののようだ。


 母は本の挿し絵を指さし言う。

 荒れた海の、船を飲み込もうとする高波が、僕の不思議な力だと。


 納得した、それはとても怖いものだ。いつであっても、凪いだ海のようにいようと決めた。


 冬の頃だ。窓から冷たい風が吹き込む季節。

 母は、いずれこの国を出るつもりだと話してくれた。


 国とは、皆の世界が沢山集まったもの。

 今いる国から僕と母の世界は離脱し、新たな国へと合流することが、母のやりたいこと、願いのようだ。


 ただ、新たな国は遠く、僕の身体は小さすぎてすく疲れてしまうから、僕が大きくなるのを待つと言う。

 母は、焦らなくても、日々があなたを大きくすると微笑み言った。


 だから僕も、日々が僕を大きくするのを待った。

 日々は何もしなくても過ぎ去っていくと知っていたから、待ち遠しさはあっても、苦しさはなかった。


 それから、季節が変わらないうちに、母が僕の世界に来なくなった。


 一日、二日。これまで間を開けたのは二日が最大で、必ず母はその期間は戻らないと、事前に僕に話していた。

 そんな話、今回はなかった。


 毎日母は、僕の世界に食べ物と飲み物を置いていった。二日分を毎回入れ換えていく。

 母は日頃から言っていた。二日戻らなかったら、母の身に何か起きたということ。その場合は、扉を開き、母の世界に行ってと。


 躊躇いなく、僕は母の世界に踏み込んだ。母の世界は、母の気配が色濃く残っている。


 まず食料を探した。すぐに見つけた。

 水もある。僕の部屋にある水差しを大きくしたものだ。母の魔法だろう、触れれば水が溢れ桶を満たし、また触れると水は止まる。


 僕の世界は母の世界と重なり広がった。

 この世界で、母を待つ。


 それから三日たった。母は戻らない。

 五日だ。五日、母は戻ってこない。


 七日目。扉が叩かれた。遠慮がちなそれは次第に大きくなり、僕は怖くて、僕の世界に戻り隠れ場所を探した。


 物が壊れるという音を、僕は両開きの棚の中で聞いていた。人は怖いと意思関係なく震えてしまうとわかった。カチカチと歯が鳴る。口を抑え、震える身体を押さえ込むように縮こまる。


 母ではない足音が複数。僕の世界の扉が開く音。

 人だ、外の世界の人が僕の世界にいる。足音は何かを探すように続いていた。


 どうしよう、どうしよう、


 僕の顔は、外の世界の人を驚かせてしまう。


 どうしよう、


 足音は目の前で止まり、僕を隠していた扉は開かれた。


 母ではない気配、母ではない形。


 母ではない人が、僕を見下ろしている。反射的に顔を伏せた。そして顔を両手で覆う。



「見つけた!子どもだ!」



 子どもとは僕のことだろうか。

 また違う足音が近付く。母ではない声は、何故だか、とても優しく聞こえ、僕の震えを止めた。



「もう大丈夫、助けにきたんだ。無事でよかった」






 ×××××







《子どもが見つかりました。年は六から七。女児のように見えますが、男児です。保有魔力の桁は間違いなく、天才のそれですね》



 サフの報告からすぐに、父に呼び出された。

 婚約者が第三王子に決まったこと、雪解けの頃に別邸へ戻ること。そして、私に弟が存在していたこと。


 サフほど詳しく話さなかったが、父もサフと同じく同情的に弟の存在を語った。

 母違いの、不貞の子の存在を娘に饒舌に語るのもどうかと思うが、弟の魔法の才がそうさせているのだから仕方がない。


 もっと早く迎え入れるべきだった、と父は言う。

 弟、名はシオン。

 今日から彼は、シオン・シャルエンとなる。



 シオンは、記憶と同じく、表情のない少年だった。

 誰かに指示されるまでその場にずっと立っているような、意思の見えない子どもだった。


 健康状態に異常はなく、妖霊の声を聞く耳は問題なく機能している。

 魔法の知識こそないが、膨大な保有魔力は凪いだままで、年齢を考えるとかなり落ち着いているそうだ。


 本来、保有魔力が多い年若い者は、自身の魔力に振り回され、あちこちから魔力を漏れだし、不完全な魔法として暴発させる。

 その傾向がシオンにはなく、天才の証だと父は喜んでいた。


 父はシオンに、私のことを姉だと紹介した。


 シオンは「わかりました」とだけ言い、私の一礼に倣うよう、礼を返した。

 表情は変わらず、やはり、見ているようで認識していないような、虚ろな目をしていた。



 そんなシオンが、雪降る庭を見ていた。立ったまま動かない。


 シオンを監視する妖霊は、私とアルドラと――私たちを監視する役をもったサフの存在に気づき、これ幸いと休憩に行ったらしい。

 サフ曰く、動かないので面白くないと。動きがあったら情報を渡す対価に、嗜好品をいくつか貰ったそうだ。



 今、シオンを監視する者はいない。ここには私の味方しかない。

 冷たい空気にさらされた私は、シオンの隣に立った。

 シオンは隣にいる私を一瞥することもなく、庭から視線をそらさない。それは話しかけても同じこと。



「こんにちは、シオン」


「…………こんにちは」



 ただ、言葉には反応した。こちらを見ることはないが、言葉はまだ、彼に届く。


 生まれてからずっと、母親の手により部屋に監禁されていた少年、それがシオンだ。


 母親は事故死した。それも、ごく最近。季節は進んでいない、冬の頃。

 事故死の知らせに、元々子どもの存在を怪しんでいた近所の住民達が家に押し入り、シオンは発見された。


 シオンは、幼いながらも私のように整いすぎた顔をしていた。ゆえに、沢山の手が挙がったと言う。


 シオンを引き取りたいと申し出た者達は、どこから現れたのか、近所の住人達も知らない顔ばかりだったそうだ。

 母の両親と名乗る者は複数いた。父親と名乗るものも、母の兄姉弟妹を名乗るものたちも。


 皆が皆、己が親類だと言う。


 無論、誰一人母親との縁を証明することはない。

 シオンを見に来たのか、小さな町には、見慣れない怪しい者達が増えていた。近所の住人は同情しながらも、シオンの綺麗すぎる顔が必ず厄を呼び込むと確信した。


 最も声の大きい、金のある者がシオンの身柄を引き取ることになった。

 サフ曰く、いかがわしい商売をする、地方貴族の者だったらしい。


 シャルエン家は、その者からシオンを救いだした。

 ――意味としては正しいだろう。魔力あるシオンをシャルエン家は尊重し、出来の良い血族として丁重に迎え入れるだろうから。


 貴族の出でありながら、母親に存在を隠され、庶民として、どころか、監禁までされていた悲劇の天才。


 虐げられていた母の元からついに離れることの出来た幼子は、これから本当の家族の元で幸せになるのだ。


 これもまたシャルエン家の美談となり、家名を華やか彩るだろう。



「シオン、雪の結晶を見たことはある?」


「……本の挿し絵でなら。実際に目にしたことはありません」



 手を伸ばし、舞い落ちる雪を受け止める。目を凝らすが、残念ながら美しい六角形は見当たらない。



「時々、すごく小さいけど、目に見えることがあるの。どうしてかしら、同じ雪の結晶であるのに、同じ形の物は、見たことないけれど」


「……雪の結晶は、気温と湿度が、その形成に深く関係しているそうです」


「詳しいのね、すごいわ」


「…………、」



 称賛に対し、シオンは何も言わない。

 その変化のない横顔に、私は言った。



「私は、あなたのお母様を悪女とは思わない」



 横顔が、ゆっくりと動く。こちらを向いた。私の続く言葉を待っているようだった。



「だってあなたは、対話の仕方を知っている。他者への関わり方を知っている。だから、あなたの知識と教養は、あなたのお母様が許し、習得を望んだもの」



 シオンには母親しかいない。

 そして、基本子どもは、親から許され与えられるものしか吸収できない。

 私がそうだった。……子どもだった私の記憶が、そうだった。


 監禁。外の世界を知る自由を奪っている、それは人としての尊厳を無視するような行いだろう。


 しかしどうだろうか、監禁というならば、親が子を管理下に置きたいということ。

 管理するならば、管理しやすいよう余計な知識に触れさせず、従うことこそが正しいと思わせる教育が施されるのではないだろうか。

 与えられた知識以外を得ること自体、悪だと思ってしまうような。



「あなたの自由は奪われていたと皆は言うわ。けれど私はそれを否定する。あなたのお母様は、あなたのこれからの自由のために、あなたを守っていただけ」



 魔法の天才だから落ち着いているのではない。彼に蓄えられた知識と教養が、彼を落ち着かせている。


 与えたのは、シオンの母親だ。



「いつか外の世界へ出ても、あなたが困ることないように。これから広がる世界を、あなたが望むまま自由に過ごせるように。……でも、知識と教養を奪われていないあなたには、すでに“ 自由 ”が存在していた」



 シオンの口が、少しだけ震えた。

 これまではっきりと話していた声は、今、か細い。



「出ようと思えば、僕は外に出ることが出来た。僕の世界に鍵はなく、外へ出るための鍵は僕自身の手で解錠できた」



 私はゆっくりと頷き、彼の、ぽつりぼつりと少しずつ、溢れるような気持ちを聞いていた。




「僕の世界は小さなものだったけれど、母さんが僕を、小さな世界に置き続けることはないと、僕は知っていた」


「だって母さんは、僕をここに留めておく事を、本当は嫌だと思っていた。外から聞こえる知らない子どもの声を聞く度に、母さんは悲しそうな顔をしていたから」


「あなたの言う通りです。僕も選んで留まっていた」


「外に出られない日々でも、得られるものは沢山あった。僕は外に出ないと、自分で選んでいた、僕は自由だった」


「僕、知っているんです。庭のあの植物。春の訪れを知らせるように咲く花の名を。この空の色の名も知っている、吐く息の白さの理由も」


「全部母さんが教えてくれた。母さんが知らないことは、本から一緒に学んで、そうだったんだと理解し笑いあった」



「母さんは、僕の顔を外で見せることが危険なのだと言っていた」


「その通りだった。母さんの言う通りだった!知らない外の世界の人たちは、僕を見て、僕に興味をもった。僕の意思じゃない、その興味は僕の顔と体に向いていた!」


「そうじゃない人もいた、そうであった人の方が多い!その人たちは、僕の知識にないことを求めている。それが何であるかはわからないけれど、怖いと思った、身体がぞわぞわした。母さんが言っていた、それは何がなんでも逃げるべきと、身体が叫んでいる証拠だと!」



 ああ、とわかってしまった。

 記憶のシオンが、ああも無感情にいたわけを。心当たりはある。だって私も経験がある。


 顔と身体だけは褒められた私も、最後はシオンのように無感情になった。身よりのない、顔の綺麗な少年が、まともではない大人の手によりどう扱われたかだなんて、考えるのもおぞましい。


 未来が変わり、シオンの身柄は早々にシャルエン家に引き取られている。

 シャルエン家は真っ当ではないが、少なくとも幼子に劣情を抱くような者はいない。魔法の才ある彼は、人として扱われるだろう。



「皆、母さんを悪女だといいます」


「悪女は死んだから、もう僕は自由だといいます」


「僕は最初から自由でした。僕に自由でいることを許した母さんがいたからです」


「母さんは、……母さんは、死んで、しまったんですか」



 シオンの大きな瞳が滲むように揺れた。

 私は頷く。無意識に唇を噛んでいたらしい、血の味がした。



「もう、僕の世界に、母さんが、来てくれることはないのですか」


 頷く。


「僕の話をきいて、僕と一緒に学んで、僕と一緒に笑って、考えを伝えあった母さんは、もう、どこにもいないのですか」


 頷く。


「僕は、僕は――」



 ぼろぼろと涙を流すシオンは、声を詰まらせながらも、感情をさらけ出してくれていた。

 言葉にして、私に、そして自分自身にも伝えているようだった。



「外の世界が怖いとは思わないんです、母さんがいないことが怖いんです」


「僕は、僕は、――母さんがいなくなった時、どうすればいいかは教わっていたけれど、大好きな人がいなくなった時、どうすればいいかは、教わっていない!」


「僕は、っ、」



 繋ぐ言葉も尽き、シオンは嗚咽をあげながらも、耐えるように泣いていた。


 私に出来ることは、……少なくともこれは慰めではない。



「……私も、七歳の頃に母を亡くしたわ。大好きだった。世界で一番。他の誰よりも、母だけが私を見ていてくれたから」



 私は母の死を、――乗り越えられてはいない。

 今この時だって泣いてしまいそうだ。シオンの痛みは、私の知る痛みでもある。


 ただ、受けたばかりの傷と、癒えてないだけ傷は違う。私は耐えねばならない。泣いてはいけない。


 今、一番辛いのは、目の前にいるシオンなのだから。



「……日々が、過ぎ去っても」



 ぽつりと言うシオンの目には、私が映っていた。



「涙が出るほど、大好きな人が死ぬと言うことは、悲しいのですね」



 堪えられず、その目元に涙を溜める私の姿が。


 結局、涙すら抑えれない私だ。

 シオンから見ても、まだ子どもの姿をした私だ。

 けれど、形だけでも、頼りがいのある姿を見せようと、笑って見せる。



「シオン、私のことは、姉と思わなくてもいいわ。けれど私は、母を失った悲しみを知る者よ」



 突然連れてこられて、姉と言われてもシオンは困るだろう。その戸惑いも躊躇いも、私の言葉で少しだけでも、軽くなれば良いと思った。


 続けた言葉の後、シオンは涙こそ止まらなかったが、私の差し出した手を握ってくれた。



「私は、あなたの仲間にはなれる」





後のドシスコンである。

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