11.守護召喚
足音が聞こえた。近付いている。
見回りなら、私がいる部屋も確認するのは当然。暗闇の中、私は息を潜めていた。
物陰に隠れていた私は、自分の無謀さに後悔していた。
あの妖霊の言う通りだ。どうして考えもなしに、自分の力だけでどうにかしようとなど思ったのか。
物事がうまくいきそうな万能感でもあったのか、――否定はできない。うかれていた。
元々開かれたままの扉に手がかかる音がした。そのまま踏み入ってくると思ったが、そんなことはなく、足音は去っていく。
良かった、と胸を撫で下ろした。見つかったらどうしようと、考えても全く考えつかなかったから。
耳をすます。
足音が遠くなり、完全に聞こえなくなって、ゆっくりと時を数えた。
――今だ、やろう。
指先に魔力を灯す。
一から描きあげるのは、私専用の守護召喚魔法陣。
この世界の全ての妖霊に向けた召喚を願う呼び声は、名を呼ぶことによりその者だけへ届く。
大丈夫、そう自分に言い聞かせた。
未来は変わった。今日の日のために準備は整えてきた。
私には友だちがいる。
私が良いと、私を選んでくれた友だちがいる。
ありったけの魔力を魔法陣に込めた。
――力が抜けていく感覚、正常な魔力の流失だ、手順通りだ。大丈夫、大丈夫、
もし、失敗したら――やめて、馬鹿なことを考えないで。
仄かに輝きだした魔法陣、緊張から、詰まりそうになる喉。震えながら息を吐いて、私は言葉を紡いだ。
『リトナ・シャルエン!我、妖霊の守護を求む――妖霊との契約を望む!』
魔法陣の輝きが強くなる。その光から目を離さず、また、大丈夫と己を叱咤した。
魔法は発動している。
あとはわかるでしょう、リトナ・シャルエン。
口にして、言葉にして呼ぶの。
あなたの大好きな彼の名を。
「来て!“ゆきまんじゅう”!」
バチバチと激しく発光したのも一瞬、光は力を失ったように消えた。元々部屋に存在した暗闇が戻ってくる。
――失敗?と、心臓がぎゅっと握られるような感覚。
待って、まだよ、大丈夫、と暗闇に目を凝らした。
これもまた、手順通りのはずだから。
ほら、と私は自分の意識を促した。
見て、光が。
光の粒が一つ二つと増えていく。
光は暗闇を照らし、現れた魔力を持つ存在を祝福しているように、ふわりふわりと漂っていた。
光の中心には、人影がある。
「――えっ、」
そう、人影だ。人影、人の形をしている。
この光景を、私は見たことがある。記憶だ、記憶、私、守護召喚の時の――
光が消えていく。見覚えのある光景だった、何度も夢にみた、私の悪夢と同じように、
自分の早鐘のような心臓の鼓動しか聞こえない。
これは夢だろうか、私はまだ眠っているのかもしれない。ああでも違う、違う、夢じゃない。
握った拳が、皮膚に刺さった爪が、痛みが、現実であると示してしまう。
ついに、その姿が、顔が、はっきりと、視認できた。
白髪と白い肌、嫌悪しか映さなかったその冷たい目が、また私を見て、
「遅い、何かあったのかと心配して――!?」
滲む視界、見たくない現実に俯く。
どこで間違ったのだろう、この部屋に何か仕掛けがあったのか、どうして、どうして、
「っ、何で泣いて……俺に……怯えて…?」
近付く気配、もつれる足で逃げようとして、倒れそうになる身体に触れようとする人影の手を振り払った。
倒れながらも、少しでも離れようともがく。
どうして、どうして……!
音が聞こえない、吐きそうになるほど早い鼓動しか聞こえない、あの跳ねる音が聞こえない。
私の声が、記憶でみた妖霊のような上級妖霊に届くことはない。私の魔力では、届いて下級妖霊のはず。
でも、名を使った。
名を使えば、その名を持つ妖霊にしか聞こえない。私はゆきまんじゅうと呼んだ、確かに呼んだのに!
どうして、どうして、失敗したということ?何を間違えた?彼に声が届かなかったのはどうして、
もう一度だ、もう一度呼べば、今度こそ、あなたは。
失敗しない、間違えないから、
お願い、お願い、来てよ、お願い……私を一人にしないで……!
指先にもう一度魔力を灯す。
視界は涙で曇るが、描くものは全て頭に入っている。
しかし、描こうとした手は掴まれた。大きな手だ、怖い、
「駄目だ!何をする気だ!守護召喚で、君は魔力を使いきっただろう!」
「触らないでっ……お願い離して……!あなたじゃない、あなたじゃないの……!」
懇願も聞き入れてくれない手は、まだ私の手を掴んでいる。震えているのは、どちらだろう。きっと私だ、
「ゆきまんじゅう……!ゆきまんじゅうどこなの……!来てくれるって言ったのに、嘘つきっ、ゆきまんじゅう……!」
「…………これ、単純に気付いてないってこと、だよな、そうだよな、」
「うっ、うっ……ゆきまんじゅう…ゆきまんじゅう……」
私を掴む手は、ついに離された。
私は目を閉じ、膝を抱え縮こまる。せめて契約しなければ、どこかへ行ってくれると信じて。
その時。
ぺたん、
――音だ。
ぺたんぺたん。
跳ねる音だ。おそるおそる目を開けると、ぼやける視界に、見慣れた白い楕円形の、
「うううう!!!」
《えぐるような元気なタックル!》
この手に吸い付くようなすべすべでもちもちの手触り、ひんやりとした冷たさ。
飛び付いた先は現実に存在してくれていた。彼はちゃんと、来てくれていたのだ。
「ゆきまんじゅう……よかったゆきまんじゅう……!遅いよお遅いよばかあ……怖かったよばかぁ……!」
《……あのさ、呼ぶのが遅かったのは君の方だし、俺も君に拒否されたと思って消えちゃいそうになるぐらい怖かったんだけど?》
「ごめんなさいぃ……もっと、もっと早く呼べば良かった、ゆきまんじゅう……ゆきまんじゅう…」
《……泣かないでくれって、ここまで泣かしたのが俺だという事実にすごく凹む》
安心からか涙が止まってくれない。私の涙で濡れる彼に、ごめんなさいと謝罪の言葉しか言えなかった。
《ほら、契約だ。俺を呼んだろ?君は俺を選び、俺は君を選んだんだ》
「うん、うん……!」
《俺の名は “アルドラ” 。教えた契約呪文は覚えてる?》
力強く頷いた。ずっと言いたかったのだ。
あなたの側に私がいてもいい、そんな契約の呪文。
「リトナ・シャルエン。守護契約を望む、名は、“ アルドラ ”!』
腕の中から、冷たいが寒さを感じない魔力が、私に纏うように広がっていく。
冷たさが身体に染み入るような余韻を残し、何か繋がったような感覚がした。
これが契約、ということだろうか。
《はい、契約完了。守護の方だから、君は俺が生きてるかどうかわかるし、俺は君がどこにいるかがわかる》
アルドラ。彼の名前。
口にするのも勿体無く感じてしまう。宝物を得たような高揚感に、やっと涙が止まってくれた。
「……私、私本当に、あなたと契約したのね……」
《……嫌だった?》
「いいえ、嬉しい……嬉しいに決まっているじゃない!ずっと焦がれてきたの、これで私、あなたの側にいてもいいのね!?」
《君が嬉しいのなら、俺も嬉しい。俺も君の契約妖霊の座を勝ちとった事だし、その……事前に言わなかった俺が悪かったんだけど、》
ゆきまんじゅうこと、アルドラが、ふるふると震えだした。言いにくそうに、申し訳なさそうに、
《君が選んだ妖霊は大当たりだぞって、嬉しい方の驚きを期待して、黙ってたことがあった》
「私にとって、ゆきまんじゅうは何者であっても大当たりだけど……」
《うっ……そう、思ったけどさ、……俺の顔を見て怯え泣くぐらい、君が俺の顔、俺の人の姿が苦手だとは思わなくて》
まさか、と石のように固まる私から、ぽとりぺたんと落ちた白い彼は、ふわりと消えた。
かわりに人影が現れた。屈み、己の目元は手で隠した男の口が、アルドラと同じ声で言う。
「俺、上級妖霊なんだ」
人の言葉だ。
ならば、ならば、と考える。私は、あなたに、
「君が怖がるなら、この人の殻は使わな――結構元気なタックル!」
「ごめんなさい、私、私……!」
アルドラの胸に飛び込む。
人の形だ、全くもちもちでもない。けれど、あなたであることは間違いない。
私はあなたを前にして怯えてしまった。私の手を掴んだあの時、震えていたのは、あなたも同じだった。
「声は同じだし、気付くかなって思ったんだ」
「ごめんなさい……」
「君に嫌われたかと思って怖かった」
「……ごめんなさい。私は、あなたが何であっても、嫌うことなんてない……」
「君の名を、人と同じように“ リトナ ”って呼ぶの、楽しみにしてたんだ。俺は俺のまま、君の名を呼んでもいい?」
「うん、もちろんよ、アルドラ!」
手がゆっくりと下げられ、隠していたアルドラの目が私を見る。
記憶にある顔で、記憶に無い、優しげな目をしていた。その目に映る親愛を見た。柔らかいその笑みにつられて、私も笑、
「じゃあリトナ。呼ぶのが遅れた理由を聞こうか」
アルドラは、顔は優しいが口調はしっかり詰めにきていた。私が悪いので、これより申し開きの時間となる。
「………それは、その……」
「それにこの場所は何だ。暗いし陰気だ。嫌な雰囲気だ、こんな危険そうな場所に一人で行くんじゃない」
「私は、私は浅はかです……」
「君が浅はか?それはどういう、…………、」
アルドラは何かを感じたように部屋の外に視線を向けた。
「リトナ、優先事項が一番高そうな、俺に言ってないこと、あるよね?」
「あるわ。助けてほしいの、捕まっている妖霊を見つけて、」
「……もう死んだと思っていたんだけどな、」
苦笑するアルドラに立たせてもらい、私はここまでの道中を、記憶の件は伏せつつ話した。
話を聞いたアルドラは――、
《驚きました、予想外の味方を連れてきましたね、浅はかな娘》
檻のある部屋。格子の向こうにいた妖霊は、言葉通り、アルドラを見て驚いたようだった。
アルドラは眉間にシワを寄せ、「この隙間から中に……」と呟くように言い、
「この件は擁護できないからな、君は浅はか。百回だって言いたい、俺を先に呼んでくれ案件だった」
「しかりと受け入れます。私は浅はかな娘、心から反省しているわ」
私は運が良かっただけ。反省を胸に、聞くのは拘束された妖霊について。
「それでその……助けてくれる?私の力では、全力で引っ張っても、きっと叩いても、壊すことが出来ないから」
「引っ張っていたのか」
《いけるか?とでも思ったのか、軽く叩くまではしていました》
「浅はかだったの!反省をしてるの!!」
アルドラが妖霊の拘束具を指差し、妖霊も頷く。
私は顔が赤くなるのを感じながら、これも浅はかへの罰よと耐えた。
「とりあえず、いつ人が来るかもわからない。さっさと出すか、」
そう言い、アルドラは格子に触れた。
瞬き一瞬で凍りつき――それは格子にとどまらず、妖霊がいる小部屋そのものが氷結する。壁から繋がる、妖霊の拘束具さえも。
「これで出られるか?」
《無理です。もっと優しく助けてください、アルドラ様。私はこれでも消滅寸前ですよ》
「お前は相変わらず、涼しい顔で死にかけてるよな」
その会話で、古い知り合いだとわかる。
この妖霊こそ、間違いない、アルドラの消息をたった知り合い――同じ氷の妖霊だ。
アルドラがぱちんと指を鳴らすのと同時に、格子も拘束具も砕け落ちた。
拘束から解放された妖霊の身体が倒れそうになり、駆け寄ろうとした目の前で消える。
「!?」
「大丈夫、生きてるよ」
消えたことに驚いた私に、あれだ、とアルドラは指差した。
凍りついた地面の上に、小さな氷の結晶があった。
そっと部屋に入り、のぞきこむように結晶を見る。摘まめそうな程小さいそれを、そっと持ち上げた。
アルドラがゆきまんじゅうの姿を持つように、きっとこの結晶が妖霊のもう一つの姿なのだろう。
《あなたは私ではなく、そこの、布の切れ端をしっかり持ち帰って下さい。侵入者であるならば、そこにいた痕跡を残さないことは、基本中の基本です》
「あっ……そうだ、破れた音はしたのに、」
全て凍りついた中にある、なんの変哲もない布の切れ端。
しかしこれは、私がここに侵入した時に破れ落としたもので――そうだ、この檻に誰か来たはず。
切れ端一欠片。どう見ても、こんな切れ端を落とすような衣服の者が来る場所ではない。これこそ侵入者の証明、他ならない。
「私は本当に、もう……!ごめんなさい、人がここに来たでしょう、隠してくれたのね」
《はい。それを隠すのに私は苦労したので、助けを呼びにいったあなたへの借りは無かったことになります》
「何か握ってると思ったら……助かった。ありがとな」
《アルドラ様のためではありません。私と浅はかな娘との正当な取引です》
「……はいはい。……リトナ。そいつを持っていてくれるか。×××××、お前が自力で壊して逃げたことに痕跡を細工する。いいな」
《はい》
「わかったわ。出来るだけ優しくもつから、安心してね」
切れ端を回収し、結晶も手のひらにある。
アルドラは私の知らない魔法を使って、自分がここにいた痕跡を消しているようだった。
《私、“ リューレ ”といいます》
突然、妖霊が名乗った。
驚いてしまった、妖霊の名は大事なもの。それをさらりと言うから、反射的に名乗り返してしまった。
「私は、リトナ・シャルエンと《知っています、アルドラ様があなたの名を口にしたので》……はい……」
「リューレ、彼女が俺の大事な契約者だってこと、忘れるなよ」
アルドラがそう言うから、照れが顔に出てしまいそうになり、ぐっと我慢する。
《そうは言っても、アルドラ様の大事な契約者はしかめっ面ですか?》
「照れてるだけだ、可愛いだろ」
「やめて!照れてなんかないわ!」
ケラケラとアルドラが笑う。悔しい。
《浅はかな娘、あなたは浅はかですが、あのアルドラ様を選んだ素晴らしい感性がある。その感性を評価して、名を教えました。別に忘れても良いですよ》
「忘れないわ、絶対。それに、ふふ、ありがとう。そうよね、アルドラは最高なの」
《ならば、その浅はかさゆえに早世することないよう、肝に命じてください》
「……はい……」
「俺がいるのに早世はあり得ないっての」
《おや、アルドラ様。会わないうちに認知能力に異常でも?さっき浅はか娘の浅はかムーブについて話したばかりではないですか》
「うっ、」
「見てなさい、この浅はかな私を必ず払拭して、あなたに慎重すぎる娘と言われるようにするわ」
《……それは良いですね。楽しみにしています》
初めて、結晶の彼、リューレが笑った気がした。それが嬉しくて、少しだけ頬がゆるんでしまう。
痕跡を書き換えたらしいアルドラが言うので、リューレを手渡した。
無造作に胸にしまわれてしまったことで、《手のひらの方が良かった》と苦情が出たことには、私もくすりと、我慢出来ずに笑ってしまったのだった。




