01.悪役の私が幸せになるには
長編版です。よろしくお願いします。
それは、春の頃。
七歳の誕生日を迎える前日、母が死んだ。
泣き叫び、ほとんど失神するように倒れた私が意識を取り戻したのは、七歳になって一週間が過ぎた頃。
母は墓石の下にいて、私は夢で視た未来に悩まされる事になった。
リトナ・シャルエン。
シャルエン公爵家の、才無し長女。
才能を重んじる公爵家が彼女を捨て置かなかったのは、彼女の姿が『嫉妬深い王妃さえいなければ、彼女は王の物もなっていた』そう言われていた、母の生き写しだったからだ。
才の無い彼女は、整った外見により廃嫡こそされなかったが、けっして、愛されなかった。
愛されていないのに、彼女は家族に愛されていると信じていた。
そう信じるしかなかったんだと、私は思う。
幼く弱い少女が、才無きゆえに家族から愛されていないだなんて、例えありふれた話でも、酷であることに変わりはない。
リトナ・シャルエン。
バカな女、バカな私。
愛されていないと知るのが怖くて、愛されていると証明させるように、傍若無人に振る舞っていた。
その行為は、到底、許されるものではない。
彼女は、私は、若くしての最期がお似合いな、許されてはいけない、そんな非道な所業をいくつもしていた。
苛立ちは使用人へと向けた。
妾の子だからと弟を虐めた。
契約してくれた守護妖霊を、奴隷のように扱った。
学園生活も酷いものだった。
学園の高等部にあがった、美しく成長した彼女は、自分の美貌と家の権力を存分に使っていた。
幼子のような癇癪を発端にすることもあれば、気にしていた魔法の才に関しての嫉妬で、他生徒を追い詰めたこともあった。
在学の間、学園の雰囲気は最悪なものだった。
――目立たず、静かに、絶対に目をつけられないように。
リトナ・シャルエンに認知された時、道は二つ。
媚を売り、平伏し、彼女の怒りや嫉妬を買わないこと。
または、五体と家族が無事なうちに、退学し逃げること。
そんな、学園生活を酷いものにしていた、いわゆる悪役であった彼女は、ついに一人の女子生徒に敗北する。
高等部に編入してきた少女は、まるで、物語の主人公のようだった。
庶子の出でありながら、全てが特別な娘だった。
可愛らしい外見と、凛とした立ち振舞い、表情。
正義感の強さと慈愛の心が、その言動に現れていた。
感情の機微にも敏く、他人に寄り添った。
魔法の才も相当なものだった。
膨大な魔力もち、――数少ない、光の属性を持った妖霊の幼体に気に入られるほどだった。
彼女がほしかった魔法の才、彼女がほしかった純粋な称賛。友愛、親愛、全てが少女と共にあった。
顔と身体だけだと――実の家族にすら言われていると、ついに知ってしまった彼女が嫉妬に狂うには、十分すぎるほどの存在だった。
苛めた、虐めた。
表から裏から、顔と身体と家の権力全てを使い、少女を陥れようとした。
命すら、奪おうともした。
しかし、少女には幸運と才能がついてまわった。
悪辣だった学園の環境は、少女の行動により好転していった。
彼女の取り巻きはいなくなった。少女の庇護下にいた。
この顔を気に入っていた、王家に連なる婚約者すら、少女の側にいた。
気付けば家族さえ、少女の味方となっていた。
当たり前の話だ、十の頃から一緒にいた守護妖霊でさえ、彼女を置いて少女の側にいた。
リトナ・シャルエンの側には、もう誰もいなかった。
唯一誇れた美しい姿に、もう誰も靡いてはくれなかった。
これまでの罪が、外見だけの華奢な背にのし掛かる。
彼女がこれまでしてきたように、彼女は――リトナは、学園からも、家からも、国からも追い出された。
そして。
他国の貴族の家に、愛玩動物として引き取られた。
そして、そして。
人として扱われず、綺麗な人形として、その姿は劣化する前にと、中身をくりぬかれ。
最期の記憶は、そう、飾られていた部屋ごと燃えて、終わり。
これは私のことだ。彼女、リトナが未来の私だ。
夢であるはずなのに、これが未来だと確信が持てた。
自分が破滅の道へ進んでいることを理解してしまった。
私の周りには誰もいない。
今だったそうだ。私の側には誰もいてくれない。
今だって、この先も、選択を誤れば私は人として死ねないのだろう。
七歳。母が死んだことで、愛情を得られなくなった私は、我儘な娘となる。
だめだ、そんなことは。
癇癪も我儘も、本当に欲しいものを手にいれる方法ではない。むしろ遠ざかってしまう。
未来を変えるのだ。まだ間に合うはずだ。
七歳、まだ七歳だ。
きっと、きっと大丈夫。
絶望しないで、怖がらないで、震える自分に、私自身をなだめるように言い聞かせる。
未来を変えるの、リトナ・シャルエン。
恐ろしく、そして無様な悪役にはならない。なってはいけない。
今は求めるものが違う。家族の愛情が得られないことはもう知っている。
この世界は広い。家族だけの世界ではない。
いつか必ず、私にも、私の側にいてもいいと言ってくれる誰かが現れる。絶対に現れる。だから――
×××××
リトナ・シャルエン。八歳。秋。
私が考える分岐点まで、あと、一年と少し。
シャルエン公爵家、別邸。
高い柵に囲われたこの屋敷は、まるで檻のようだ。
実際、屋敷を囲む柵は魔力を帯びていて、正門以外の出入りを強固に封じているらしい。
幼子を守るための安全な揺りかご、箱入り娘の小さな箱庭。
――なんて、才無きために何も知らなかった私は、そう好意的に解釈しただろう。
残念ながら、未来の記憶を持ってしまった以上、その解釈は難しい。
だからといって、外に出ようとも思わないが。
このような小さな身一つ、外に出て何が出来るというのか。
まだ早い。私にはこの世界を生きる知識がない。
例えば、そう。もうすぐ冬だ。雪が降るだろう。
雪降る外は寒い、夜は酷く冷えるだろう。
そんな中一人放り出されたとして、寒さを凌ぐにはどうすればいいのか。
「……魔法以外で暖かい火をおこす方法はあるのかしら」
《……魔法、以外で?》
私の問いは、怪訝そうに聞き返された。
人の言葉ではない。聞き慣れた声だ。
私が座るベンチのすぐ側の、茂みに隠れるように存在する彼は、困ったように唸っている。
《生身で道具も無し、ってことなら思い付かないな。道具ありきでならいくつかあるだろうが、……例えば、日の光を使う》
「日の光?」
《ほら、日の光は暖かいだろ?その暖かさが一点に集中すると、そこは火が生まれるほどの熱さになる。――みたいな感じ》
「どうやって日の光を一点に集めるの?」
《……それはだな、》
茂みが揺れた。
ころりと転がり出てくるのは、楕円の球体だ。
表面は滑らかで色は純白。
手触りはさらさらのもちもちで、弾力がある。
その球体こそが、私の話し相手の、人ならざる者。妖霊だ。
ふわりと一瞬、感じた風は真冬のように冷たかった。
現れたのは氷。透き通った、透明度の高い氷の塊が浮いている。
日の光を反射し煌めくそれは、何かを調整するように動き、
《危ないから、見てるだけだぞ》
足下の地面に、氷を通した光が一点に収束していく。
強い光の一点から、薄く煙が立ち上るのを見た。
《ここに火口、燃えやすい何かがあれば火は発生する。が、》
また冷気が通り抜ける。
氷も煙も一瞬でかき消え、彼はぺたんと跳ねた。私の側へと着地し、続ける。
《第一に、道具を使って発生させた火は、魔法によるものでない以上、魔法として操ることは出来ない。火は外部要因で簡単に強く大きく、早く広がる。何が言いたいかわかるか?》
「ええ。危ない、ということ。取り扱いには注意。……でも、不思議、どうして氷を通すことで光が収束するのかしら」
その通り、火は危険だ。そう彼は頷き、次いで、私の疑問に答えようと考えているようだった。
《ん~どうして、か。すまない、説明できない。俺も、ただそうなると知っているだけで、原理はわからないんだ。元々これも、光属性が使う魔法の、補助としての知識だから》
「確かに、今見せてくれたものを考えると、狙いを定めることに使えそう」
《……物騒な話になってきたな、やめやめ。……そもそも、第二に、だ。君は魔力が無いわけではない。勉強している魔法構築学の理解を深めれば、道具なくとも小さな火を発生させることは出来る》
「でも私には、火が燃え続けるよう維持する魔力は――、あ、」
違う。だめよ私。
またそうやって、世界は魔法だけで回っていると考える。
「いいえ、いいえ!私は、取り扱い注意と自分で言った。必要なのは、火を取り扱う知識。火口、だったかしら、燃えやすい何かしらの知識もそう、外部要因を知れば、私にも!」
《そうそう、世界は魔法だけじゃない。こうあるようにと定められた因果もまた、存在する。支えの無い熟れた木の実が地に向かって落ちるように、燃え続ける理由を魔力以外に作れば良い》
「私には知らないことばかり、足りないものだらけね……きっと、外にはさらに、知るべきことがある」
《……出会った時からそうだった。君のその、切羽詰まったような知識欲の根元は何なんだ?何でも知りたがるような子どものそれとは、違うように思える》
彼の問いに、私は曖昧に笑う。
未来を知っているだなんて、到底信じられる話ではない。虚言を疑われ離れていかれるかもしれない。それは、嫌だ。
私は、小さな、人ではない友達を失いたくない。
――彼は、友達だとは思ってないかもしれないけれど。
《……八歳のお子さまにする質問ではないか》
「そうね、難しくて、どう答えればいいかわからないわ」
《よく言う。……まぁ、俺が知るべきことでないと君が選ぶなら、それでいいさ》
言葉ではそう伝えているが、彼がぺたん、ぺたんと跳ねる様は不満げだった。
その動きを、可愛らしいなと思ってしまう。
彼は知らないだろう。
こうして話してくれるこの時間が、私の精神の支えになっていることを。
記憶を持ってしまったから、気付かなかったことも気付き、知り得てしまう今。
すり減る心を癒したのは、記憶にない彼との出会いだった。
《俺が望んだのは、話し相手。それが俺と君との契約。内容の取り決めはないから、不満はない》
魔法を操る、意思をもつ魔力そのもの。それが、妖霊という存在だ。
人と契約し、人の保有する魔力を対価に力をふるう。
人の保有する魔力は、妖霊の糧となり、成長に繋がるそうだ。
彼の言う契約は、ただの口約束だ。
そもそも私が彼に与えられる魔力なんて微々たるもの。
それこそ、神聖な森の木々、その一本、枝葉一枚より少ないだろう。
提示した契約で良かったと思う反面、申し訳なくも思う。
彼の存在がこんなにも、私を癒し、明日への糧になっているというのに、私は彼に何も与えられていない。
暇潰しの話し相手とはいうが、あまりにも釣り合いが取れていないように思える。
《お嬢様。また、そんな、困ったような泣きそうな顔して》
「していないわ、そんな顔」
慌てて顔を整える。私はそんな顔をしていない。
我が儘は言わない、他人を困らせない、そんな人間でいるのだ。
《指摘からの切り替えが早すぎるんだよなぁ》
呆れたように彼は笑う。――彼だけは、呆れに侮蔑を感じさせない。
呆れさせているのに、その感情を向けられていることが、心地好いと感じてしまう。
《――俺は自然発生の魔力を吸収し、充分、生存サイクルを回せる。この屋敷の柵の隙間を通り抜けるような小さい存在だぞ、魔力なんて必要としないさ。ほら、触るか?この素敵フォルムを》
「ええ!ええ!!!触りたい!触れたい!あなたに!!!」
《食い気味~》
時々、彼はこうして触れることを許してくれる。
許可をしてくれたため、私は掬い上げるように、彼の体下へと両手を滑り込ませた。
相変わらず、なんて滑らかな表面なのだろう!
持ち上げるために指先に力がこめる。
ああ、握ったつもりはないのに浅く沈むこのもちもちとした弾力のなんと素晴らしきことか!
膝の上に彼を乗せれば、その感触に膝が喜んでいるのがわかる。
両手も大喜びだ。もちもち、さらさら。そして、少しだけ冷たい。
これはきっと、彼が氷の妖霊だからだろう。
見た目も雪のように白い。私は彼のことを、ゆきまんじゅうと呼んでいた。
「ゆきまんじゅう……今日もあなたはさらさらもちもちで……素晴らしいわ……世界一の手触りに間違いない……あなたが優勝、世界一よ……」
《お褒めに預り光栄の極み》
けらけらと彼は笑う。
目も鼻も口もない。顔がないから表情がない。
跳ねると転がるしかないその行動。
しかし彼の声は、感情に溢れていた。
今となっては、跳ねる転がるですら、私にはその意を汲むことができる、気がする。
ゆきまんじゅう。私、あなたのことが好き。
でも、いつだって怖くもあるの。
あなたがいつ、この屋敷の庭を訪れなくなるか。
――訪れないだけなら、寂しいけど、まだいいの。
屋敷の者にあなたの存在がばれて、あなたが殺されでもしたら、そう考えると、恐ろしくて。
危ないから、もうこの屋敷に来ない方がいい。
そう言えないから、私はやはり、悪女のリトナ・シャルエンなのだ。