事務屋と鬼殺し③
顔どころか耳までを真っ赤にする鬼殺しとは対照的に、チタルナル監督官の口角は楽しげに持ち上がっている。冷静になったのだろう。
これで、まず一人。
「竜と対峙したときに、最も気を付けること。それは、逃げられることです」
二人とも、きょとんとした顔で聴いている。
「竜は、非常に好戦的で負けず嫌いで、賢いです。攻撃を受ければ必ず反撃をしてきますし、自身の命の危機となれば逃げだす狡猾さも持っています。そして、人間と戦い負傷すると、人間を敵として認識します。その後に人間を見て逃げるならいいのですが、目にするたびに攻撃を加えるようになったとしたら? その対象が村や町になったら? 想像してみてください。突如トナリ市の上空に現れた竜が、火を吹き建物を破壊し、討伐する間もなく飛び去って行く様子を。そして、それが何度も繰り返されるのです」
「確かに、それは最も避けたい事態の一つだ」
チタルナル監督官の言葉に、鬼殺しも黙って頷く。
「竜の巨体は、城壁すら破壊します。吐き出す火炎は、ただの火ではありません。不可思議な力が宿っており、対象が燃え尽きるまで、消えることはありません。木材だけではなく、レンガや石材であっても焼き尽くされるのです。都市に籠っていれば安心というわけにはいかないでしょう」
「被害が出ないように都市外で、速やかに、かつ確実に倒す。それが必要だということだな」
「ええ。一人で挑めば、敗北するか逃げられるかのどちらかでしょう。確実に倒すには、特別な装備を調え、よく訓練した軍を用いる必要があるのです。そして、軍を用意するには、議会の議決を得る必要があると言うことです。お分かりになりましたか? チタルナル監督官、そしてジョセフィーヌ・クイン護民官」
私を見つめる鬼殺しの目が、力を帯びている気がする。恐らく先程までは、私の事務屋然とした雰囲気から、侮りや軽視の感情を抱いていたのだろう。
市民皆兵のロムレス王国にあっては、肉体的な頑強さが高く評価される一方で、軟弱さを侮蔑するきらいがある。戦士としての能力が、その人物の評価へと繋がりやすいのだ。
だが私の話が進むにつれ、彼女の中で私に対する評価が変わったのかもしれない。
「……ですけれど、足手まといが多くいる状況より、優れた戦士が単騎で挑んだ方が良いのでは……」
「無理ですよ。そもそも、一人で竜を倒すことなど、不可能です。その証拠をお見せしましょう」
私は、懐から竜鱗を取り出した。かつて討伐された竜の鱗だ。
鳥の羽に似た形だが、大人の頭より大きく、ガラスの様に光が透過している。
「竜鱗です。クインさん、これを剣で斬ることが出来ますか?」
「もちろんですわ」
言うが早いか長剣を肩の位置に構え、私が掲げる竜鱗へ振り抜いた。水平に振られた雷のような剣閃は、今までに見たことのない速さと鋭さで、竜鱗の半ばまでを切り裂いた。
「両断できなかった? 大鬼の首だって易々と落としたのに?」
鬼殺しが心底心外な顔をしているが、私も驚いている。
竜鱗の頑丈さは、人知を超えている。火であぶろうとノコギリを使おうと、傷一つ付かない。はっきり言って、全く刃が通らないと思っていた。ここまで切り裂くとなると、私が今までに出会った剣士の中でも、最も腕が良いかもしれない。
驚きを悟られぬよう、なるべく平静を装い無表情に務めた。
「分かっていただけますか? このような鱗を無数に持つ竜が、火を吹き、空を飛ぶ。これを逃さずに一人で倒すなど、不可能です」
「お話の向きは承知いたしました。体中をこの鱗で覆われているなら、一刀両断は無理。となると何度も斬りつける必要があるのですけれど、逃げられないようにする工夫がいるという事ですわね。ですけれど……」
鬼殺しが唇の端を持ち上げて笑う。
「万全を期すなら、確実に竜を倒せる人物……例えば幻獣殺しの英雄、ジムクロウ将軍閣下のような方に助力を請うべきじゃなくて? あのお方の下であれば、私は喜んで剣を振るいますけれど」
「……クインさんは、ジムクロウをご存知なのですか?」
「もちろんですわ。あの方の名は王国中に轟いておりますもの。既に伝説の大王や神話の勇者と同等であると認められているといっても過言ではありませんわ。配下にも、城壁マルクスや岩砕きのファルクス、神弓のピラリスなど、王国に名を馳せる達人ばかり。一度でいいからお会いしてみたいものですわ」
鬼殺しが目を輝かせて、早口で語っている。ジムクロウとは、そんなに大した人物では無いと思うのだが。
「まあ、私もジムクロウにそうそう劣るものではないですよ」
「あらあら、随分と大きな口を叩くものですわね」
「ですが、事実です。もしあなたが真に人々の安全を願い、脅威を取り除こうと身を砕くつもりであるのならば、一緒に竜を退治しませんか?」
「……シム・ローク徴税官殿。あなたの言葉には聞くべきところがあるかもしれない。けれど、あなたと共に行動するには、障害がありそうに思えますわ。たとえば、私を害そうとする貴族連中とかが、何かしらちょっかいをかけてくるのじゃなくて?」
鬼殺しが、ちらりと監督官を見る。チタルナル監督官も、考え込むような顔だ。恐らく、思い当たるところがあるのだろう。
彼が止めたとしても、鬼殺しへの悪意や害意は簡単には消えないのだろう。
正直に言えば、そういった万難を排しても、彼女を味方につけたいところだ。だが、訪れたばかりのトナリ市という場所で、シム・ローク徴税官という小身に過ぎない今の私には、それは難しい。
嘘の言葉を並べてでも彼女の信頼を得るべきなのだろうが、そもそも私は舌が回る方ではない。
だから、正直に正面からぶつかるしかない。
鬼殺しの目を見つめて、真っ直ぐに言葉を投げた。
「私はあなたの味方です、クインさん。例えばベルチ執政官やチタルナル監督官と対立することになったときは、あなたに正義がある限り、必ずあなたの味方になります。何の義務も利益も無く、不名誉に命を落とすかもしれないというのに、人々のために単身で竜へ挑もうとしていたあなたの誠実さと真摯さは、信じるに足ります」
今度こそ、彼女はきょとんとした顔でこちらを見ている。
こうしてみると、彼女は不機嫌で目つきが悪いのではなく、単にこういう顔つきのようだ。もしかすると彼女は、表情ほど不機嫌ではないのかもしれない。
ならば、もう一押しだ。
「竜鱗にここまで傷をつけるほどの剣士を、私は知りません。私は、あなたと共に竜と戦いたい。あなたとならば、竜を倒せると確信しています」
「……けど……」
「もしクインさんが私に不安を覚えるのであれば、こうしましょう。クインさんが竜退治の権限を持つ官職……竜征官に任命されるよう執政官に働きかけましょう。私が補佐をします。竜を退治するための備えを完璧に整えて見せましょう」
「……そこまでして、私を懐柔したいの?」
「もちろん。私には、あなたが必要です。もし私の働きに不満があるのならば、私と組んだのでは竜を倒せないと考えたのであれば、罷免し追放してください。如何でしょうか?」
「……わかりましたわ」
私の必死の畳み掛けに、しばらく考え込んだ後、鬼殺しは首を縦に振った。
「ありがとうございます」
このお礼は、何の衒いも無い私の衷心からの言葉だ。
だが茶化す男がいた。
「さすがによく学問芸術を修めている。弁論術は達人の域だ」
チタルナル監督官が、何故か得意気に言う。
「私の心からの言葉ですよ」
だがチタルナル監督官の言葉に、鬼殺しが大きく反応した。
「神技? シム・ローク、あなたも神技を使うんですの? そうなると話は変わってきますわね。共に戦うのであれば、戦士としての力量を知っておく必要があるというもの。手合わせを願いますわ」
鬼殺しの目が怪しく光る。
強い者を見ると力比べをせずにはいられない戦士は多いが、彼女もその性分らしい。
「いえ、学問芸術は、要は学問の総称であり、幻獣を倒した際に得られることがある超常的な能力である神技とは違い……」
「問答無用。さあ、いきますわよ」
鞘に納めたままの剣が、目にもとまらぬ速度で動いた。
そして、胸に衝撃を感じた時には、私の体は宙を舞っていた。そのまま枯れ木の様に地面を転がって、ぼろきれの様にうずくまって動けなくなった。
「え? こ、こんなに弱いなんて……えぇ? あの、大丈夫かしら?」
鬼殺しの弱気な声は、新鮮だな。それにしても、彼女は意外と粗忽者だったのか。
そんな感想を胸に、私は意識を手放した。