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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
1章 事務屋の竜退治
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事務屋と鬼殺し②

 魔法使いや弓兵ならともかく、剣士となると圧倒的に男性が多い。これは単純に腕力が理由だ。大鬼オーガ退治を成し遂げるほどの凄腕ならば、尚更だ。


 しかし鬼殺しことジョセフィーヌ・クインは、かなりの重量がありそうな長剣を、体勢を崩すでもなく、易々と持ち上げている。極めて優れた戦士だと、一目で分かる。


 長身だが瘦せ型で、とても大剣を軽々操れるとは思えないので、神技アーツを身に付けているのだろう。幻獣を倒した際に得られることがある超常的な能力である神技アーツの使い手など、私の知り合いにも数人しかいない。


「どうしました、天下の監督官殿? 目の前まで駆けてこられると、埃っぽくて不快なのですけれども? それとも、その程度も気づけないほどにアンポンタンなのですの?」


 貴族が儀礼の場で使うような飾った言葉遣いに近いが、何とも言えない気軽さも混ざった不思議な口調だ。護民官は平民であるはずだが、平民の砕けた言葉とも違う、けったいな言葉遣いだ。


 鬼殺しは険のある視線を向けてくるが、チタルナル監督官は全く物怖じせずに馬を降り、その前に立った。


「護民官の無法を糾弾しに来たのだ。が、まずは紹介だ。私の友人で、トナリ市の徴税官の一人であるシム・ロークだ」

 彼の後ろに立ち、軽く頭を下げた。

「シム・ロークと申します。よろしくお願いします」


「初めまして。私は、ジョセフィーヌ・クインと申しますわ。最近は、鬼殺しのジョーという呼び方が、流行っているようですけれど」


 太々しく微笑みながら名乗った彼女は、闘志と活力の籠った視線でこちらを見ている。

 よく見ると、指には黄金の指輪が嵌っている。耳飾りと首飾りも黄金を使っている。平民とはいえ、きっと裕福な家なのだろう。大きな商家なのかもしれない。


「それで……頭でっかちの監督官殿が、徴税官ごときの小役人を連れて、一体全体、何の用かしら?」


 強い口調で、率直な悪態を放り込んでくる。こういった取り繕うことの無い放言は、貴族のやり取りでは少ない。口調でどう取り繕おうと、この振る舞いは確かに平民だ。


「布告されているはずだ。執政官あるいは貴族議会の許可なくこの丘に近づかないようにと。貴様は、なぜここにいる?」

「決まっていますわ。あれを見ておりました」


 彼女が見つめるのは、東だ。


 丘からは、東に向かって幅3パスス(約4.5メートル)程度の街道が延びている。

 沿道には休憩用の建物や農作業用の小屋などがちらほらとあり、さらに外れると草原になる。そして、草原のあちこちに農場や果樹園、牛の牧場などが点在している。


 そんな牧場の一つが焼け落ちている。既に火は消えており煙も上がっていないが、牛舎や管理人小屋だったであろう建物の痕跡がある。

 全て真っ黒に燃え尽きている。石材すらも真っ黒に焦げて崩れている。


「かなり被害が出ていますね」

「ああ、死者もいる。既に周囲の人間は逃げ出しているが、農場に残された牛やヤギを狙って、時折竜が飛来するのだ」


 これを聞いて、鬼殺しはにやりと笑った。


「時折飛来する……ですの? 随分とのんきですのね?」


 まるで鬼殺しの言葉が合図になったかのように、雷鳴の如き鳴き声と爆風のような風音が聞こえてきた。急いではるか先の農場跡地を見ると、巨大な竜が視界に飛び込んできた。


 瓦礫や木立の向こう側から、竜が飛び立ったのだ。

 象三頭分ほどはありそうな巨躯を、巨大な翼で持ち上げると、大空に舞い上がった。

 赤く煌めく竜鱗が、溢れんばかりの生命力を感じさせる。瞬く間に遠ざかり、遠方の山の中腹に消えた。


「あれが……竜か!」


 チタルナル監督官の頬を汗が伝っている。その緊張は、手に取るように分かる。

 私も驚いた。


 大きい。

 それが最初の感想だ。想定よりもずっと大きな巨竜だった。


「遠くの農場の牛や豚は、食べ尽くしたようですわね。竜は、今やあそこまで来ておりますの。一刻も早く倒す必要がありますわね」


 鬼殺しの言葉に気合を入れ直したのか、チタルナル監督官は自慢気に私の肩を叩いた。


「貴様が心配することではない。直ぐに以前の生活が戻る。彼が竜を倒すからな」

 ここではじめてジョセフィーヌ・クインが表情を崩した。見開いた目に、呆けたように開いた口は、間抜けながらも愛嬌がある。


「あら、子どもじゃないの。何を馬鹿なこと言ってるんですの?」

「いえ、これでも成人しているんですよ」


 そう言って私は、懐から短剣を取り出した。


 ロムレス王国では、成人はみな剣を携帯する。剣を持たなければ子どもとして扱われ、権利は持たないが保護される。

 剣を持つ成人となると、市民名簿に記載され、戦時には兵士となるし、議会で投票もする。事理弁識能力を持つ一個の人間として扱われるのだ。


「いずれにしても、竜を倒せる戦士には見えないのですけれど? ロークなんて家名も聞いたことがありませんし。賄賂か利権か、いつもどおり貴族の悪だくみか何かかしら?」

「実力を持つ者に対して、適切な権限を適法な手段で付与するものだ。貴様のような無法な行為とは違う。適切な法、適切な権限をもつ官職、適切な予算、それらが竜を打ち倒すのだ」


 どうやらチタルナル監督官は、すっかり私の考えに染まってくれているようだ。だが、鬼殺しのジョーは冷笑で返した。


「そんなものが何の役に立つと仰いますの? どうやって、この剣を竜の心臓に突き立てるか。私は、それしか考えておりません。それ以外のことなど無駄、無用ですわ。大鬼オーガが現れた時もそうでした。目の前に脅威があり、いつ街に危害が及ぶとも分からない。そんなときに槍弓を手にすることなく議論しているような間抜けに、何も期待することはありません。そんな頭でっかちは、ずっと机にかじりついていらっしゃれば良いのですわ」


「これだから視野の狭い平民は……。結果として大鬼オーガを退治できただろうが、詰まるところ、何の権限も合意も無いままに、馬鹿が一人で暴走したにすぎない。法を犯した者が、結果を出しただけで免罪されているようでは、ロムレス王国にもトナリ市にも益は無い」


「馬鹿はそちらでしょう?! そもそも、女や子供を避難させる決定をしていましたが、女性である執政官が逃げ出すための口実作りでしょう? それに、危うく私までトナリ市から退去させられるところでしたわ。もしそうなっていれば、大鬼オーガ退治に多大な犠牲が生じていたことなんて、子どもでも分かることでしょう?」


「自惚れるな。貴様がいなくても、きっとトナリ市は大鬼オーガを撃退していた。適切な方策が上程され、議会の議決を経た上でな」


「全く馬鹿馬鹿しいですわね。そうなる前に街に多大な損害が生じていたかもしれないでしょう? あの場で求められていたのは、迅速かつ効果的な対応策……武力による大鬼オーガの排除。そして、それは今回も同じこと。如何に早く竜の心臓にこの剣を突き立てるか。それだけですわ」


 鬼殺しは、火が付いたように言葉を続ける。


「そもそも監督官も執政官も、信用に値しない人物だと断言できますわ。私は、大鬼オーガを討伐した時、議会の要請を受けて城壁の防衛に当たっておりました。その際に、大鬼オーガが都市に接近する素振りがあったので、その場にいた貴族議会の目付にも了解を得たうえで、軍勢を揃えるまでのけん制として城壁外へ出たのです。城壁からの弓や投げ槍の援護もあって無事に大鬼オーガの討滅を終えた時には、その場にいた人たちから称賛されたものでしたわ」


 長剣の鞘を半ばでつかんで、剣先を地面へと叩きつけた。話すうちに怒りが募ったのだろう。


「ところが! 一夜明ければ命令違反で訴追され、犯罪者扱い。要は、貴族議会が役割を果たせずにいたところ、平民が一人で解決したのが気に入らないだけでしょう? 貴族議会は私を拘束しようとするし、挙句の果てには公然と襲い掛かってくる者までいる始末。私の身を案じた平民議会が、私を護民官に任じてくれたから今は落ち着いているものの……正直なところ、トナリ市の貴族議会にも執政官にも、勿論監督官にも、不信感と怒りしかありませんわ」


 なるほど、鬼殺しの怒りももっともだ。彼女としては、火急の事態に、都市を思って身を挺した行動を取り、結果として脅威を排除できた。

 ところが、何の役割も果たさなかった貴族議会が、後になって難癖をつけてきたのだ。

 怒りたくもなるだろう。彼女の心境は、よく分かる。


 とはいえ、チタルナル監督官や貴族議会側にも言い分はあるだろう。

 そう思ってちらと見ると、予想は的中した。チタルナル監督官が、こめかみに青筋を立てながら口を開いた。


「ロムレス王国では、何よりも法が優先される。それは、一人の人間の身勝手は、多くの人を不幸にするという歴史を学んだからだ。だからこそ王国でありながら、今や王などは飾り過ぎず、施策は議会で審議される。国全体の規範となる法律は、ロムレス市の元老院で議決され、各市区や属州の統治は、それぞれの貴族議会や平民議会が担う。これは取りも直さず、個人の暴走を防ぐためのものだ」


 一呼吸を入れると、鬼殺しをにらんで監督官は言い切った。


「貴様は自分が手柄を挙げたと思うのだろうが、一人の不法行為を許せば、将来にわたって法の統治が揺らぐ。これを看過するわけにはいかない。ロムレス王国民としても、トナリ市の監督官としても、一個人としても同じ判断をする」


 これも、よく分かる言い分だ。

 一度でも超法規的措置が認められれば、法の権威は揺らぎ、人々の規範意識は大いに緩む。


 建国からおよそ700年の歴史を持つ我がロムレス王国は、その前半を王政により統治されていた。しかし、私利私欲のための愚行を繰り返す歴代の王たちに失望した市民は、これを排除した。以来、自分たちの手で自らを律し、統治してきたという自負がある。


 これは、ロムレス王国民であれば譲れないところだろう。チタルナル監督官のように統治機構の内側にいる者であれば、なおさらだ。


 さて、困った。

 二人の言い分は分かった。

 二人とも、心に正義を秘め、追い求めている。そしてトナリ市と市民のことを心から大切に考えている。


 しかし、その手法が違う。


 法に囚われず、目の前の脅威に効果的かつ効率的な対応をしようという鬼殺し。

 迂遠だろうとも適法な手続きによって、トナリ市として組織的かつ公的に対応しようとしている監督官。


 どちらかが間違っているわけでもない。要は、効果的な手法と、法的に安定した手法との均衡なのだ。この場合、どちらかを説得し、片方の考え方に寄せるのは難しい。

 さてどうしようと逡巡していたが、そんな余裕は無かったようだ。チタルナル監督官が分水嶺を超えた。


「言って分からぬなら、力尽くでも正義を通す」

 宣言と同時に、チタルナル監督官は剣を抜いた。その美しい輝きから、一目で名剣だと分かる。


「教えてやる。王国の法が定めるところでは、急迫不正の侵害があったとき、これを実力で排除することが認められている。貴様は、トナリ市貴族議会の決定に反して、立ち入り禁止の丘にいる。そして、干渉を禁じられた竜への攻撃を画策している。これらは違法であり、トナリ市への危険を誘発する行為でもある。よって、これを実力で排除する」


「あ、そう」

 鬼殺しも、すらりと長剣の鞘を払った。


 これは、まずい。

 ひとまずこの場を収めねばなるまい。そもそも二人の行動の根っこは、同じなのだ。ぜひとも協力関係を築いてもらいたい。では、どのように収めるか。


 どちらかの意見を支持してもう一方を説得するというのは、この場合はダメだろう。二人の思考を全く別の場所に飛ばすような飛躍が必要だ。

 一つ頑張ってみよう。二人の間に立つように、一歩前に出た。


「取り込みのところ申し訳ないですが、言わせていただきます。お二人とも的外れで、全くの素人考えですね」

 せいぜい自信満々に見えるよう、薄ら笑いになるような緩い口元で胸を張った。


「どういうことだ?」

「どういうことです?」


 二人は息を揃えて振り返った。

 仲がいいじゃないか。


「まずチタルナル監督官は、大きな勘違いをされています。ロムレス王国の特徴的な気風として、寛容と誠実があると思います」

「誠実はもちろんだが、寛容とは?」


 少し怒った風ではあるが、きちんとこちらの目を見て訪ねてくる。応えるように目くばせをすると、落ち着いた表情で剣を鞘に納めた。彼との信頼関係を築けている証左だろうか。


「ロムレス王国では、敗戦の将を罰することはありません。“敗北し恥辱を受けた時点で、既に大いに反省するところである。であるならば、これを罰するより、再度の奮闘を期待する”というものです」

「それは、そうだ。敗将を罰するなど、悪趣味な愚王の所業だろう」


「であるならば、誠実に街の防衛に尽力し、今も命を懸けて幻獣と相対するクインさんを認める寛容さがあっても良いのでは?」

「私は、効率などという言葉で自分勝手をしている者を許すほど、考え無しではない。人々を守るために行動するのであれば、人々の危険が少なくなるよう配慮するというのも必要だろう」


 しっかりと言い切るチタルナル監督官に、鬼殺しが眉をはね上げて反駁する。


「的確な行動によって、少しでも早く脅威を除くことこそ、人々の安寧につながるのではなくて? 迂遠な“政治的活動”とやらが、かえって時を浪費していると気付かないほどの大馬鹿なのかしら?」


 再び二人が視線をぶつけ始めたので、間に立つように前に出た。


「クインさんの言葉に、間違いはありません。ですが、竜退治にあたって最も効率的と言い得る行動こそ、チタルナル監督官の主張する法に基づく組織的な行動なのです」

「は? 意味が分からないのですけれど?」


 鬼殺しが私を睨む。

 先ほどより視線の圧力が増している。腹を割った話が出来ていると思えば、言い傾向だ。

 未だに抜身の長剣が恐ろしくもあるが。


「お二人はそもそも、竜を倒す際に気を配るべき、最も大事なことは何だと考えますか?」

 私の問いに、まずはチタルナル監督官が口を開く。

「竜を都市に近づけないことだろう。人々の安全が第一だ」


「もちろんそれも気を配る点ですが、もう少し具体的に。竜と対峙したときのことです」


 今度は、鬼殺しが口を開く。


「竜との戦い“ならでは”の懸念なら、火ですわね? 無尽蔵に吐き出されるアレを避けながら近づくのは、とっても大変そう。それと竜鱗。昔話の類いだと矢も槍も通さないことが多いけれど、それを切り裂くのは、きっと随分と骨でしょう?」


「他には?」

 重ねての問いに、鬼殺しは顎に指を当てながら考え込む。


「あとは、心臓の位置が分からないことかしら。幻獣を倒すには、心臓を突くか首をはねるのが定番だけど、あの体躯だと、どう戦うか決めかねますわね」

 鬼殺しから視線を外して、あえてゆっくりと微笑んで見せた。


「やれやれ、本当にずぶの素人ですね」


 私の言葉に、鬼殺しの眉は跳ね上がった。

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