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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
2章 事務屋の魔女退治

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事務屋と文通③

 翌日は日の出とともに市街に出た。


 ベイロース先生から、執政官の書面が届いたのだ。これであの老兵を突破できる。

 ルークが方々へ出す手紙の手配を済ませ、研究室で使うあれこれの買い出しを終えると、さっそく城壁の穴へと向かった。


「おはようございます」


 今日も老兵が、鋭い目つきで頑固に見張り番をしている。私が丁寧に頭を下げて挨拶をすると、彼は皺だらけの手を短剣の柄に置いたまま、しかしわずかに目元を緩めて口を開いた。


「おはよう、お嬢さん。早朝から街に出るなんて、たいそうな働き者だ。とは言え、許可がなければ穴には近寄らせんよ」

「執政官の許可ならば、こちらに」


 書面を広げて見せると老兵は、ほうと息を漏らした。

 ランス市の執政官の名で発出された文書には、城壁の調査を許可するとはっきり記されている。


「間違いないな。大したもんだよ、どんな伝手でこれを手に入れたんだ」

「しかるべき方法です。壁を調べても良ろしいですか」

「ああ、構わんよ」


 老兵が後ろに下がったので、城壁の前に立ち改めて穴を見た。直径は私の背丈ほどもあるうえに、遠目には見事な円形に見える。もし測量をしたならば、正確な円であることが分かるかもしれない。


 ふちに手をかけてよじ登り、穴の中に入ってみた。石材が崩れぬように支える木材はあるものの、隙間は大きい。十分に人が出入りできそうだ。もしこれを放置していれば、外敵の侵入をやすやすと許すだろう。あの老兵の頑固さもやむを得ないことだ。

 足元を見ると、やけに黒かった。指でなぞれば、煤が付く。


「焦げていますね」

「おお、そうだ。穴が見つかった時には、焼けるように熱かったと聞いているよ」


 穴を穿ってから火を焚いたとは考えにくい。となれば、炎や熱の性質を持つ魔法が使われたと考えるべきだろう。

 穴から町の外を見ると、遠く海岸線に石造りの塔が見えた。


「あれは、灯台ですか」

「そうだ。貿易商組合が管理していたはずだ」


 ランス市は都市の内部に大きな港を備えているが、町の外にも船着き場をいくつも持っている。小型の漁船や商船が停泊するためのものだ。

 都市内の港では、出入港時に厳格な検査がなされる。当然、時間も手間もかかる。

 そこで、日々の漁やちょっとした交通のための船は、都市外の港を選ぶのだ。もちろん城壁を出入りする際にも確認されるが、港と違い順番を長く待つことはない。その都市外港ための、簡素な灯台なのだろう。


「城壁に穴が開いた時と前後して、あの灯台に何か異常があったという話を聞いたことはありますか」


 老兵に尋ねると、首を横に振った。


「いや、無いな。この穴に近い時期での変わり事となると、町の植木が何本か倒れていたって話はあったな。焼けたような跡があったから、同じ犯人じゃないかって疑っている奴もいる」


 初耳だ。


「倒れた木は、どこにあったのですか」

「そこだよ」


 節くれだった指が、すぐそばを示す。街路に沿って、木が植えられていたと思しき跡がある。今は根元から伐採され、小さな切り株が残るだけだ。


「そこに生えていた檸檬の木だ。五本か六本くらいが、まとめて倒れていた」


 城壁に空いた穴からみると、木の跡はきれいに並んでいる。そのはるか先には、大学校が見える。振り向けば、街の外には傷のない粗末な灯台がある。

 すべてが一直線である。


「船であそこへ降りた人物が、城壁へ向けて、あるいはその先にある大学校へ向けて魔法を行使したと考えるべきでしょうか」

「儂はそう睨んでおるよ。ランス市の住人を疑っている奴もいるが、儂はその意見を信じない。内側から城壁を壊す市民なぞ、いるわけがない」


 そのとおりだ。城壁は都市を守り、そこに住む人々を守る。これを内から破壊するとは、確かに考えにくい。わずかな可能性を上げるとすれば戦時の裏切りくらいだろうが、ロムレス王国人に限ってはそれもないと信じたい。


 結局、理性的に考えればランス市に住む人が内から城壁を破壊することなど、ありえないのだ。

 となれば、外部からの侵入を目論んで破壊したと考えるべきだろう。


「ありがとうございました。もしかすると、また調査をさせてもらうかもしれません」

「執政官の許可があるんだ、存分におやりなさい。悪さをしている奴がいるなら、捕まえて刺さねばならんからな」


 いくつもの古傷の目立つ手が、短剣の柄を叩いた。

 老兵と別れた私は、大学校へと歩きながら考えた。


 今般の一連の出来事は、不明な点が多い。誰が何の目的で、何をしているのか。そもそも何が起きているのか。分らぬことが多すぎる。


 こうなっては根拠が薄くともある程度を決めてかからなければならない。仮説を立ててそれに基づいて動くのだ。仮説が間違っていれば遠回りをすることになるが、それも飲み込むしかない。無闇に動くより、まだ良いはずだ。


 街路の賑わいをすり抜けながら思考を巡らせ、いくつかの選択肢を取捨選択したのち、腹を決めた。

 どこからか襲来した魔女が、城壁を破り侵入した。そして都市内部に潜伏しながら、何らかの呪術的な意図をもって市民を襲っている。大学校や大図書館を狙っている可能性もある。

 そう仮定した。


 老兵の言うとおり、内側から城壁を破壊する市民などいるはずがない。なんの益もないからだ。そして外から城壁に穴を穿つとなれば、その目的は侵入である。単なる破壊が目的ならば、第二、第三の攻撃があってしかるべきだが、それは無かった。

 わざわざランス市に現れた以上は、この都市の特性が関与しているはずだ。つまりは大学校や大図書館である。


 この仮定では、魔女がルークをかどわかして入れ替わっていない限り、彼女は魔女ではない。そして私には、彼女が魔女に入れ替わっていないと分かる。あの奇人になりすますのは困難だからだ。

 この路線で魔女を炙り出そう。


 そう決めてしまうと、道筋がはっきりする。優先すべきは市中での聞き込みに加え大学校と大図書館の情報収集だ。


 大学校に戻ると、その足で馬屋を訪れた。

 いくつもの馬房を持つ大きな木造の建屋で、床と壁には石材も使われており、中々に堅牢である。荷馬車用の馬が繋がれるほか、高級官僚などが大学校を訪れる際に乗馬を預けている。


 馬屋の隅に、ファルクスを見つけた。明るい赤褐色の毛色は美しく、左の後ろ脚だけが雪のように白い。きれいな寝藁の上にすらりと立っている。


「やあ、元気だったか」


 声をかけると、愛馬は甘えるように鼻を鳴らした。機嫌がよさそうだ。

 ぐるりと見まわすと、ちょうど馬の世話役のたくましい男が馬糞を桶に入れて出ていくところだった。普段は賑やかな馬房だが、幸いにも今は私たちしかいない。


「調査の報告を聞きたい。言葉を話すことを許可する」


 私の言葉に、ファルクスが大きく身震いをした。骨が鳴り、肉がきしみ、見る間にその姿を変えていく。

 わずかな間ののちにそこに立っていたのは、長身ながら細身で、色の薄い長髪の男だ。私の愛馬にして頼れる配下の一人、ファルクス・ヘルシリアである。


「ああ、ジムクロウ様。いつもながら美しいお姿にございます。その目、その指、その御髪。どれをとっても極上の芸術にございます。大地を歩けば木々さえ心奪われるでしょう。そのお声には鳥たちさえ聞き惚れることでしょう。いや、神々でさえ……」


「私を慕ってくれるのは嬉しいが、もう少し気さくに話してくれて構わない。いつも言っているだろう」


「なりません。ジムクロウ様を崇拝するのは、下々の者の義務でございます。あのペテン師や酔っ払いたちは、そこを理解しておりませぬ。どうかあの者達に慣れてしまわぬよう……」


 相変わらず、頑固者だ。

 私に対して敬意を持って接してくれるのはありがたいことだが、事務的に物事を進めたいときにはやや時間がもったいなくも感じられる。


「……ジムクロウ様こそがこのロムレス王国におけるか輝く一等星にして人々の希望でございますからには、あれらのような無法な輩には……」

「おしゃべりは後にしよう。今は報告を聞きたい」


 ファルクスには情報の収集を命じていた。

 馬屋は、遠方から訪れた人々が最初に向かう場所である。市内で馬に乗ることができる高官なども出入りする。様々な人が入り乱れるのだ。すると思わぬ人に出会い、会話に花が咲き、口も緩くなる。馬屋とは、噂話の吹き溜まりなのだ。


 人の耳に入っては困る話も、馬の前でならば吹聴してくれる。

 さらには大学校の入り口にあるこの場所からは、城壁の穴を遠望することもできる。もしあそこから新たな脅威が侵入する可能性があるのであれば、備えぬわけにはいかない。

 広く遠くまで見渡すことができるファルクスの目は、監視にうってつけなのである。


「異常を察知したか。有益な情報は得たか。聞かせてほしい」


 端的に問うと、ファルクスは大きな瞳に涙を浮かべて頭を下げた。


「申し訳ありません。魔女の討滅につながる決定的な情報を得よという、ジムクロウ様のご命令に添うことができませんでした。我が身の非才を呪うばかりでございます。罰をお与えください。ジムクロウ様の足を舐めよということであれば、今すぐにでも喜んで……」

「些細な情報でも構わない。聞かせてくれ」


 私の足元に跪こうとするファルクスから一歩退いた。触れぬことが肝要だ。もし彼を足蹴にしようものなら、しばらくは歓喜の詩が朗読される。

 ファルクスは名残惜しそうに私の足跡を指でなぞりながらも、報告を始めた。


「ランス市外から訪れる者は皆、一様に魔女の不安を口にしております。この手の噂の広がるさまは、小麦粉に入り込んだダニの如くにございます」


 想像してはいた。学術研究に興味のある者は、新鮮な情報には機敏に反応する。

 今はまだ物珍しがられるかもしれないが、このままではいずれ人々の足が遠のき、ランス市は寂れていくだろう。現状では魔女による大きな損害が出ていないように見えるが、やはり根本的な解決を急がねばならない。


「魔女の正体について、噂はあったか」

「最も多かったのは、神殿や大学校の関係者ではないかという話でございます。魔法というものは身近にありながらも、いざ行使するとなれば高度に専門的な知見が求められるものですから、けだし当然と言えましょう」


「予想の範疇だ。他に何かあるか。些細なことでも、突飛なことでも構わない。平素にない噂話こそ真実の端緒となることもある」

「些末な噂であればほかにもいくつか。例えば城門通りの酒屋の焼き豚が美味であるとか、図書館に謎の美女が入り浸っているとか……」

「そうだ。そういうもので構わない」


 どれも取るに足らない噂だが、確かに聞いたことのないものばかりだ。今はそういったところからでも手掛かりが欲しい。


「こんな話でジムクロウ様のお役に立てるのであれば、喜んで申し上げます。いくらでも幾日でも、お望みのままに」

「頼む」


 私が促すと、ファルクスは喜色満面につらつらと語りだした。


「先日、裏通りの娼館で小火があったときに、執政官の息子が裸で表に飛び出して笑いものになったそうです。おかげで次回の選挙では大きく票が動くかもしれないという噂が回っています」

「興味はあるが、ひとまず置いておこう。他には」


「大学校の気鋭の若手研究者が、他都市から訪れた謎の美少女に首ったけになっているそうです。武骨で生真面目な男なので、降ってわいた恋の話に物珍しがっている者が多いそうです」

「その話はどうでもいい」

「そういえば……」


 記憶の項をたどるように額に手を当てていたファルクスが、ふと顔を上げた。


「今回の魔女の被害に遭っているのは、一様に若くたくましい活力にあふれた男ばかりだそうです」

「詳しく頼む」


「男色の気のある神官がぼやいていました。公衆浴場で目をつけていた良い男たちがそろって魔女の被害に遭って寝込んでしまったと。酒に酔っている風だったので、信じるに値しない話でございますが」

「いや、良い視点での情報だ」


 被害者の共通点を探して手掛かりにするという視点は無かった。参考になる。

 ベイロース先生に依頼して被害者の情報をまとめてもらおう。彼らの共通の知人や、共通して出入りしていた場所があれば、潜伏する魔女の正体の手掛かりになるかもしれない。


 方針が決まると、気分が上向いてきた。

 ルークに拒絶されてから内心では意気消沈していたのだが、活力が戻ってきた気がする。明るい展望は、人の生きる支えである。

 こうなってはルークに忌避されている現状は、彼女から離れて調査に取り掛かることができるので、かえって好都合かもしれない。


「それにしても公衆浴場か。しばらく行けていないな」


 風呂恋しさに思わずつぶやいてしまった。

 ファルクスが飛蝗バッタのごとく足元にまとわりついてくる。


「今から向かわれますか。私もお供いたします。ぜひそのお肌を磨かせていただければ……」

「いや、やめておこう。この格好だ」


 女性の装いで男性用の浴場に入ってしまえば誤解が生じる。

 もちろん体の造作までを変えているわけではないので、服を脱げば男として通用するだろう。そこまで強力な魔法はベイロース先生であっても行使しえない。神の呪いでも受けない限りは、ファルクスのようにまるきり姿を変えてしまうことはできないのだ。


 だが女性の恰好をして女性としてふるまっている私が男性用浴場に入り、もし知り合いに会おうものなら、これまでの努力が水泡に帰すことになる。そんな危険を犯すわけにはいかない。

 騒動の種は、避けて通るに限る。


「ファルクスは引き続きここで情報を集めてくれ。必要があれば声をかける」


 だがこの頑固な愛馬は、すぐに騒動の種となるのであった。


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