事務屋と文通②
「お腹空いた」
今日も短剣に神の加護を施し終えたルークが、身を投げ出すようにして椅子に腰かけた。
神への祈りの言葉を唱えながら大地に葡萄酒を撒き、焚火に肉と焼き菓子を捧げ、神の像に呪符を施した釘を打つ。そんな儀式を半日も続けて、ようやく一本の短剣に加護の付与が終わる。これをもう三日も続けている。
素材の調達や下準備などには助手らに任せているものの、儀式自体は全てルークが取り仕切っている。負担は大きいはずだ。
「パンと鮫の汁があります。召しあがってください」
「えっ」
私が木盆ごと机の上に置くと、ルークは勢いよく起き上がった。朝に焼かれたものを温め直したパンは、ほのかに湯気を纏っている。鮫の汁は、魚醤をたっぷり使った具沢山な一椀で、食欲をそそる香りを漂わせている。
「いいの?」
「はい、どうぞ」
遠慮がちに木匙を手に取り、汁を口に運ぶ。最初の一口こそ遠慮がちだったが、次第に手が早くなり、まるで城壁が崩れたかのように勢いよく食べ始めた。
「この数日ルクレティア様を見ていたのですが、あまり食事を摂っていらっしゃらないようでしたので、食事を届けてもらうように町の食堂と契約しました。人を雇ったり奴隷を買ったりするより、ずっと安く済みますよ」
「そっか、そういう手段もあったわね」
使いで街に出る機会が多かったので、飯屋などはいくつも頭に入っている。魔女騒動のために市街を観察した結果が、思わぬ形で役に立った。
「それと、着替えを用意しました。良ろしければお使いください」
「え、ありがと」
ルークの執務区画の隅には、汚れた着替えがいくつも丸めて放り出されていた。研究室に泊まりだした最初のうちはここで着替えたりしていたが、そのうちに面倒くさくなって放置するようになったのだろう。
隅で湿気と埃にまみれていた布の塊を拾って、大きな桶にお湯を張り、灰汁を使ってよく洗う。そして夏の天日でしっかりと干してから炭を入れた鉄熨斗で皺を取る。それだけで驚くほどに心地よい衣服に替わった。
本当は公衆浴場にも連れて行きたいところだが、流石に男である私が付き添うわけにはいかないので、提案は控えている。
ルークが着替えをする間は使い終わった食器を下げるためにその場を離れ、頃合いを見計らって再び声をかけた。
「ルクレティア様あてのお手紙のうち、いくつか重要なものだと思いましたので、お持ちしました」
元老院からの手紙や神殿からの通知など、いくつかの封書を掲げて見せた。その中に、神狼の印で封をされているものを見つけると、ルークは飛びついた。
「ジムクロウ様のお手紙だわ。もしこの方からの手紙があったら、何を置いても一番に届けてくれるかしら」
「承知しました」
ルークが脱ぎ散らかした衣服を拾い上げながら、いつもの様に彼女を観察した。予想どおり、手紙を読み進めるほどにルークは笑顔をより大きく、より豊かに、より深めていった。
以前に求められていた金銭支援を具体化した手紙である。喜ばぬはずがない。眼鏡の奥で大きな瞳が、お菓子を前にした子どもの様に輝いている。
私の手紙を何度か通読したルークは、同封されていたジムクロウの署名が入った紙片を取り出して、首をかしげている。
「これ、何かしら」
「信用残高符牒ですね。両替商へ持って行くと、記載された金額を受け取ることが出来ます。額面は、5千セステルティウスとありますね。すぐに換金しますか?」
「うん、お願い。ああ、よかった。これで借金は返せるし、ご飯も買えるわ」
「畏まりました。では借用書はお預かりしておきます」
やはり金に困って食事さえ抜いていたようだ。
色々と手配しておいてよかった。
「本当にありがたいわ。それに、これ以上ないくらいに良い時期ね。流石はジムクロウ将軍よ。何回か手紙をやり取りしただけなのに、もうこちらの状況を手に取るように推測できてしまうのかしら」
そんなわけはない。先のルークとのやり取りの後に急いで書き上げたのだ。
ルークが上機嫌に鼻を鳴らしながら、ジムクロウの手紙を机に置いた。
「どうぞ」
インクと羊皮紙を差し出す。
「……よく分かったわね」
「ええ、きっとすぐにお返事を書くのではないかと思いましたので。書きあがるのをお持ちしましょうか。すぐに発送いたしますよ」
「じゃあ、お願いしようかしら」
ルークがペンを取り、軽快に走らせていく。その様子を見ながら、彼女のために出来ることはないかと、よく見てよく考える。
きっと書き上がれば封をするだろう。インクも残りが少ないようだ。蜜蝋を蝋燭の火で温めながら、炭を少しずつ水に混ぜて練っていく。
ジョーに見つかれば、せせこましいだのみっともないだのと文句を言われそうだ。だが、私は気にしない。彼女のために近くで働くという言質は取っている。ならばルクレティア・ラモスという人間のためにひたすら汗を流すだけだ。
ルークのペンがインク壺の底を何度もこするようになってきたところで、すかさず出来立てのインク壺を差し出した。
「お使いください」
「あら、用意が良いわね。ありがとう」
その後も無心でペンを走らせたルークは、瞬く間に5枚の手紙を書き上げた。そこですっかり柔らかくなった蝋を差し出す。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
何となくそのあたりを整理しながら待ち、ルークが封を終える気配があるとすぐに歩み寄った。
「それでは、お預かりしますね」
「う、うん。よろしくね」
私宛の手紙を手に、研究室を出た。
快晴の下、大学校の活力ある喧騒を抜けて街に出ると落ち着ける場所を探した。もちろん手紙を読むためだ。流石に道端で広げるわけにもいかない。
街並みを眺めながら通りを歩いていると、一軒の食堂が目に留まった。
大きな石造りの卓があり、焼いた豚肉や煮豆、葡萄酒などが並んでいる。どこの都市にもある一般的な食堂だ。私の目を引いたのは、一人の客だった。
葡萄酒の杯の他に肉料理をいくつも並べ、左右に男女の若い店員を侍らせている。
見るからに上客だ。眉目秀麗な細身で、髪を短く切り揃え、動きやすそうなズボンと長靴を身に着けている。
その客の隣の席に腰を下ろした。
「やあ、ピラリス。順調か」
「僕はこのとおり、仕事に励んでいますよ」
葡萄酒の杯を傾けながら、男の店員のたくましい二の腕を撫でている。私の配下にして、男装の弓使いであり、ほら吹きの二つ名を持つピラリスだ。
「この店は美味いのでおすすめですよ。値段は食事と葡萄酒で1セステルティウス、彼女が2セステルティウスだそうです」
そう言って私の前に食器を置いた女性店員を指した。
「いや、食事だけでいい。少し二人で話せるか」
「ジムクロウ様がお望みなら」
指の合図で店員らを下がらせた。
「経過の報告を頼む」
「はい。今のところ目ぼしい情報はありません。魔女が出たという噂は町中の人が知っていますし、内容も似たり寄ったりです」
「魔女が城壁に穴を空けて侵入し、人々を襲っているというものか」
「そうです。その正体が誰かというところで、いくつか種類がある程度ですね。一番多いのは大学校で魔女の研究をしている魔法使い、ルクレティアというお嬢さんが犯人だとするものです」
「他に挙がっている名はあるのか」
「強力な魔法使いであるベイロース学長やそのほかの学者や魔法使いも名前を聞きました。ああ、ジムクロウ様のお相手であるダウという男の名前もありましたね」
「私の相手というのはどういう意味だろう」
尋ねつつ懐で短剣を掴んだ。
いつでも抜ける。
「おっと、正確にはダウのお相手がシム・ロークという可憐な少女であるという噂でしたね。堅物の魔法学者が目新しい若い女の子に参っているって、それなりに噂になっていましたよ。外見の良い若い男で、魔法の学者にして優れた医術者でもある。彼、結構な有名人のようですよ」
「そうか」
ひとまず命拾いをしたようだ。
侮辱があれば遠慮と自制を忘れるつもりだった。
「他には何かあるか」
「あとはせいぜい美味い飯屋とか人気の軽業師、流行りの音楽家くらいしか」
「それは後で必要になったら聞かせてもらう」
「そうですか」
話しながらも、ピラリスは肉の塊を齧り、葡萄酒を口に運んでいる。
私も肉を頬張った。
「僕はご指示のとおり大学校には近寄っていませんけれど、そちらの具合はいかがですか?」
「ルークには私が張り付いているし、それ以外はファルクスに任せている。だが、今のところは決定的な情報はない」
途端にピラリスの顔が曇る。
「ファルクスで大丈夫ですか。彼はジムクロウ様以外に興味が無いでしょう。目の前を魔女が歩いていたとしても気付かなそうですよ」
「そんなことは無い。きっと役目を果たしてくれるさ」
口ではそう返したが、少し不安ではある。後で会っておこう。
そうしている間も、ピラリスは次々と注文を追加して豚肉に齧りついている。私もひとまずは腹を満たすことに専念して、二人で大皿を30ほど空にした。
ひと息を吐いたところで、先ほどルークから預かった手紙を取り出した。
「恋文ですか?」
「ルークがジムクロウへ宛てた手紙だ。近況を書いてくれるから意外と役に立つ。シム・ロークの評価も知ることができる」
「じゃあ恋文みたいなものですね」
ピラリスを無視して手紙を覗き込む。
相変わらずの修飾過多な書き出しの後には、長々と資金援助の礼が述べられ、その次には近況の報告が続いている。
「いかがですか? シム。ローク女史のご評判は」
「あまり良くない。一見すると普通の少女ですが、こちらの意図を先回りして動くことがあり、正直少し気味が悪いほどです。彼女は頭が良すぎるのです……だそうだ」
この数日は献身的に接してきたつもりだが、かえって評価が下がっていたようだ。
これは気を付けねばならない。。
「おやおや、天下のジムクロウ様ともあろうお方が、随分と嫌われてしまいましたね」
詐欺師が笑っている。面白そうだ。
どうして私の周りには、私が苦労するのを喜ぶ者ばかりが集まるのだろうか。
「あ、そういえば大図書館は大学校の関係者でなければ入れないのですよ。王国随一の図書館を見たいのですけれど、ジムクロウ様の伝手で何とかなりませんか」
「物見遊山は手伝わないよ」
「もちろん調査の為ですよ。大図書館の関係者に話を聞くのだって、無駄ではないかもしれませんよ。この際、探れるところは何であっても当たっておくべきでしょう」
確かに一理ある。
けれど本音は観光気分なのだろう。詐欺師に騙されているとはわかりながらも、拒絶はできない。
「考えておこう」
「よろしくお願いします」
そんな会話の後に研究室に戻ると、ジョーがいた。ジムクロウの名義による紹介状を渡しておいたから、きっとそれを使ったのだろう。
姿勢よく立つジョーを指して、ルークは朗らかに笑った。
「身の回りのことは彼女に頼むことにしたの。だからあなたは、もう大丈夫よ。キャシィと一緒に書類仕事でもしていて」
驚いた。
手紙に予兆はあったが、それにしても早い。いや、ルークの行動力と決断力を思えば、予想しておくべきだった。
「そうですか。分かりました」
ここで抗っても意味はないだろう。もしかすると考えを変えてくれるかもしれないが、むしろ悪印象を持たれる可能性の方が高い。研究室に残れるならば、調査は継続できる。
そう割り切って、ルークに背を向けた。
困った。
捜査に支障が出るからではない。
親しい友人に拒絶されたような喪失感があったからだ。ルークという不器用ながらも献身的な天才をとても好ましく思い始めていた。
去り際にジョーを見ると、活力に満ちた笑顔であった。彼女も魔女探索の重要性は十分に承知しているはずだ。ルークの隣にいるのが私ではなくとも、きっと問題ないだろう。
手紙では気が回り過ぎるとあった。この数日はしっかり勤めたつもりであったのだが、それが彼女の気に障ったのだろう。
だが、くよくよと気にしても仕方がない。やるべきことをやるだけだ。
まずは入口の机に積まれた書類の整理から手を着けることにした。




