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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
2章 事務屋の魔女退治

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事務屋と魔法学①

「ご注文の竜鱗でございます」


 ランス市内を南北に走る大通りは、青天もあってか、早朝から多くの人が出ている。通りに面した煉瓦造りの大きな工房の前で、丁稚の少年が木箱を示した。


 甘く香しい広葉樹の蓋を押し外せば、中には竜鱗が詰まっていた。その一つ一つを手に取り、検品していく。

 どれも大人の顔ほどの大きさで、窓硝子のように濁った半透明だ。僅かに赤みを帯びているのは、成竜の鱗である証拠である。


 先日のルークとダウの騒動から3日が経ち、工房にある竜鱗はルークの研究室が引き取ることと決まった。ダウは、トナリ市から竜鱗が到着するのを待つことに了承をしてくれた。遅延の損害金も運送の手間賃も工房が負担することと決まっているので、私としてはもう何も言うことは無い。


「竜鱗が27。大きさは均一で傷物も無いですね」


「はい。きっちりと揃えさせていただきました」


 少年はもみ手をしながら、しきりに頭を下げている。彼の首が上下するたびに、森の守り神であるパーンを象った木の護符が揺れる。多くの親は、幼い我が子から病気や怪我を遠ざけようと、この手のまじないをする。


 今回の騒動の主因がこの工房であるということを、首から護符を下げる少年でさえも、理解しているのだ。

 木箱を荷車に載せてもらうと、馬の口元で手綱を握った。


「請求書は、ルクレティア・ラモスの研究室へ送ってください。代金は請求から10日以内にお支払いします」


「はい。あの……」


 少年は居心地悪そうに頭を掻いた。


「今回の二重受注は、本当に申し訳なかったです。言い訳をするわけじゃないんですけど、わざとではないんですよ。ほら、魔女の噂があるじゃないですか」


「今回の件に関係が?」


「ええ、受注でそちらさんとのやりとりをしていたうちの者が、どうも襲われたみたいなんですよ。十日前から寝たきりで、目を覚まさないんです。だから色々行き違いがあったようで……申し訳ありませんでした」


「この町で魔女に襲われたという人は、大勢いるのですか?」


「知っているところじゃあ5人とか6人くらいですけど、探せばもっと多いんじゃないですかね。働き盛りの若い人ばかりが狙われるらしくって。だから、うち以外にも困っているところは多いと思いますよ」

「なるほど。事情はルクレティア様にもお伝えしておきます」


 そう請け合って、その場を離れた。


 荷車の車輪と石畳が奏でる小気味よい音を聞きながら、馬を引いて街路を歩いた。

 ランス市は、定住人口だけでも七万人を数える。加えて各地から学者や芸術家、商人などが集う。その賑やかさは、街並みを一見しただけでわかる。


 よく日に焼けた肌を晒し、黄金の腕輪や首飾りを身にまとう一団は、南方の貴族などだろう。海路を使えば国外からも容易に訪れることができるのだ。


 毛織物を纏った男たちがいる。遥か東方で遊牧をしながら生活する者達だろう。貪欲に知識や経験を求める彼らのことだ、ロムレス王国を訪れた折に、この学術都市へ足を伸ばしたのだろう。

 多様な人間が行き交い、人の熱気が躍動している。


 その裏では、静かに混乱が広がっているようだ。時が経てばさらに事態は悪化するだろう。捜査は慎重ながらも、速やかに進める必要がある。


 だが困ったことがある。

 魔女を追い詰めるための確立した手法が、無いのだ。


 かつて人類は幾度か魔女と遭遇している。だが類似の事例としては扱えぬほどに、そこで起きたことは大きく違う。


 例えば碩学の魔法使いと呼ばれた魔女が西方ブリタニア属州に現れた際には、多くの書物を収集する傍ら、魔法の才に秀でた子女に教育を施して去っていったという記録がある。これは魔女との平和的な邂逅の例だ。


 あるいは、南方に現れた強欲の魔法使いと呼ばれた者は、魔法で王族を傀儡として国をほしいままにしていたが、ある日、突然姿を消したそうだ。理由もその後の動向も分かっていない。


 もちろん規模の大きい戦いに発展した場合もある。不死の魔法使いと呼ばれた者との戦いは、歴史に残る一戦であったと記録されている。


 同じ魔女に分類されていても、個の差が大きい。ゆえに、踏襲できる前例が無いのだ。

 ならば、今現在ランス市に潜伏している魔女についての情報を集めねば、適切な対策を講じられない。

 そこで最も優先されるのは、情報収集である。


「ファルクスにもたくさん働いてもらうことになりそうだ」


 そう言って愛馬の肩に手を置くと、ファルクスは甘えるように顔をこすりつけて来た。私に傾倒しすぎるきらいはあるが、ファルクスは頼りになる。きっと今回も大きな働きをしてくれるだろう。

 大学校の敷地に入り、ルークの研究室の前に荷馬車をつけると、キャシィが人数を連れて出てきた。


「ご苦労様です」


 無表情にそう言うと、すぐさま指示を出して竜鱗を運ばせている。私も竜鱗を抱えて後を追った。

 研究室は、相変わらずだ。人手の少なさをそれぞれの頑張りで補っているので、賑々しい。喧騒を抜けてルークの机にたどり着くと、机上には相変わらず書類の山があった。

 その中心で彼女は、いつもどおり幾つもの書物を広げ、インクに汚れながら書きものをしていた。


「ルークさま、竜鱗をお持ちしました」


 キャシィが声をかけると、勢いよく顔を上げた。


「待っていたわ。こっちよ、こっちに持ってきて」


 そう言うと、こちらを見もせずに歩き出す。

 一番奥まった煉瓦の壁に、厚く大きな板が張り付けられていた。木目から察するに、固く丈夫なケヤキの板だろう。


 板の前には、天井からぶら下がる縄がある。

 そして脇に置かれた木台の上には、十本の抜身の短剣が並べられていた。そこへキャシィら研究室の面々が歩み寄り、何やら準備を始めている。


「これは……何かの装置か」


 思わずつぶやきを漏らすと、それをルークに拾われた。


「研究に必要な実験の装置よ。あなた、えーと……」


「シム・ロークです」


「ああ、そう、シムね。もちろん覚えているわよ。あなたは、私の研究の主題が星射抜きという魔法の再現であることは知っているかしら」


「ええ、ベイロース先生から伺っています」


「それなら話は早いわ。星をも射抜く魔法なんて、人間にはどうやっても無理な話なの。絶対に神々の力を借りなければならない。では、いずれの神の力をどのように借り受けるべきか。それを明らかにしようというのが、今回の実験の要旨よ」


 早口で説明する間も、ルークはこちらを見ずにキャシィらの作業を注意深く見守っている。そのキャシィは、机の上から短剣を一つ取り縄の先に結ぶと、縄を張ったまま短剣を後ろに引いた。

 一方の木の板には、竜鱗が括り付けられている。


「準備は良いわね。それじゃあ、はじめて」


 ルークの合図で、キャシィが短剣を放す。すると振り子のように壁へと向かった短剣は、その切っ先が竜鱗に衝突した。


 硬質な音が響き、折れた剣先が床に転がっていく。何人かが小さく悲鳴を上げながら、それを避ける。

 竜鱗には傷一つない。


 ルークは大きな目だけを眼鏡ごしによく動かし「森の神パーンは不適当か」と呟き手元の紙に何事かを書き入れていく。そして顔も上げずに言った。


「その竜鱗はもういらないわ。新しいのを使って」


 私は思わず彼女の顔を見た。皆も驚いたように固まっている。


「よろしいのですか?」


 皆の疑念を、代表して私が口にする形になった。


 竜鱗は、1枚で100セステルティウスは下らない。

 下水道掃除夫やオリーブ油絞りの人足が一日懸命に働いて、ようやく1セステルティウスを稼ぐ。熟練の職人でも、ようやく3から4セステルティウスを手にできれば上々だろう。100セステルティウスもあれば、大人の男の1年分の食費は賄える。


 それほどに恐ろしく高価な素材を、一度短剣を叩きつけただけでもう使わないというのだ。それも、傷一つないというのにだ。

 ルークは相変わらず書き物をしながら、こちらを見ることなく言った。


「いいのよ。神を量るには、徹底しないとね」


「神を量る……ですか」


「そう。神は本当にいるのか。いるとしたら、どの程度の力量を持っているか。それを試さないとね。神は意外と仕事をしないものなのよ。例えば、鍛冶神ウルカヌスの加護を得るために、鍛造前の鉄を燃え盛る炭の中に入れて呪文を唱えると、名剣が出来上がるっていう話があるわ」


「聞いたことがあります。鉄や木などの性質を知ることと鍛冶神の加護を得る事。この二つが優れた鍛冶師には必要だと」


 かつて竜退治をした時もそうだった。竜の炎に耐える盾や竜鱗を貫く武器を作るため、竜の素材で武具を作ろうとした。だが生半可な鍛冶師では竜鱗に傷一つ付けることは出来なかった。


 そこで鍛冶神の加護を得た熟練の鍛冶師に協力を依頼したところ、たちまちのうちに竜鱗を加工して見せた。その際にも、魔術的な工程があった。

 魔法とは、鍛冶や薬の調合などにおいても、ごく当たり前に行われているのだ。


「私はこの呪文がどの程度の効果であるのか知りたかったの。だから名鍛冶師と呼ばれる人に協力を仰いでいろいろと試したのよ。呪文を変えてみたらどうなるのか。呪文の読み上げ方を変えてみたらどうなるのか。その結果、どうだったと思う?」


 誰も答えない。

 皆がルークの言葉に聞き入っている。


「呪文を唱えるのと同じ時間、燃える炎の中に鉄を入れておけば、強い剣が出来るって分かったの。原因は特定できていないのだけれど、推測は出来る。ある程度の加熱が強度を増すのか、それとも炭に含まれる何かが鉄を変質させているのか」


「いずれにせよ、そこに神はいなかったということですね」


「そうなの。でもそれを鍛冶師に伝えたらすごく怒られて、すっかり嫌われちゃったわ。お陰で研究を発表することも出来なくて。認めてくれたのは、ベイロース先生くらいよ」


 鍛冶師の気持ちは、理解できる。

 それまで神の奇跡に触れ、神威の宿る剣を作って来たと思ってのだ。それを否定されれば、反感も芽生えよう。それにルークのことだ。きっと配慮の無い言動があったに違いない。

 それを受け入れる度量があるのは、ベイロース先生などの一部の人格者くらいなのだ。


「でもね、そこで私は確信したの。魔法を極めるにあたって重要なのは……」


 そこで初めて、ルークは顔を上げた。

 しかし大きな瞳は、こちらを見ていない。竜鱗と短剣の間をさまよっている。


「神を量り、神を知ること」


 その冷静な言葉に、私は思わず息を呑んだ。冷たい汗が、背を伝う。


 ああ、これが天才か。


 神という存在は、敬い信奉すべきものだ。

 歯が痛ければ医神の神殿で寄進をして、治癒してもらう。大きな取引に当たっては、商業の神に祈りを捧げる。戦の前には戦神の加護を受ける。

 日常、当たり前に存在する超越的な存在が、神だ。


 それを度量衡にはめ込み、計測しようなどとは考えない。だがルークには、それができる。

 ベイロース先生からは、優れた研究者だと聞いていた。ダウも彼女を評価していた。それは、ルークの物覚えの良さや知識の深さ、そして行動力を評価しているものだと思っていた。もちろんそれもあるだろう。


 だが、ルクレティア・ラモスという人間の凄さの本質は、それらではない。神をも観察し理解しようというこの姿勢こそが、ルークの真価なのだ。


 ルークのことは、常識を知らぬ変人のように思えていたが、そうではない。目的のためならば常識を捨てているのだ。だから既存の考えや常識にとらわれずに思考し、発想することができる。


「あの短剣には、一つ一つ、違う神の加護を与えているの。いずれの神の加護の効果が高いのか。それを測定するのが、今回の実験の主目的なの。同じ竜鱗を再度使えば、強度に差が出る。それでは、正確な神の測定は出来ないわ」


 これがルクレティア・ラモスなのだ。

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