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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
1章 事務屋の竜退治
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事務屋と政治屋①

 初夏の青空の下、石畳の街路はカラリと乾いている。


「良い天気だ」


 家から一歩出ると、思わず言葉がこぼれた。

 正午が近いというのに、人口10万人を擁するトナリ市の街中には、人が溢れている。行き交う馬車や荷車、そして人混みを縫って、街の中央へと歩き出した。


 荷を背負わせたロバを引く商人達とのすれ違いざまに会話が聞こえてくる。


「東の街道で商隊が竜に食われたらしいぞ」

「そりゃ、ひでえ。もう西街道以外は使えないな」


 さりげなく歩調を緩めて聞き耳をたてる。


「道を変えると、人足で余計な金が要るな。トナリ市への交易が全くの損になるぞ」

「トナリ市は外して、ロムレス市との直通交易に乗り替えるか?」

「そうだな。塩も宝石もロムレス市でも売れるし、牛や小麦の仕入れは他所でもできるしなあ」


 商人らは話しながら遠ざかっていき、すぐに会話は聞こえなくなった。


 トナリ市は、苦境にあるようだ。

 商人たちの交易路から外されると、都市はあっという間に干上がる。食料だけならともかく、高級ワインなどの嗜好品や美術品は入ってこなくなる。文化が衰退すれば、文化人や知識人の足も遠退く。都市の勢いも減衰する。


 そして、長引けばそれだけではなくなる。塩や油などの生きるのに必要な物さえ手に入らなくなる。そうなれば、都市はお終いだ。

 目の前の道には荷車や馬車が列をなしているが、竜の騒動が解決されなければ、いずれこれも消えてなくなるだろう。


 考えながら歩いていると、程なくして街の中心部へとたどり着いた。

 目的地であるトナリ市の執政官の住まいは、街の中央広場からほど近いにもかかわらず、広い敷地を持つ豪華な一戸建てだ。


 入口では、金髪を輝かせたチタルナル監督官が、精悍な顔つきで待っている。

 周囲には従者らしき人が数人いる。明らかに腕っぷしに自信がありそうな屈強な男や、小脇に本を抱えた女性、あるいは明らかに使い走りらしい奴隷などだ。おそらくそれぞれに何らかの専門分野を持っているはずだ。監督官だけあって、有能な者を保護し、その協力を得ているのだろう。


 私を見ると、チタルナル監督官は笑顔で迎えてくれた。


「思ったよりずっと早い到着だ。本当にありがたい」

「出立の準備なんて無いも同然、しばらく留守にすることを何人かの知人に伝えるくらいでしたからね。後は従者に身の回りの物を持たせて、昼夜、馬を走らせました」


「道中は無事に?」

「ええ、無事でした。道中では」


「……気になる言い方だが、何か問題が?」

「街に入るときに、馬から降りるのを忘れて悶着になりそうでした」


 都市内部で騎乗できるのは、執政官や監督官、護民官など一部の要職者に限られている。商人らも牛やロバに荷車を引かせることが出来るのは、決められた道の決められた時間だけだ。


 だが今の私は、最底辺の官職の一つである徴税官として振る舞っている。その身分は、ほとんど平民と変わらないのだ。

 本来であれば騎乗したまま進むことができる道を、自分の足で歩くというのは、かえって新鮮でさえあった。


「……こうして話していると忘れそうになるが、君は元老院に属しているロムレス王国有数の大貴族だったな」

「元老院議員と言えど、私にあるのは名誉と官職だけで、土地も金銭もあまり持っていませんよ。書類仕事と折衝ばかりしている、ただの事務屋です。そして今は、低級な徴税官です。周りに怪しまれぬよう、雑に扱ってください」


「なるほど、気をつけよう。そういえば君も、さまになっている格好だな」

 チタルナル監督官が、私を見て笑った。

「普段とそう変わらない身なりです。けれど、徴税官として違和感がないように、少しばかり気を配りました」


 チュニックとズボンを身に付け、腰にはペンとインク壺を提げている私は、どう見ても下級官吏だ。トーガも貴金属も身に付けず、インクの匂いを漂わせている私は、侮られても仕方ないだろう。


「その姿なら、さすがの執政官も、君がジムクロウ将軍とは気づかないだろう」


 そう言うとチタルナル監督官は、私を従えて執政官の館に足を踏み入れた。従者は全て屋外に待機させるようだ。

 既に話は通っているようで、すぐに案内の奴隷が現れて、私たち二人の先に立って歩き出した。


 これから、チタルナル監督官の紹介で、トナリ市の執政官と初めて会う。

 私がトナリ市民として竜を退治するには、トナリ市の上院議会である貴族議会から、竜討伐の権限を持つ官職を与えられる必要がある。それを根拠に予算を要求し、募兵を行うのだ。


 では、どのようにして議会に認められるか。

 それには、議会の決定を左右出来るだけの影響力を持つ人物や勢力を味方に付ける必要がある。そこで、都市の長である執政官への面会を設定してもらったのだ。


 執政官と並び立つ重職である監督官の推薦があればこそ、私のような素性の知れない者であっても執政官に会えるというものだ。

 執政官室の扉の前で、チタルナル監督官が振り返る。


「予定どおりでよいのか?」

「ええ、打ち合わせのとおりに」


 監督官と話し合った結果、ひとまず私の正体は隠すこととし、トナリ市民でありシム・ローク徴税官として執政官と交渉して、官職を得ることにした。

 執政官に全てをつまびらかに伝えるのは、まだ早い。その人物が信用できるか、あるいはできないのかは、直接に話してみるまでは分からないというのが私の考えだからだ。


「では、行こう」


 案内の奴隷が黒い木製の大扉を押し開くと、チタルナル監督官と私は並んで部屋へと入った。執政官の執務室は、薔薇の香油が漂っており、それに混じって煙草の焦げる香ばしい匂いがする。


 大きな窓から入る陽光で、室内は明るい。窓辺に背もたれつきの椅子があり、老女が腰かけていた。

 髪は半ばが白髪で、顔には深い皺が刻まれている。だが、爛々とした目と、キリリと持ち上がった口の端から、彼女の並々ならぬ活力が伺える。


「アンタがシム・ロークかい? 思ったより小さいね。年齢より幼く見られることもあるんじゃないかい?」

 こちらが挨拶をするより早く言葉を投げると、ゆっくりと煙草を吸い、紫煙を吐いた。おそらく、自分が会話の主導権を握りたい性質なのだろう。


「御慧眼のとおりです。この見た目のせいで、いささか損をして生きております」

 別にそんなことは無いのだが、こう言っておいた方が、雑談が弾むことが多い。

 揶揄するように「だろうね」とつぶやく執政官の前に立ち、深く腰を折って礼をした。取り敢えず最大限の敬意を表しておく。


「トナリ市六級施政官シム・ロークと申します。現在は、徴税官を拝命しております。執政官にお目にかかることができたのは、私の生涯において最大の栄誉であると存じます」

「私がトナリ市区執政官のエイギュチーク・ベルチ・トービーさ。覚えておいて損は無いよ、ローク。見かけは小僧だけど、礼儀は知っているようで何よりだ」


 慇懃無礼ととられて不快に思われるかとも思っていたが、素直に受け止められた。追従は受け入れる人間のようだ。

 私の横に、チタルナル監督官が立った。


「シム・ローク徴税官の紹介をいたします。彼は、2年前から徴税官としてトナリ市区の辺縁で業務に励んでおります。その折、ロムレス市のジムクロウ将軍の指揮下で幻獣討伐に従事した経験があるということです。この度の竜騒動に触れて、トナリ市のために尽力したいと申し出がありましたので連れて参りました。長くトナリ市を離れていたので、最近の町の事情に疎いところはありますが、幻獣退治の経験は確かで……」

「その辺りはもう聞いてるよ。で、どうなんだい、腕の方は」


 チタルナル監督官は、しっかりと下話をしてくれていたようだ。


「聞いたところでは、いくつもの幻獣戦で勲章ものの働きをしたようで……」

「あたしは、チター坊やじゃなくてロークに聞いているんだよ?」


 ベルチ執政官が睨むと、チタルナル監督官は大人しく口をつぐんだ。

 監督官より執政官の方が上位の官職ではある。だが、それにしても随分と腰が引けている。そう訝しんでいると、すぐに答えは得られた。


「チター、あたしの娘は元気にしているかい?」

「……はい、妻は極めて壮健です。今日は帳簿の確認のために、西の農場を回っているでしょう」

「それは結構だね。チターも、体には気を付けるんだよ。あたしは、娘もチターも、同じように大事に思っているんだからね」


 なるほど、そういう関係だったのか。

 義母にして執政官となると、チタルナル監督官としても、やりにくいだろう。


「娘婿とのじゃれあいはこのくらいにしようかね。さてローク、アンタの話だ」

 煙草の管をくわえながらこちらを睨む。小柄で痩せているのに、思いのほか迫力がある。堂々とした振る舞いと強い言葉使いに加え、常に主導権を握る話術がそうさせているのだろう。


 貴族議会の議員達を捕まえて、首を縦に振らせる力はありそうだ。

 内心で気合を入れ直して、向き合った。

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