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事務屋の竜退治  作者: 安達ちなお
2章 事務屋の魔女退治

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事務屋と研究者②

 紙の山をあらかた仕分け終えた頃合いで、背後から歩み寄る硬質な足音があった。振り返るとキャシィがいた。


「進捗はいかがですか」


「八割ほどが終わりました。種類ごとに紐で結束してあります。信書、請求書類、連絡や通知の文書、その他雑多なものと分類してあります。信書は個人あてのものと研究室あてのもので分けました」


 請求書類の束や雑紙の山を一つ一つ説明する間も、キャシィは一つ一つを手に取って確認していき、最後に無表情のまま頷いた。


「結構です」


 私を見ることもなく、抑揚の少ない声で平坦に言った。


「識字が可能であるという言葉に偽りはありませんね。分類に整合性は取れており、丁寧に結束されている。この仕事ぶりであれば、ルークさまがお喜びになると思います」


 及第の評価であったようだ。


「では、どれを誰に渡せばよいか説明します」


 キャシィがさっと歩き出すので、手紙類を木籠に入れて後を追った。伝票の類は出納の担当者へ届け、見積書はそれぞれの仕入れ担当者へ渡す。宛名がある書類はそれぞれ当人へ配る。


 仕事の手順と共に、研究室の人間の顔と名前が覚えられる。彼女はこれを意図しているようだ。段取りと気配りが行き届いている。

 隣を歩きながら、気になっていた質問を投げてみた。


「ルクレティア様の研究室は、人手が不足しているのですか?」


「慢性的に業務量が過多です。常に募集を出していますが、新人が来ても、数日で縁遠くなることも少なくありません。ルークさまと歩調を合わせるのは、多くの人にとって難しいことのようです」


 控えめな表現だが、厳しい事実を端的に表している。

 室内では十五人ほどが忙しく立ち働いている。中には楽しそうにしている者もいないこともないのだが、憔悴した顔の方が目立って見える。


 ルークをわずかにしか見ていないが、印象は強烈だった。


 優秀でこだわりが強く、そして精力的だ。自分の理想を実現するために際限なく努力し、時には無理を通してでも、ここまで来たのだろう。常人には難しい生き方だ。彼女の隣に立つ人もまた、常人の範疇を越えて行かねばならないはずだ。


 とはいえ、誰もが高い志を持っているわけではない。

 私だって、できるならば毎日風呂に三度入り、冷やした葡萄を食べながら本を読む生活を続けたいという性向を持っている。いや、先生の依頼が無ければその欲求に抗えない日々を過ごしていただろう。


 人は、勤勉であろうと努力して、ようやく自堕落を半分くらい追い出せる。完全なる怠惰の追放などは不可能だ。


 自分さえままならないのだから、新人に精勤を期待するにしても、手間と時間が必要だろう。

 それを当の新人である私が提案しても不快がられるだろうが、言わぬよりは良いかもしれない。


「新人が来たら慣れるまでは丁寧に育成するのも、一つの手段になるでしょうか」


「そうでしょうね。ですが、そもそもこの研究室に関わろうという人間は稀です。噂が多分に影響しているかと」


「噂とは、魔女騒動のことですか?」


「はい」


 魔女の嫌疑でルークは忌避されているようだ。彼女の研究を、彼女の思い描く速度と質で実現するには、もっと人手が必要だ。だがそれは叶わぬ事らしい。


「私はいくつかの支払いを済ませてきます。シムさまはそれをルークさまへお届けください」


 そう言うとキャシィは、ぎこちない歩調で去っていった。最後に残ったルークあての文書を任された私は、「失礼します」と声をかけて例の布を潜った。中では、ルークが一人で机に向かって羊皮紙に書き物をしていた。


 手に持っているのは、粗末な細い木の棒だ。斜めに削られたその端にインクを付け、がりがりと音を立てて何かを書き込んでいく。時折、棒の先を齧って形を整えると、またインクを付けて書き込んでいく。そのせいで口の周りは黒く汚れている。


 その様子は低い賃金で酷使される低級の官吏のようだ。だが彼女の眼には実に生き生きとした炎が宿っている。

 指が白くなるほどに強く棒を握りながら、ちらりとこちらを見た。


「ああ、えーっと、新人さんね。もちろん覚えているわ。手紙ならその辺りに置いておいてね。ありがと」


 私が机に紙束を置いても気にする様子は無く、時折資料を広げて目を通す以外は、一心不乱に書き続けている。先ほどのやり取りを見ている限り、重要な情報は報告した方が良いだろう。


「ルクレティア様あての書類のうち、お早めに目を通した方が良いと思われる手紙が二通ありました」


「うん?」


「一通は元老院からの封書です。中を確認した方がよろしいかと。もう一通はロムレス市のジムクロウという差出人で……」


 ルークが勢いよく顔を上げた。


「それを早く言ってよね」


 勢いよく手を伸ばして手紙を掴んだ。ルークの細い肘が机上の山に当たり、紙類や板、粘土板などが雪崩を起こして床に散乱する。


「片づけます」


「ありがと」


 私が床に屈みこむと、ルークは早速ジムクロウからの手紙の封を開けた。書類の整頓を口実に反応を知ることが出来るのは好都合だ。


 手紙は、きっとルークに喜ばれるはずだ。

 彼女の提案を受け入れ、個人的なウェスタの巫女として受け入れる。代わりに資金を融通し、必要に応じて便宜を図ることを約束する。それ以外にも援助できることがあれば惜しまない。困ったことがあれば何でも連絡して欲しい。近況なども知りたい。親しく頻繁に文通をしよう。


 そんな内容だ。

 予想どおり、手紙を読み進めるほどにルークは笑顔をより大きく、より豊かに、より深めていった。


「ああ、良かった。竜を倒すには、まず剣を掴むことであるってことわざでは言うけれど、本当にそのとおりよね。挑戦しなければ神は助けてくれないのよ」


「何か、良い報せだったのですか」


 手は止めずに何気ないように問いかけてみると、ルークは「そうなの!」と勢いよく身を乗り出した。


「とっても偉大な方に私の研究が認められそうなの。後援を約束してもらえたの。ちょっとだけ高価な代償が必要だったけどね。でも魔法という学問が、一歩前進するんだもの。安いものよ」


 ウェスタの巫女になるということは、自分自身のすべてを捧げると同義だ。それを「ちょっと高価」という言い方で収めるのは、自己の評価が低いのかそれとも学問追究にかける思いがそれほどに強いのか。


「まずは資金援助を依頼しようかしら。あ、でもいきなり金の無心をしたら、はしたないと思われてしまうかしら」


 一人で何やら呟きながらペンを取っている。返事を認めているのだろう。さすがに覗き見るわけにもいかない私は、書類の整理を終えると下がった。ルークが私の手紙を歓迎していることが分かればそれでよい。


 ルークの手紙は私に届く。いずれ読むことになるのだ。


 ジムクロウの手紙はルークに喜ばれ、シム・ロークとしてはキャシィに受け入れられている。ひとまずは目論見が外れることなく進んでいることに気をよくした私は、書類置き場に戻った。残りを片付けてしまおう。


 机上には、既に新たな手紙や小包がいくつか置かれている。こうしている間にも商人が納品に訪れ請求書を置いていき、小間使いの子どもが手紙を届けているのだ。

 それらを手早く分類していると、毛色の異なる来客があった。


「失礼。お嬢さん、ルクレティア・ラモスは在室しているか」


 背の高い精悍な男だった。落ち着いた低い声だ。髪を短く切り揃えており、日に焼けた腕は太い。


「はい、おります。取り次ぎましょうか。お名前を伺ってもよろしいですか」


「名はダウ・ウエストランドだ。ルクレティア・ラモスと同じく、このランス市で魔法の研究をしている。既知の仲だ、名を言えば分かる」


「では、こちらへどうぞ」


 案内しながら、ダウを見た。

 身に着けているのは簡素なチュニックだが、汚れどころか皺も無い。背筋をまっすぐに伸ばした姿勢と相まって、まるで切り出した石材のようだ。


 片手で羊皮紙を束ねた本を持っており、その端からは整然と並んだ付箋が頭を出している。きっと見た目どおりの几帳面な性質なのだろう。


 普段なら、特に用心する必要のない人物に見える。


 だがルークは男性に対して警戒心が強いと聞いている。軽率に通してしまっては騒動の種になるかもしれない。だが重要な人物であるかもしれない。現状では私の直属の上役になるであろうキャシィはいない。ならばここは、ルーク本人に問うべきだろう。


「少々お待ちください」


 ダウを待たせてルークの執務区画に入ると、彼女は未だ手紙に取り組んでいるところだった。興が乗った風で、踊るようにペンを動かしている。


「ルクレティア様」


 声をかけるが、ルークは「うん」と小さく唸っただけで、顔を上げようともしない。ペンを忙しく動かしている。


「お客様がお見えです」


「へえ、誰かしら」


「ダウ様とおっしゃっていました」


 ようやく顔を上げた。葡萄酒の甕の底に鼠の死骸を見つけたような表情だ。


「いないって答えておいて。私は留守なの」


 大きな声だった。

 しまった。ルークという人間は、こういうことをするのだった。

 そんな焦りを感じた瞬間には、ダウが布を押し上げて入ってきていた。


「聞こえているぞ。礼を失するにも程があるだろう」


 その声は、抑制されているが怒気を隠しきれていない。

 ルークは椅子を弾き飛ばすように身を引くと、猫に追われる鼠のような素早さで机の下に隠れた。だがダウは気にすることなく続けた。


「どういう料簡だ、ルクレティア・ラモス。お前は俺に恨みがあるのか?」


「何よ、急に何なのよ」


 眼だけを机の下から出してきょろきょろと様子をうかがっている。本当に事態が飲み込めていないようだ。これなら多少はでしゃばっても悪く思われまい。ダウの面前に進み出た。


「ダウ様、よろしければもう少し詳しくお聞かせいただけませんか?」


 身長にかなりの差があるので、首を持ちあげたとしても上目遣いになる。それでも真摯に話しをしたいという姿勢を示すためにも、まっすぐにダウの眼を見た。それが功を奏したのか、ダウは少しためらうように視線を泳がせた後、簡潔に話し始めた。


「俺が素材の買い取りを約束していた工房が、今日になって急に取引できないと言ってきた。聞けば、ルクレティア・ラモスが倍額を提示して、何としても売る様に迫ったということだ。後から出て来て金銭で無理を通そうというそのやり口に、腹が立たぬわけがあるまい」


 言葉が続くにつれ、ダウの語気が強まっていく。対照的に、ルークは夏の酷暑に当てられたカタツムリのように縮こまっていく。

 事情が分かった。つまりはルークを発端とした騒動ということだろう。だからといって彼女を見捨てるわけにはいかない。


「ご不快な思いをされたのでしたら、その点についてはお詫び申し上げます」


「ではこの件は撤回するという事か」


「いえ、それは……」


 ちらりと見ると、ルークが必死に首を横に振っている。何の素材かは分からないが、恐らくは何としても手に入れたいのだろう。


 まずい。

 事態は限りなく切迫している。


 デルポイの神託は「魔女に味方するならば敵対しない」と明示している。つまり味方をしなければ敵対をする可能性が高い。だが、どこに敵味方の線引きがあるのかは分からない。この場で魔女の言動を非難するだけでも、敵対的であるとみなされるかもしれないのだ。


 そしてルークは第一の容疑者である。ダウもランス市で魔法を研究しているというからには、嫌疑をかけるには十分だろう。


 どちらかに肩入れをすれば、どちらかを敵に回すことになる。そして選択しなかったものが魔女であったならば、決定的な対立をしてしまうかもしれないのだ。


 周りに目を配れば、既に研究室の全員が私たちを見ている。だが割って入ろうという者はいない。

 当のルークはすっかり消沈して、まるで雨後の木屑のようにじめついている。


 さて、この事態をどうしよう。出来れば、丸く収めたい。だがこの研究室にも学者という人種にも明るくない私がどこまでやれるだろうか。いや、やるしかあるまい。


 腹を決めたところで、思わぬ助けがあった。

 この大騒ぎが外まで聞こえているのだろう。戸外にも人が集まり始めていた。そんな野次馬の人波を割って、進み出た人物がいる。長い黒髪が美しい、切れ長の目をした女性だ。


 まるで自室であるかのようにルークの研究室を闊歩し、こちらに近づいてくる。

 そして私たちの前に立つと、あたりを睥睨して言った。


「あらまあ、ずいぶんと騒がしいのね。学術都市ランスの大学校と言えば王国随一の叡智が集積していると聞いていたのだけれど、あなた方の頭の中にはハツカネズミでも詰まっているのではなくて?」


 凛とした笑みで辛らつな皮肉を口にした。

 こういう人間なのだ。


 思ったことはそのまま口に出す。配慮や遠慮は、生まれたときに切り捨ててきた。これこそが竜殺しの異名を持つ私の友人、ジョセフィーヌ・クインだ。


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