事務屋と先生①
事務仕事に終わりはない。
竜退治とその後始末に一区切りをつけてロムレス市に戻った私を待っていたのは、書類の山だった。しばらく留守にしていたのだから、やむを得ないことだ。それに事務仕事は嫌いではない。書類の確認や作成は、自分の歩調で進められる。
時間ばかりかかって得るものの少ない交渉事や、神経をすり減らす議会対応などとは無縁でいられる。
そんなわけで私は、開け放った窓から爽やかな夏の風が入り込む自宅の執務室で、羊皮紙の束を一つずつ崩していた。
多くは、各地から届けられた手紙や報告書だ。その内容を確認し、必要であれば返答を作成し決裁の日付と署名を入れる。
私はロムレス王国の指導者的役割である元老院の議員であるが、同時に一級粛清官の官職を与えられている。これ自体には、職務の割り当ては何も無い。緊急の時には、議会の議決を待たず執政官の専決により対幻獣戦のための高級官職に就くことが出来るという、一種の免状のようなものだ。
竜が現れれば竜征官、大鬼には鬼滅官、多頭蛇を狩る際には狩蛇官といった具合に、その対処のための権限を定めた臨時の官職が与えられる。その任命に係る事務を簡便にする機能があるに過ぎず、特別な決裁権限を持つわけではない。
そのはずなのだが、一級粛清官あての文書が絶えることは無い。
昔より幻獣と遭遇する回数が減ったとはいえ、未だ各地で出没している。そんなとき、人々には一級粛清官という名が頼もしく見えるらしい。相談の手紙が送られてくることがあれば、対応策案の確認を求められることもある。
それらに目を通して回答を作成する。
そんな作業を繰り返していると、一通の封書が目に入った。
淫らな緑色の封蝋で、開いてみれば白くきれいな羊皮紙に、女性風の飾り気の強い文字が躍っている。まるで高級娼婦が金払いの良い客へ送る手紙だ。
送り先を間違えたのだろうか。そう思って文頭を見れば、私の名前が書かれている。
「命の緑萌ゆるこの夏、ジムクロウ・グリエント将軍閣下におかれましてはさらに神威満ちることと推察いたします。さて私ルクレティアは、齢十九にして知恵と活力を秘めた女を自負しておりますところ、あなた様だけのウェスタの巫女となりたく……」
冒頭を読んだだけで、はしたない内容であると理解できた。ウェスタの巫女とは、純潔を守りながら女神ウェスタに仕える女性たちのことを指す。人間としての幸福を犠牲にして生涯を通して神に仕えるため、人々の尊敬を集める位の高い神職だ。
だがここに書かれているものは違う。
手紙では「ジムクロウに仕えるウェスタの巫女」となると書かれている。そして対価としてその庇護を求めている。つまり権力者の奴隷となることで、手厚い庇護を受けたいという申し出なのだ。
最近はこうした俗な表現が流行していると聞いたことはあったが、実際に目にしたのは初めてだ。神聖なウェスタの巫女を軽々しく扱っているところには不快感を覚えるし、自分を売ってでも庇護を得ようという貪欲さにいささか呆れもする。唐突にこんな手紙を送られても、困惑するだけだ。
燃やしてしまおうか。そんな考えがよぎり手紙を持ったまま立ち上がろうとしたところで、扉が叩かれた。
顔をのぞかせたのは、古くから我が家にいる奴隷の男だ。いつも玄関前に立ち、来客の顔を確認してくれる。私の客となるような人の顔と名前と官職を憶えているので、安心して応対を任せられる優れた男だ。
「御師様がお見えです」
彼が御師様と呼ぶ人は、一人しかいない。
「先生がお見えか。すぐにお通りいただこう」
先生の顔を思い浮かべると、それだけで気分が清々しくなる。面白くない手紙は机に放りだして、それきり忘れることにした。ほどなくして部屋に入ってきたのは、柔和な顔の老婆だった。
「お久しぶりです、ジムクロウさん」
朗らかで耳に残る凛とした声音だ。
「ご無沙汰をしております、ベイロース先生。どうぞおかけください」
応接用の一角を示すと、寝椅子には見向きもせず、従者用の小さな木椅子に背筋を伸ばして座った。給仕役の奴隷が葡萄酒と果物を持って近づくと「酒精は結構ですよ。せっかく用意してくださったのにごめんなさいね」と笑う。
少しくすんだ白い着衣は、洗いざらしの風合いだ。腕輪も首飾りも着けていない。
清廉と質素を好み、自律することに苦を感じない。そして目の前にいる相手への思いやりを忘れない。私の家庭教師であったころと、変わりがない。
これがわが師、ベイロース・ラモス・ベロス魔導次官だ。理知をたたえた瞳が、私へ優しく向けられる。
「あなたの活躍は、西方にも届いていますよ。また竜を退治したそうですね」
「いえ、私は大したことはしていません。力ある人がそれを発揮できるように、場を整える努力をしただけです」
事実を述べると、ベイロース先生が頬を緩める。
「素晴らしい心がけです。功を挙げようとも名誉に執着しない姿勢は尊敬しますよ」
「恐縮です。もしお褒めいただくことがあるとすれば、全て先生の薫陶によるものです。ですが私には、魔法に秀でた才はありませんでしたので、優れた教え子であったと胸を張れないのが残念です」
「師が魔法使いであったとしても、あなたまで魔法の道に進まなくとも良いのです。ジムクロウさんが自分の選んだ道で活躍されているのであれば、私はそれをとても誇らしく思いますよ」
「ありがとうございます。ベイロース先生は変わらず教鞭を取られているのですか?」
先生は、西方の学術都市に請われ、より多くの生徒を指導するため移住された。ロムレス市にいる多くの教え子たちが別れを惜しんでいたのを今でも覚えている。
「ええ。でも最近は私が直接教えるより、学問を志す人のための場を整えるため、色々とおせっかいをしたり根回しをしたり、そういうお仕事が増えているかしら。柄ではないのですけれど、ランス市で大学の学長をしています」
「大きな仕事ですね」
驚きもあるが納得が強い。先生であれば、それ程の要職にあってもおかしくない。
ランス市は、有数の国際文化都市だ。
ロムレス王国北西側の海岸沿いには、港を持つ城壁都市が多くある。外海を北に進めばブリタニア属州もある。ランス市それらをつなぐ航路の中心にあり、大きな港を持つ人流の集積点である。
人が集まる場所には、自然と富や知識も積み上がる。
そうした地政学的要因から形成されたのが、学術都市ランスである。巨大な図書館を擁し、世界中から書物と研究者が集まる知の結節点である。そこで大学の長を務めるとなれば、責任と権威、そして権限は重く大きい。
「確かランス市の図書館と大学は、元老院からも資金が提供されていましたね」
「ええ。おかげさまで資料は充実するし、訪れてくれる学者さんも増えるし、研究と教育のための環境が日に日に整っていますよ」
「ベイロース先生の活躍が目に浮かぶようです」
世辞ではなく本音だ。先生の知識と知恵、そして人柄ならばきっと多くの信奉者を得ていることだろう。ところが先生は、困ったように笑った。
「そうでもないのよ。実はとっても大きな問題が生じたのです。そこで、あなたの力を借りたくてやってきたのです」
「私の力を……ですか」
「ええ、実は……」
先生は、静かに言った。
「魔女を討って欲しいのです」




